2000年02月20日
【店舗数:---】【そば食:054】
自宅(東京都内某所)
蕎へぎ

いつ買ったものだか、部屋の隅に乾麺のへぎそばが転がっとった。
村人達は、
「自宅でばち楽に蕎麦が作れて食えるんよ!」
「何や、蕎麦って高い食べ物かぁ思いよったが、これじゃと腹が太るまで食いまくれるで!」
と大喜び。
一時期は頻繁に自宅蕎麦を楽しむ日々が続いておったそうな。
雨の日も、風の日も。そこに居るのが当たり前のように、乾麺は部屋の片隅に転がっとった。
しかし、村人たちは日が経つに連れて徐々に乾麺の存在を忘れていった。
それを遠くから見ていた蕎麦の神様は、非常に悲しんだんじゃ。
「一時はあれだけもてはやしておったのに今はこれじゃ。何と人間の心というのは飽きっぽいのじゃろう」と。
そこで、蕎麦の神様は飽きっぽい村人達を懲らしめてやろうと思ったのじゃった。
蕎麦の神様が何事かやっておった次の日。
たまたま近くを通りがかった村人が、なにやら様子がおかしいことに気づいたのじゃった。
「あっ、賞味期限切れとる!」
如何でしたでしょうか。・・・こういう小ネタを持ち出すということは、感の鋭い人なら「ははーん、さてはおかでん書くことが無いな」と気づくでしょう。
その通り。
いや、開き直ってもしょうがないんだけど。
1月下旬頃は乾麺にあれこれ手を伸ばしていたんだけど、徐々にこの手の蕎麦を食べる機会が減っていた。
いつか食べなくては、いつか食べなくてはと思いつつも、ここ最近は乾麺を自宅でゆでて食べるという気にはどうもなれずに放置されっぱなし。
このまま行けば自然災害時の非常食行きか?という事も検討されたが、非常事態の時に麺をゆでる水なんて確保できるわけないだろバーカバーカと己の理性にその浅はかさを激しく叱責され、悶絶しながら断念。
ということで、特段食べたくも無かったがゆでてみた。
そういう悲しい経緯があったからだろう、当時のそば食いメモには食べた日付が記載されているだけ。味のコメントは全く残されていなかった。今これを書いているのは、この蕎麦を食べて1年半が経過した2001年9月。そのときの味を思い出して書け、ッて言われたって書けるわけがないでしょうが。ということで、パス。
まあ、乾麺の批評記事を書いても始まらないということだ。グルメぶって「いやこの蕎麦はネ」なんて蕎麦屋の蕎麦と比較して美味い・まずいと論じるなんて、そもそも噴飯ものだし。
そろそろ乾麺を買ってきて食べるというのはやめる時期に来ているということだな。
ご覧。僕もあの空を飛ぶ白い鳥のように自由に羽ばたくんだ。
・・・ときれいっぽく話をまとめようとしたんだけど、タイピングしていたら
「ご覧。僕もあの空を飛ぶ白い鶏のように・・・」
と誤変換してしまい、激しくなえてしまった。ブロイラーか、俺は。
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