アワレみ隊お遍路チャレンジ2001
日 時:2001年(平成13年) 04月28日~05月04日
場 所:四国八十八カ所
参 加:おかでん、ジーニアス、しぶちょお、ちぇるのぶ、ばばろあ(以上5名)
四国八十八カ所。弘法大師ゆかりの地を巡る巡礼の旅だ。ある人は病気根治を願って、ある人は極楽浄土へと旅立てるよう、祈りを捧げる。その八十八カ所は四国全土にまんべんなく位置しており、八十八カ所巡りとはすなわち四国一周と等しい。
昔から人々はお大師様の御利益を得ようと、白装束で八十八カ所を踏破してきた。白装束なのは、「いつ行き倒れて死んでも良いように」という説がある。徒歩で約1カ月半前後を要する長丁場だ。
最近は「日帰りツアー」や「1県だけを集中的に巡る」といったバス団体旅行もあるという。また、徒歩遍路だけではなく、自転車遍路、自動車遍路といった手段の多様化がみられる。
1カ月半もかけて歩き通すのは並大抵の事ではない。体調の問題もあるし、休暇がそれだけ取れる事は普通ないからだ。だから、分割して、少しずつ先へと進む人が多い(これを区切り打ち、という)。
お遍路については基礎知識が必要なので、興味がある方はここから先に読み進める前にネットなどで調べて欲しい。この場で素人であるおかでんが書くよりも、より分かりやすく正しい情報がたくさんある。
参考サイトとしていくつか挙げておく。
お遍路のススメ
//www.maenaem.com/henro/henro.htm
※札所の地図も載っているのでお奨め。簡単に遍路について知りたいならこのサイトが良い。
wikipedia:四国八十八箇所
//ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%9B%BD%E5%85%AB%E5%8D%81%E5%85%AB%E7%AE%87%E6%89%80
掬水へんろ道
https://www.kushima.com/henro/
さて我らがアワレみ隊だが、2001年のゴールデンウィークに何をしようか、という話になり、結局「6泊7日で四国お遍路を巡る旅」を決行することになった。しぶちょおのアワレみカーによる車遍路。
一般的に車遍路の場合、10日程度を要するということなのでちょっと強行軍になる。ありがたみもへったくれも無い、と歩き遍路の人に言われそうだが、これもまた遍路。結局は個人が何を感じ、それを実生活に持ち帰るかが重要であって、手段は問題ではないと思う。
お遍路は徳島県からスタートし、時計回りに高知県、愛媛県と周り香川県で終わる。というわけで、7日目夜に香川県の宿を確保し、8日目はさぬきうどんの食べ歩きを行う事にした。もちろんさぬきうどんを食べる気満々ではあるが、1日分行程に予備を設けておいたという背景もある。
何しろ、四国一周だ。一体どれだけ時間がかかるか想像がつかない。全行程1,300kmあるわけだが、巡礼地が山中にあったり岬の先端にあったり、ペース配分がわからない。純粋に7日で全札所を巡礼するとした場合、88÷7となり、一日13寺をお参りしなければならない計算になる。1時間に1寺参詣できたとしても、一日で13時間だ。中には、足摺岬の先端にある金剛福寺のように前と次の札所までが各90km近く離れている場所がある。それを踏まえると1時間に1寺、というのはなかなか難しい。実際達成できるかどうか、やってみないとわからない、というのが実情だ。
とにかく、行くと決めたからには行けるところまで行くしかあるまい。
おかでんは、1カ月以上も前からDTPソフトを使って「お遍路の基礎知識」から始まって「巡礼地の詳細情報」までを記した100ページ強の冊子を作った。遍路に対して正しく参加者が知識を持っていないと始まらない、と思ったからだ。たとえば仲間内で「お寺でお辞儀するだけでいいだろ、本格的にお経を唱えなくても問題なかろう」などと当日になって議論が始まると始末に負えない。
制作に1カ月を要した超大作だが、残念ながらあちこちのサイトから切り貼りして体裁を整えたものであり、この場では公開できない。著作権の問題があるので。
さらに、この企画のために「アワレみ隊お遍路チャレンジ2001」と記され、四国八十八カ所の地図がプリントされたTシャツを作った。さらに、あわせてアワレみ隊ブルゾンも作った。これはお遍路と関係ないが、勢いだ。
とどめに、出発前日に理髪店に行き「丸坊主にしてください」。
さすがに店主はバリカンをばっさりと髪に入れる際、「・・・ホントにやっちゃって、いいの?」と念をおしてきたが、こちらは本気だ。「ええ、ばっさりとやっちゃってください」とお願いし、本当に坊主頭になってしまった。
今回は、6泊7日全てをテント泊で過ごす予定となっている。テントはアワレみカーに積まれているので、鍋やガスストーブはおかでんが持参。衣類などは極力少なくし、荷物をパッキングしていざ出発。
2001年04月28日(土曜日) 第1日目


朝、各地に散らばるメンバーが徳島を目指す。愛知のしぶちょおはアワレみカーを早朝から走らせはじめ、神戸に居住するばばろあをピックアップ。その後明石大橋を渡って徳島入り。
おかでんは飛行機で羽田空港から徳島空港入り。飛行機の中は既に白衣を着た人が多数乗り合わせていた。ゴールデンウィークに札所をたくさん回ろうと意気込んでいる人だと思われる。「こっちも頑張らないとな」とあらためて気合いが入る。
3人の合流地点は徳島空港の到着ロビー。
・・・のはずだったが、おかでんからは二人の姿がよく見えているのに、二人は全く気付かない。目と目があっても気がつかなかったくらいだ。まさか坊主頭になっているとは想像していなかったらしい。こちらから声をかけて、ようやく「あれっ」と気がついてもらえた。

アワレみ隊メンバー3名集結。
この後、3日目にちぇるのぶが、7日目にジーニアスが合流することになっている。
おかでんの坊主姿が初々しい。
車はまず一番札所である竺和山霊山寺(りょうぜんじ)に到着。ここはお遍路のスタート地点ということで、いろいろな「遍路グッズ」が売られている。われわれもこの地で様々なものを買いそろえていった。

遍路道具についてはこちらのサイトが写真入りでわかりやすい。この後のここでの話の展開上、ぜひ一読を勧める。
お遍路さんの道具と服装
//www.maenaem.com/henro/too.htm
おかでんは菅笠、金剛杖、白衣、輪袈裟、納札、経本、ろうそく、線香、巡拝袋を購入。白衣は、ズボンまでは購入せず上着だけにとどめた。しぶちょおとばばろあはこれらのうち巡拝袋と菅笠を省略した。
本来であれば「納経帳」が巡礼に必要となる。この地にてお経を納めました(唱えました)、という証拠になるもので、スタンプラリー台帳のようなものだ。八十八カ所全ての黒書と朱印が印されている納経帳はそれだけで御利益があるとされ、人によっては掛け軸にして飾るくらい重要なものという。
しかし、今回アワレみ隊ではばっさりと納経帳を省いた。なぜか。納経所にて黒書と朱印を拝領するためには数百円のお布施が必要であり、88カ所全てに奉納すると相当な出費になるというケチな発想が一つ。あと、札所にバス団体巡礼客が訪れている時などは、納経所で相当待たされる事があるという話を聞いたからだ。時間との闘いでもある今回の企画で、「順番待ち」などしていられない。
そんな事で納経帳を用意しないなんて、遍路巡礼者の風上にもおけねぇ、と思う人は当然いるだろう。しかしわれわれはあくまでもわれわれなりの「遍路」を行うのであって、それで問題はないと思う。100人いれば100通りの遍路があり、到達点があって当然。われわれは、たまたま「6泊7日で八十八カ所を巡ろう」というだけのことだ。
ただ、そうはいっても全くお遍路の流儀に則らないと意味がないので、各札所ではちゃんと儀式に則ってお経はあげるし、ろうそく、線香、納札の奉納もするつもりだ。そこは時間がさし迫ってきても、きっちりやろうと思っている。
おかでんとしては、間に合わなければ間に合わないで良い、とさえ考えていた。それもまたアワレみ隊企画。最初からハードルは高い方が楽しいしやりがいがある。
[一番札所 竺和山霊山寺(じくわさんりょうぜんじ) 鳴門市大麻町]

各自が各自なりにそろえた装備を仕込み、一番札所霊山寺に見参。
お遍路ではよく
「発心の徳島」
「修行の高知」
「菩提の愛媛」
「涅槃の香川」
といわれる。まずは「発心」をしなければ。

本堂前でろうそくをあげる。
お遍路をする際の作法は、以下のサイトで順を追って写真入りで説明されており、わかりやすい。
遍路参拝の作法
//www.maenaem.com/henro/san.htm
われわれは上記サイトの作法にほぼ準拠して参拝を行った。省略したのは、鐘楼と納経所。納経所は納経帳を用意していないので当然の省略だし、鐘楼は一般公開しているお寺が少なかったからだ。確かに、参拝客が溢れている状況において、全員が鐘をついたら一日中ゴンゴン音がして周囲の迷惑だ。
納札は「アワレみ隊」名義で3人で1枚だけ納めることにした。
お経の唱え方は以下の手順で行う。
- 合掌礼拝する
- 開経渇(かいきょうげ)を唱える
- 般若心経を唱える
- ご本尊(札所ごとに異なる)の真言を三回唱える<注:大師堂では省略>
- 光明真言を三回唱える
- 大師宝号を三回唱える
- 廻向文(えこうもん)を唱える
- 合掌する
これを仏様が祀られている本堂と、弘法大師が祀られている大師堂で行う。すなわち、1つの札所で2セットのお祈り儀式を行うことになる。
般若心経は、わずか300文字足らずに大乗仏教の全てが盛り込まれているとされ、真言宗以外の宗派でも使われるもっとも有名なお経だ。しかし、漢字の羅列であり読み方がとても難しい。売られているお経を見比べてみたが、本によって息継ぎポイントやページをめくるタイミングが異なるため、どう唱えればもっともらしいのかさっぱりわからないし混乱する。実際、おかでんは遍路の途中でお経を取り替えたのだが、しばらくはそれまで慣れていたものと読み方が異なりものすごく難儀した。お堂で巡礼者が般若心経を唱えているのを聞いても、人によってそれぞれアクセントや区切り、テンポがまったく違っていた。一糸乱れず流暢に唱えている集団にも時々出会ったが、大抵指導者的な位置づけの人がいるので、「○○講」のようなものなのかもしれない。
真言、というのがまたむつかしい。般若心経などの一般的なお経は、「インドから中国に伝わって漢字変換されたお経が日本に伝来、日本の音読みで読経」というスタイルをとるが、真言はその名の通り「まことのことば」。音を大切にしており、梵語をそのまま音写している。だから、なんの意味だかさっぱりわからない。よくわからないが、とにかくありがたい言葉だということらしい。
おかでん自身、真言宗の信徒ということになってはいるが、特に深く考えてお経を仏前であげたことはない。お坊さんに聞いたこともない。聞いたら逆にお坊さんが困っちゃうんじゃないか、と余計な心配をしてしまう。
ちなみに、札所で一番多いご本尊は薬師如来だ。やはり、病気治癒というのが今も昔も変わらぬ願望なのだろう。その薬師如来の真言は「おんころころせんだりまとうぎそわか」となる。つまり、薬師如来がご本尊である札所では、本堂でこの真言を3回唱える。
まだ薬師如来はわかりやすいほうで、難しいのになると虚空蔵菩薩の「のうぼうあきゃしゃきゃらばやおんありきゃまりぼりそわか」とか、不動明王の「のうまくさんまんだばーざらだせんだまかろしゃだそわたやうんたらたかんまん」などがある。いやぁありがたいなぁ。でも、ありがたくなる前に舌を噛みそうだ。
その他のお経については説明が長くなるのでばっさり割愛。興味がある人は調べてみてください。
[二番札所 極楽寺(ごくらくじ) 鳴門市大麻町]
一番札所から1.2kmしか離れていない、至近距離の札所。散歩でも歩ける距離だから、車だとすぐだ。一番札所の余韻をまだ残しつつ、二番札所の山門をくぐる。

徳島は、まるで気持ちよく「発心」ができるようにという配慮かのように、十番札所までは近距離でお寺が続く。面白いことに、八十八カ所全ての札所が真言宗というわけではなく、別の宗派のお寺も混じっている。弘法大師ゆかりの地、ということであれば宗派は問わなかったようだ。

参拝を終え、次の札所へと向かう。
白衣の背中には真言宗ではもっともポピュラーなお経、「大師宝号」が書かれている。「南無大師遍照金剛」。なむだいしへんじょうこんごう、と読む。
[三番札所 金泉寺(こんせんじ) 徳島県板野町]
2.5kmで三番札所、金泉寺。

移動時間よりも境内にいる時間の方が長いんじゃないか、という状態。
でもちょうど良い、まだお経が全然読めていない。たどたどしいったらありゃしない。立て続けに読経する機会があれば、自然とリズムが身についていくだろう。
[四番札所 大日寺(だいにちじ) 徳島県板野町]
5kmで四番札所、大日寺。

三番札所まではほぼ道路一本で来ることができたが、ここからは道が曲がっていた。五番札所への道と分かれ、四番札所へ。
大日寺という名前の通り、真言宗ではもっともありがたいとされる大日如来が本尊となっている。その割には八十八カ所で大日如来がご本尊になっているのはそれほど多くないのが不思議。

どこの札所にも、必ずこの小坊主がいた。この写真だと「納経所」と書かれた札を手にしているが、他にもいろいろなバージョンがある。ただ、どの小坊主も白目をむいていて、正直あまり可愛くないのであった。お子さんとの記念撮影用にぜひどうぞ。
[五番札所 地蔵寺 徳島県板野町]
2kmで五番札所、地蔵寺。

おかでんはわざわざ菅笠を持って参拝している。雨が降っているわけでもなく、日差しが強いわけでもない。正直必要ないのだが、せっかく買ったものだからぜひ身につけておかないと。車から降りるとき、「よいしょ」と大きな菅笠を後部座席から引っ張り出す手間がかかる。

読経中の二人。
まだ馴染んでいない。特に般若心経のカッコイイ唱え方に苦慮。いや、カッコつけなくても良いんだけど、やはり流暢に唱えた方が気持ち良い。
五番札所それぞれで本堂、大師堂にお祈りしてきたので既にここで10回の読経となる。それでも、まだ難しい。


ちょうど道中にセルフうどんのお店があったので、昼食とすることにした。
2001年当時はセルフうどん、という形態は香川を中心とした一部地域にしか存在せず、東京からきたおかでんにとっては「おお、四国に来たなあ」と実感させられるお店だった。最初は「徳島ラーメンを食べよう」なんて言ってたのだが、予定変更。タイムレースとなっている中、通りすがりにセルフうどんのお店があるなんて渡りに船だ。

一日目昼食(おかでんの場合)。
お遍路の間、「不殺生かつお酒を控える」という精進に徹するのは面白いかも、と思ったが初日昼にして早くも前言撤回。イカ天がうどんに乗っている。

お遍路さんの持っている金剛杖がどれも非常によく似ている&同じなので、困る。
読経している間は杖が邪魔になるので、お堂手前に「傘立て」ならぬ「杖立て」が用意されている。そこに置いておくと、後でどれが自分のかわからなくなってしまうのだ。
金剛杖は弘法大師の化身として大切に扱わなければならないものだ。他人様の手垢がついたものは使いたくないし、自分の杖を大事に育てていきたい。
そんなわけで、アワレみカーに搭載されていたペンを使って金剛杖に記名しておくことにした。これならば間違いはおきない。
[六番札所 安楽寺(あんらくじ) 徳島県上板町]
安楽寺の入り口にはこんな駅の表示みたいなものがあった。

記念撮影にはちょうど良いが、俗っぽいな。
俗っぽいと言えば、ばばろあの背後には「コーヒー」とかかれがのぼりが立てかけられていた。なんか一風変わってるぞ、このお寺。

と思ったら、それは単に駐車場脇の掲示にすぎなかった。
お寺の境内に行くと、そこには立派な山門が控えていた。なかなか大きなお寺だ。
[七番札所 十楽寺(じゅうらくじ) 徳島県土成町]
わずか1.1kmの距離で次の札所、十楽寺。

安楽寺、十楽寺、と「楽」がつくお寺が続くが、こちらも距離が近くて「楽」だ。歩き遍路の人にとっては、距離が近ければ近いほどありがたいことだろう。
ただし、四国一周するという事実はかわらないわけで、札所の間隔が狭いからラッキー、とは言ってられないのだが。間隔が狭いところがある、ということは間隔が長いところもある。
だからこそ、「修行の高知」と言われるゆえんだ。高知は、お寺の足摺岬や室戸岬の先端にお寺があるので、相当歩くことになる。山寺も多い。水平距離+アップダウンで相当な苦行と言えるだろう。
車遍路であるわれわれにとっては、歩き遍路ほど負担にはならないのだが。

読経中のおかでん。
手にお経を挟んで、お経を暗記で唱えている。
この頃になると、般若心経はまだ無理だとしても、それ以外のお経は随分とスムーズに唱えることができるようになってきた。
特におかでんの場合、真言宗信徒ということで、法事やお盆のときにやってくるお坊さんが読経する際に、聞き慣れたフレーズがたくさんある。その点他の2名よりも覚えは早かったと思う。
[八番札所 熊谷寺(くまたにじ) 徳島県土成町]
2,5km進んで熊谷寺。

ここの山門はえらく古めかしいな、今までのものは比較的新しかったのに・・・と思ったら、1687年に建立された県の重要文化財だそうな。
コメント