登山に関しては、いくらお金をかけてもきりがない。
たとえば服装ひとつとってもそう。昔の僕は上下すべてがユニクロだった。さすがにソックスは登山用だったけど、それ以外はユニクロ。
何が言いたいのかというと、若いときは勢いと体力がある。お高級なアウトドアブランドの、軽量で高機能な服を着込まなくても十分だ。
しかし、歳を重ねるにつれ、だんだん山装備を考える際にあれもこれも心配になってきた。だから、ブランドものの服を買い込んで着込むようになる。でもそれは、資金に余裕があるからではない。他人に対する見栄からでもない。「少しでも山登りの負担が軽減されるなら、少しでも安全に下山できるなら、お金に糸目をつけてられない」という逼迫感があるからだ。
もちろん高級品を買うほどの財力は我が家にはない。しかも妻子ともに登山の趣味がない我が家の場合、僕が一人だけ山用品を買い漁るのは気が引ける。なので、「これだけは導入しておきたい」というものだけはお金を出して買うようにしている。
で、今シーズンの新参者は、これ。「ココヘリ」という無線探査機だ。
USB充電で作動する小型デバイスだが、こう見えても16キロ四方に救助電波を飛ばすことができる。もし遭難したとき、これがあることでヘリからの捜索が容易になる、という代物だ。
年会費が5,500円~というサービスなので安くはないのだが、ちょうど半年間無料キャンペーンをやっていたので、試しに入ってみた。
登山の場合、自分の怪我を保証する保険が必要なだけではない。自分が足をすべらせたことによって、崖下にいた他人に石が当たって怪我をさせた場合などの対人・対物保証も必要だし、なによりも遭難した際の救助費用が莫大だ。
一般的に言われているのは、「捜索ヘリを1分飛ばすと1万円がかかる」というものだ。もちろん、県警ヘリが飛ぶのか民間ヘリが飛ぶのかによって費用は違ってくるのだけど、他にも救助隊が組成されて麓から大勢の人が徒歩で捜索にあたると、だいたい一人あたま1日数万円の日当がかかる。それを何日も続けるとなると、車1台が買えるどころじゃ済まないお金がかかってしまう。なので、保険は必要だし、1日でも早く救助されることが大事になってくる。
もっとも、ココヘリを持っているからといって、自動的にヘリコプターが助けにやってきてくれるわけではない。崖に滑落したとか、道に迷ったとか、そういうときに「自分で」スマホアプリ経由でココヘリに救助要請をかける必要がある。または、予定していた時間になっても下山してこないと心配した家族がココヘリに通報するか。
それでようやくココヘリは動き始めるのだが、あくまでもココヘリがやってくれるのは本人の居場所特定であり、救助そのものは県警なり山岳救助隊の役割となる。ココヘリと提携している民間ヘリが飛んできても、そのヘリは「おっ、遭難者発見!」というところまでがお仕事だ。
ココヘリはネットで「死体発見器」と皮肉で呼ばれている。もし本人が生きているならば、110番通報なり119番通報してオフィシャルな救助を要請すればよいからだ。自分はだいたいどの辺にいて、どういうトラブルが発生したのかを詳細に通報できる(携帯電話の電波が入る場所ならば)。
一方、現実的にココヘリが主に役に立つのは、遭難した本人が音信不通でどこにいるのかわからず、家族が心配して捜索要請を出したときだ。そんなわけで、「死体発見器」というネガティブな表現が使われる。
実際、そういう要素はあると思う。しかし、それはそれで必要なことだ。
山中で遭難し行方不明となった場合、「たぶん死んだぞこりゃァ」と遺族が半ばあきらめていても、扱いとしては「失踪」となる。死んだとみなしてもらえないので、死亡保険がでないし、見つかるまでの間、勤め先の会社は「無断欠勤」だ。さすがに状況を勘案して休職扱いにしてもらえるとは思うが、会社によっては「本人からの事前連絡がなく無断で欠勤を重ね、業務に支障が出たため解雇」という結論を突きつける可能性は否定できない。その場合、退職金が出なくなってしまう。
そういう可能性をどこまで自分の登山に織り込んでいくのか?心配しだすときりがない。かといって、何も備えがないのはさすがにまずい。そのバランスを見極めるためにも、少なくともこれから半年はココヘリを使ってみることにした。
今後継続して使い続けるかどうかは、半年間の無料試行期間を経て決めるつもりだ。その間には、北アルプスや南アルプスの深部を縦走する登山や標高3,000m超えの山なども訪れる予定であり、そこでの心境をしっかり見極めるつもりだ。
(2024.04.11)
コメント
コメント一覧 (2件)
遭難後行方不明のままだと…というお話。
以前「いつかある日」という曲を聴いた…正確にはYouTubeで見た時のことを思い出しました。
「♪いつかある日 山で死んだら」という、ちょっと意表を突かれるような歌い出しのこの曲、父や母、妻や友人へのメッセージで構成された歌詞なんですが、その中に「伝えてくれ いとしい妻に 俺が帰らなくとも 生きて行けと」という一節があります。
それに対して「死体が帰ってこないと保険出ねーのよ」というコメントがついていて、ミもフタもねーな…とその時は感じたんですが、実際家族にしてみればちょっとやそっとじゃない違いなんだろうな、と。もちろん金銭的な問題だけじゃなく心情的にも全く違うでしょうし。
今回の記事ではそれに加えて「なるほど勤め先の問題もあったか…!」と気付かされました。こちらについても同じく金銭的、そして道義的にも大きな差が生じそう。
自分が登山に全く縁がないので考えたこともありませんでしたが、「帰って来る、来ない」でこんなにも違いがあるんだな、と思わされました。
一平ちゃん>
山に行く前は、ココヘリのような「万が一のときに捜索してもらいやすい装備」の持参もさることながら、
ネガティブな発言を家庭や周囲の仲間に話さないことが大事かと。
「もう仕事に疲れちゃって・・・」とか、「家庭がうまくいってなくて・・・」とか。
でないと、山で遭難したのか、失踪したのかがわからなくなってしまう。
「山から下りてきたら、うまいビールを飲むぞ!それが楽しみ!」とか「お土産、楽しみに待っててくれよな!」などと下山後の未来について語っておかないと。