斜里岳、ようやく連載が終わる(AI活用)

一体何ヶ月にわたってダラダラと連載を続けていたのか、自分でもすでに記憶の彼方なのだが、おかげさまでようやく斜里岳の連載が終わりを迎えた。
今回は新しい試みとして、流行りのAIに撮影した写真を認識させ、そこから記事の下書きを自動生成させるという、いかにも現代的でスマートな仕組みを構築してみた。
が、これが驚くほど役に立たなかった。
AIが出力してくる下書きは、どいつもこいつも「赤茶けた川底が……」だの「雨で視界が遮られ……」だの、判で押したようなお決まりの常套句ばかり。
まるで斜里岳の度重なる渡渉と泥地獄の臨場感が伝わってこない代物で、下書きはおろか、参考資料としてすら使い物にならなかった。
「AIでブログ執筆を爆速化!」なんて夢を見て仕組み作りに注ぎ込んだ手間暇を振り返れば、得られた実益は雀の涙ほど。完全なる費用対効果の赤字。
そんなわけで、現状は今まで通りに僕がガリガリと一次情報を書き、その文章のクドさや回りくどさを削ぎ落とすために、AI校正を噛ませ、その校正だと物足りないから、と僕がさらに加筆するスタイルに落ち着いている。
これだと、自分が書いた文章を嫌でも見直すことになるし、スマホ読者を意識した頻繁な改行などのレイアウト作業は結局僕が手作業でやることになる。
結果として、記事1本にかかる執筆時間は明らかに増えた。・・・というか、AIのせいで時間が奪われたというよりは、今までの僕が「一度も見返さずにそのままネットの海へ放流する雑な書き方」をしていただけなのだが。
26年もブログをやっておいて今更だが、ようやく収まるべくして収まるまともな所要時間になった、ということなのだろう。
ただ、このAI校正というやつは非常に優秀であると同時に、なかなかに厄介な性質を持っている。
僕が敢えて文中に忍ばせた毒っ気や、2000年代前半の露悪的なノリを孕んだ「クセ」を、実に見事にマイルドに調教してしまうのだ。
スマホカメラの「美肌モード」で加工された顔写真のように、ツルッとした、悪く言えば誰が書いても同じような当たり障りのない文章に仕上げる。
かと思えば、チューニングの加減によっては、僕が昔やらかしていた尖りすぎた文体を過剰に意識した、妙に加齢臭のするノリを再現してくることもある。
このあたりの匙加減というか塩梅が、なかなか均一にいかない。
仮に僕の文体を完璧に再現できるようチューニングできたとして、そんなお利口な文章が量産されたところで僕自身ちっとも面白くない。
さらに恐ろしいのは、未来のAIが、こうして「AIでお化粧した文体」をおかでんの文体であるとさらに学習し、次世代の校正に活用していくというループだ。
劣化コピーの劣化コピーを重ねた果てに、一体どんな無味無臭のディストピア文章が誕生するというのか。
なので、最近はAIによる校正の手数をできるだけ少なく、最小限に留めるよう自制している。
5年後、10年後、あるいは僕がこの世を去った後にも、今こうして書いている文章が自分にとっての真の資産として残るためには、あまりデジタルな化粧で素顔を隠しすぎない方がいい。
今月のBGM
我が家に第二子が誕生した影響もあって、ここ半年ほどは(ありがたく取得させていただいた育休期間を除いて)仕事の長時間労働が完全に常態化している。
50代の体に深夜残業のボディブローはかなり効く。いや、1日2時間睡眠で、勤務間インターバルが4時間なんて日々が続くと、ボディブローどころかストレートだ。
もちろん本業の仕事でもAIをフル活用しているのだが、彼らがアウトプットしてくるPowerPoint資料というのがまた実に絶妙だ。
「おい、これ一体何色って言うんだ?」と画面を二度見したくなるような、謎の中間色を好んで使ってくる。ぱっと見はかっこいいので、僕もついついその色を採用してしまう。
おかげで、僕が手作業で資料を修正しようにも「謎の色」を再現することができず、結局はAIに向かって「ここのオブジェクトをこうして、全体のトーンをああして、数値を修正してくれ」といちいちプロンプトで指示を出す有様だ。
そして、その指示を受けるたびにAIは数分間フリーズしたように考え込み、おもむろに資料を作り変え始めるので、とにかく待ち時間が長くてしょうがない。
効率化のために導入したはずのAIに、僕の貴重な深夜の時間がじわじわと溶かされていくという壮大な矛盾である。
最近はPowerPointのページをいくつものパーツに細分化して別ファイルにわけ、それぞれ同時並行でAIに処理を走らせる力技に出ている。
さらに、その並列稼働する小作人AIたちを統括するための「軍師AI」まで配備する充実の布陣だ。
文字にすると、なんだか最先端のテック系ビジネスマンっぽくて格好いいじゃないか、と思うかもしれない。
だが、その複数のAIたちの機嫌を伺い、ファイルを右から左へと橋渡しし、デグレが発生していないか目を皿のようにしてチェックしているのは、他でもない人間様である僕自身なのだ。
結局、全然人手は減っていない。
それどころか、ファイルを細分化した弊害で「あれ、このページの最新版はどこいった?」「今、どのAIがどこまで処理してたっけ?」と、深夜の脳内が迷宮入りすることが頻発している。
AIに使われるパシリとしてのやり方には、まだまだ現場最適化の余地がありすぎる。
というわけで、公私ともに脳みそのCPUが100%に達している状態において、お洒落にBGMなんて聴いていられる精神的・時間的余裕はこれっぽっちもない。
特にLLMを相手にプロンプトを書いていると、脳の言語野がつねにフル稼働状態で占領されるため、歌詞の入っている音楽をバックグラウンドに流すことすら不可能だ。
昔のExcel集計作業のようないわゆる「単純な手作業」であれば、PIVOTやゲンロンといった音声メディアを配信で聴きながら「ながら労働」ができたものだが、今やExcelの操作もAIをかまして行う時代になりつつある。
人間が担当するのは「思考と指示」という純度の高い言語労働だけになってしまったため、脳の余裕が減ってきている。
(2026.06.01)

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