パートナーのいしとは、付き合う前から「僕とは違う生態系の人だ」と思っていた。それを興味深く観察する、というつもりは全くなかったのだけど、気がついたら「同棲、結婚」という流れになって一番間近でいしを見届ける立場になった。
とにかく、「いいですね、やりましょう」などと即断即決し、「ダメだったらそのときに考えましょう」とドライなところが僕とは全然違う。僕からすると浅はかとさえ思えるそのフットワークの軽さは、むしろ羨ましくもあった。
僕の性格はこのサイトの記事を長らく読んでいる方ならよくわかっていると思うが、熟慮に熟慮を重ね、ようやく重い腰を上げるというスタイルだ。事前調査をしないと気がすまないし、「弘法筆を選ばず」の格言の逆を行く、「まずは一通り装備を揃えてから事を始める」行動パターンだ。
若いうちは自分の「重たい腰」というのは無謀や無駄を省くためにも良い性格だと思っていた。しかし、歳を重ねてくると、本当に腰が重たくなって新しいことができなくなってきた。これはやばい。
そんな中現れたいしは、僕に良い刺激と気づきを与えてくれると思った。彼女の「行きたい!」「食べたい!」「見てみたい!」というストレートな希望と、僕の知見とを組み合わせ、今後二人であれこれやっていきたいと願っている。
そんな中、彼女から提案されたのが「富士山に登りたい」だった。
えっ、富士山。だってあなた、富士山には登ったことがあるって言ってたじゃないか。しかも昨年。
「富士山の山頂で、外国の人と仲良くなって写真を撮ってもらったんですよ」
と写真を見せてもらったことがある。その時、僕は「なんでその人とLINE交換して写真を送ってもらってるんや」と嫉妬心を抱いたものだ。久しぶりの嫉妬ですよもう。
しかも二度も登ったことがある、というのだからこいつァ馬鹿だ。登山の趣味なんてないのに、二度も登るだなんて。しかも、単独行で。
「男性の友達に連れて行ってもらったんですウフフ」なんて言ったら、さらに僕は嫉妬していたと思う。でもそういう話ではない。聞く限り、サバサバと「日本一の山ですから登っておかないと」という。
それだったら次は日本で二番目の北岳に登るべきではないのか、と僕は思う。しかしいしは、
「まだ静岡県側の登山口から登ったことがないんですよね。静岡出身としては(いしは静岡出身)登っておかないといけないと思うんですよ」
と言う。はあ、そういうもんですか。
昔から、「富士山は山梨県のものか・静岡県のものか論争」というのが面白おかしく語られてきたが、元・静岡県民としては「富士山は静岡県側の登山口から登ってナンボ」という発想があるのかもしれない。
元・広島県民としては、広島県最高峰の恐羅漢山を広島県側から登っても島根県側から登っても、どっちでもいいやという気分だけどそれとはレベルが違うのだろう。えっ、一緒にするなって?恐羅漢山は標高1,346メートルだもんな。富士山の1/3の高さだ。
いしの富士登山の話を聞くと、なんとも豪快で呆れる。
吉田口(山梨県の河口湖側の登山道)で登るつもりだったけど、
道中の山小屋の予約が当日になっても確保できなかったため行き先を変更。急遽須走口から登ったのだという。
当日まで山小屋の手配をしていなかった、というのにも驚くけれど、須走口から登ったということにも驚いた。
富士山を登るには4つの登山道があり、吉田口から時計回りに須走口、御殿場口、富士宮口がある。
もっとも利用者が多いのは、東京から中央自動車道でビューンとやってこられる吉田口。ご来光目当ての人で登山道が深夜に大渋滞し、一歩も前に進めなくなるくらいの繁盛っぷりだ。
https://awaremi-tai.com/aware0016.html
以前僕は、アワレみ隊のジーニアスと二人でこのルートを利用したことがある。全然前に進まない渋滞+ジーニアスの高山病で途中下山したルートだ。
あと、静岡県側の富士吉田口も、利用者が多く、山小屋が数多くあって便利。
一方、富士山の東側にある須走口と御殿場口は不人気なルートとなる。登り始める登山口の標高が低いため、上り下りに要する時間が長くなるからだ。そしてその不人気の結果、道中の山小屋の数も少なくなり、不便さに拍車をかける。静かな登山を楽しみたい人には最適だけど、僕みたいに「最短のルートで登りたいです」と恥ずかしげもなく断言するような人にとっては、不向きだ。
ちなみに吉田口の標高は2,305メートル。須走口は1,970メートルだ。山頂が3,776メートルなので、須走口がいかに不利なスタート地点であるかがわかる。こんなん、当日の思いつきでルート変更をよくやったもんだ。僕なら選ばない発想だ。
ただ、そういう静かな登山口なので、当日でも山小屋の予約ができたのだろう。
この逸話だけでも十分に「変なやつ!」と思えるのだけど、さらに今回とんでもない事を言いだした。
「須走口の隣の登山道で登りたいんですよね」
と。
さすがにこれはあんまりだ、いくらなんでも無謀だ、と思った。「須走口の隣」といえば、たしかに静岡県側である御殿場口ルートになる。しかしここは最難関のルートで、登山口は標高1,500メートル。山頂までの標高差は2,276メートルで、登山愛好家でもない限り積極的には選びたくないルートだ。僕でも、選びたくない。
とはいえ、いしが僕と登山に行く、と言っているのだ。彼女の希望はできるだけ叶えたい。この時点でも僕にとってのいしは、「いつどこにピョン、と飛び出してしまうかわからない危うさ」を感じていた。一緒に旅行に行ける、というのは嬉しいことだ。
そこからしばらく、公共交通機関のダイヤや山小屋の位置、コースタイムとにらめっこしていたのだが、結論として「御殿場口、やっぱり無理じゃね?」ということになった。というのも、彼女は今回も夜勤明けそのままで職場から出撃となる。もともと寝不足でヘロヘロなのに、いきなり山に登れるのか?という疑問がある。
そして、日没までに山小屋に到着できるのか問題もある。
御殿場口は山小屋が特に少なく、五合目の登山口を出発したのち、最初の山小屋が七合四勺の「わらじ館」となる。標高は3,090メートル。つまり、登山開始から1,590メートルの標高を稼いで、ようやく最初の山小屋にたどり着けるわけだ。
昼過ぎに登山口に到着できたとしても、これは無理だろ、さすがに。
富士山の登山道は深夜でも人の往来があるので、山小屋は24時間営業に近い体制となっている。なので、日が暮れてから宿に到着することも可能「かもしれない」。仮にそうだとしても、徹夜したあとの身体で標高差1,590メートル、しかも標高3,000メートルオーバーの場所まで歩くというのは危険だ。
さすがに、僕はこのスケジュールには賛同できない。責任を持ってバディを組めないからだ。
さんざん可能性を調べてみたけれど無理、とわかったので本人にそう伝えたら、
「あっ、たぶん登山道間違えてました。おそらく富士宮口の方です、私が行きたかったのは」
とさらっとのたまった。おい、これまでの僕の努力が全部水の泡じゃないか。
富士宮口なら話は早い。標高2,380メートルの五合目は4つある登山道の中では一番標高が高く、難易度が低いからだ。山小屋もよりどりみどりで、これだったらプラニングしやすい。
僕は過去3度富士山に登ったことがある。そのうち2回が富士宮口、1回が吉田口だった。今回また富士宮口か・・・というか、富士山、四度目の登山になるのか・・・という気持ちは正直あるが、惚れた相手と一緒に登るんだ、何も不満はない。
2019年08月19日(月) 1日目
富士登山については、以下のサイトを見るとルートや山小屋の紹介が詳しい。よくわからない人は、事前に目を通しておくと理解度UP間違いない。
https://www.camp-outdoor.com/tozan/fujisan/yamagoya.shtml#d

10:14
富士登山当日、僕はいしの勤務先近くのマクドナルドで待機する。
いしから「仕事、終わりました」という連絡が来次第、すぐに車を勤務先に走らせ、彼女をピックアップするためだ。
今回はいつもに増して時間が気になる。なにせ、登山だ。スタートが遅くなるというのは身の危険にもつながることなので、できるだけ時間に余裕を持っておきたい。
ただ、いしは夜勤だろうが残業当たり前、の職場で働いているため、いつ仕事が終わるかさっぱりわからない。ひどいときは12時近くになってようやく仕事が終わる、なんてことがある。24時間耐久レースでもやってるのか?という有様だ。
待っている間、「結婚までに、やっておくべきお金のこと」という本を読んで過ごす。
つい5日前、いしの実家に初めて伺い、結婚を考えている、とご両親に挨拶をしたばかりだ。まだ具体的にいつ・どこで・どのように挙式をするのか、ということは決めていないけれど、着実に結婚に向けて話は進んでいる。
早くも翌月9月1日から、二人のお財布を完全に合体させてあけすけに家計簿を付ける、ということを決めている。お互い個人で蓄財はしないし、私有財産も持たない。そのかわり、これまでの生活でいろいろ知られたくない「過去の遺産」ともいえるものはあるかもしれないので、8月31日までに金銭まわりは身ぎれいにしておこうね、というルールにした。
そういう地ならしのための、本だ。
僕の意見とは相容れない見解も書かれている本だったが、タイトル通りの内容をざっくりと知る上ではちょうど良かったと思う。
なお、僕らは9月1日付けでお互いの貯金・保険・投資・ポイント・負債全てを開示し、それを書き記した書面に双方署名と捺印をした。万が一二人が袂を分かつことがあったら当然資産は折半になるけれど、2019年8月31日時点で双方が持っている資産は各自の持ち分ですよ、という証拠だ。
見ろ僕の性格を。結婚する前から、別れた際の資産分与のことを考える慎重っぷりだ。

案の定というかなんというか、結局お昼近くになっていしの仕事が終了。
彼女をピックアップし、東名自動車道で静岡県を目指す。
途中、御殿場市にあるEXPASA足柄に立ち寄り。
やっべえ、もう日が傾きはじめているじゃないか。これから登山開始です、だなんて、冗談にも程がある。

とはいっても、お昼ごはんを食べておかないと登山を始められない。
あらかじめおにぎりやサンドイッチを買っておいて、車中で食べればよい・・・という提案もあった。でも僕は断固NOだ。旅情って大事。たとえそれが高速道路のSAだとしても、「おお、旅をしているなあ」という感覚が欲しい。
たとえ時間が足りなくっても、なんとなくで構わないから道中で食べたい。この際、静岡の名物じゃなくてもいい。静岡県でなんか食べた、という実績が僕を満足させる。なんだ、メシを食っているんじゃなくてスペックを食っているだけだな、僕って。

ほー。最近はSAでもこんなものがあるのか。
「ドライゼロクリーミー」だって。
ノンアルコールビールは「ビールっぽい飲み物」なので泡立ちが弱い。それを補強しているというのは大変に気になる。飲んでみたい。
とはいえ、いくらノンアルコールとはいえ、「さあこれから富士山登山ですよ」という緊張感ある中でこれを飲む気にはならなかった。やっぱり、下山後のお楽しみだ。
帰り道、もしこれを売っているお店に出会ったら、ぜひ飲もう。行きの分とあわせて2杯飲もう。

今回の富士登山は月曜日・火曜日というマニアックな日程だ。いしの勤務シフトにあわせ、僕が夏季休暇をその日に揃えたからできた。おかげで、ゲッソリするくらい大混雑する富士登山だけど週末ではないので少しは快適っぽい。山小屋予約もすんなりできた。
最近の山小屋ってすごいね、インターネットで空き状況が確認できるし、予約もできちゃう。電話をかけてくれ、という世界なのかと思っていたけど隔日の感がある。
SAのフードコートは、子ども連れを中心に相変わらずお客さんで賑わっていた。巷では夏休みの行楽シーズン続行中だ。

いしが「わっ、これ食べたい!」というのを全部チョイスしてみたら、こんな組み合わせになった。炭水化物中心。でも登山前だからこれくらいがちょうどいい。
本来のいしは、食事中でもご飯をちょこっとしか食べない。そのかわり、おかずをびっくりするくらい食べる。炭水化物を意図的に避けている贅沢な食生活なんだけど、夜勤明けだと何かセンサーが狂うのかもしれない。

15:40
富士宮口五合目、到着。標高2,380メートル。
ちょうど森林限界ギリギリのところに登山口は位置し、ここから上は荒涼とした石ころの山となる。
天気はあいにくのガス。小雨も若干ぱらつく。

富士宮警察署の「夏山臨時警備派出所」。
今日、どの山小屋に泊まるのか聞かれた。

富士宮口の登山ルート。
五合目からスタートし、六合目、新七合目、元祖七合目、八合目、九合目、九合五勺、そして富士山本宮浅間神社奥宮と続く。
僕が人生初の富士山登山をやったときは、浅間神社に到着したときに力尽きた。しかしここはまだ真の山頂ではなく、「剣ヶ峰」と呼ばれる山頂の中の山頂がこの先にある、と知っても動く気になれなかったものだ。頭痛に悩まされながら下山した思い出がある。
今日目指すのは、新七合目にある「御来光山荘」という山小屋だ。登山開始から2時間あれば到着できる見通しだが、いしの登山適応能力は未知数。ゆっくり登っていこうと思っている。
若さゆえにガンガン登れるならば、さらに上の「元祖七合目」まで登ってしまうこともできる。だけど運動能力がよくわからない相手と一緒ならば、安全重視が大事だ。
今晩は新七合目まで行き、翌早朝にご来光を拝むために出発。山頂についたらぐるっと一周、お鉢回りをする。その後、御殿場口ルートで下山を開始し、宝永火山の噴火口を通って富士宮口に戻ってくる計画だ。

お手洗いを済ませておく。

五合目のトイレ。広々としている。
さて、これからが登山開始だ。
(つづく)
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