イベントにおける怒りの増幅過程について

高麗鍋コンテスト(埼玉県日高市商工会主催、2009年02月08日開催)に行った際の、おかでんにおける怒りの進化の過程。

高麗鍋コンテストの告知

フェーズ1:導入部

2009年1月25日の「彩の国鍋合戦2009」にて、満腹のため食べられなかった鍋あり。埼玉県日高市の「高麗鍋」。

しかし、店頭には「2月8日に高麗鍋コンテストをやる」とのポスターあり。

そちらであらためて食べてみるかどうするか、持ち帰り検討課題とする。

のどかな風景

フェーズ2:調査と、期待

webサイトで情報収集するが情報にたどり着くまで苦労する。逆にその苦労した手間を報いるためにも、「行くしかあるまい」と決断する。

フェーズ3:ハシゴ外し

開催される高麗神社(最寄り駅はJR八高線「高麗川」駅もしくは西武秩父線「高麗」駅)はすごく田舎。都心から遠い。遠路はるばる、高速代ガソリン代、そして時間を労して出かける。もう後戻りはできない感強まる。だからこそ、楽しんで帰ろうと非常にポジティブになる。

高麗鍋の旗がたなびく

フェーズ4:現地の盛り上がり

会場の第一駐車場は満車。第二駐車場へ。「高麗鍋」ののぼりがたなびき、嫌が上でも高揚感は高まる。

食券売り切れ

フェーズ5:予想外の展開

会場に赴くと、チケット売り場(この鍋コンテストは、食券の購入が必要)には「売り切れによりチケットの販売は終了しました」の表示。

ショックを受ける。

まだこの段階では怒りはない。現状を受け止めるのがやっとなのと、怒っても始まらないからだ。

境内には沢山の人

フェーズ6:煙が上がり始める

会場は人でいっぱい。身動きすらしづらいくらい。コンテストの前説というか、基調講演で岸朝子さんがお話中。この一時間後からコンテストが開始となる。

「こんな狭いところでなぜやるのか」と呆れる。だんだんショック状況から立ち直りつつあり、会場の状況に頭が回るようになる。

主催者の企画ミスだ、これは。

会場から引き下がろうとし、人混みを避けつつ退くが、困難。その後ろから、鍋が詰まった寸胴を二人がかりで運搬中の主催者がやってきた。「鍋が通りますのでよけてください」と繰り返し言う。いや僕もアナタと同じ方向に向かってるんです、人が前を塞ぐので進むのに時間がかかってるんです。「僕も通りますー、あけてくださーい」といいながら、寸胴運搬組の露払いみたいになる。

ちょっとカチンとくる。

受付で揉める人あり

フェーズ7:煙が立ちこめてくる

時計を見るとまだ11時過ぎ。1時間以上かけてここまで来たことについてどう責任とってくれるんだ、という気持ちが芽生え始める。

フェーズ8:引火

チケット売り場では絶えず紛争勃発。来場者と受付係員とのやりとりを聞いていると、だんだん怒りが明確になってくる。

「だってコンテストは12時からでしょ?だから早く来たのに、何でもう売ってないわけ?」

そうだ、その通りだ。

一人で訪れて、耳を塞いでいれば、「ああ人気イベントだな。しまった、出足遅かった」と諦めて帰るところだったが、自分が思っている事を誰かが口にし、しかも怒っているとこちらも思考が誘導される。

フェーズ9:炎上

ひっきりなしに続く受付での問答とトラブルだが、遂に本気で怒るおとーさん登場。

「うちらは7人でここまでやってきたんだ。もう売り切れとはどうしてくれるんだ!」

しばらく押し問答があった後、別のスタッフがやってきて「こちらでは何ですので、本部のほうで・・・」と受付から連れ出していった。

ここで、こちらも完全にお怒りモード突入。

フェーズ10:坊主憎けりゃ袈裟まで憎い

このフェーズまでくると、全てに憎悪の対象がいく。

受付の人が仏頂面で対応しているのに腹が立つ。

「チケット売り切れ」と書かれたボードの裏には、「チケット10時30」と書かれた紙。下半分が破れていて読めないが、恐らく10時半発売開始だったと思われる。あと30分早く来ていれば、という悔しさも併せて怒り倍増。

コンテストのパンフレットだけは受付の机に山積み。これにも腹が立つ。誰にどれだけ配布するつもりだったんだ。

そして、そのパンフの裏側には出店ブースの紹介が記載されているのだが、「私達の鍋の前で泣かないでください!?」や「おいしくて高麗(こま)った鍋!!」というだじゃれのキャッチコピーを読み、激しく苛立つ。

まだまだ車はどんどん来場する

フェーズ11:当たり散らし

どうしようもないので諦めて帰るが、駐車場にはまだ次々と車が列を成して入ろうとしているのを見て激怒。しかも車のナンバーが千葉方面や神奈川方面という遠方のものもあったのでなおさら。

駐車場の誘導員に

「チケット売り切れでもう鍋食べられないんですよ。入場ストップしないと、まずいですよ。すでに受付ではいざこざが起きているんですから!」

と言う。理性はあるので忠告というスタイルを取っているが、この怒りを誰か主催者サイドにぶつけたくなったのでしゃべっただけだ。

第一駐車場、第二駐車場の誘導員両方に言っておいた。しかし、誘導員は次々と押し寄せる車の相手で手いっぱいで、それどころではなかった。

一言言ったことで少しだけ火力低下。

蕎麦は幸せにしてくれる

フェーズ12:馴染みの店で鎮火

車を運転している間非常にもやもやしていた。しかし、気分一新、数年ぶりに昔行きつけだった蕎麦屋を訪問し、「ああなつかしいな」という気持ちで心が満たされた。

ようやく鎮火。鍋コンテストの事はとりあえずもうどうでもいいや、という気持ちになった。

と、まあこういう経緯があった次第。

今回、この一連の話を掲載しようと思ったのは高麗鍋コンテスト主催者をつるし上げようという主旨ではない。自分の心境の変化が客観的に見てとても面白かったからだ。

上記文中に書いてある通り、何もなければ大人しく引き下がっていたはずだ。見込み違いだった、と。残念だなあ、くらいで終わっていた。しかし、他人の怒りを見聞きすると、その感情が伝播するということを強く実感した。

怒っている人たちの言ってることは、はっきり言ってしょーもないことだ。

「せっかく遠くから来たのに、何で売ってくれないの?」
→売り切れている以上、これ以上売りようがありません。諦めてください。

「コンテスト開始より前に来ているのに、売り切れとはどういうことか!?」
→もっと早く来た人がいた、ってことです。己の見込みの甘さを悔いろバーカ

であり、結局「チケットないんだもん、何言われたってもう無理っすよ」と開き直るしかない。

恐らく、受付の人たちはそういう気持ちで臨んでいたのだろう。

被害者(?)である自分自身、そういう認識だった。

でも、受付近辺でさんざんその手の会話を聞いているうちに、「あ、苛立っているのは自分だけじゃないんだ」と思い始め、確信に変わり、それが怒りに変化していく。その最終形として、何に対しても腹が立つまでになってしまうのだから、恐ろしい。

スポーツイベント等で暴動が起きやすいのは、こういう心理状態から来るんだなと体感した。

個々の「疑問」や「不満」は小さいものでも、それが束になってくるとだんだん集団心理として怒りへと発展していく。最終的には、周囲の人間同士で感情を反射し、増幅しあって、エスカレートする仕組みだ。

「お前の態度が気にくわない」などと、イチャモンとしかとれないような文句を言い出す人がいるが、それはこういう増幅の行き着いた先なのだろう。

人間面白いもので、「喜怒哀楽」のうち、他人にもっとも影響を受けやすいのは「怒」だ。進化の過程で動物が備えた重要な感情なのだろう。

教訓としては、イベントにおいて何かトラブルや不満が出た場合は、即座に火元を集団から隔離することと、残された集団に対して予防保全を打つことだろう。火元となっている人をなだめたって、すぐに鎮火するわけではない。そこでしばらくくすぶっている間に、どんどん周囲に伝播し増幅していく。だから、その場で説明し理解を求めるのは得策ではない。また、隔離した後の集団に対しても、ちゃんとワクチン注射は必要。みんなイチモツ持っているはずであり、それが何かのはずみで着火する恐れがある。火が点いてからじゃ遅いので、今のところサイレントマジョリティであっても対応しておかないと。

今回は「売り切れ」という火種を内包してしまっている以上、火が点くものを近づけさせないのが一番の得策だった。だからこそ、交通整理にあたっている人達に「もう売り切れであると運転手に告げろ」と指示しておくべきだった。しかし、そんなことすらやっていないから、おき火状態で受付が延焼し続ける羽目に。何しろ、燃料=来場者は次々やってくる。しかもイベント開始前の時間だもんなあ、混雑ピーク手前だ。

特にまずかったのが、駐車場が会場から離れていたことだ。駐車場入場渋滞があり、駐車場から数分歩かされ、ようやく会場に到着して「売り切れ」じゃあ、火の点き具合は相当良い塩梅だ。藁に火をつけるようなものだ。

だからこそ、本来は主催者がやるべきである「売り切れですよ、もう駐車場に車を誘導しないほうが良いですよ」という伝令を、おかでんが買ってでたわけだ。自分自身腹が立っていたし、横浜ナンバーなんかの車を見ると、いたたまれなくって。

でも、誘導員は「いや、それは私の権限ではどうにもならないんで・・・」と、もごもごいったままだった。一応携帯に手を伸ばして本部と連絡をとろうとしていたようだが、次々と車が来たためにそっちの対応に引き戻されてしまい不発。本部、誰か伝令出せよ、受付で暇そうにしてるんだったら。雇用主でもない一般人のおかでんが誘導員に何か言ったって、何にもならないんだから。

受付をやっている人たちは「日高市観光協会」「日高市商工会」のはっぴを着ていた。つまり、外部からお客さんに来て貰い、お金を落として貰うよう頑張る役目なわけだ。最後に気持ちよく日高市から帰って貰ってこそ成功といえるのに、来場者を立腹させてちゃダメだろ。

・遠方からわざわざやってきた客に対して、お客が口を開く前に「大変申し訳ございません」と頭を下げて、せめて「まあ、しゃーないわ」程度の気持ちにはなって帰ってもらう

・率先して会場周辺の道路に出て「チケット完売につき鍋はもう食べられません」ボードを掲げるか、駐車場誘導にまわる

・これは相手を選ぶ作戦だが、「鍋コンテストは受付終了ですが、近くにこういった面白い施設やお店があります。せっかく遠方からお越し頂きましたので、もしよろしかったらどうぞ」という地域面白スポットを紹介するパンフを配る

などの対応を採るのが今回は得策だった。しかし現実には、来場者の「えっ、もう売り切れなの」の発言に対する人間サンドバッグ状態。受付という持ち場から離れられないなら、せめて会場に向かって歩いてきているお客に向かって「売り切れでーす」と大声で声をかけるべきだった。脇が甘いとしかいいようがない。

来場者が怒っていたのは、会場である高麗神社が、都心からやや外れた立地、しかも最寄りの駅から相当遠い場所(事実上車での移動)という地理的条件に一因がある。都心のように交通の便が良く、代替娯楽がある場所ならまだ諦めがつく。しかし、場所柄、これ「だけ」の為に結構な時間をかけて来場してきた人が多いはず。そりゃそう簡単には諦められないよな。そういう心情を察する事ができていないのが現時点の日高市ということなのだろう。もっと地の利・不利を考えろよと。

※11時40分時点。その後どう展開したのかは見ていないので、不明。

多分、日高市商工会(観光協会)は、「田舎だし、あんまり人はこないだろう」と思っていて、フタをあけてみたらたくさん来てびっくり、良い方向に予想が外れちゃったねえハハハ、って認識だと思う。しかし、イベントに参加しそびれた人間達からすれば「わざわざ田舎まで行ったのに」と怨嗟の声。このギャップ、どうやって今後埋めていくつもりだろう。

ただ、主催者の誤算というのは確かに理解できるところではある。webで検索してみればわかるが、コンテストの公式webサイトは存在しないし、日高市商工会のサイトにすら高麗鍋コンテストの告知がない。高麗神社のサイトに、境内でのイベントとして紹介があるくらいだ。あとは、朝日新聞埼玉版や埼玉新聞など僅かなマスコミの報道のみ。それほど大々的にPRしまくったわけではないようだ。

しかし、その割には食生活ジャーナリストの岸朝子さんの講演会を会場内で実施するなど、対外的インパクトを与えようとしている。「彩の国鍋合戦」にも、2月8日に高麗鍋コンテストやります、という告知ポスターを掲示していた。告知したいのか、したくないのか、どっちかよく分からなかったのが実情だ。

実際、おかでんは情報量の少なさのため、「これは日高市民にクローズされたイベントなのか?」と疑ったくらいだ。

結局、イベント運営経験があまりない人達で頑張ってやってみたら失敗ぶっこきました、というのが今回の総括だろう。

大会規模に見合った会場、設備、広報をするべきだったけど、今回はバランスが悪かった。そして、そのバランスの悪さのフォローもうまくいっていなかった。一発勝負の開催だったので勝手が分からないのは当然だが、それは主催者理論であって来場者の納得は得られない。イベント慣れした広告代理店を噛ました方が良かったかもしれない。

今回は、「高麗鍋」の知名度とレベルアップを図る、という事に主眼が置かれていたようだ。参加15チームは食材費が主催者から支援されるという厚遇ぶりから、「育てて大きくする」意欲が感じられる。そして、その売価も非常に安い。チケット売り場で売られていたものは、3杯分の食券のつづりで、200円。1杯70円弱だ。完全に採算度外視だ。

誤解してはいけないのは、この廉価作戦が客を予想以上に招いたという訳ではないだろう。現地に行くまでにお金がかかる立地だからだ。

ただ、この不景気の最中、「安・近・短」な娯楽ニーズが高いのは間違いない。そのため、このようなイベントはより集客力を高めている。そこを主催者は読み切れなかった。

各チーム共に150人前を作る事になっているので、全チームで2,250人前の鍋。食券3枚で200円、という売られ方をしていたので、2,250÷3=750人。つまり、実質750人限定イベントだった、というわけだ。チーム関係者や地元民だけで100人は余裕で越えるはずなので、外部から来場者が来る余地はもともとあまり多くなかったというオチだ。非常に少ない。

この高麗鍋コンテストは、「高麗郡建郡1,300年記念事業」と銘打たれている。実際に1,300年となるのは2016年。ということは来年以降もまだ続く可能性がある。だとしたら、次回からはもっと広報宣伝を控えるか、Loppiやチケットぴあなどで食券販売を委託した方が良いと思う。会場規模をこれ以上大きくして、各チームの製造ノルマを増やすのは本意ではあるまい。家族程度の規模でも作れる鍋の最大量が150人前だと思うので、草の根からの高麗鍋普及と発展を狙うなら、安易な規模拡大はしない方が良いと思うがどうか。

もし来場制限をかけない方針なら、もう一気に規模拡大をするしかない。今度こそは来場してくださった方にがっかりはさせません、という意気込みで。

ただし、それは難しいだろうな。彩の国鍋合戦のように、「猛者どもよ集え、そして戦え」というスタンスではないイベントだから。「日高市に、高麗鍋ありと高らかに知らしめよう」というのが根本なわけで、例えば和光市が「うちもキムチ鍋作りましたので参加させてください」と言ってきてもお断りだろう。「それはキムチ鍋であって、高麗鍋ではない。なぜなら日高市と関係ないから」という回答になると思う。

だとしたら、折衷案で「現行各チーム150杯のところを200杯まで頑張って作ってもらう」「前売り券はややこしくなるので、せめて当日チケット発売時刻を明確にポスターなどに掲示し、混雑が予想されることも注意書きしておく」ということなのかね。

まあ、いずれにせよ、この日一日でこのイベント(及び、とばっちりとして高麗鍋)に対して悪い印象を持った人が相当いるはず。「大盛況のうち無事終了しました。」とイベントを締めくくるのではなく、その「大盛況」は氷山の一角で、多くの「大不評」があった(そして、あり続ける)ことを認識したうえで今後の対策を考えていただきたい。

おかでんとしては、特に高麗鍋イベントに対して恨みはない。ただ、来年もコンテストやりますよーという告知があっても、多分行かないだろう。また肩すかしくらうのはあまりにアホらしいからだ。往復の交通費、何千円かかったと思ってるんですかもう。

上記のような具体的対策が打たれているなら、遺恨なしで来年も行きます。こういうイベントは元来好きなんで。頑張ってください。

(2009.02.08)

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