高野山奥の院お礼詣で

回れども回れども悟れない

日 時:2002年(平成14年) 04月07日
場 所:高野山金剛峯寺
参 加:おかでん、しぶちょお(以上3名)

雨にたたられながらも、何ともジャストタイミングで予定通り結願した四国八十八箇所巡り。車遍路ならではの、「一日中お経を唱え続ける」行為がとても心地よく、無心に読経できた日々がなつかしい。

ゴールデンウィーク明け初日に職場に顔を出したら、部長から「あちゃー」と言われた。「おかでん君ならやりかねないと思っていたけど、まさか本当にやるとは。事前に分かっていればストップをかけていたんだけどねえ」だって。営業職なので、丸坊主というのは接客上どうよというわけだ。おかでんの坊主顔は人相悪いし。

実際、お客さんのところに顔を出したら「あれっ、おかでんさん何かトラブりました?謝罪に来たんですか?」と会う人全てにからかわれた。坊主=謝罪ということか。いや、何もやましい事はしていません、なぜならば当社が提供するソリューションは完璧だからです、なんて言ってついでにセールストークを展開。

それから約1年。「良い経験をした。」という思いは新鮮なままだったが、まだ一つやり残した事がある。高野山金剛峯寺の奥の院に「お礼詣で」をする、というイベントだ。これは、四国八十八箇所を無事巡れた事を感謝し、真言宗総本山の一つである高野山詣でをするというものだ。八十八箇所巡礼においては必須事項ではないが、やると「締めくくり」としてとても塩梅がよろしい、というわけだ。

今回、京都に行く用事があったので、そのついでといっては大変に失礼だが「ならば足を伸ばして高野山詣でも日程に組み込もう」と決めた。当時の遍路メンバーに声をかけたところ、八十八箇所を初日から共に拝みきったばばろあとしぶちょおが挙手してくれたので、3名で参拝することとなった。

電車

当日朝、当時は兵庫県に住んでいたばばろあと新今宮で待ち合わせ。一緒に南海電鉄に乗る。しぶちょおは愛知からアワレみカーで高野山入りだ。わざわざ半日イベントのために、和歌山の山中まで車を繰り出すそのガッツにはつくづく感服する。

ちなみにおかでんは前日京都泊。どーでも良い話だが、本願寺に勤めている知人と会っていた。浄土真宗の翌日は真言宗か。なかなか因縁浅からぬ2日間だな。

もっとどーでも良い話だが、その本願寺の人と会っていた場所が伏見稲荷。神社かい。真宗、真言宗、神道とややこしいな。

新今宮から電車で約1時間、橋本という駅が終着。ここから極楽橋というなんともありがたい駅に向かう電車に乗り換える。車両編成は短くなり、8両編成から4両編成になった。

高野山ケーブル

極楽橋についたら即極楽に昇天できるわけではなく、ここから高野山ケーブルというケーブルカーに乗り換えだ。高野山はその名前の通り「山」。数々の伽藍が山の上にある。鉄道でひょいひょいと登れるようなものではないということだ。関東の人からすれば、「箱根に行くのに、強羅からケーブルカーに乗り換える」というのと同じ感覚。

おっと、ただいま入った情報によりますと、高野山という名前の山は無いそうです。あの一帯の山を総称して「高野山」と呼ぶそうだ。あと、山中にある寺院の数は117。一つの宗教都市を形成している。標高1,000m近い山中にいったいなんちゅーものをこしらえてるんだ。

高野山駅

高野山駅に到着。霊地の駅として、五重塔が建っているとか瓦葺きの屋根だったら面白いのだが、と思っていたが、さすがにそこまでコテコテにはしてなかった。外はあいにくの雨。やはり標高が高いので、天気が崩れやすいのだろう。

ケーブルカーを降りたら即そこが金剛峯寺でーす、お寺がたくさんならんでまーす、というわけではない。お寺密集ゾーンから結構離れた所に高野山駅はある。これは地形上の問題なのか、それとも聖域である一帯までずかずかとケーブルカーが入るのはいかんという判断が働いたからなのかは不明。

高野山駅前のバス

では参拝客・観光客はどうするのかというと、ここからバスに乗り換えることになる。はるかなり金剛峯寺。

しかも、何しろ117の寺院がある山域だ。とてもじゃないが「金剛峯寺行き」程度で済むわけがない。驚いたことに、この山中にもかかわずバスは3路線走っていた。

しぶちょおとは「金剛峯寺の前で会おう。」という事になっていたので、われわれは金剛峯寺を目指す。ちなみに、今回の目的地である「奥の院」は金剛峯寺からこれまた結構離れたところにある。合流後、アワレみカーで奥の院そばまで移動する予定。

金剛峯寺

集合場所である金剛峯寺に到着。「総本山」と書かれている石門が神々しい。あ、仏教で「神々しい」という表現は変か。

「全ての巡路は高野山に通じる、って感じだな」

と感慨ひとしお。

おかでんは既にバスの中で白衣に着替え臨戦モード。いや、戦うつもりはないですけど。いわゆる勝負服。良かった、カビていなくてよかった。さんざん雨にたたられたからなあ。その後ロクにメンテナンスしないまま1年近く放置していたから、正直少し心配だったんだ。

ばばろあもこの後白衣を装着。

本来お礼詣では「奥の院」に対して行うものであり、金剛峯寺の本堂に対して行うものではない。だから、ここで白衣を着用する必然性は全くない。でも、気分ってやつですよ。

金剛峯寺入り口

しぶちょおと無事合流し、金剛峯寺へ。

今回は「参拝」ではなく「拝観」となる。よって、お寺の中にずずずいと入れまーす。でも拝観料500円もかかりまーす。

金剛峯寺の中

さすがに真言宗総本山だけあって立派な建物だ。「へぇー」ではなく「うへぇ」と言いながら、拝観して回る。

蟠龍庭

庭はもの凄く立派。「蟠龍庭」と言うらしく、日本最大の石庭だという。石庭?・・・あ、なるほど、地面が土ではなく石だ。禅寺で見かけるやつだな。ちゃんと波状に整地されていて、ぴしっと折り目正しい。

これだけ広い庭の石を整備するって並大抵の努力じゃないぞ。お坊さんが「これも修行のうち」といって片手間(修行だから片手間、とは言わないけど)にできる広さではない。しかも、「これでも食らえ」的に石庭の上には覆い被さるように桜ともみじの木が。春は桜の花びらが散り、秋には葉っぱが散る。その都度、石から一枚一枚拾い上げていかないといけない。

苦行だ。荒行だ。

労苦が偲ばれます。でも、そのような膨大なメンテナンスができるのも総本山金剛峯寺だから、なのだろうか。

胎蔵界曼荼羅・金剛界曼荼羅

新別殿には弘法大師の掛け軸と、胎蔵界曼荼羅・金剛界曼荼羅が並んで飾ってあった。

「南無大師遍上金剛」と唱えておく。

それにしてもこの新別殿が広い。昭和59年に、多数の参詣者を接待するために作られた鉄筋コンクリートの建物。169畳の大広間ということで、ひょっとしたらおかでん人生で最大規模の畳の間を見たかも知れぬ。ここで、お茶の接待を受けた。

新しいので、このお寺のあちこちにあるような狩野派の絵だとかなんだとといったお宝はない。

時には、お坊さんの法話が聞けることもあるというが、この時間帯にはいらっしゃらなかった。なるほど、弘法大師の掛け軸の前にスピーチ用机があるのが不思議だったが、そういうことか。

用便時の偈並に真言

お手洗いの壁に、「用便時の偈並に真言」という張り紙がしてあった。

用を足すときにこの言葉を唱えよ、ということか。何か御利益あるのだろうか。いや、その発想は卑しいな、何でも宗教的行事を御利益に結びつけてはいかん。とにかく、なんだかわからんが「ありがたいもの」なんであると勝手に理解して、用を足しながら唱えてみる。

「ん?用を足す前に唱えるのか?」

これ、結構長いぞ。用を足し終わった後も唱え続けてるのって、なんだかちょっと間抜けな光景に見えそうだ。

喝!

そのような「外見」に拘ってはならぬ!無心で唱えよ!

へへー。

と、思ったが、字が読めないんですけど。「益」に「蜀」が合体した漢字、こんなの産まれて初めて見ました。普通、知らない漢字でも読み方はなんとなーく類似させることはできる。似た漢字と発音が同じ事が多いからだ。しかし、これは似た漢字が日本には存在せぬ!・・・いや、ここに記載されているんだから存在してるのか。

仕方がないので、用を足している間はこの「偈」とやらを睨み付けて、目で唱えたことにした。

そして、真言。「オン、クロダノウ、ウンジャク」を3回。ううむ、なんだか残尿感があるなあ。

台所

おくどさん

金剛峯寺の台所。お寺の台所だから、仏教用語で独特な表現があるかと思ったが、単に「台所」で良いようだ。

黒光りした柱。大きなおくどさん。そもそも、「システムキッチン」に見慣れているわれわれとしてはこの広々とした空間が不思議で仕方がない。一体何に使っていたのか、と。小市民的な発想だな。食材が山積みされていたり、厨房を任された僧侶がひしめいていたに決まっているじゃないか。食事作りは時間との勝負。無駄に台所を広くしたとは思えない。これだけの広さには理由があったのだろう。

生け花や新しい金だらいが置いてあったので、いまだにこの台所は使っているようだ。でも、和歌山県の指定文化財なので取扱注意だな。お昼ご飯はどうしているんだろう?昼前にここを訪れたら、食事準備中の様子を見ることができるのだろうか。

流しのすぐ脇に、上の階に通じるはしご段がかけられていた。食料保存庫が上にあるらしい。ぜひ昇ってくれといわんばかりのポジションなので、「よーしよーし」と意気込んだが、無情にもはしごには「上ること禁止」の札が。まあ、そりゃそうだな。

鳥居付き神棚

台所の柱には、鳥居付き神棚。そしてお札がいくつも並べられていた。

やはりお寺とはいえ、台所には神様がおわすんだなあ。神仏習合が江戸時代まであったとはいえ、まさかお寺の中で神棚を拝見するとは思わなかった。お寺の横に神社が、というのはよく見かけるが、お寺の中に神様。

その神棚の前には、やたらとでかい釜が3つ並んでいる。でかすぎて、釜に見えない。何か工業加工される前の金属の塊のようだ。

これが「二石釜」と呼ばれるものだそうで、1つの釜で7斗のご飯が炊けるんだと解説札には記されている。7斗?ええと、10合が1升で、10升が1斗か。ということは、700合炊き!すげぇ!それが3つもあるわけで、これ全部で280kg、2,000人前のご飯が炊けるそうだ。被災地派遣されている自衛隊炊き出し部隊もびっくりだ。

一体どういうシチュエーションにおいて2,000人分ものお米を炊くというのか。昔は大勢の参詣客にご飯を接待していたのかなあ。まさか金剛峯寺が「高野山全寺の給食センター」になっていて、ここから食事を運んでいたわけではあるまい。

新明和工業慰霊碑

今回の目的地、奥の院を目指す。金剛峯寺をはじめとするお寺密集ゾーンとは少し離れており、歩いていくにはちょっと難儀。しぶちょおのアワレみカーで移動する。最後まで車遍路なわれわれであった。

中の橋駐車場に車を停め、そこから約2キロを歩く。道中、いたるところに供養塔や慰霊碑が建っていて、しかも「高野山にせっかく建立するのだから」と気合いが入った造りをしていて飽きさせない。いや、飽きさせない・・・・なんて言ったら、お亡くなりになった方に失礼かもしれないけどお許しを。

写真は、新明和工業という会社の慰霊碑。ロケットが建てられている。その近代的デザインとシルバーに輝く色合いが周囲と比べて異彩を放つ。この企業については残念ながら全く知らないのだが、ロケットをの部品を納入している会社なのだろう。

日産の慰霊碑

日産の慰霊碑。今度はプロレタリアート!共産主義万歳!といった風情の直立不動ブロンズ像が二体。その足下には相当古い車のものだと思われるハンドルが飾られてあった。

なるほど、企業は労災で亡くなった従業員のためにこのような慰霊碑を作るのだな。工場敷地内ではなく、敢えて高野山の奥の院参道を選ぶところに強い意志を感じる。

上島珈琲の慰霊碑

こんなものもあった。

今にも湯気が出てきそうなコーヒーカップ。

土台を見ると、「UCC上島珈琲株式会社」だって。なるほど。

これも従業員の慰霊碑?UCCの場合、職業柄あまり従業員の死傷事故は少ないと思うんだが、それはコーヒー業界を知らないが故の浅はかな考えだろうか。

いずれにせよ、高野山側としては慰霊碑のデザインについて特に規制をかけていない事は良く分かった。「いやー、当山は歴史と伝統がありますので、あまり斬新なデザインはご遠慮願いたいのですが」と言いそうなものだけどな。

豊臣家墓所

と、思ったら、ちゃんと「歴史と伝統」があるものもたくさんある。

写真は豊臣家墓所。知らなかった、豊臣家って高野山にて永眠していたのか。

織田信長墓所

おー、豊臣家だと感心していたら、今度はこちら、織田信長墓所発見。おおー。

写真を撮っていたら、ばばろあから「あんまり人の墓を撮影せんほうがええんじゃないか?変なもん写っとっても困るじゃろ」と言われた。確かにあまり行儀の良い行いじゃないな。以降、様々な著名人の墓所に遭遇したが、写真撮影はやめておいた。

どうしてこうも「知ってる人」の墓が多いのかと思ったら、戦国武将の約6割が高野山に墓所を持っているんだという。えええ、そんなに多いんか。

戦国武将がこぞって真言宗信徒だったとは考えられないので、恐らく「高野山にお墓を作る」のが当時のステイタスだったんだろうな。何を信じているかはともかくとして、高野山にお墓。実際、このお墓に納骨されているものは僅かではないか?「織田信長の墓」といったって、焼けた本能寺から織田信長の遺骨を拾い上げて、ここに納骨したんなんていう史実は聞いたことがない。

水向地蔵

水向地蔵があったので、水をかけてみる。

水を顔にぶっかけられて、大抵の人は「てめぇこの野郎」となるわけだが、このお地蔵様の場合は「なかなか見どころがあるのぅ、で、汝の望みは何じゃ?」とかなえてくれるというんだから大したもんだ。

思いっきり顔に水をかけてみる。御利益があるといいな。

なんだか背徳感を覚える願掛けだ。

玉川

奥の院手前で、玉川という川を渡らないといけない。

そこには「御廟橋」という橋がかかっており、欄干脇には注意書きがあった。

これより先 注意

一、禁煙
一、写真撮影禁止
一、飲食の禁止
一、浴衣、丹前、肌着等でのご参詣の禁止

ありゃ。撮影禁止なのか。いまだにこのような厳しい場所があったとは。

奥の院手前で撮影

というわけで、本日のメインイベントである奥の院詣での写真は無し。かわりに、御廟橋前での記念撮影にてこの項を終わりにする。

このあと、弘法大師様に対して「無事結願しました」報告を実施し、解散となった。おかでんは関空から羽田へ。