ありふれた写真を撮って「なにをやっているのだろう自分は?」と内省する

神奈川県にある、JR鶴見線「国道」駅にやってきた。

その名の通り国道15号線のすぐ近くにある高架駅。鉄道関連の知識がある人なら知らない人はいないほどの有名な駅だ。

川崎~鶴見間の湾岸エリアの工業地帯への物資と人員の輸送用として作られた路線が鶴見線。埋立地の形にあわせて作られた支線が複数ある変な形の路線と、朝晩に集中して昼間がガラガラになる独特のダイヤ構成が特徴的だ。

そんな駅の中でもひときわ知られているのが、国道駅。

駅のホームは高架の上にあり、下はアーケード状になっている。

駐輪場や駐車場になっているわけでもなく、通り抜けられる歩道と、小さな商店が連なっている。

1930年の開業当時からほとんど変化していないというのだから、さすがの年季だ。

照明を灯すこともなく、この道は薄暗い。写真で撮ると若干明るく見えるけど、実際昼間に訪れると、目が慣れるまでちょっと時間がかかるほどの薄暗さだ。

ここに駅を見るためだけに訪れる人はいっぱいいるだろうし、恐らく改札脇からこのアングルで撮影するんだろうな、というポジションもわかる。

今更ここで駅の写真を撮っても意味はない。世の中に同じ構図の写真があふれているからだ。

それでも、つい写真を撮ってしまうのはなぜだろう。自分が写り込むわけでもないのに。

「シャッターを押す」、最近だったら「スマホのシャッターボタンをタップする」という行為で、写真は記憶に昇華するのかもしれない。誰かが撮った写真だと、自分の記憶と一致しない。

もともとこういう状態なのか、コロナのせいなのかわからないけれど、全くどのお店も営業をしていなかった。

しずかに流れる時。

ときおり通り過ぎる人はいる。しかしみんな観光客で、写真を撮ったらすぐにその場を立ち去っていた。ここで写真を撮る、ということに意味があるらしい。僕もまたそう。

(2022.05.08)

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