第一回夏季強化天幕合宿in神島

焚き火別アングル

最後の夜だということで何でも火にくべた。
生ゴミ、しょうゆ、サラダ油、スプレー缶。
火に突っ込むたびに「オーレーオレオレオレー」と歌い火の周りを踊り狂った。

明日は撤収日。大量のゴミや残った調味料の処分が問題だった。島のゴミ箱に捨てて帰ると住民の方々に迷惑だし、かといって名古屋まで背負って帰るのも面倒。ならば燃やして灰にしてしまえ、というわけだ。

「オーレーオレオレオレー」と歌い踊るのは、1993年の世相をよくあらわしている。ちょうどこの年がサッカー「Jリーグ」発足の年だったのだ。Jリーグのテーマ曲?だったこの曲は、巷のどこに行ってもあふれかえっていた。

なお、「ドーハの悲劇」として後々まで語り継がれることになるワールドカップアメリカ大会最終予選「日本-イラク戦」はこの年の10月28日に行われている。

焚き火爆破

「着火ゾル」の缶が爆発した瞬間。
10メートルくらい全員火から離れて、地面に伏して様子を窺った。
30秒後、「ボーン」と鈍く、腹に響く音がして爆発。
缶は30メートル以上吹っ飛んだ。ああ、やみつきになりそう。

※かなり危険な行為です。自己責任が取れる人であっても普通やっちゃいけません。

着火ゾルなるものが何だったのか今となっては覚えていないが、揮発性のスプレー缶だったのだろう。おかでんがたき火に向かってダッシュし、横をすり抜ける際にたき火に缶を投入。そのまま全速力でたき火から遠ざかり、地面に伏せた。

何しろ、いつ・どのように爆発するかわからない代物だ。どきどきしながら一同はたき火を見守る。全員に遠くに離れる事と、伏せる事を厳命したのだが、実際それで安全なのかどうかもわからない。スゲー飛ぶのかもしれないし、水平に吹き飛んで、伏せていても全然意味無く顔に直撃、なんて事もあり得る。さらに言うと、缶がそのままの形で飛び出すのか、それともクラスター爆弾のように粉々になって飛び散るのかもわからない。後者だったら非常に危険だ。

・・・だったらやめとけよ、と思うが、やってしまうあたりが若気の至りだ。あと、椎名誠の「怪しい探検隊」もこれをやっていたので、われわれも真似をせずにはいられなかったのだった。

どきどきしながらその瞬間を待つこと30秒、地響きと共に爆発。たき火が一瞬ぼわっと大きくなった。一同、驚きと快感と緊張感からの開放でゲラゲラ笑った。

結論としては、さすがスプレー缶だけあって頑丈にできている。クラスター爆弾のように破片が飛び散ることはなく、缶の底がスコンと抜けた状態になり、本体が吹き飛んでいた。

翌朝、明るくなってから飛んでいった缶の捜索を行ったが、たき火から30mほど離れたところで発見された。相当な威力だ。直撃しなくて良かった。

忘れないで、ちゃんとゴミとして拾っておく。放置して帰るのはダメ。

砂で火消し

宴会が終わり、後かたづけを始める。
急に疲れが体にのしかかってくる瞬間である。
ばばろあはたき火に砂をかけて消しているところ。

缶爆発という最大イベントが終わったところで、お開きとなった。入念に木を蹴散らし、砂をかけて火を消していく。

1993年7月30日(金) 5日目 くもり→雨

さっそく皮がむける

他に先駆けてしぶちょおの顔の皮が剥けだした。
情けなさそうな顔をしている。
みんな明日は我が身とは知らずにしぶちょおをからかった。

この合宿中、一日中天然日焼けサロンに居続けたわけで、全員の肌は真っ黒だ。肌の新陳代謝が早いのか、しぶちょおは早速体中の肌がずるむけになっていた。

合宿最終日。

最後だから、薪を集める事はもうしない。用が無くなったものから順番に片付けていく。片付ける際に砂が混じってくるので、ええいうっとおしいと振り払いつつ、荷造りをすすめていった。

本当は夕方の船で鳥羽に戻る予定だった。しかし、天気予報によると台風が接近しているとのことで、この日の午後から天気が崩れるらしい。予定を早め、午前中に撤収を完了させた。余ったたき木は勿体なかったが、茂みに捨ててきた。

最後、跡形も無くなった砂浜に向かって、一同礼をして撤収。行きと違って帰りはリアカーが無いが、食料と酒が無くなった分随分と楽になった。

水を毎日供給してくれた島の人に最後お礼を言いたいと思っていたのだが、偶然港でその人と出会った。お礼を述べたのち、「そうだ」と思いつき、残っていたカールスバーグ1缶を粗品として進呈した。「いいよ、気を遣ってくれなくても」と言われたが、「いやいや余ったものですので。余り物で申し訳ないですけど」といって渡してきた。実際、余り物であり、持って帰るには重かったのでちょうど良かった。

名古屋に戻る

無事、名古屋のしぶちょお宅に戻ったところ。
この黒くなった顔を見よ!!
キャンプ前の写真と比べるとまるで別人のようである。
特におかでんは黒人さながらの状態となっている。
まあ、無事故でよかったよかった。

夕方、しぶちょお宅で荷ほどきをして無事終了。一発目の天幕合宿としてはかなり過酷だったが、けが人病人出さずに済んだのは幸いだった。ほっと一安心といったところだ。

この後、交代でしぶちょお家の風呂場でシャワーを浴びたのだが、その都度風呂場から悲鳴が聞こえてきた。日焼けした肌がひりひりして、お湯が痛いのだった。でも、5日ぶりの真水による体洗いはとても気持ちが良かった。潮風にさらされっぱなしだと、肌も髪もべとべとになる。

隊員の中で一番日に焼けたのはおかでんだった。全く無防御で太陽と対峙し、さらには上着を着用しないで水着のみでうろついていたのが原因。写真のおかでんを見てわかるとおり、真っ黒だ。これは写真が薄暗く写ったからではなく、実際に黒かった。ただ、そのせいでおかでんの背中にはしみがたくさんできてしまい、まだら模様になってしまった。そのしみは今でも残り続けている。まさに若気の至りだ。

しぶちょお宅で一泊した後、翌日各自バラバラに解散となった。おかでんは天幕道具一式をしぶちょお宅に置いたままにして、広島の実家に帰省。後日、広島から東京に戻る際にまた名古屋に立ち寄り、宅配便でテント類を送った。当時の宅配便業者は、「荷物一つから引き取りに伺います」といったサービスをやっていなかったので、集積所までしぶちょおと二人がかりで大荷物を抱えて運び込む羽目になった。また、その際もテントのサイズが一般宅配便の許容値を超えているということで、特別扱いとなり相当な値段を支払う事になってしまった。

アワレみ隊としての活動第一弾はこうして終わった。以降、しばらくの間は天幕合宿をする集団としてアワレみ隊は機能していくことになる。

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