
12:38
七合九尺の赤岩八合館から下山を再開する。
眼下に何か白いものが見える。もう次の山小屋だろうか?ガスっていて、近づかないとなんだかよくわからない。
たどり着いてみると、白い屋根の小屋だった。山小屋ではないし、避難小屋でもない。富士山関係者の業務用倉庫らしい。
ちょうどここはつづら折れのブル道の折り返し地点になっているので、それと関係があるようだ。一時休憩するための施設なのか、それとも燃料補給の施設なのか、通り過ぎるだけの素人ではさっぱりわからない。

12:48
さらに登山道を下っていくと、ガスの中から白い枠組みが見えてきた。山小屋だ。
小屋の屋根が吹き飛ばないように、しっかりと押さえているのが白い枠組みなのだろう。
ここも、風や土砂崩れ、雪崩に耐えられるようにひっそりと建っている。まるで地面に半分潜り込んでいるかのようだ。

13:03
七合五尺、砂走館。標高3,090メートル。
「七合五尺」というとずいぶん低い位置にありそうだけど、日本第三位の標高を誇る奥穂高岳の山頂が3,190メートルなので、ぴったり同じになる。
航空写真の地図で見ると、宝永の噴火口の上端に位置していることがわかる。
歩いている時点では、そんなことはまったく気づかなかった。

砂走館の値段表。
あれっ、先程見た赤岩八合館とまったく一緒だ。標高が下がったからといって値段が安くなる、というわけではないのだな。
看板が同じなので、砂走館と赤岩八合館は同じ経営母体だということがわかる。
なお、赤岩八号館には「焼酎のお湯割り」がメニューにあったけど、ここはガムテープでメニューを消していた。品切れらしい。

12:59
山小屋の周囲をガチガチに積石で取り囲んでいる。こうでもしないと、小屋は守れない。なにせ山頂方面はノーガードにならざるをえないから。
ガスが晴れてきた。見上げると、山頂方面は見えないけれど赤岩八号館はうっすらと見えた。やあ、結構標高差があるな。

砂走館と、山肌。
こうやってみると小さな山小屋だということがわかる。上から見おろしたときは横幅がある小屋に見えたけど、この小屋のうちの何割かはトイレのスペースだ。実際の居住空間は思った以上に狭い。

13:03
砂走館のすぐ近くに、別の山小屋がある。あまりに距離が近いので、砂走館の倉庫かな?と思ったが、日の丸が掲げられていて休憩用のベンチも見える。どうやら営業をしている山小屋らしい。

13:05
砂走館を後にし、どんどん標高を下げていく。汗をかくほど暑くはないので、下山時は山小屋があってもほぼ素通りだ。
富士山の山小屋は、商売が大変だと思う。ほとんど登り客相手にしか商売にならない。ルートによっては下山ルートが別になっていて、そもそも山小屋の前を下山者が通らない場所もあるし。
砂走館をすぎると、今更のように「国立公園砂走口」「御殿場口下山道」の標識が建てられていた。なんでだろう。

山小屋か小屋か、と遠目では謎だった建物。
トタンで覆われていて質素だけど、れっきとした山小屋だった。七合四尺わらじ館。
なぜここに山小屋が密集するのか、謎だ。
ここから先、山小屋は登山口近くの大石茶屋(標高1,500メートル)まで存在しない。つまり、御殿場口で富士山頂を目指す人は、現実的には登山口となる1,440メートルからスタートして1,600メートル近く標高を稼がないといけなくなる。
そりゃ人気が出るわけないよなぁ、と思う。人気が出ないから山小屋も少ない。ただでさえ登山口から山頂までの標高差が一番大きいのに、途中の山小屋が少なけりゃますます不人気になる。
でもその分、静かな山歩きができるのは間違いない。おそらく、山小屋一泊しても大混雑からは避けられるだろう。
朗報としては、2022年から標高2,590メートルにある「半蔵坊」という山小屋が営業再開することだ。
これで少しは楽になる。

わらじ館は砂走館に近いということもあって、差別化に熱心なようだ。オーダーが入ってから焼き上げるワッフルとか、オリジナルのどらやきとか、食べ物に凝っている様子だった。
そんなわらじ館を通り過ぎてちょっと行ったところに、また何か山小屋が見えた。山小屋銀座だな、ここは。
しかし近づいてみたら、ここは営業をしていなかった。地図で見ると、「日の出館」という名前の小屋だったことはわかったけど、今はやっていない。

13:12
キャタピラが外れてしまい立ち往生している重機が乗り捨てられていた。これ、場所が場所だけに修理をしようとしても大変だ。
そんな気の毒なショベルカーの奥に、宝永火山の噴火口縁である宝永山が見えてきた。
僕らは御殿場ルートをこのあと逸れて、あの宝永山に向かうつもりだ。
(つづく)
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