編集後記2024年01月期

このサイトの英語対応はやめるかもしれない

昨年から、熱心にこのサイトを英語と日本語のバイリンガル対応にしようとしてきた。ブログという形態の情報ソースを読もうと思う人がどんどん少なくなってきている現状、多言語対応でより多くの人に門戸を開くというのは僕なりに新鮮なチャレンジだったからだ。

手間と時間がものすごくかかる作業で、どこまで続けるかは開始当初から疑問符がついていた。また、日本語を機械翻訳を経て英語に変換することを考えて、僕が書く文章がずいぶんと窮屈なものになったのはずっと気になっていた。

それでも続けてきたのは、英語で書いた記事からも、少しずつ広告収入が入ってくるようになったからだ。全体から見ると、誤差のレベルで少額ではあるが、それでも英語のページ数が増えた分だけ、英語圏の国と地域からのアクセスが増え、その分広告収入に繋がっていることがわかった。

「オカ・デウス」のような記事を外国の人が読むとは思えないが、「へべれけ紀行」で日本の美しい山々や温泉を豊富な写真付きで紹介すると、外国の人にとっては嬉しいことかもしれない。そんなわけで続ける価値はある。

一方で、ここ最近の更新で英語ページを作る意欲が削がれてきた。それは、外語祭に行ってきた話をまとめた記事を書いていたからだ。この記事には、外国語由来のことばがたくさん出てくるし、たちが悪いことに「外国語を、日本語読みにしたもの」が登場する。これを英語に翻訳するのは相当に難しい。

じゃあ、外語祭の記事だけ英語に翻訳するのを除外し、他の記事は引き続き英語化すればいい・・・と思っていたし、今でもそう思っている。でも、ほぼ同時期に書いた記事で「ニンニク肉肉肉チャーハン」という固有名詞が出てきて、僕は頭を抱えてしまった。

お店の名前、地名、商品名などといった固有名詞が文章の中に出てくると、その部分は機械翻訳が誤訳する。いくらAIが進化した現在とはいえ、ケースバイケースな固有名詞を的確に、ニュアンスを含めて英語に翻訳するなんてことは無理だ。

そういう文章を眼前にし、僕の英語対応意欲がすっかり萎えてしまったところだ。そんなことに時間をかけるくらいなら、とっとと記事をどんどん書いたほうが良い、と思いはじめている。どうするか、まだ結論は出ていない。

疲弊する日々

前にも書いたが、今の僕の仕事は、月のうち4営業日~5営業日が一日15時間から16時間ほど働き詰めとなる。寝ている時間と、家事育児をやっている時間以外はずっと自室に籠もってデスクワークをやり続けている。

それで疲弊しきって、回復するのにだいたい一週間がかかる。つまり、月の半分はヘロヘロだ。眉間は深くシワが刻まれ、疲弊している間はゴルゴ13のようになっているくらいだ。

1週間仕事三昧、1週間疲労回復、その後になって「そろろ何かやろうか。ええと、何があるかな」と思いはじめ、気がついたらもう翌月になっているという日々。新しい、ワクワクしたことをすっかり思いつかなくなってしまった。

おかでん49歳。これから50代を迎えるにあたって、正直かなり焦っている。もっと仲間とつるみたいし、もっとワクワクすることに出会いたい。でも、そうなっていないという自覚がある。この中年男性の不安を妻であるいしに打ち明けても、いしはどうもピンとこないようだ。僕に寄り添った回答は返してくれない。

有給休暇を取ってどこかに行ってきてもいいな、と地図を開いてみるのだけど、どこに行って何をすれば僕は嬉しいのか、それすらわからなくなってきた。家庭があるのでお金を散財するわけにはいかないし、夕方には息子を保育園に迎えにいかなければならない。その制約の中で、何ができるのだろう?

オカ・デウスの終焉

弊息子タケの写真はほぼ毎日撮影しているのだけれど、「オカ・デウス」コーナーで記事にするようなできごとが減ってきた。彼のエピソードには事欠かないのだけれど、その大半が「彼がこんな事を言った」という内容だからだ。これまでは「行動」の観察が主軸だったけど、今だと「発言」を記録するということが多い。

やっぱり、まだ人格が備わっていない謎の生き物・赤ちゃんが大人の常識を超越した動きをする、というのを愛でるのが楽しかった。しかし、今やタケは立派な人格者に育った。彼の発言は大人からすると面白いものも多いが、それは家庭内に留めておく記憶であり、ブログで公開するものではないと思う。

タケが人格を備えた生き物になってきた以上、そろそろ「オカ・デウス」のコーナーは終了になる。現状でも記事にすべきネタが減ってきているのだけれど、キリ良く彼の3歳の誕生日をもって、新規記事の投稿は終了しようと思っている。

これにより、このサイトではもっと僕の旅行記の更新頻度を上げていきたいと思っている。なにせ、2023年から毎月1回は山に登っているので、その記録を書くだけでとんでもなく時間がかかる。このサイトは僕の登山記録を残す場所へと今後変貌していくことになる。とはいえ、そういう境地にたどり着くまで、あと数年はかかるはずだが。

今月のBGM

今月はフュージョンバンド「DEZOLVE」に首ったけだった。

80年代後半に特に盛り上がった、日本における「フュージョン」というジャンル。T-SQUARE、CASIOPEA、高中正義をはじめとし、数多くのミュージシャンがジャズでもない、ポップスでもない、独特な世界観を持つインストゥルメンタル曲をリリースしシーンを盛り上げていた。

しかしゼロ年代に入ってからすっかりその勢いは下火になり、夢中になっていた僕もその世界から遠ざかっていた。このあたりのゴチャゴチャは話すと長いし、話したくてしかたがないが、書くのを省略する。

20年代に入ってフュージョン界にまたいろいろ動きがあって、やや活性化した雰囲気がある。T-SQUAREに本田雅人が復帰したり、旧カシオペアメンバー3名(要するに野呂一生以外)による「かつしかトリオ」結成などは僕にとってはアツい展開だ。

コロナによるテレワーク増を機に作業用のBGMを求めていた僕は、聞く音楽のジャンルが少しフュージョンに回帰しつつあった。そんな中で知ったのが、バリバリの若手による超絶テクニカルフュージョンバンド、「DEZOLVE」だった。

このバンドに対する意見は結構分かれていて、「技術に走りすぎるし、サビがなかなか出てこない曲の構成。くどい」という意見と、「久しぶりにフュージョンの世界に新しい風が吹いた!」と歓迎する声がある。僕はまさに後者の考え方で、こんなすごいバンドを現在進行系で聞けることがとても誇らしく思ったくらいだ。そして、次のアルバムが待ち遠しい、と思えるバンドだった。

確かに、昔のフュージョンバンドのように「インストゥルメンタル歌謡曲」っぽいわかりやすい構成の曲は少ない。5分程度ある曲はザラで、7分オーバーの曲だって存在する。そして、サビがあったと思ったらその後に大サビが続いたり、曲が終わったと思ったらもう一度同じフレーズを繰り返したり、初めて聞く人にとって、予見しづらい曲の展開は場合によっては不快にさえ感じるだろう。僕もしばらくはそういう印象を持っていたが、何度か聞いて曲の展開を覚えてくると、慣れた。

僕が探しているのは、あくまでも文章を書く際のBGMだ。ボーカルがある曲だと気が散るし、派手な曲も集中力が阻害される。かといって、アンビエントな曲も退屈だ。なので、フュージョン曲、しかも昔のフュージョンのように朗々とメロディを主演楽器で奏であげる曲ではないものが耳あたりがよい。

(2024.01.31)

コメント

コメント一覧 (4件)

  • T-SQUAREは元々メンバーの入れ替わりが激しい印象でしたが、キーボードの和泉宏隆氏が亡くなられたことで自分の中ではひとつの時代が終わった感があります。彼の書くメロディが(もしかしたら安藤まさひろ氏の作品よりも)好きだったので。
    自分の場合インストものブームがなぜか定期的に来るようで、何年か前に「Dancing in the mood」という曲がきっかけでH ZETTRIOというバンドにハマりかけたんですが、結局アルバムを買うまでには至りませんでした。
    サウンド的にも、H ZETTRIOはピアノトリオということもあってフュージョンというよりはジャズ色が強いかな?という感じですし、なによりもメロディの主張が強い(テーマとなるフレーズを繰り返す傾向が顕著)なので、BGM用途には向かないと思います。
    そういう意味では前述の和泉宏隆氏のソロもしくはトリオでの作品のほうがBGM向きかもしれませんが、これまた「インストゥルメンタル歌謡曲」的であったりアンビエント的であったりで、おかでん隊長が求めるものではないんだろうな、と。
    そういう意味では、DEZOLVEはBGMとして申し分ないのかもしれませんね。これだけ主張の強いテクニカルな音のどこがBGMなんだよ、って他人は思うかもしれませんが、「朗々とメロディを主演楽器で奏であげる」タイプの曲じゃないから必要以上に楽曲に意識を引っ張られることがない。たしかにこれは絶妙かも、って聴いてみて思いました。もちろん、シチュエーションやその時の気分によってはがっぷり相対して聴いてもOK。これらが両立できるバンドって、相当稀有なんじゃないでしょうか。

  • 一平ちゃん>
    21世紀におけるフュージョン、またはインストゥルメンタルバンドってどういう曲を演るのがいいのだろう?といつも思ってます。T-SQUAREの最近の曲を聞けば、なおさら。

    昔と同じような曲を作曲しリリースしても、たぶん古臭い。
    かといって、今風に手数が多い曲を出しても、マニアックだ。
    ビートを強調した曲にすると、テクノなどのダンスミュージックに近づいてしまう。(同じフレーズを延々繰り返すなど、朗々とメロディを歌い上げるような曲ではなくなってくる)

    DEZOLVEは、いかにも2010年代以降の音楽感という感じで、うまくスポッとはまった感覚を僕は受けます。
    プログレッシブ・ロックのバンドみたいなマニアックな感じもしないし、かといって昔のフュージョンの焼き直しでもない。

    ただ、DEZOLVEの曲を聞いていて、つくづく感心するのがCASIOPEAとT-SQUAREの影響力です。
    彼らそのものがこの2つのバンドの影響を明らかに受けている筈ですが、それとは関係なく、ギターの音にディストーションをかけてメロディを奏でれば、あっという間にCASIOPEAっぽくなる。同じようにT-SQUAREしぐさとも取れるようなニュアンスというのはDEZOLVEの曲には随所に含まれていて、オマージュ的な曲を作るつもりがなくても、それっぽく聞こえてしまう現状があります。

    ちなみに、T-SQUARE出身のベーシスト須藤満、CASIOPEA出身のドラマー熊谷徳明を中心としたバンド「TRIX」は、古きよき90年代までのフュージョンを正統進化させたような曲をリリースし続けています。
    こっちも、面白い。今のT-SQUAREよりも僕の好みにあっている。(「夢風」という曲がお気に入り)

  • TRIXご紹介いただきありがとうございます。このたび初めて曲を聴きました。
    これはたしかに80~90年代のフュージョンの雰囲気をそのまま引き継いでますね。まさに正統進化。
    自分はCASIOPEAは聴いたことないんですが、たしかに昔のT-SQUAREっぽさ、あると思います。
    まだ数曲しか聴いてないですが、スクエアに昔あったようなスローテンポでメロディアスな曲があれば、もっと好きになっちゃうかも、って思いました。
    対してDEZOLVEは「新時代の」っていう感じですね。それでもなお、昔のフュージョンっぽさがちらほら見えるのがおっしゃる通りで面白いところ。

  • 一平ちゃん>
    TRIXは「毎年1枚アルバムを出す」ということをずっとやってきて、かれこれ20枚目のアルバムを出しています。
    そんなすごいバンドなのに、僕がこの存在を知ったのは昨年。いい曲を書いているのに、全く知名度が広がっていかないのが今のフュージョンというジャンルなのでしょう。単に僕のアンテナが低かったから、にしては知らないにも程があるので。

    あと、お亡くなりになった和泉宏隆がメインでやっていたバンド、PYLAMIDもいい曲があります。聞いたことがないならぜひ。

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください