馬鹿とアワレみ隊は高いところに登る
日 時:1998年(平成10年) 08月01日~02日(1泊2日)
場 所:富士山
参 加:おかでん、ジーニアス(以上2名)
富士山は不思議な山だ。普段登山なんかに興味が全くない人であっても、いきなり「富士山に登りたい」って言いだす。これが「霊峰」のなせる技か!と思うが、だとしたら他にもたくさんある霊峰、恐山とか白山、立山にだって登りたいというはずだ。でもそういう話は全く聞いたことがない。
日本一高い山だから登ってみたい、というのは理由の一つだろう。日本一を踏破すれば、あとの二番目、三番目の山などザコ同様、という論理になるのかもしれない。
でもそれよりもなによりも、富士山のかっこよさは異常。360度どこのふもとから見ても、カッチョイイ。遠く離れた東京からでもそのかっこよさはひしひしと伝わってくる。古来から富士山が愛され、畏怖されてきたのは納得だ。富士山肴にしながら酒が何杯でも飲めるわ。
普通、山というのは登山口から谷沿いを歩いたり、せっかく稼いだ標高を無駄にするような下り坂があったり、尾根に出るために急なつづら折れの道があったりと起伏が激しい。それが当然。しかし、この日本一の山富士山は、あまりに美しいシルエット故、「アホみたいにひたすら登り続ける」だけの登山道なのだった。しかも、一般的に登山を開始する五合目(標高約2,400m)は森林限界であり、登っている間はひたすら砂利道。雷鳥さんがひょっこり顔を出したりするサプライズも、高山植物が可憐に咲き誇ることもない。
「富士山に一度も登らない馬鹿、二度登る馬鹿」とかいう格言がある。天下の名峰富士山に一回も登らないやつは馬鹿だ、と一刀両断だ。しかし、その後におまけがあって、「富士山のように登っていてつまらない山に二回も三回も登るのも、やっぱり馬鹿だ」というわけだ。なるほど言い得て妙だ。
おかでんは1995年に、パソコン通信Peopleネットのオフ会で既に一回登っており、その点では今回2度目なので馬鹿だ。でも、「馬鹿認定」されてしまうと、周囲から目を付けられてしまう。富士山に登った事がある人、ということで、「私も富士山に連れて行って欲しい」と依頼されるのだった。結局、1999年にも職場の同僚を連れて富士山に登り、見事「W馬鹿」の称号を手に入れた。
さて今回だが、ジーニアスからの「若いうちに富士山に登っておきたい」というリクエストに応える形で登山が実現した。ジーニアスはテニスを趣味としており、それなりに体は動かしてはいる。とはいえ、標高3,776mの富士登山は日頃の体力の有無とは別次元の気合いが必要であり、若干その点が心配。
おかでんとしては、登山初心者を高い山に連れて行くという登山の引率を初めてやるので、若干慎重。登山なんてのは、結局は自己責任の世界だけど、とはいえ何かトラブルが起きたら引率者の責任を問われてしまう。くれぐれも無理は禁物だ。進む勇気よりも退く勇気。
ジーニアスが車を持っていたので、夕方ジーニアスと合流し、一路車で富士山へ。
今回のプランとしては、夜9時過ぎから富士吉田口(河口湖側の登山口)から登り始め、山頂でご来光を眺め、持参した朝ご飯を山頂で食べてから下山、昼頃下山完了で夕方東京帰着・・・というプラン。
富士山には何カ所か登山口がある。
河口湖側にある「吉田口」、御殿場側にある「須走口」「御殿場口」、南側にある「富士宮口」。
御殿場側の登山口二カ所は、距離が非常に長いのであまり人気はない。富士宮口は登山口がその他の登山口よりも一番標高が高いので、少しお得。そんな中で、ダントツの人気を誇るのが「吉田口」。吉田口の何が人気って、交通の便が良いのだった。河口湖まで中央高速でやってきて、そこから富士スカイラインに乗れば、ほとんど信号無しで五合目登山口まで到着できる利便性。観光バスで乗り付けてくる団体登山者は大抵ここを起点にするし、公共交通機関を使う人も、吉田口行きのバスに乗ってここにやってくる。とにかく人が多い登山口だ。
そんな場所なので、まずは駐車場に難儀する。吉田口の登山口には広い駐車場があることはあるのだが、何せ日本中から人がやってくるわけで、駐車スペースの確保が大変難しい。
おかでんたちのように「夜通し登って、ご来光を山頂で見るぞ組」が夕方からぞくぞくやってくる。駐車スペースぱんぱん。もちろんこの車は翌朝までは動くことがないので、「空くのを待つ」なんて無駄無駄。んで、朝になるとご来光を見て下山してきた人達がぼちぼち降りてきて、午前中から昼にかけては車が減る。
しかし、入れ替わりに「とりあえず登山する気はないんだけど、五合目まで遊びにきました」という旅行客がやってくる。
午後になると、今度は「山小屋で一泊して、そこから翌朝山頂を目指す」人達がやってくる。また駐車場が混む。・・・という仕組み。ショッピングモールの駐車場みたいに、運良く目の前で駐車場が空いた!なんてことがありえんことはこれでご理解頂けよう。
そんなわけで、登山口の駐車場なんて当たり前のように満車であり、あぶれた車は登山口に至る富士スカイラインの路肩に駐めることになる。それでも、登山口の近くに駐車スペースを確保できれば運が良いほうで、運が悪いと数キロも手前に車を駐めざるをえないのが現状。
富士山は人気の山だけど、開山しているのが7月と8月の2カ月だけしかない。それに加えて週末ともなると、山に登る前から阿鼻叫喚となるのだった。
われわれは幸いにして、登山口まで1キロ程度のところに車を駐められたので良かった。1キロでもマシと思わないと。遠方に車を駐める羽目になって、登山口に付くまでに疲れちゃうというのはどうしても避けたいところだ。登山口登山。なんじゃそりゃ。
写真上のジーニアスは、ライターの火をこちらに向けているが、あまりに周囲が真っ暗で、カメラのピントが合わなかったので灯りをつけてもらったというシチュエーション。写真を見てめざとい方は気がついたと思うが、写真の質がこの回から良くなっている。そう、これまでは写ルンですの写真をスキャナで取り込んでいたものだったが、1998年のこのときからデジカメ写真になったのだった。
話は脱線するが、このときから2011年の今までずっと富士フィルムのFinePixを使い続けている。標高3,000mオーバーの岩山から標高0mの海上、そして雨や雪のヘビーウェザーであっても剥き出しにして常にシャッターチャンスを伺う性分が災いして、ほぼ毎年1回ずつ買い換えている。ということは、正確に数えてはいないけどもう10機以上デジカメを買い換えているのか。無駄金・・・とは思わない。その分だけ良い記念になる写真が撮れているから。
装備を固め、出発するところ。
頭にはヘッドライト。何せ真っ暗だ、山ん中だから街灯なんて存在しない。己が用意した灯りが頼りだ。足下が暗くてあぶねーじゃないか、と思うかも知れないが、そんな危ない大きな岩などはほとんどないのが富士山の特徴。幾度もの火山によって作られた山だけあって、ざらざらした細かい岩が山の表面を覆っている。滅多なことがないとこけることはない。
おかでんは相変わらず、高度計を首からぶら下げている。富士山のようにシンプルなデザインの山の場合、ひたすらつづら折れで標高を稼ぐので、高度計の精度がとても良い。「ああ、さっきから標高100m上がった」なんてのが励みになる。
おかでんが半袖、ジーニアスが長袖なのが特徴的。山の気温は100m登る都度、0.6度下がる。五合目が2,400mだとすると、標高0mの下界からすると14,4度低い。下界が30度だとしたら、既にここは16度。長袖を着てもおかしくない気温だ。
とはいえ、体を動かしていると汗をかく。おかでんの半袖はそれを見越しての格好。
また、ここから先山頂まで標高差1,300m。まだこれから8度近くも気温が下がる。夜明け前だと、夏とはいえ気温が5度程度にまで下がってしまう。今ここで長袖を着てしまうと、この後着るものがなくなってしまう。まだまだ、この気温だと半袖で十分。着衣のペース配分を考えておかなくちゃ。
それにしてもおかでん、デジカメ導入直後だというのに、三脚を既に購入している。デジカメと三脚はこの後ずっと切っても切れない縁となっているが、デジカメ導入黎明期から変わっていないとは。
五合目から六合目までは、ほぼ水平移動。ゆるやかに登っていく。富士山の登山道といえば、これでもかくたばれこの野郎というくらい延々と続く、つづら折れ。その迫力は体力に自信がない人の気持ちを折れさせるに十分だ。しかし、吉田口のイントロダクションはまだその本性を見せない。
なにしろ、昼間だったら観光用のお馬さんがかっぽかっぽと闊歩しているような場所だ。お金をなにがしか払えば、五合目から六合目まで連れて行ってくれる。・・・ただし、そのせいでこのあたり一体は馬の糞があちこちに転がっているので注意が必要。闇夜に紛れて糞でしまったら、違った、踏んでしまったら、山登る気力がうせちゃう。
そんな六合目だが、おかでんはまだ余裕なのに対してジーニアスはややお疲れ気味。でも大丈夫、富士山は厳しい山だけど、初心者でも登ることができる山でもある。頑張れ。
おかでんの左脇腹のベルトに、三脚が差し込んである。いつでも使えるようにスタンバイしているわけだが、このスタイルは10年以上経った今でも変わっていない。人間って案外進化しないもんだな。
六合目からつづら折れ開始。
真っ暗の中登っていくのだが、一寸先は闇というほど暗くはない。足下を見るくらいなら、ライトはいらないくらい。とはいえ、安全のため灯りは必須。
ここで、ヘッドライトなんて持ってないよ!と面倒がって懐中電灯を持参すると、結構うっとおしい。もちろん懐中電灯でも闇夜を照らすという目的を果たしてくれるのだが、片手がふさがるというのはどうにも邪魔くさいものだ。富士山に登るんだったら、安いヘッドライトでいいので買っておくことをおすすめしたい。
そのおかでんだが、ナショナル製のヘッドライトを頭に装着している。汗止めのタオルの上にヘッドライトを巻いている、とてもださいスタイルだが、装着している人間としては自分の姿を確認できないので、これが一番イカすと思っている。
当時のヘッドライトは非常に大きかった。豆電球1個だが、単三電池4本も使うので、でかくて重い。そんなものをおでこに装備しているので、結構疲れた。しかも、使い込まれてくるとベルト部分のゴムがゆるゆるになってきて、ライトの重さでずるずると下にずりおちてきたりして。
この重さを解消するために、若干値段が張るモデルになると、電池は後頭部部分に格納し、ケーブルでおでこ部分のライトと接続するという分離型があったりした。しかしおかでんは「しゃらくせえ!」とばかりにこの一番安いモデルのヘッドライトを愛用した。もちろん天幕合宿にも使えるので、そちらでも大活躍だ。神島以来の相棒。
さてジーニアスがしょんぼり立っているのは七合目。疲れが写真を通じてでも判るほど、にじみ出ている。
真っ暗な山だが、山小屋はこうこうと灯りが点っている。だから、下から山の上を見上げると、山小屋がどこにあるかがはっきりと判る。山小屋の場所=○合目、という目安になるので、「ほれ、あそこまでいけば○合目だ、もう少し頑張ろう」という励みになる。
山小屋のあかりは暗闇の中にぽつんぽつんと・・・と形容したいところだが、結構あちこちが光っている。とにかく登山者が多い山だ、山小屋もいたるところにあるのだった。これだけあったら供給過多だろうと思いきや、どこの山小屋も予約しないと泊まれないんだから結構なもんだ。
富士山の山小屋は、24時間営業だ。山小屋に一泊して、翌朝早く出発してご来光を見る・・・という正統派登山客だけでなく、われわれのように夜通し登ってご来光を目指す人もいる。昼間になると、朝から登り初めて日帰り登山を目指す人がやってくる。休んでいる暇なんてない。山小屋の人はタフじゃないとやっていられないと思う。
山小屋泊のご来光狙いな登山客は、大抵七合目から八合目あたりの山小屋に一泊する。で、翌朝3時過ぎには起き出して、山頂を目指す。場合によっては無理して山頂を目指さないで、山の中腹からご来光を見る事もある。一泊している間に高地順応できるので、高山病にかかりにくいというメリットがある。
とはいえ、泊まる場所は山小屋。おかでんが「へべれけ紀行」で山小屋の雪隠詰め状況を何度もレポートしているが、ここも全く同じだ。山の斜面にへばりつくように作られた小屋だ、寝る場所なんて満足にない。そこに「2カ月しかシーズンがないんだから、今稼がないでいつ稼ぐ!」とばかりに人を押し込める。眠るのが一苦労な状況なのは言うまでもない。しかも、小屋の外では一晩中常に徹夜登山客が歩いているし、山小屋に立ち寄ってくる。騒がしい。これで眠れる人がいたら相当な強者だ。眠れる自信がない方は睡眠薬持参でどうぞ・・・と言いたいところだが、睡眠薬飲んでぐっすり寝てしまったら、ご来光を見そびれるのでそれは止めとけ。
おかでんは富士山の山小屋に泊まったことがないので、詳しい事は実は知らないのだが、多分夕食はカレーだと思う。お代わり不可じゃないかな。食料調達に不自由する山小屋の定番料理。あと、富士山の場合水にも難儀する。何せ近くに全く水場がない。雨水を溜めるといっても知れているので、生活に必要な水は下から運び上げないといけない。山小屋を維持するのは大変なのだった。
そんな大変な山小屋の様子を垣間見られるのが、飲み物の値段。見事なまでに、標高を上げていくにつれて値段が上がっていくのだった。五合目時点では150円だったジュースが一合上がるたびに50円から100円ずつ値上がりしていくのだった。輸送コストも時間もかかるものなので、これは仕方が無いところだ。確か山頂だとジュース1本500円だったと思う。
山小屋の営業は、ジュースを売ったりカップラーメンを売ったりするだけではない。「金剛杖に焼き印を押す」というのも重要な商売だ。金剛杖を五合目で買って、一合あがるたびにそこの山小屋で記念の焼き印を押してもらう。山頂まで焼き印押してもらいながら登っていくと、最後には良い記念品になります・・・という算段。
とはいえ、たかが焼き印だけど、押してもらうのに一回300円だかかかるので、これが結構馬鹿にならない。大抵の人は、七合目くらいでばかばかしくなってやめていた。これ、山頂までちゃんと押して貰った人、金剛杖を買った人のうち何パーセントくらいいるのだろう?
ちなみに、そんな思い出の品である金剛杖だが、山登っている時のテンションの高さが解消された下山時に、ふと「なんて邪魔くさいものを買ってしまったんだ」と気づく。こんな棒、持ち運びの邪魔だし、家に持って帰っても物干し竿にすらなりゃしねえ。結局、どっか適当なところに捨ててしまうのであった。御殿場駅のゴミ捨て場に、この金剛杖が大量に捨てられているのを見たことがある。電車に乗るのにこんな棒はいらん、と思ったのだろう。哀れ。
人、人、人・・・。
何かの配給を待っている人じゃない、これ、全部登山の人です。買物のレジ待ち行列でもない。全員、山頂に向かって歩いているところ。これが富士クオリティ。
初めて富士山に登る人は面食らうだろう。夜中なのにこんなに人がいる!と。ほんと、想像を絶する人が列をなして歩いているのだから、その衝撃たるや相当なものだ。
山の下を見下ろすと、登山客がそれぞれ持っているライトの明かりのおかげで、登山堂がジグザグに伸びているのがはっきりと判る。それだけ、途切れることなく人がいるということだ。
富士山って相当デカいんだぞ?そんな山の登山道だから、相当距離だってあるんだぞ?にもかかわらず、びっしり人がいるって異常事態だろ。どうなってるんだよ。
日本人ハンパねえ、と思いきや、時々ガイジンさんも混じっている。国際的に富士山登山は受け入れられているらしい。米兵さんとおぼしきグループが登っていたりするのだが、さすがUSA、パワーが日本人と違う。がっしがっしと周囲とは桁違いのパワーで追い越していった。すげー。
一方、標高が上がってくると、路肩でへばっている人も多発。中には気分が悪くなって吐いている人なんかもいる。標高が上がってくると酸素が薄くなるので、高山病の症状が出てくる人もいる。ハンディ酸素ボンベが山小屋では売られているが、酸素を一時的に吸っても高山病が治るとは思えない。疲れた時に一服、程度の効果しかないだろう。
写真を見ると、結構みなさん金剛杖を持ってらっしゃる。さてこの杖、この後どういう運命をたどったのだろう。帰宅後、燃えるゴミ行きになった可能性大。
八合目付近からガスが出てきた。
そんな中、行列がなかなか先に進まなくなってきた。いよいよ、登山渋滞の発生だ。
登山渋滞はなにも珍しいことではない。たとえば、鎖が張ってあるような岩場の場合、一人が通過し終わったら次の一人、などと間隔を空ける。そのため、渋滞ができる事がある。
しかし、ここは富士山。危険な岩場などないし、ましてや鎖場やハシゴがあるわけではない。何で渋滞すんの、おい。
しばらくは非常にのろのろの歩みだったが、ついには1歩進んだら10秒ほどストップ、そしてようやく次の一歩・・・とほとんど動かなくなってしまった。
そんな中、ジーニアスが「頭が痛い」と言い出した。しまった、高山病だ。高地順応せずにいきなり徹夜で登ったから、症状が出てしまったらしい。
おかでんも初めて富士山に登った時は体の平衡感覚が狂い、なおかつ頭が痛く吐き気がしたものだ。しかし、そこで免疫ができたのか、今回は全く問題ない。
ジーニアスの体調次第では下山を考えないと・・・・。
だんだん明るくなってきた。渋滞はますます酷くなってきた。
前方から、「山頂が人がいっぱいで、もう山頂に人が入れないらしい」という声が聞こえてきた。そんな馬鹿な。広い山頂、お鉢いっぱいに人がいるはずがない。多分、登り切った人が登山道周辺にたむろしてくつろいでいるので、そこで先に行けなくなってしまったのだろう。
おそるべし、富士吉田口。こんな渋滞する羽目になるとは。富士宮口にしときゃよかった、と舌打ち。
肝心のジーニアスだが、もうへこたれまくっていた。
「オレはここで先に降りるから、お前は山頂に登って来いや」
という。とはいえ、山で体調が悪い人を一人で下山させるわけにはいかない。うっかり気が緩んでずっこけて骨折しました、なんてなったらたまらん。引率責任を問われる。
「んー」
しばらく、動かない行列をにらみつけたのち、ジーニアスと一緒に下山する事を決意。既に登山道の先には鳥居が見えていて、山頂間近。今の場所はおそらく9.5合目くらいまでは行っていただろうに、残念。でも仕方が無い。高山病の治療法は、とにかく標高を下げること、これに尽きる。
下山開始する直前、へろっているジーニアスの写真を記念撮影。
あまりに行列が動かないので、シビレを切らして下山する人が続出していた。また、ガスっていることからご来光は期待できないということも、諦めに拍車をかけたらしい。
我も我も、と下山開始し、気がつくと下山する人だけで相当な数になっていた。登る人で行列ができているなら、諦めて下山する人も行列。どうなってるんだこの山は。
富士吉田口は登りの道と下山の道が分かれている。そのため、一方通行で快適に山を下ることができる。・・・のだが、すごい人の数だな、これは。
標高を下げているうちに、すっかり夜が明けた。それと共に、ガスがかかっていたエリアを突破し、見晴らしが良くなった。
おお、眼下に山中湖が見える。すごい高度感。この「遮るものがない」眺めも富士山の魅力。ご来光ばかりが魅力じゃない。
雲の合間から朝日がうっすら差し込む。
無理して山頂に行っていたとしても、今われわれが見上げている雲のまっただ中だろう。朝日どころか、五里霧中。
山の斜面を見よ。
富士山って、遠くから見ても結構な斜面だけど、間近でみてもそのまんまきつい傾斜で構成されている山なのだった。こんなの、雨が降ったらズドドドと崩れおちそうだけど、どうしてうまいこと固定されているのだろう?・・・ああ、富士山の西側斜面には「大沢崩れ」ってのがあって、まさに富士山大崩壊中だったっけ。そりゃそうだ、砂場で遊んだことがあれば誰でも判るけど、こんな斜面の砂山作ったら、ちょっといじったらすぐに崩れる。
な、なんだこの人だかりはー!
レインウェアや雨合羽を着ているので、みなさんカラフル。夜の間はライトの明かりだけしか見えないが、夜が明けてみるとかくも色とりどりなのだった。
みなさん並んで芋掘りでもやっているんですかね、という風情だが、この人達全員山頂登頂を諦めての下山中でございます。
それにしても、「これぞ正しいつづら折れの姿」を見せつけてくれます、富士山。みっちりと隙間無く、見事にぐねぐねと折れております。
夜が明けたことだし、標高が随分下がってきたこともあるのでいったんここで大休止をとることにした。下山道には山小屋なんてないので、登山道の適当なところに座り込む。
おかでんが朝食の準備をしている間、げっそりしているジーニアス。まあ、疲れ果てて「もう駄目です」と泣きついたならともかく、高山病になってしまったなら仕方がない。決して恥ずべきことではない。
用意した朝食は、カレーライス。朝から濃厚だな、あらためて振り返ってみると。お湯を沸かし、アルファ米にお湯を注いで待つ事20分。ぱっさぱさだった米があら不思議、ご飯に変身だ。カレーはレトルトのもので、アルファ米用のお湯を沸かす際に暖めておくと一石二鳥。
しかも、アルファ米の容器にそのままカレーを注ぎ込んで食べれば、お皿いらずだ。
さらに言うと、このアルファ米の容器はファスナーがついているので、食べ終わったらスプーンを中に入れ、ファスナーをしめれば密閉完了。なんて便利なんだ。
この知恵は、ワンゲル部出身であるおかでん兄貴から得たもの。さすがワンゲル、登山時の軽量化には執念を燃やしており、米は生米なんて持っていかず、アルファ米だった。今回の富士山登山はそこまで軽量化する必然性がなかったが、登山のノウハウはすべて兄貴仕込みだったおかでんは今回α米を持ち込んだのだった。
ちなみに兄貴が愛していた食材は、アルファ米の他に「棒ラーメン」だった。棒ラーメンはその名の通り、そうめんのように直線で、束ねられたラーメン。いわゆる袋麺と比べて、はるかにコンパクトなのだった。ただし、本当にそうめんのように細いので、うっかりしているとすぐにでろでろに伸びてしまう麺でもある。残念ながらおかでんは棒ラーメンを上手く調理できた試しがない。
カレーを食べたら体が温まり、元気が出てきた。それ、後は一気に下るだけだ。下山。
六合目付近から富士山を見上げたところ。本当に荒涼としている。こんなところをよく登ったもんだ。昼間登る人は、この石ころだらけの急な斜面を目の当たりにするわけで、それだけで闘志が砕けそうだ。でも頑張れ。僕らは山を下りるけど。
五合目帰着。
ジーニアスのくたびれた顔が印象的。
お疲れさまでした。
もう一度登れば、多分次は高山病にかからないと思うよ・・・と言いたいところだけど、こればっかりは個人差があるのでなんとも言えない。ジーニアスからしたらもうこりごり、と思ったかもしれないが、まあそんなこと言わずに、機会があったらまたぜひどうぞ。
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