機材有効活用合宿
日 時:1994年(平成6年) 9月22日~24日(2泊3日)
場 所:埼玉県飯能市入間川河川敷 通称「飯能河原」
参 加:おかでん、ばばろあ、けじん(以上3名)
この年、飯能河原の合宿2回、そして佐渡島の夏季強化合宿を実施したアワレみ隊。
「せっかく買ったキャンプ用品、使わないと損」
ということで第三回目の飯能河原天幕合宿を行うことになった。
さすがに愛知や広島から隊員を招集することはできず、関東勢だけでの開催。
そのかわり今回はニューカマー登場。その名を「けじん」という。彼もその他アワレみ隊メンバー同様、中学高校と一緒の釜の飯を食べてきた仲間。しかし、アワレみ隊(およびその前進である映画サークル「主よ、アワレみ給へ・・・」)のメンバーではなかった。
けじんは登山部出身ということもあり、天幕合宿には強い機動力を発揮してくれると期待された。重い荷物を運ぶのは慣れているだろうし、ガソリンストーブやランタンの扱いも慣れているだろう。スタンディングオベーションで彼は迎え入れられた。
1994年09月22日(木) 1日目
9月22日午前、おかでん家に三々五々終結。そこで荷造りを行った。
飯能河原という近場での合宿だとはいえ、離島遠征するときと荷物に大差はない。もっとも、既に「買ったはいいけどたぶんこれ使わないよね」というものがぼちぼち出始めていて(巨大な鉄板とか)、そういったものは今後いくつかの合宿を経てそぎ落とされていった。
というわけで、結局は大荷物なわけだ。人間3名で、荷物を輸送できるのは右手と左手、そして背中。たったこれだけ。効率よくパッキングしなければならない。
以前、ちぇるのぶにやかんの運搬を任せたら、やかんの中に己がパンツを詰め込み、一同から激しい糾弾を浴びせられたことがある。ちぇるのぶ曰く、「(ザックの中の)場所をできるだけ空けようとしたらこうなったんよ。洗っとるけえ大丈夫」とのことだったが、とはいえ飲料水を入れるやかんにパンツというのはあんまりだ。ぎゅうぎゅう詰めに荷物をまとめるとはいえ、やっていいことと悪いことがある。
そんな葛藤もえんやこらと乗り越えて、3人がかりで格闘することしばし、荷造り完了。各自のザックには鍋釜が格納され、両手にはテントやらフライパンやらシートやらがいっぱい。がっちりとした厚手のトートバッグがあるのでなんとかなっているが、買い物袋で荷物を運んでいたら、途中で底が抜けて荷物が転がり出すところ。
飯能河原到着。早速テント設営に取り掛かる。
飯能河原はほぼ平らな場所なので、神島の時のように「寝ているうちにずるずると体が片一方に転がっていく」ことはない。その点テント設営場所は無数にある。
ただ、われわれは河原の隅っこ、人がなかなか来ない場所を陣取るのが常習となっている。飯能河原のメイン会場たる場所からは直線距離で300mくらい下流、トイレも何もない。男性のみで構成されるアワレみ隊だからこそできる技で、今後アワレみ隊に女性隊員が加わったらなかなかここでは難しいと思う。なにせ、お手洗いに行くのに遠路はるばる歩いていかなければならないから。
テントの設営のあと、(1)食材買い出し (2)水の汲み取り (3)ガソリン調達 (4)薪の調達
を各自手分けして行う。
食材買い出しは飯能駅の近く、飯能河原から徒歩10分程度のところに大きなスーパーがあるのでそこで買い物をする。買うといっても、せいぜい学生の買い物。「野外調理だから、牛肉の塊を豪快にあぶろう!」などと金をかけたことはできない。あくまでも質素だ。
(2)の水くみは、なにげに面倒。20リットル入るポリ容器に水を入れてくるのだが、お手洗いが遠いということは水場も遠いということ。途中急な階段を上って崖の上に行き、橋を渡って、対岸に下りて・・・と面倒ったらありゃしない。しかも、ポリ容器がグニャグニャした「未使用時には折りたためます」型なので、安定感もない。川を渡渉できれば近いのだが、渡渉できるほど浅い川ではないので、無理。
(3)のガソリン調達は、ランタンやストーブ用にガソリンを使うために必要。1リットルのガソリンボトルを両手にひっさげ、ガソリンスタンドで給油してくる。楽な作業ではあるが、ガソリンスタンドは普段1リットル程度の給油なんてやったことがないので、非常に奇異な目で見られることになる。過激派と間違えられて、警察に通報されてもおかしくない。火炎瓶でも作るんじゃないか、と疑われそうだ。
(4)の薪だが、飯能河原のメイン会場脇では日帰りバーベキュー客向けに薪や炭の販売および鉄板のレンタルなどを扱っているので、そこから調達。両脇に薪を抱えてテントまで持って帰っても、そのあとナタで細分化させなければ使えなかった。だからトータルでは結構な労働力を要した。
もろもろの準備が終わったところで食事の支度。このころになると雨が振ってきたので、テントの庇を伸ばしてその下で調理を続行。
当時のルールとして、「調理は基本的に焚き木を使う。雨が降った場合に限り、ガソリンストーブの使用を認める。」というものがあった。椎名誠の「怪しい探検隊」に端を発した集団なので、薪燃料に対する信頼感と信奉心はガソリンの比ではなかった。
昼下がりになってようやくできた初日昼ごはん。
釜揚げうどん。薬味として長ねぎ、トッピングとしてちくわをどうぞ。
つゆは市販の濃縮つゆを水で薄めたものであり、いたってシンプル。
釜揚げうどんはそうめんと違ってでろんでろんにならないので、その点安心だ。
昼食が終わったら、一同手にのこぎりやナタを手に、買ってきた薪をバラバラにばらす作業に没頭。その傍らで夕食の準備も開始。
天気がよくないので屋外での食事は無理だった。テント内での食事。
当時はタープだのディレクターズチェアなどは持っていなかったし、むしろ悪魔の装備だと嫌悪していたくらいだった。だから、基本屋外では「地べたに座り込む」スタイルだったので、雨が降ったら居場所がテント内に限られてしまうのだった。お尻が濡れるのはさすがにいやだ。
この日の食事は、シチュー鍋とご飯。お相撲さんがちゃんこ食べるのに使うような大きな鍋にたっぷりと作られたシチュー。これ、本当にたくさんシチューをこしらえたというわけではなく、水増しされたもの。そうでないと計算があわない。
テントの中で食事。
屋外の食事も楽しいが、テント内で食事をするのは、それはそれで楽しいものだ。ランタンの強い灯りと熱がテント内に拡散し、テンションがあがる。
テンションアップのお供は、ビールで。冷えたビールを手に入れるために、食事がもうそろそろでき上がりそうだというタイミングでビール専用買い出し班が出動。
写真を見ると、今じゃほとんどみかけなくなった2リットル樽が写りこんでいる。500ミリリットル缶を4本買うよりも割高になってしまうという「スケールメリット」皆無な樽ビール。でも、「豪快に飲むぞ!」というときにはこういうずっしりと重い缶がうれしい。
1994年09月23日(金) 2日目
2日目朝。
9月なので、寝苦しいということはなかった。また、寝ている間に誰かを蹴とばしたなどということもなく、平穏な朝。
朝起きたらまずやることは、薪に火をつけること。これがないと始まらない。一人が火をつける間、残りの人は昨晩使った調理器具や食器を洗う。「食べ終わったらすぐに洗浄」とはせず、翌日に持ち越すあたりが怠惰な感じで良い。
朝食は何か炊き込みご飯らしきものと具だくさんの味噌汁らしきものを作ったらしい。詳細な記録は今となっては残っていない。当時は、食事のたびにに料理名とその料理を作った人によるプレゼンをメモにしたためていたのだが、現存せず。ただ、料理の写真を撮るということにはあまりこだわりはなかったようだ。写真の撮り方が雑。
写真といえば、この写真は右半分の絵が乱れている。これは、写ルンですで撮影しており、そのときフィルムがうまく巻けていなかったから。二重露光してしまったというわけ。「フィルムを手動で巻く」なんて、今の人じゃ理解不能な概念だと思う。
朝食の片づけを済ませたら、しばし暇になる。ここぞとばかりに、各自林の中に分け入り、この日の夜に行うキャンプファイヤーに向けて焚き木を探して回った。
小一時間も探して回れば、それなりに太いやつ細いやつよりどりみどりに手に入り、それをテントサイトに持ち帰ったらあとはのこぎりとなたでばっさばっさと切り刻んでいった。
この薪拾い+細分化の作業においてけじん大活躍。さすが元登山部、と全然関係ないことで感心してみる。
ペットボトルのジュースを冷やしておこうと、荒縄に括り付けて川に沈めたところ。川に沈めたところで大して冷えることはなかったが、こういうのは風情を楽しむものだ。井戸にスイカ冷やすように冷えなくても、許す。
・・・と、ここで写真は切れている。フィルム切れか、それとも写真が紛失したのかは今となってはわからない。
コメント