[53番札所 円明寺(えんみょうじ) 愛媛県松山市]
降りしきる雨の中、札所密集地帯:松山ステージ最後の巡礼地である円明寺に到着。
写真がえらく遠くから撮影されているのは、ひさしがあるところに人間が収まり、なおかつカメラを設置したかったから。雨ざらしでセルフタイマーを作動させるには危険なほどの雨脚になってきていた。
で、これだけの距離を10秒のタイマー動作中に全力疾走するわけだから、おかでんびしょ濡れ。もういやだ。
途中棄権(中断)という選択肢は当然われわれの誰一人として思っていなかったが、この雨にいい加減うんざりしていたのは全員一致した考えだろう。
[54番札所 延命寺(えんめいじ) 愛媛県今治市]
円明寺の次は、今治ステージへと舞台を移す。その間35km、一足飛びだ。で、今治界隈でも札所がある程度密集している。
厭戦感が強くなっていた折、35kmのドライブは良い気晴らしとなった。というか、雨から逃げられたのはありがたかった。
1時間のドライブだったが、当然雨はいっこうに止む気配を見せず。降りしきる雨の中、54番延命寺。なんだか長生きできそうなありがたい名前のお寺だ。先ほどの札所が「円明寺(えんみょうじ)」で、ここが「延命寺(えんめいじ)」。非常に紛らわしい。
しかし、聞くところによると昔はこのお寺も「円明寺」と名乗っていたらしい。しかし同じ名前のお寺が二つも愛媛県にあって紛らわしく、郵便物の誤配達があったことから俗称であった「延命寺」に改名したのだという。文明の発達はお寺の名前をも変える。しかしその結果、ありがたい名前になるとは。
ばばろあは白衣を脱いでしまった。雨でびしょ濡れになり、肌に張り付いたり重くなるのを嫌ったからだ。ちぇるのぶは白衣を羽織るだけに変更しているし、おかでんはレインウェアを着込んでしまった。シンプルかつ正統な出で立ちをしているのはしぶちょおだけだ。
売店で、お茶のお接待を受けた。
謹んで頂戴する。
「雨の中ご苦労様です」と言われた。
売店で購入したかりんとうを車中でかじるばばろあ。
ゴールデンウィークは晴れていれば暖かい。暑い時があるくらいだ。しかし今日のように雨が降っていれば気温はぐっと下がる。
タートルネックのセーターを着ていたばばろあだったが、それだけでは寒いようだ。今回のために限定生産した「アワレみ隊ブルゾン」を着込んだ。白地のブルゾンなので、遠目だと白衣のように見える。
[55番札所 南光坊(なんこうぼう) 愛媛県今治市]
延命寺から4kmで南光坊。予讃線今治駅からほど近くにある都会の中のお寺。
お寺・・・なのか。そうか、そうだよな。「○○寺」という名称ではなくて「坊。」と名乗っているので「ん?」となる。大三島にある大山袛神社の別当寺として建てられた八坊の一つ、ということらしい。
それだからか、本尊が「大通智勝如来」という聞き慣れない如来だった。八十八カ所でここだけだ。手持ちのお経にはこの如来の真言が書かれていないので、本堂に掲げられている真言の札を読み上げる。「なむ だいつうち しょうぶつ」。
ばばろあに次いで、ちぇるのぶも白衣を脱いでしまった。せっかくの白衣だから、誰だって着ていられる限りは着ていたい。しかし、個人ごとに「妥協点」を見いだして、白衣を脱いでいく。今日の雨は相当にしつこい。
[56番札所 泰山寺(たいさんじ) 愛媛県今治市]
南光坊から3km内陸に入ったところにある泰山寺。山門や仁王門といったものがなく、シンプルな入り口。
中にはいるともっとシンプル。というか、建て替え工事中らしく、えらく無駄に空きスペースがある。
石畳ではなく、土むき出しの境内は水浸しだ。窪みに足を踏み入れると靴がずぶ濡れになるので、足下には注意を払いながら歩く。・・・まあ、もう全員の靴はぐちゃぐちゃで悲惨な状況になっているのだが。2日目に濡れた靴をそのまま毎日履き続け、そして今日ダメ押しの雨。一歩進むたびにぐずぐず音がして不快だし、なによりも臭ってきはじめた。これはたまらぬ。
焦るしぶちょお。
右前輪がパンクしている!?
慌てて駆け寄ってみたら、タイヤが水たまりの中に沈んでいて、さもパンクしたように見えたのだった。一安心するとともに、「雨、しゃれにならんな」とぼやく。
[57番札所 栄福寺(えいふくじ) 愛媛県玉川町]
3kmで栄福寺。
[58番札所 仙遊寺(せんゆうじ) 愛媛県玉川町]
2.5km進んで仙遊寺。標高300mにあるお寺なので、山を登っていくルート。
仙遊寺に向かう途中の道が雨の影響で大変なことに。
法面崩落状態。
土木の心得があるしぶちょおはこれを見て「これはやばいぞ、このままだともっと崩落するかもしれん。危ない」と大変に危惧。お寺の人をつかまえて「ここに来る途中の道が崩れています。大変に危ないですから早急に処置をした方が良いですよ、場合によっては通行止めも考えた方が良いかも知れません」と伝えていた。
[59番札所 国分寺(こくぶんじ) 愛媛県今治市]
仙遊寺から6.5km、山を下って国分寺。
雨が小降りになってきたのは助かる。おかでんはレインウェアを装着せず、白衣のままで巡礼再開。レインウェア、車の乗り降りの度に着脱するのが大変に面倒だったからな。車外で着衣/脱衣している間に思いっきり濡れてしまってたし。
境内の一角に、僧侶の石像があった。
弘法大師だったかどうかは覚えていないが、なんでも握手すると御利益があるという。見ると、確かに像は右手を差し出してまさに握手せんばかりのポーズをとっている。
アワレみ隊隊員全員、一列に並んで握手による御利益を願う。ミニ握手会だ。一人握手したら次の人。次の人が終わったらさらに次の人。
こんなことをやってられる余裕ができたのも、雨が一段落しつつあるからだ。良いことです。雨はやる気を削ぐ。
時刻はお昼時。これから次の60番札所・横峰寺までは30km以上離れている上に、石鎚山中腹という山岳ステージだ。ここでお昼を食べておかないといけない。
今治といえば、10円寿し。さかのぼること2年前、アワレみ隊の四国ツアーで初遭遇したその寿司は新鮮な驚きだった。その驚きをもう一度味わおう、というわけだ。
「ええと、確かこの道だったと思うんだよなあ」
地図もない中、2年前の記憶を頼りに進む。2年前は結構道に迷ったものだ。大通りに面していないお店だからだ。しかし、今回はほぼ迷うことなくお店に到着。人間の記憶って案外バカにできないものだ。
10円寿しを注文したのだが、これが時間がかかることこの上ない。ご主人は先客の注文をこなしていたのだが、それでまず手間どる。そしてわれわれの注文に取りかかるのだが、さらに手間取る。何しろ1カン10円の寿司が25カンだ。ご主人が寿司を握る手間は100円や200円のネタと大して変わらないので、1カンがたとえ小さくても時間がかかるのは仕方がない。1カン10秒で握ったとしても、25カン(1人前)握るのに4分10秒かかる。しかし実際はもっと時間を要しているわけであり、即ち待ち時間がどんどん延びる。
「横峰寺に行っちゃった方が良かったかな」
待ちながら、全員でひそひそとそんな話をしてしまった。
ちなみに写真下が待望の10円寿し。1カンから食べられるわけではなく、25カンセットで250円だ。
上にあるのは上寿司350円。350円で「上」が食べられるのだから、ちょっとした優越感だ。8カンで、ネタとシャリの大きさの違いは歴然としている。
10円寿司250円でリーズナブルに済ませれば良いんだが、なんだか罪悪感・・・とはちょっと違うんだが、もう少しお店にお金を落とさなくちゃ悪い気持ちになる。投げ銭の意味もこめて、上寿司を頼む隊員が居たから、こうして10円寿しと上寿しのペア写真を撮影できているわけだ。
今治といえば、「せんざんき」と呼ばれる唐揚げも有名。
おかでんも投げ銭の意味を込めて、せんざんき500円也を注文した。ご主人に負担が増えない形での注文、ということと、名物せんざんきを食したことがなかったため興味津々、ということで。
寿司屋で鳥肉の唐揚げを注文できるというのは不思議な話だ。・・・と思ったら、軒を連ねている隣の居酒屋らしきお店から運ばれてきた。さすがに10円寿し店舗にはフライヤーはないか。
こうなるとビールが恋しくなるお年頃なわけだが、さすがに巡礼中にビールはけしからんだろう。酒臭い息で般若心経を唱えられても、ご本尊もお大師様も喜ばないと思う。
・・・いや、そういった事すら超越したのが涅槃の境地なのかもしれない。細かい事や形式に拘っているうちは煩悩の塊だ。なるほど、ではビールを・・・やめとけ。
[60番札所 横峰寺(よこみねじ) 愛媛県小松町]
33km進んで、石鎚山をのぼって横峰寺。石鎚山は西日本最高峰の山で標高1982mある。その中腹750mに目指すお寺はある。遍路泣かせの難所の一つだ。先ほど札打ちした仙遊寺で標高300mの上り下りをしたばかりだというのに、今度は750mを登らせるのだから歩き遍路にはきつい。
きついといえば、歩き遍路と比べるのも失礼なんだが車遍路は通行料が取られる。駐車場代+道路利用料でしめて1,800円。うわあ、高い。
57番栄福寺で駐車場代という名の強制お布施100円をとられてからというものは、すっかり駐車場代が定番になってきている。58番仙遊寺400円、59番国分寺200円。そして極めつけが60番横峰寺の1,800円。山を切り開いての駐車場なので創設・維持コストがかかるという論理はよく分かる。しかし、「少々値段が高くても車遍路はやってくる」という構図なので、ちょいとばかりお高く設定しているのだろう。ううむ、カモられてるなあ。でも、「イヤなら歩け、それが本来の遍路だ」と言われると返す言葉がございません。
山岳ステージならではだが、駐車場から境内まではちょっとばかり歩く。山に分け入ったこともあり、雨がまた強くなってきた。おかでんは再度レインウェア装着で巡礼に臨む。
横峰寺境内。シャクナゲのピンク色の花で覆われていた。ちょうど時期が良かった。美しい。
こんな辺鄙なところに誰がお寺を建立したんだ、と思ったら修験道の開祖である役行者小角(えんぎょうじゃおづぬ)だった。なるほど通りで。
[61番札所 香園寺(こうおんじ) 愛媛県小松町]
石鎚山を下り、また平野部に戻る。9.5km進んで、61番札所香園寺。
「なんじゃこりゃあ」
お寺はどこですか。
正面には、市民文化ホールとか県立博物館とでも名付けた方が良いのではないか、という出で立ちのコンクリート建造物。ええと、整理しようじゃないか。あれが仮に本堂だとして、大師堂は?納経所は?・・・ない。
このお寺、なんとも風変わりだ。建物2階が本堂で、1階が大師堂なんだと。二階建てか!
なんでこんな「一般的なお寺の形、という暗黙の了解」を覆す建物を造ったんだろう。建立当時は相当檀家から批判があっただろうなあ。「お寺らしくない」「ありがたみが薄れる」などと。でも、住職が強い意志を持っていたのか、凄い変人なのか、どっちかだったんだろうな。
調べてみると、開基は聖徳太子と伝えられている。おい、日本史の先頭近くに登場する人物だぞ。卑弥呼の次に出てくる人名じゃないか?ものすごい歴史だ。それが今やこの建物。いやあ、時代は流れる。
階段を登って建物2階。本堂にお参りだ。
土足禁、という札が段差のところに掲げられていた。靴を脱いで、金剛杖を置いて、中に入る。
中はとても暗い。
呆れた。
中は本当にホールみたいになっていた。固定座席が据え付けられており、コンサートをやろうと思えば簡単にできてしまう。情報によると600余の席数を誇るという。一体どういう用途でこんな大量の席を確保したんだろう?ますます不思議だ。
そして、その座席の向かいには、金色に光る大日如来が鎮座しているんだから不思議だ。「大日如来ショー」でもやっているかのようだ。
巡礼者は、本堂で納経したあとはそのまますぐ階下の大師堂に向かう。そのため、せっかくの座席だけど「座ってくつろぐ」人はいなかった。
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