第一回夏季強化天幕合宿in神島

アワレみ隊、始動。

日 時:1993年(平成5年) 07月26日~30日(4泊5日)
場 所:三重県鳥羽市神島 古里ヶ浜
参 加:ちぇるのぶ、おかでん、ばばろあ、蛋白質、しぶちょお(以上5名)

事の経緯を今更語ることもあるまい。これまでしつこくやりとりされていた手紙が全てだ。

ツアーパンフ表紙

この企画の直前にツアーパンフが参加者全員に配布されている。このパンフレットをみれば、その当時の意気込みがよく伝わってくる。当時ワープロは存在したが、パンフレットといったレイアウトが要求されるものにはとてもじゃないが使えなく、結局手書きで文章を書き、写真は切り張りで対応した事を今でも鮮明に覚えている。

このパンフレット、「隊規」なるものが見受けられるが、時間の経過と共にこの隊規は消えてしまった(唯一、隊長がおかでんであるという事は守られているが)。大体、この時点で隊規はVer1.1と記されているが、それ以降更新されていないのだから当たり前だ。いつか整備しようしようと思いつつ、いまだに果たせていない懸案事項の一つだ。

さあて、神島。かかってこんかい。いよいよ、アワレみ隊の活動開始だ。

1993年といえば、多くのアワレみ隊メンバーが大学2年生の時のでき事。その当時に書かれた内容なので執筆している今(2008年)からするととてもイタい。見ていられない。しかし、若気の至りといのは隠蔽するのではなく公開してこそ、後悔しがいがあるというものだ。当時の文章を取り入れつつ、この天幕合宿の模様を紙上再録したい。

パンフ

これが天幕合宿参加者全員に配布された「極秘行動司令書」全ページだ(本当は「指令書」が正しいはずだが、頭が悪いので思いっきり誤字)。全ておかでんによる手書き。隊員へのアンケートなどは全て「郵便による郵送」によってやりとりされていた。もちろんこの指令書も全員に郵送。メールやインターネットなどほぼ皆無だった時代だから、相当な労力が必要だった。

当然、キャンプについてはずぶの素人の集まり。中学の時林間学校があったなあ、でもあれは自炊じゃなかったしなあ、という程度だ。この時点ではキャンプ=おかでんの個人的思いつき、であり、また、キャンプ=椎名誠であった。そのため、この指令書は椎名カラーが非常に色濃く出ている。アウトドアブームが到来する前ということもあったし、ネットがまともに存在しなかった時代。キャンプの知識は全て「怪しい探検隊」から複写したものだった。

[隊長・おかでんのお言葉]

世の中は今混乱を極めている。政治の乱れをはじめとし、ジュリアナギャルの台頭、ホモ・レズの増殖、おかでん家の小火事。このような腐れ切った世の中を正す為には一体何が必要なのであろうか。言論か?違う。明治時代の某という男は、「ペンは剣より強し」と言っていたが、大きな間違いである。「ペンはチンより弱し」これが私の持論である。それでは愛か?ノンノン。「愛は勝つ」と信じている青白き少年達は今すぐにでも私が粛清してやる。では一体何が必要なのか?答は「行動力」である。

われわれ「主よ、アワレみ給へ」メンバーは高I以来4年に渡ってちまたにあふれ返るイマイマしきゲス共をケリあげたたきなおして来たが、今回さらに広い視野に立ち世界の混迷に対抗すべく、「行動力の強化」を目標とするキャンプを決行する事となった。社会迎合的な大久野島はわれわれの2度に及ぶゲリラ作戦で白旗を揚げた。そして今回はいよいよ大海にのりだし、最近俗化いちじるしく、厚化粧ホモ・レズのはびこる神島をカンプなきまでフンサイしてしまうのである。なお、今回の統一テーマは「食と酒の限界に挑む」であり、隊員のより一層のフンキを期待する。以上。

1993年7月9日21時41分
自宅にて おかでん

時代を感じさせる文章で大変に香ばしい。このままの勢いで行動指令書は続くので、歳を取った今のおかでんの余計な寸評は省略し、当時のイタさをそのまま再現する。

[隊規(1993年7月5日改正) Ver.1.1]

(1)このキャンプは、旧「主よ、アワレみ給へ」メンバーを中心とする人員で構成されるものとする。メンバー以外の参加も可能であるが、その場合は他のメンバー全員の承認を必要とする。○○(我々が卒業した学校の名前)生に限定はしない。原則として男のみのメンバーとする。

(2)キャンプは基本的に年1回、夏期に離れ小島の砂浜において行う。メンバーの時間的都合がつけば、春秋に小キャンプを行う事もある。

(3)このキャンプは最近流行りのオートキャンプのように便利で電化の進んだキャンプを志向しない。昔ながらのテント生活を目指すものである。つまり、たき火による調理。こざかしいグッズ(アウトドア用ガス式炊飯器)のような器具は一切使用を禁ずる。

(4)食事は1日3回、必ず行う。誰一人として脱落を認めない。

(5)隊員は常に食料調達の努力(釣り、山菜採り等)をすること。

(6)作業に悪影響を与えぬ様に、早寝早起きをする事。

(7)以下の行為は罰則として1日間こきつかわれるか2食抜きの刑が与えられる。
・働いていないのにメシばかり食う者。
・他人のメシを無断で食った者。(食事時間前のつまみ食いも含む)
・メシの時間になっても姿を見せない者。
・他のメンバーにいちじるしく迷惑をかけた者。
・その他罰刑がふさわしいと社会通念上思われる場合。

(8)メンバーから特に異議申し立てが無い限り隊長はおかでんとする。

[キャンプ前予備知識 神島]

鳥羽と伊良湖岬の間、急流で知られる伊良湖水道に浮かぶ周囲4kmの小島。鳥羽から海上23km、伊良湖岬からはわずか4kmの距離にある。三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台となった島として有名だ。島の周囲は波に洗われて奇岩・奇石が多く、民家は島の北側にある港の近くに密集している。小さな島田が、最高峰は171mもあり、遠くから眺めると円錐形の美しい島影が海上に浮かびあがる。みどころは、集落の背後、二百段余りの石段を登りつめた所にある八代神社をはじめ、さらに15分程山道を進んだ崖上にある神島灯台や、旧海軍の観的哨跡など、いずれも「潮騒」に登場する場所だ。西海岸の古里ノ浜は海水浴・キャンプの好適地。
☆交通・鳥羽佐田浜港から鳥羽市営定期船で40分(1日4便)。神島港下船。

[タイムテーブル(変更は十分にありえますので注意!!)]

キャンプ期間:7月26日(月)~30日(金)

7月24日(土)
18時00分 東京支部(蛋白質、ばばろあ)、おかでん宅に集合。キャンプ用品の分担と荷造り。
23時40分 東京駅発大垣行夜行鈍行列車に乗車。

7月25日(日)
06時04分 金山着。中央本線に乗り換え。
06時13分 千種着。しぶちょお宅に向かう。
午前中 しぶちょお宅で買い出し物品を決めるミーティング。
午後中 買い出し
夜 荷物の仕分け及び結成式

7月26日(月)
07時01分 近鉄名古屋駅発の近鉄急行列車に乗車。
09時07分 鳥羽駅下車。釣りエサ購入。
09時50分 佐田浜港より神島へ。
10時30分 神島着。八代神社にお参りする。~昼食
12時00分 キャンプ地に向かう。

7月27日~29日 楽しいキャンプ生活の日々・・・

7月30日(金)
15時30分 神島を発つ。
16時20分 佐田浜港着。
16時47分 鳥羽発近鉄名古屋行き急行に乗車。
19時ころ 近鉄名古屋着。
19時30分 しぶちょお宅で解散式(その後打ち上げ)

[個人持参物]
個人持参物については以前プリントで配ってあるので大体は理解してあると思うけど、改めて書き記しておく。追加品もあるので注意する事。

(1)ライト ヘッドライトが好ましいが、無いのなら普通のものでも可。
(2)電池 万が一にそなえて十分な量を持参する事。夜が暗い。
(3)ナイフ 何かと使うので、簡単な物でも持っていた方が良い。
(4)軍手 これが無いと手がボロボロになる。
(5)雨具 傘ではあまり意味がナイ。かっぱがヨロシイ。
(6)水着 海に行くんだからこれがなくちゃ始まらないよね。
(7)サンダル 砂の上で生活を送る以上、くつでは不便極まりない。
(8)マグカップ 普段の生活においてはプラスチックのコップを使うが、熱いコーヒーを飲んだりするとき必要となる。割れない物に限る。
(9)せんたくばさみ 何かとあると便利でしょう。2~3個持って来ること。
(10)虫よけスプレー スキンガードみたいなもの。一応キンチョールや蚊取りせんこうは持って行きますが。さされてもいいのならいらない。
(11)保険証のコピー 万が一、が無けりゃあ良いのですが。
(12)薬 キズ関係ならばこちらで用意した包帯などで対応可能だが、さすがにカゼ薬とかは持っていきません。各自、ヤバそうだったら家から薬を持参してください。
(13)釣具 ・・・誰も持ってくる気配、ないんだよなあ。誰か!!
(14)ウレタンマットand空気まくら ゆっくり寝たい人は、どうぞ。
(15)交通費5,000円 名古屋~神島間の交通費。
(16)食費10,000円+α どれ位必要なのかわからないので余分に持ってくる事。
(17)雨天用レジャーグッズ カードゲーム等。晴天用もあればぜひともお願い。

以上。他に思い付く物あれば持参せよ。

[仕事の内容説明]

今回のキャンプは便利なキャンプ場に行く訳ではないし、誰かが食事を作ってくれる訳でもない。全部自分達の手でやらなくてはならないのだ。多分、1日の大部分が仕事に割り当てられる事になるのではないか。そこで、仕事の分担を決めた。隊員一覧を見てもらえばわかるが、各人にそれぞれ仕事が振り分けてある。ただし、その仕事の「責任者」という意味で、必要に応じて他の隊員を使用する事。また、この他の仕事が見つかった場合は、別途隊長が誰かを任命する。

-穴掘り-
雨が降ってきたらテントの周囲に溝を掘る。その他、生ゴミ用のゴミ穴を掘る等シャベルを使う仕事全般。

-宴会マネージャー-
特に仕事は無いが、一応宴会を盛り上げる。あと海に酒類を沈めて冷やしておく。

-かまど管理-
かまどに火をつけるのは当然として、かまどの設営、たき木の補充、消化といった
火がらみの事全般。

-今日のこのだてマネージャー-
今残っている食材を片目にしながら、飢えたブタ共に与えるエサのメニューを考える。必要な食材があるのなら、食料調達の係に伝えて買い出しに行ってもらう。

-食料調達-
キャンプ地における買い出し部隊。生鮮食糧品が欲しくなった時をはじめ、何か不足物品がでたら町まで買い出しに出る。

-スケジュール-
行き帰りの交通機関の時間を調べて、決定する。キャンプ中は具体的な時間割を決める。(メシの時間等)

-たき木調達-
食事を作るうえで最も重要なのがたき木である。雨天の場合はガソリンバーナーを使うことになるが、晴れた日は1日に3回、たき木が必要になるわけだ。この木を山から海から取ってくる仕事。

-たき木切り-
たき木調達係が持ってきたたき木を適当な大きさに切る仕事。雨天の日はたき木にシートをかぶせて濡れないようにする。

-調理-
われわれの胃袋を満たしてくれる最も重要な仕事。こんだてマネージャーの決めたこんだてで調理する。

-用品・金品管理-
たくさんあるキャンプ用品の中で、故障はないか、紛失物はないかチェックをする。修理も行う。あと、食料調達金として隊員から集めた金の管理運営。

-副隊長-
必要な物品のリストアップ、隊長の相談相手、その他。キャンプ中はこれといった仕事は無い。ただの名誉職と化す。もし隊長が敵の凶弾にたおれる事があれば、そのシカバネを乗り越えて隊長代理となる。

-隊長-
今回のキャンプの立案者。キャンプ用品提供者。仕事が細分化されている為それほど総合的な権力は無いかもしれない。今、試験期間のまっただ中だというのにこのパンフを作っている苦労人。

[隊員一覧表(93年度版)]
(表の見方)
(1)参加の弁 (2)必殺技 (3)自分が「ワイルドだなあ」と思える時 (4)好きな酒
(5)いかに神島を占領するか (6)その他一言

■蛋白質 [かまど管理責任者][たき木切り担当]
(1)キャンプで仲間ワレなんてことがなけりゃいいっすね~
(2)コンプリヘンジョン・チェック及びリスニング・プラクティス。
(3)時折見せる大胆なガッツポーズを決めた時。
(4)酒は苦手。よく知らない。
(5)神島の人々に笑顔と暖かい雰囲気で接し、向こうが油断したら共同生活に引きずり込み、眠らせず、食わせずのまま、われわれの理念で”復帰”させ、おかでん団長を崇めさせる。
(6)♪ここはぁ~みんなのぉ~いこい~のばしょ~ここはぁ~神島~キャンプ地ぃ~。

■ちぇるのぶ [たき木調達隊隊長][穴ほり主任]
(1)食料さえ手に入れば何とかなるだろう。やってやるぜ!
(2)盆踊り、耳に息吹きかけ攻撃
(3)赤信号で自転車で強行突破したとき
(4)大吟醸「天狗舞」
(5)神島は有名なキャンプ地らしい。本当にどうしようか?おかでん君。
(6)”レジー”の関谷はだれをモデルにしたのか?吉原弘二は笑えるぜ!!カープは弱いがバーバリアンが強いのが唯一のなぐさめだ。

■ばばろあ [調理主任][今日のこんだてマネージャー]
(1)サークルのキャンプをすっぽがすくらい
(2)鼻からスパゲティーを食う(ウソ)
(3)自転車のっとるとき
(4)高価な酒なら何でも・・・(しょーちゅーはちょっと)
(5)ロケット花火1グロスをケツの穴に突っ込んで空を飛ぶ。
(6)サークルの課題の〆切りと試験がいっしょにやってきた。もうだめだ。

■しぶちょお [副隊長][食料調達部長][スケジュール担当主任]
(1)自給自足の生活をめざそう。
(2)敵前逃亡、および玉砕
(3)風呂に入る時
(4)ウーロン茶
(5)一番高い所に旗をたてればいいんじゃないの
(6)何か知らんが○○ら阪大の連中が7月中旬に神島に行くとか行かないとか・・・。神島はよく知られた島だそうで、本当に人が多くいるかも知れない。

■おかでん [隊長][宴会マネージャー][用品・金品管理]
(1)向こうは人口千人もいない小さな島だ。こっちがその気になってワッと攻撃を加えれば、島民皆殺し、「アワレみ帝国」日本から独立、というシナリオもありえるよな。これが離れ孤島の良い所だ。みんな頑張ろう。(なにをじゃ)
(2)たのみもしないビール一気を勝手に敢行し、あとであっちこっちに吐きまくる。
(3)高い所から道を行く人々を見下ろし、「虫けらどもめ」とつぶやく時。
(4)なにはなくともビールビール。特に今気に入っているのはアサヒの「ピュアゴールド」やねえ。
(5)神島を有名にした一番の悪党は三島由紀夫の「潮騒」だ。だから奴の本を買い占めてしまうのだ。しばらくするうちに神島はみんなに忘れられ、神島の観光収入は激減。困った神島町の人々は俺達にすがりついてくるわけよ。「お願いやからたすけてチョーダイ」ってね。そこで、買い占めの中止とバーターで島の権利を強奪するのだ。
(6)とにかく今回は第1回目だ。今後何回も続けて行くためにも何が何でも成功させねばいかんのだ。1回目から4泊5日ってのはむちゃな行為ではあるが、1日1日大切に過ごそう。(えらく真面目な話になってしまった)

[注意]

☆個人携帯品は可能な限り少なくする事。特に、衣類は現地で洗う事を前提において量を減らすように。

☆また、個人携帯品は一つにまとめ、袋か何かに入れておく事。自分の携帯品を自分で持てるとは限りません。

☆大きなリュックサックを持っていない人は購入するか、さもなければ大きい段ボールを背中にしょう事を覚悟するかして欲しい。中途半端な大きさのリュックだと他人に迷惑がかかる事を念頭におくべし。

以上で行動指令書は終わっている。まあ、繰り返しになるが「若気の至り」ってやつだ。神島の住人からすれば「何をトチ狂った事を言っているんだこの若造」という事をさんざん羅列している。もちろん、書いている本人だって本気で神島を占拠しようだとか物騒な事を考えていたわけではない。この年頃だと、過激な表現を使った方がなんだかカッコ良かったんだ。そんなもんだ。特に、手探り状態でのスタートとなる第一回目の天幕合宿。景気づけをしておかないと尻すぼみになるかもしれなくて、それがイヤだった。

そんなわけで、この行動指令書で一応隊員の士気を鼓舞し、事前準備段階は終わった。あとは本番当日を迎えるだけとなった。

1993年07月24日(土) -2日目 くもり→雨

ナイフを持つおかでん

これ以降の文章は、引用形式になっている文章は1993年当時に作成された天幕合宿記念アルバムに書かれたもの、それ以外の文章は2008年時点で補足したものを意味します。1993年当時のイタさをお楽しみください。

おかでん家に集まったバカ三人衆。
左からばばろあ、おかでん、蛋白質。
決戦を目前に控えて皆テンションが高い。

天幕合宿2日前の夕刻、東京在住の参加者であるばばろあ、蛋白質は埼玉県所沢市にあるおかでん宅に集結していた。

前夜祭か?

いや、そんな悠長なものではない。椎名誠に強い影響を受けたため、「車とか便利なもの使ってられっかよケッケッ」と口調までなんとなく「怪しい探検隊」チックになりながら、膨大なキャンプ用品を荷造りしていたんである。

まあ、そもそも貧乏学生ゆえに車なんて考えも及ばないぜチクショーという状況。そんなとき、「天幕一つで十分、あとは根性」というシーナ的発想はものすごく身にしみるものだ。

気がついたら、すっかり怪しい探検隊をトレースしてしまっていた。「コールマンのランタンは踊りたくなるくらい明るい」なんて本に書かれていたので、その通りコールマンのランタンを買ったほどだ。われわれ最初の天幕生活も、まさしく怪しい探検隊そのもので「三重県鳥羽市/神島」。当時は節操あるつもりだったんだけど、今から考えると単なるクローン集団にすぎず、ミーハーな感じさえ受ける。

ナイフを構えているのは、おかでん。ツアーパンフによれば、「隊長」「宴会マネージャ」「金品/用品管理」を担当することになっている。ナイフは当時のアワレみ隊において「必須個人装備」として扱われており、全員が持参していた。おかでんのように腰にぶら下げ常に携行している人物もおり、2008年現在においては警察に通報されかねない格好だ。

おかでんの狭い部屋の床にごてごてと並ぶキャンプ用品を3人がかりで荷造りする。段ボールに荷物を詰め、ヒモで縛り上げるという随分と強引なパッケージングだった。

それを見守るは、おかでんの背後にあるマクドナルドの制服。天幕合宿を始めたいと思ったために始めたバイトだった。時給700円。涙が出るほど安い。必死になって働いて、ようやく十数万円貯めてそろえたのが部屋に並ぶキャンプ用品達だった。このバイトために大学のサークルも辞めてしまい、楽しいキャンパスライフを諦めることになった。人生を賭してのキャンプ。

キャンプ用品なんて各自分担で調達させれば、おかでんのみの負担が軽減されていたはずだ。それは良いアイディアであったが、その場合用品所有者の誰か一人がキャンプ不参加になると、非常に都合が悪い。将来的に天幕合宿を継続して開催することを考えると、「全員の日程と懐具合がOK」な状態を見繕うのは無理に等しい。結局、「自分で全部そろえる」といういばらの道を選んだのだった。

蛋白質

蛋白質。

「かまど管理統括責任者」「たき木切り担当」とパンフに書かれている。

何しろカマドなんてまともに作った事が無いおかでんが命名しているくらいだから、何を「統括」するのかよくわからない。

つーか、「統括責任者」って事は他にも配下にたくさん責任者がいるのかよ、といいたくなるが、何にせよ「統括」ってのはえらいんである。文句を言わせない、強いパワーを持つコトバなんである。だから、採用した。それだけ。

ばばろあ

ばばろあ。

ツアーパンフでは、「調理主任」と「今日のこんだてマネージャー」という役割が与えられている。「調理主任」という名のとおり、天幕生活における他業務は免責され、料理に専念する権利が与えられた。

・・・これも、怪しい探検隊のまんまの文化を踏襲している。

以降のアワレみ隊においては、「調理=花形職種」と見られていた時期もあり、調理は交代制の全員参加を摂る事が増えた。しかし、時間の経過と共に連座制は沈静化し、ばばろあ調理主任体勢が復活しているのが現状だ。

写真の右上に写っているのは、撮影者(おかでん)の指。当時はちゃんとしたカメラなど所有していなかったので、「写ルンです」を複数個購入し、それを記録用メディアとして使っていた。デジカメなんて影も形もなかった時代だ。この「写ルンです」は使い勝手が良い反面、キャラメル箱のような真四角な形をしていたために、撮影時に指がレンズに映りこんでしまうことが多々あった。これもその一枚。決して心霊写真ではない。デジタルカメラではないので、カメラ店で現像してみて初めて撮影の失敗に気がつく。撮りなおしなど、当然できない。

できあがった写真はしばらくの間、よくある「写真アルバム」としてファイリングされ、実家の押入れで保存されていた。しかし、アワレみ隊OnTheWebを開始したのをきっかけに、実家にスキャナを持ち込んでアルバムごとスキャニングしたのが今回の写真ということになる。

ぐったりしているばばろあ

あまりの重荷で電車に乗るだけでぐったりしているばばろあ。
西武池袋線にて。

荷造りを終え、めいめいが持てる限りの荷物を背負い、抱え、引きずり、手に持ち、電車に乗り込んだ。

一体何を始めるのかという景色だ。

1993年当時のことだ、充実したキャンプ用品が手軽に手に入る時代ではない。「これ!」といったキャンプスタイルなんてのは誰も知らない。だから、この格好もキャンプをしに行く格好として受け入れられるのではないか。

・・・んなわけないよなあ。どう見ても夜逃げだ。ありものを全部適当な袋や箱に詰め込んで逃走を図りました、という有り体。

名古屋についたら、これに2名が加わるので少しはキャンプ用品の分担ができる。しかし、忘れちゃいけないのが食料の買い出し。今ある手元の荷物は確かに分担されるが、それ以上に食料という重くてかさばるものが増えてしまう。大丈夫か、おい。「荷物多すぎで持ちきれず、やむなく一部を放棄して現地入り」なんてことになったら非常に情けない。何のためにお金を貯めて用品を買いそろえたというのか。

1993年07月25日(日) -1日目 くもり→晴れ→雨

大垣夜行にて

大垣夜行で一夜を明かす。
荷物を抱きながらの仮眠だったため、各人疲労の色が隠せない。
只今の時刻、AM6:00 熱田駅通過時。

今でこそ全席指定の「ムーンライトながら」となったが、当時は通称「大垣夜行」と呼ばれる、自由席。グリーン車も連結されているが、そんなのは学生には無縁の世界だ。夜行で走るので時間効率が大変によろしい事、そして青春18きっぷを使えば格安で遠距離移動できる事から大人気の便だ。

大人気ゆえ、始発の東京駅には相当前から並んでいないといけない。23時40分発だからといって、23時頃だったら余裕でしょ・・・なんて考えていたら大甘。21時過ぎにはホームでスタンバイしておきたい、それくらいの覚悟が必要。なにしろ、通勤電車で座れるかどうかなんてのとは訳が違う。一晩をこの電車で過ごすのだ。うっかり座れないもんなら、まさに拷問と化す。眠らせない、休ませない。人間を疲弊させるのに最短距離のいたぶり方だ。

われわれはこれから4泊にも及ぶキャンプ+しぶちょお宅での前泊、という都合5外泊がこれから待ちかまえている。是が非でも座らなくてはいけなかった。で、長時間ホームで待ち伏せして、無事席に座った。・・・が、そこで安どの息をつける状態では無かった。大量のキャンプ用品、この存在を忘れてた。網棚に乗せられるものは当然乗せたが、全部は乗らない。結局、各自が段ボールやらキャンプ用品をひざの上に乗せて抱きかかえ、身動きがとれない状態での一晩となったのだった。こういう拷問、江戸時代にあったよな。正座させた罪人の上に重い石をのせるというやつ。それと一緒だ。

荷物が抱き枕になってちょうど良いとも言えるが、人間、重い物を抱え込んだ状態で寝られるわけがない。そんな才能を持ち合わせていない3名は、夜明け時点ですでに相当熟成された状態に仕上がっていた。

千種駅とアワレみ隊東京支部

無事、しぶちょおの待つ千種駅に到着。
どれだけ重い荷物に苦しめられたかということを見せつける為に1枚ぱしゃり。

キャンプ用品一式。キャリーカートが目を引く。ここには大小二つのテントがくくりつけられている。でかい方は重量12kg、小さい方も数kgあるので肩からぶら下げての持参はちょっときつい。

パンツをかぶるおかでん

明日からのキャンプに対するヨロコビと不安が彼をこんな行動にかりたてるのです。彼を許してやってください。

しぶちょお宅に到着。まずはしばらく休息をとる。

おかでんが頭からかぶっているのはトランクス型の水着。ザックの中の私物整理をしているうちに出てきて、気がついたらかぶっていた。女物のパンツをかぶるなら「キャーおかでんさんのエッチー」とまだ色気があるが、これはすごく自虐的だ。

ちなみにこのトランクス、今回のために近所のスーパーで買ったものだが柄がヘンなのでさんざんみんな笑いものにされた。

いったんザックの中身を洗いざらい出し、もう一度再整理する。50リットルのザックを背負ってきたが、私物はそのうち半分以下。残りは鍋釜類だ。参加者全員そろったところで、用品の再配分を実施した次第。できるだけ、背負えるものは背負った方が良い。手は一人二本しかないのだから、持てる物の数に限界がある。

アワレみ隊名古屋支部

ちぇるのぶがやってきてメンバーは全員そろった。
名古屋支部の二人・しぶちょおとちぇるのぶ。
東京の3人と違いさすがに元気が良いようだ。

とくに追加解説無し。

浮かれるおかでん

おかでん、またもや理解に苦しむポーズ。
本人は何かのヒーローのつもりらしいが、とてもそのようには見えない。
ちぇるのぶはアホらしいので無視して読書をしている。

はっきり言って暇なんである。この日やることといったら、食料買い出しと荷物の仕分け、パッキングだけだ。正味数時間で足りる。今考えれば、わざわざ夜行で移動する必然性って無かったな。でも、当時は「名古屋まで安く行く=青春18きっぷ=大垣夜行」という短絡的発想だったんだろう。そして、もっとも大きな要因は「学生なんで時間ならいくらでもある」ということだろう。

ちぇるのぶなんて、本を読んでいる。

おかでんは荷物の整理をしながらこんな記念にもならん上に面白くもない写真を撮ってもらっている。

眼鏡にひっかけている「三角停止板」みたいなものは、ゴム製のブーメラン。天幕合宿中の娯楽用品として購入したものだ。しかし実際に飛ばしてみると、とんでもない方向に飛んでいく上に戻ってこない。ブーメランどころかフリスビー以下だ。ダメなもん掴まされたぁ。

ゲームに興じるアワレみ隊

皆で銭湯「スオミの湯」へ行く。
その後下の階にあるゲームセンターで遊ぶ。
荷造りもしていないのに一体何をやっているのだ。

買い出しはしぶちょお宅近所にあるダイエーにて行った。とにかく、4泊5日だ。しかも、真夏。保冷できるものは何もない。生鮮食糧品は一切買えないと案外困るもんだ。必然的にジャガイモ、ニンジン、玉ねぎといった根野菜が調達の中心となった。飲み物は、やかんでお茶を煮出すために麦茶パックを購入。アルコール類は、カールスバーグ350mlを1ケースとウィスキーのシーバス・リーガルを調達。ちょうどこの時期、カールスバーグが結構TVCMで放送されており、店頭で気軽に購入できた。今ではなかなか売っているところはない。日本販売戦略、失敗か。

半年前に行われた神島下見では、集落のよろず店の品そろえの確認はしてあった。ただ、本格的なキャンプ未経験なわれわれであったため、何が現地調達でOKで何がNGなのか、よくわからなかったのが事実。そういうわけで、「原則全て名古屋から人力で運ぶ」という苦行を選択したのだった。

4泊5日分、5名の食料となると相当な重さとかさになる。ましてや、ビール1ケースなんてそれだけで一人の手が塞がってしまうデカさと重さだ。まさに民族大移動の様相を呈してきた。しぶちょお宅にて、慎重に仕分けとパッキングが行われた。

その後出かけたのが上記銭湯「スオミの湯」だ。まだスーパー銭湯があまり世の中になかった時代、ジェットバスやらサウナやらが備わっている施設は珍しかった。しぶちょお宅にも風呂はあったが、5名のむさい男子が入れ替わり入るのもイマイチ冴えないので、スオミの湯に出かけた次第。翌日からは5日間風呂に入れなくなり、潮風で肌がべたべたになる。最後の文明享受、といったところか。

脱衣マージャン

みんな真剣な顔をしてゲーム画面を見つめている。
一体どんなゲームをやっているのかというと・・・これだった。
・・・脱衣麻雀なのね・・・。

当時はゲームセンターに行くと必ず脱衣麻雀のゲーム機があったもんだ。最近のゲーセン事情には疎いのだが、今では自主規制やらなんやらでその姿は少ないのではないか?

「スーパーリアル麻雀」なんてゲームに学生時代どれだけお金をつぎ込んだことか。エッチな欲求を満たすささやかな娯楽だった。

ちなみに「脱衣麻雀ゲーム」について知らない世代の人に説明しておくと、要するに普通の麻雀ゲーム。相手の女の子と1対1で勝負する。で、こっちが勝つと、女の子は服を一枚脱ぐ。要するに「麻雀版野球拳」だ。いいところまで勝ち進んでゲームオーバーになるとすっげえ悔しい。本能から湧き出る悔しさたるや、相当なもんだ。だから、よせばいいのに100円玉を財布から取り出してコンティニューする。うまい商売だ。

蛋白質も脱衣マージャンに挑戦

蛋白質、麻雀にチャレンジ。
1面クリア後、「H」ボタンを連打したことはいうまでもない。

でもやっぱり、蛋白質といえば何といってもモグラたたきゲームが一番似合う男だった。

ゲームセンターにいくと必ずこのゲームをやっているのでその腕前はなかなかのものである。

当時、脱衣麻雀ゲームの一部には「Hボタン連打」というギミックを備えたものがあった。

麻雀ゲームは、麻雀のルール上手元に14個の牌をもつため、Aから順にNのボタンがゲーム機に備わっている。一番左の牌を捨てる時はAのボタンを押す、といった操作法だ。

で、「Hボタン」なんだが。

普通は単なる「左から8番目の牌を捨てる」ために使われるボタンなのだが、H=やらしい、という意味から脱衣麻雀においては特殊な意味合いを持っている事がある。具体的には、相手の女の子に勝利し、脱衣シーンを拝ませてもらった際にHボタンを連打すると、その女の子にいろんなイタズラができちゃうというものだ。おっぱい揉んだり。あまりにしょーもない上に下ネタ系に話題が展開してしまうので詳細は割愛するが、まあ、そんな機能があったと。連打していないとイタズラが持続しないので、無酸素運動の極地までプレイヤーはHボタンを連打する。

ただいま蛋白質はHボタンを猛烈に連打中。

きっと、脱衣麻雀ゲームって、Hボタンだけが壊れる事、多かっただろうなあ。

レールチェイス

レールチェイスに興じるおかでん。
彼はその後「ヘイヘイヘーイ、ルック!ビハインド・アス!」
という言葉を口癖にしていた。(分かる人にしか分からないだろうなあ)

いい加減どうでもいいゲーセンの写真連続に、文章を書いているおかでんもうんざりだ。説明割愛。

なんでゲーセン写真をこんなに撮影してるんだろう?キャンプ地でフィルム切れになることを心配しなかったのだろうか?

正直、この数枚のしょーもないゲーセン写真は、ばっさりweb掲載をやめておこうかとも思った。でも、当時のおかでんにとってはこのシーンも重要な記念だと思ったからこそ撮影したのだろう。当時の意向を尊重して、冗長だけどweb掲載しておく。

1993年7月26日(月) 1日目 くもり→雨

神島に向けて出発

しぶちょお家の前で出発前の記念に。
これだけの荷物を全て人力で運ばねばならないのだ。
全員AM5時起きだけど元気いっぱいである。

正直、おかでんは夜眠れなかった。重い荷物を背負い、持ち、そして大垣夜行で無理な姿勢をしていたせいだろう、背筋が痛くなってしまい横向きになっていられなかったのだ。結局、冷蔵庫に背中をもたれかけながら休息する事になり、大垣夜行明けの夜以上に熟成された状態になってしまった。さらにこの荷物。おかでんが写真には写っていないので、おかでんが背負い、持つ荷物はこれとは別にある。大所帯だ。

大小テントがくくりつけられていたキャリーカートだが、結局その座を食材をぎゅうぎゅうに詰め込んだ段ボールに取って代わられた。これが一番重い。

ばばろあは、背中のリュックとは別に、右手にビール1ケース、左手に12kgのテントを持っている。筋トレをやっているかのごとし、だ。

雨の中港へ向かう

鳥羽についたが外はあいにくの大雨。
大急ぎで佐田浜港へ向かう。

本来なら、7月下旬は梅雨明けの時期で天候が安定することが多い。夏山シーズンとしてこの時期に山に人があふれかえるのも、そういう理由があるからだ。しかし、この年は台風の当たり年だったらしく、キャンプ直前が台風、そしてキャンプ終了日あたりにまた次の台風接近、というありさまだった。われわれはその台風の狭間をすり抜けるような日程がたまたま組めたからよかった。でも、場合によっては1日予定を短縮することもオプションとして想定はしてあった。

案の定、鳥羽に到着したらざあざあ降りだ。みんな、手にしている荷物を傘がわりにしてあわてて港へと向かう。傘なんて出している暇があったら、走れ。そもそも、傘なんて持つ余裕が両手のどこにある?

強風の船

あまりの強風のためちぇるのぶのような小さい体は吹っ飛びそうになる。
必死でロープをつかむ。
やらせ7割、本気3割の写真。

予定時刻通り神島行きの船は出航した。外の天気は相変わらずだが、本降りにはならないで済みそうなのには助かった。

ただ、湾を出ると海は大荒れ。伊勢湾の入口に位置する狭い海峡なので、ただでさえ潮流が早い。それに加えてこの悪天候だ、小さな船は波をかきわける・・・というよりも波の上を飛び跳ねながら前進していった。十分遊園地のアトラクションとして採用できるレベルだ。

海に向かって吼える

強風が吹くとどうしても風に向かって吠えたがる男。
完全に時代錯誤した青春愛好者だ。

ゲームセンターでのだらだらした写真といい、この船中の写真といい、当時は「アワレみ隊流写真撮影の手法」というのが確立していなかったのが伺える。まだまだ、「写真=記念撮影」的な認識が強いようだ。まあ、時代背景がそうさせたというのもあるだろう。銀塩写真時代って、そうむやみに撮影はできなかった。フィルムが高かったし、残り枚数を気にしながら撮影しなければならなかったからだ。そうなると、数限りある写真というのはどうしても「記念撮影」という発想になる。

デジカメが導入される頃からおかでんの写真撮影観点は変化していき、今では「時系列順に、何が旅行中に起きたのかを他人が写真を見ただけで理解できるように撮影する」ようになった。

神様にご挨拶

神島到着の報告とキャンプ中の無事の祈願のために真っ先に島の中央にある八代神社に参る。
みんな平静を装っているが、周囲にはバカでかい蚊が飛び回り、われわれを閉口させた。

セルフタイマーがおちる直前まで、各自手を振り払ったりあちこちピシャリと叩いていた。島でもどこでも、蚊ってのはいるもんだねえ。

ばばろあは「蚊が嫌がる電波を発する電池式キーホルダー」を持参しわれわれを驚かせた。すげえ、蚊取り線香いらずじゃん、と当時の一同は科学技術の進歩に感動したものだ。しかし、肝心のキーホルダーは荷物運搬やらテント設営やらのどさくさに紛れて紛失。ばばろあ、痛く落胆。

この八代神社は、集落から石段をずっと登った山の上にある。さすがに荷物を担いでは行けないので、荷物一式を麓にデポし、身軽になってから登ったのだった。

一同で、合宿中の無事を祈願して、すっきりして下山。

リアカーを借りて運ぶ

島の人たちのご厚意でリアカーを貸してもらった。
もしこのリアカーがなかったらわれわれは途中でリタイアしていたかもしれなかった。

天幕合宿の場である古里ヶ浜へは、集落から島半周ぐるっと回らないといけない。片道40分くらいだったか。結構な距離だ。古里ヶ浜は、海水浴ができる砂浜と、そして小学校がある。わざわざこの島の小学生及び教職員は、毎日集落から島の反対側へ行かないといけないのだから面倒な話だ。集落近くに学校は作れなかったのか、と思うが、狭い島のこと、グラウンドを確保できる場所といったら限られたのだろう。

そんなわけで、いざ!古里ヶ浜!となる前に、軽く腹ごしらえをしていくことにした。集落にあった売店で、総菜パンなどを購入。

その際、商店の前に山積みされた夜逃げ道具一式を見たお店のおばちゃんが「リアカーあるから使いなさい」と有り難きお言葉。これは天からの言葉か。あまりに有り難かったので、おばちゃんと握手でもせんばかりの勢いで「ありがとうございます!絶対にリアカー返しますから、お言葉に甘えて数時間お借りします!」とお礼を述べたおかでん。

しかし、後になって・・・いや、10年以上経った今でもこの言葉がひっかかっている。「絶対に返しますから」って言葉、この島には似合わないよなあ、と。リアカー持って逃走するなんてあり得ないし、行く場所は古里ヶ浜しかない。ほっといても無くなることはあり得ないのだ。われわれがたき火の燃料にでもしない限りは。でも、普通都会に住んでいたらこういう人情味溢れる事には殆ど遭遇しない。だから、「えっ、見ず知らずの人に貸してくれるの?」という驚きがあったし、喜びもひとしおだった。島ならでは、だろうな。

早速ご厚意にあずかり、リアカーに荷物を載せる。結構載ると思ったリアカーだが、荷物でいっぱいになってしまった。一人二人で運べる重さではないので、5名総掛かりでリアカーにしがみつきつつ操縦することになった。海岸線を進む道は思ったより平坦ではなく、アップダウンがある。だからこそ、下り坂の時は「潰される!踏ん張れ!踏ん張れ!」と前の人が必死になり、上り坂の時は「もっと引っ張れ!」と後ろの人が苦悶の声をあげた。