Googleドライブの容量を空けるのに気を取られた一ヶ月
10月下旬から当分の間、サイト更新の頻度がガクッと落ちて僕は沈黙していた。他のことに時間を割いていたからだ。
それは、Googleドライブの空き容量確保だ。
前月の編集後記でも書いたが、どうやってGoogleから与えられた無料のドライブ容量を節約するか、というのが喫緊の課題となっている。これまで容量無制限で使えていたGoogleフォトが、無制限ではなくなってしまったからだ。
将来的になにか対策を打たなければ、と思っているうちにみるみるGoogleドライブの空き容量が減っていき、Googleから「おまえは既に70%の容量を使っているぞ」という警告が僕のメールボックスに届いた。
ここでGoogleの軍門に降って、有償契約をGoogleと結ぶのはできるだけ先送りにしたい。今できることは、できるだけ容量の削減だ。
結局、Googleドライブに置いてあったデータをすべてローカルに持ってくることにした。データを他人と共有しているものだけをドライブに残したつもりだ。そのデータを選別するために時間がかかった。
あと、Gmailのデータも地味に僕に与えられたサーバ容量を食っていた。過去のメールなんて、僕はもう参照しないだろうから全部きれいさっぱり削除しても構わないと思っている。しかし、なにか確認することがあるかもしれない。そう思うと、データを一掃できなかった。なにしろ僕の場合、未だにこのサイトで数年前のできごとを細々と記事にしている。その文章を書く際に、メールを振り返る必要があるかもしれない。
とはいえ、メールに添付されたデータはさすがに維持しつづけることができない。特に住宅関係や結婚絡みについてはやたら多くの重たいデータがメールに張り付いているので、それを削除していきたい。
Gmailのサービス上で、メール本文は残しつつ添付ファイルだけを削除する方法は存在しない。そのため、僕はわざわざメールアプリ「Thunderbird」をインストールし、そこでメールをIMAPで同期し、添付ファイルだけを削除するというやり方をやった。ものすごく面倒くさかった。Thunderbirdの挙動が若干怪しく、癖がある動作に慣れるのにも苦労した。
自分のGoogleドライブの容量確保を急いだのは、本当に写真撮影への関心が薄れてきたからだ。
写真を撮ったらその分だけGoogleドライブの容量が減るのだな、と一旦悟ってしまったら、写真を本当に撮らなくなってしまった。先日、久しぶりにアワレみ隊のメンバーの一人、ジーニアスと会って半日を過ごしたのだが、そのときに撮影したのは記念写真1枚だけだ。横浜中華街を歩いたり、お茶したり、ご飯を食べたり、ミュージシャンのライブに行ったりしたのに、撮影した写真は1枚だけ。
「写真を撮って記録として残そう」という意欲があまりに急速にしぼんでしまっている。写真なんて撮らなくても全然生活に支障はないのだけど、これまでの僕が長年やってきた「気になるものがあったらどんどん写真撮影する」という習慣が一気になくなってきているのは惜しい。
クラウドストレージの容量不足は単なる引き金にすぎない。ストレージの空き容量が確保できたからといって、昔のような写真の撮り方に戻ることはない気がする。そしてそれは、世の中のいろいろなことへの興味の喪失なのかもしれない。それはとても困る。
無駄に写真を撮る必要はないけれど、「無駄に写真を撮っても大丈夫」という安心感は持っておきたい。そのための緊急ストレージ整理となった。
よく、「人生の終わりを見据えて、荷物を減らしていく」ということをご年配の方々がやっている。でも僕の場合、「人生の終わりを見据えて、もっと荷物(データ)を詰め込めるようにした」感じだ。気力を失いながら老いていくのではなく、気力と情報量を増しつつ、僕は老いていきたい。
そろそろ分類することの価値が下がってきたことに気がついてきた
このトレンドは20年くらい前から始まり、不可逆的になってきている感じがする。それは何かというと、「データやコンテンツを分類することの意味がどんどんなくなってきた」ということだ。
昔は、メールにしろ、写真にしろ、あらゆるデータは自分のPCの中でフォルダをたくさん作り、その中で管理してきた。フォルダ名、フォルダの階層構造で膨大なデータの意味を把握するのが当たり前だった。
一方、今はどうなっているかというと、検索だ。調べたい情報を検索窓に打ち込んで、出てきた結果を閲覧する。ネットだけでなく、自分のPCでさえ、そういう使い方になってきた。
しかし、Windows3.1の時代からPCを触ってきた僕は、既成概念を壊すことができない。未だに、複雑に入り組んだフォルダ構成を使っている。もうフォルダを新規に作るのは停止したのだけど、昔作ったフォルダがまだ使われている。
このwebサイトのコーナー分類だって、ずいぶん陳腐化した。もう、コーナーという概念自体がいらないのだと思う。しかし、タグを付けただけの記事をずらっと並べると、本当に単なる日記ブログになってしまう。コーナーという概念をこのサイトで取り入れていることによって、ある程度過去の記事にも価値が出てくる気が、僕はしている。
英語ページを細々と作成している
英語ページを作るのは面倒だ。
いつも通りの日本語の文章を書く段階で、僕のタイピングスピードが大幅に遅くなる。書き直しも頻繁に発生する。英語に翻訳した際、意味が通じない言葉がとても多いからだ。
機械翻訳された英文の精度を気にしていたらきりがないので、全く英文のクオリティを気にしないことにしたつもりだ。それでも、機械翻訳を手作業でやっている最中、どうしても変な英語が目についてしまい、手直しをすることになる。そうなるのが面倒なので、できるだけ言葉の省略をしていない日本語を書こうとしている。
機械翻訳はAIが使われるようになって、ずいぶん実用的な言葉をアウトプットするようになってきた。しかしそれでも相変わらず苦手なのが、地名や人名、その他日本人しかわからないような固有名詞の数々だ。だから、固有名詞はできるだけ使わないように、僕は気をつけている。
そういうことを考えながら文章を書いているので、とてもタイピングがたどたどしい。面倒だ。
それでも、ちょっとずつ英語ページを作っているのは、アフィリエイト広告の収入が英語圏からのアクセスでも少しずつ発生するようになってきたからだ。アクセス数はごくわずかなのだけど、広告単価が高い。これはその国の物価の影響なのか、何なのかは理由がわからない。
今月のBGM
相変わらず、カフェに行くとBGMにJAZZが使われていることが多い。JAZZはもはや環境音楽の一部になっている。
一方で、アンビエント・ミュージックがBGMに使われているカフェというのは非常に少なく、これはちょっと不思議だ。僕が自宅の自席作業用BGMを選ぶならば、JAZZは選ばないからだ。
(2023.12.01)
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