物欲という精神のバグ。富士フイルムからソニーへ電撃引越しした話(その1)

物欲というのは、実実に実によくできた精神のバグだ。

気がつけば、僕の手元にはソニーのフルサイズミラーレス一眼が鎮座している。

これまで長年、我が家の日常や過酷な山行の記録を支えてきてくれたのは、富士フイルムのAPS-C一眼カメラ、X-T20だった。

あのクラシカルな佇まいと、ダイヤルをカチカチと回す操作感、そして何より富士特有の「記憶に美しく残る色合い」には、かなりの愛着がある。

しかし、人間の物欲がひとたび牙を剥くと、過去の愛着など一瞬で駆逐されてしまう。

僕にとってカメラというのは、伴侶と呼んでも良いくらい大事な存在だ。そんなカメラを買い替えるだなんて、「家探しと引越し」と同じような大イベントとなる。それくらい、大変なことだ。

今回は、「カメラが壊れたので急いで買い直さなくては」という必要に駆られての購入ではなかっただけに、検討を始めてから、新しいカメラの購入、古いカメラ・レンズの売却にいたる全工程がわずか1週間足らずの間にすべて終わってしまったことに僕自身が一番驚いている。

決して富士フイルムに対する愛着が消え失せたわけではない。

かつて佐渡ヶ島のキャンプ地で、何も考えずにシャッターを押したとき、そこに写し出された青空と緑、そして海の描写に強烈に感動した原体験がある。
(注:当時はデジカメではなく「写ルンです」だったが、これもまた立派な富士フイルム製だ。なお、佐渡島の1年前の上島も写ルンですを使っていたが、あまり上手に撮影できておらず「綺麗に写っている」と感じたことはない)

それ四半世紀にわたり、20台近くの富士フイルム製デジカメを使い倒し、山の暴風雨のなかでもノーガード戦法で携行しては壊し、その都度買い直す無限ループをしのいできた。
我が家の歴史、ひいては自分の生き様のすべては、富士フイルムによって記録されてきたと言っても過言ではない。

そんな、我が家における絶対的なインフラであった富士フイルムとのつきあいに変化が生じたのはつい最近、2026年4月のことだった。


ここで時計の針を進める前に、一人の人物について説明しておかねばならない。

僕の拙い長文旅行記を、それこそインターネット老人会の草創期から読み込んでくれている、zennさんという古参の読者がいる。

彼は僕自身すら忘れかけている「右往左往の軌跡」をすべて把握している、生けるアワレみ隊アーカイブのような御仁で、ときどき長文のお便りを送ってくれる。
大変カメラに詳しい方で、そっち方面の有益なコメントや助言をこれまで数多くいただいてきた。

そんな彼から届いた直近のメールが、今回の電撃的な引っ越し劇の引き金を引くことになった。
僕が今使っているカメラの限界についてブログの片隅でぼやいたのがきっかけだった。いっそのことGoProやDJIのアクションカムで登山を常時録画し、あとで必要なシーンだけ静止画で切り出すのはどうだろうか、などという話をしていたと思う。確か。

それに大してzennさんから届いたメッセージの要旨は、
「現代において単に記録を残すだけならスマホという神器で必要十分であり、後処理の簡便さまで含めればスマホ一択」
という、ぐうの音も出ない正論から始まっていた。

しかし一方でzennさんはこうも言う。
「一眼カメラのセンサーが切り出したあの圧倒的な画の魅力を知ってしまった人間なら、そこを丸ごと捨てるのはあまりにも惜しいのではないか」
と。

さらに、僕のベリーハード(=要するに雑)な使用環境を踏まえるなら、オリンパス(現OMシステム)のマイクロフォーサーズのカメラを選択するのもありではないか?と、これまでの僕の視野に全くなかった極めて実利的な示唆を与えてくれた。

ここでzennさんが、すごくオーソドックスなカメラを提案してくださったなら、「ははは、それもありですねえ」と承って話題はそこでこの話題は終わっていたかもしれない。しかし、「ええ?オリンパス?いまAPS-Cなのに、さらにセンサーサイズが小さなマイクロフォーサーズ?マジで?」と僕をびっくりさせちゃったので、そこからあれこれカメラを調べるきっかけになちゃった。それが僕の物欲に火をつけた。

そして最後に、zennさんは僕の財布の紐をぐらつかせる、悪魔的な教訓を添えていた。

「お金なんてものは、たとえカメラを買っていなかったとしても、気がついたら日々の生活費のなかに溶けて消えてしまっているもの。だったら、欲しいと思ったその瞬間こそが、最も賢い選択のタイミングなのだ」
と。

この言葉は、家計のキャッシュフローと常ににらめっこしている僕に恐ろしい説得力で響いた。

実際問題として、長年我が家の過酷な山行や日常を支えてきてくれたカメラ、富士フイルムのX-T20には、いよいよ限界のサインが出ていた。
買ってから7年半。2度ほどメーカーにメンテをしてもらっているものの、そろそろ各部にガタがきていてもおかしくない年数だ。

最近どうも、撮影した写真にフレア(白っぽいモヤがかかったような反射状態)が増えた気がする。
普段は防湿庫に格納し、完璧に水分を管理しているはずのレンズだが、7年以上も酷使してきたことでいよいよカビが生えてきたか、レンズコーティングが寿命を迎えている可能性があった。

そもそも、カメラ本体のラバーグリップが加水分解を始めており、ボディから不格好に浮き上がっていたり、表面のザラザラした凹凸加工が摩耗してツルツルになっていたりしていた。
実用に影響はないものの、「このまま壊れるまで使い倒すか、それとも中古市場でジャンク品として多少なりとも値がつくうちに売ってしまうか」という、大きな考え時だったのだ。

日々、「そろそろカメラはどうにかしないとなあ」と思っていたところだったので、いったん物欲の種が投げ込まれたら、盛大に燃えた。「そうだ、カメラを買い替えないと」という発想にあっという間に切り替わった。

とはいえ、後釜はどうする? 今のカメラを売却なりしたあと、何で記録を残す?

ちょうど我が家には、生後4ヶ月の赤ちゃんがいる。
生後3か月くらいまでは乳児湿疹のせいで肌がぼろぼろだったのだけど、さすがに見かねて皮膚科で薬を処方してもらったら、わずか数日で嘘のようにピカピカ・ツルツルの美肌になり、親バカながら可愛さが一気に増した。

今回、大金を投じてカメラを買う直接の理由づけは、この赤ちゃんの透明感あふれる美肌を、質感そのままに記録へ留めたい、という切実な欲求だった。

スマホでよくね?という現代社会の圧倒的な正論がある一方で、スマホならではの「失敗はないけれど、裏でAIがバキバキに画像補正をかけた嘘くさい塗り絵写真」というのは、撮る側としてどうにも残念な気持ちが残る。

最近のスマホはソフトウェアアップデートがあったのか、昔ほど露骨に「肌が不自然に塗りつぶされる」感じはなくなったものの、それでも一眼が切り出す空気感や立体感の表現には到底及ばないのは相変わらずだ。

スマホではない、本物の画を切り出す別のカメラがいい。


本当は、以前使っていてインターフェースが直感的ではなかったものの画質は気に入っていた、ソニーのサイバーショットRX100シリーズが良いと考えていた。1インチセンサー搭載の高級コンデジだ。
しかし、昨今はコンデジ人気が復活していると言われつつも、市場全体としては絶滅危惧種であることに変わりはなく、現在僕が指名買いしたいと思える後継機種はマーケットにまったく存在しない。

しかも、そのRX100の現行モデル(型落ちを含む)の値段を見ると、驚いたことに18万円近くするではないか。
なんだ、それなら最新の一眼カメラ(ただし本体のみ)を買うのと大して値段が変わらないじゃないか。

さすがに18万円払ってコンデジを買いたいとは思えなかった。小さいのは正義だが、その分落っことして壊すリスクが格段に跳ね上がる。そして沈胴式レンズやポップアップ式のEVFなど、壊れてくれと言わんばかりの作りなので、

富士フイルムの新鋭機を血眼になって探すか、それとも、長年慣れ親しんだシステムをすべて精算し、まったく異なるメーカーへ宗門改めを果たすべきか。

深夜、家族が寝静まり、静寂という名の疎外感が満ちるリビングで、僕は生成AIを相手に、ディベートを繰り返した。
こういうとき、AIは文句を言わない話し相手として非常に気楽だ。
何せ、奴はawaremi-tai.comの過去記事全文をすべてインプットして理解しているので、僕がこれまでどういう過酷な場所に行き、どういう文章を書いてきたかを完全に把握しているからだ。

写真そのものの視覚的な意味は理解していなくても、少なくとも「ブログ記事用に写真を撮るなら、こういう照明や天候のシチュエーションでカメラが酷使される」という文脈はぜんぶわかっている。
それを踏まえて、デジタルな軍師は、僕の財布を破壊するためのあれこれ合理的な提案を画面に出してきたのだった。

(つづく)

コメント

コメント一覧 (1件)

  • シリーズ必見の記事が始まりましたね。確かに「お金なんてものは~」などと偉そうなアドバイスしてしまいましたが、sonyのフルサイズとは結構思いきりましたね。
    はてさてAiからの提案はどのようなものだったのか、そしておかでんさんが厳選したどり着いた機種は!これは目が離せません。
    ちなみに優れたボディを所有してしまうと次なる高品質レンズへの誘いという沼がもれなく待ち構えているのでチウイ。

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