2018年12月31日
【店舗数:—】【そば食:713】
岡山県某所
鴨南蛮
2018年も年末、ということで今年も年越し蕎麦を打つ。
今年、蕎麦を打ったのはゼロ回。つまり、年に一度しか蕎麦を打っていない。前回は、2017年の大晦日だ。
こんな有様じゃ、腕が上達するわけがない。
でも、これを「何かの神事」であり、「年に一度だけやるからこそ、意味がある」と勝手に解釈することに決めた。昔は、少しでも良い蕎麦を打とうと思って蕎麦打ち教室に通ったりしたものだけど、良くも悪くも悟りの境地だ。
「姪」という存在が出てきたのも大きい。姪に蕎麦打ちの一部を任せることにしたので、もう自分自身のクオリティを上げなくて良くなってしまったのだった。僕は「姪に、新しい体験を授ける役」にすぎない。そこにプロフェッショナルな技量は必要とされていない。
そんなシニカルな気持ちになりつつ、つゆの準備を進める。
おかでん家の女性陣がおせちの準備をするので、その合間を縫って台所を使わせてもらうことになる。なので、何時から何時までならコンロを使って良いか、という確認と根回しは大事。
毎年、「とら醤油」のラベルに描かれた虎の絵にびびりつつ、味の調整を行う。
自炊が好きだった僕でさえ、最近は多忙やら外食の増加で自炊がおろそかになっている。だしなんて、出汁パックを鍋に投げ込んでオッケー、という生活だ。そもそも、そんなことをやる機会も減った。
にもかかわらず、年に一度の年越し蕎麦の時だけは、神妙な顔をして昆布とかつお節でだしをひく。
加減なんてわかるわけがない。で、毎年、漫画の1シーンのように、「塩を足して、醤油を足して、味見して首をひねって、水を足して」みたいなことを繰り返すことになる。
悩ましいのが、茹で上がった蕎麦をつゆに投入すると、つゆの味が薄まるということだ。
ちゃんと麺の湯切りはしているつもりなのだけど、それでも味が薄く感じられる。かといって、塩分を強めにすると、単に塩っ辛いだけのつゆになる。
あれこれ足しまくっているうちに、鍋いっぱいのどす黒い液体・・・じゃなかった、つゆができた。もうこれでOK。よくわからんけど。
おそらく、本当はもっともっとかつお節をきかせて、だしの濃さで味の濃さを演出するのだと思う。立ち食い蕎麦屋の換気扇の香りを思い出すといい、あれは相当かつお節臭い。
しかし僕の場合、ついつい「おっ、利尻昆布があるやんけ!使ったろ!」なんていって昆布を多めに使ってしまうので、どうにも味がマイルドになってしまう。それはそれで美味いんだけど、蕎麦独特のキリリと引き締まったつゆにはならない。昆布はちょっと考えものだな。
つゆに見切りをつけ、蕎麦打ちを始める。
今回の蕎麦粉は、安かったこともあって特上のものを用意した。相変わらず、今年も千葉県の古川製粉所から取り寄せたものだ。
捏ね鉢はかれこれ17年くらいは使っている筈だが、そろそろ塗りが一部剥げはじめた。数年後には買い換えになるのかもしれない。
むかしは、「水回しは粉同士がくっつきたがるまで、じっと我慢。人の力で粉同士をくっつけて団子にするのはダメ」と固く信じており、その結果20分くらいひたすらグルグルと捏ね鉢の上で手をかき回していた。ハンドパワーだ。
しかし最近は、適当なところでエーイ、と蕎麦玉を作ってしまうようになった。気が緩みすぎだ。
未だに生地を延ばすとき、「角だし」のやりかたがわからない。
なので、四角い生地にならない。
これでも頑張った方だ。
食卓サイズの都合上、これ以上延ばすのは勘弁して。
卓上から打ち粉がこぼれると、この後の掃除がちょっと面倒になるんだ。
生地を切る。
どうも最近、折りたたんだ時の生地のサイズがおかしいなあ、と不思議に思っている。なにしろ、ウナギかウツボか、というくらい横に長い生地だからだ。プロでもこんな長い生地じゃないだろう?と首をひねっているところ。
蕎麦打ちを全て終えたあとになって気がついた。
ああ、生地を畳む際、「四つ折り」状態にしないといけないのだった。僕はひたすら、二分の一、四分の一と手前に生地を折りたたんでいたので、横幅が長いままなのだった。
年に一度しか蕎麦打ちをしていないと、どこかでこうやって手順を間違える。
1玉(蕎麦粉500g+割粉250g=750g)分の蕎麦ができた。
毎年この蕎麦粉の配合だ。単に、製粉所から送られてくる粉を使い切ろうとするからであって、配合に深い意味はない。なので、毎年「二八蕎麦」ならぬ「三分の二蕎麦」を打っていることになる。
それだったら、特上の蕎麦粉を使う必要はないんじゃないか?・・・と、今気がついた。来年から考え直そう。
どうにも麺がきれいに切れないので首をひねっていた。1年ぶりだからとしても、あまりにひどい。
なんで包丁がいうことをきかないのだろう?と思ったら、原因はまな板にあった。薄手のものだったので、若干反っくり返っていて、包丁が生地にまんべんなく当たらない状態だったからだ。
良い子のみんな!蕎麦打ちをする時は、まな板にも気をつけよう!
というわけで、ここから良い子代表として姪にバトンタッチ。
僕としては、手伝ってもらうからには一通り蕎麦打ちがこなせるようになって欲しい。仲良く手を取り合って、というのではなく、年越し蕎麦打ちは姪たちの役割、ということにしたい。
そういうことを意識しつつ、レクチャーしていく。
さすが子供は吸収力が違うなあ、と驚かされるのは、教えたことをすぐに吸収し、手を動かす実践に活かせる。
あと、さすがに昨年教えたことは覚えていないけど、もう一度教えると「ああ、なるほど」とすぐに理解する。
体重と身長がない分、生地を延ばすのに苦労をしていた。
のし棒に生地を巻き付けて生地を手前に引き寄せたり向きを変えたり、という技術は教えなかった。まだちょっと早いと思うし、いざ教えようにも、僕自身がちゃんと理解できていない技術だからだ。
生地を切ってもらう。テンポ良く切る、ということを体得してもらう。
残り1/3のところで、興味津々で様子を見ていた下の姪にもやってもらう。下の姪の指導は、上の姪だ。
そんなわけで、二世代共作の、2018年版年越し蕎麦が打ち終わった。
上の方が僕の作成で、下が姪。特に左下はまだ幼稚園に通っている姪によるものなので、明らかに太い。
日が暮れて夕食時。
蕎麦の準備、万端。
- ぬるい蕎麦を出さないように。
- うすいつゆにならないように。
- 折角の鴨肉なのだから、ちゃんとその旨みがつゆに染み出ているように。
そういうことを気にしつつ、用意している。
そんなこんなで、鴨南蛮のできあがり。
味はまあまあ、といったところ。
姪は、余った生地をこねて団子にしたものや四隅の余った部分の生地を食べてご満悦だった。おいしくはない、と言っていたけど。
あと数年で、完全に姪たちに蕎麦打ちは任せて、僕は年越し蕎麦から引退しようと思っている。しかしその「数年」の間に、姪たちが「もう蕎麦打ちは飽きた」って言い出すかもしれないので、かなり不確定な計画ではある。
(つづく)
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