[73番札所 出釈迦寺(しゅっしゃかじ) 香川県善通寺市]
73番出釈迦寺。
ここも仁王門ではなく鐘楼門。
なぜか、鐘楼門下は向かい合う形でベンチが据え付けられてあった。階段登ってきて疲れたでしょう、まずはここで一息いれんさい、ということだろうか?変わっている。
出釈迦寺境内。
本堂と大師堂が仲良く並んでいる。
このお寺から山に分け入ったところには、「捨身ヶ嶽禅定」という岩場がある。何でも、7歳の弘法大師がこの岩場から「わが願いが叶うなら釈迦如来よ姿を現したまえ、もし叶わぬならこの身を諸仏に捧げる」と衆生救済の誓願を立てて身投げしたんだという。そうしたら、釈迦如来(一説によると天女)が現れて、弘法大師を抱き留めたんだそうで。
7歳の子供が身投げ。しかも衆生救済のために。どうなっとるんだ、弘法大師。おかでんが7歳の頃なんて、足し算引き算がようやく満足にできるようになって一歩大人の階段を登った気分になっていた程度だぞ。
[74番札所 甲山寺(こうやまじ) 香川県善通寺市]
2km進んで川沿いにある甲山寺。弘法大師の故郷にあたる場所だそうな。
だからといって立派な伽藍があるわけではなく、入り口にいたってはきわめてシンプル。ちょっとした田舎の民家でもこれくらいの門はあるよね、という小ささだった。
[75番札所 善通寺(ぜんつうじ) 香川県善通寺市]
1.5km、甲山寺から川沿いに進んで善通寺。
「善通寺市」という名前がつくくらいだから相当なお寺だ。真言宗三大霊場の一つ(残りは高野山、東寺)とされ、真言宗善通寺派の総本山だ。
とにかくでかい。駐車場から境内につながる、川をまたぐ石橋からしてでかい。カメラをセルフタイマーで設置して、10秒間で橋の上まで全力ダッシュ。一回目は失敗に終わり、おかでんの悲しい背中が写ってしまった。二回目にしてようやく記念撮影成功。
東院と西院に伽藍は分かれていて、総面積45万5000平米あるというのだからさすがとしか言いようがない。八十八箇所最大の敷地であることは間違いあるまい。
・・・あ、でも「山全体も境内のうちに含まれます」というのであれば、ここよりももっと広い札所があるかもしれないけど。
石畳の脇には屋台がずらりと並んでいた。
毎日が縁日なのか、ここは。
それだけ参拝客が多いということだ。驚いた。
本堂脇でろうそくや線香を打っている売店のカウンターに、野良猫がちょこんと座っていた。
こいつは良く人になついていた。
人に愛嬌を振りまいて、餌を貰おうという考えだろうか。
あまりにその立ち居振る舞いが堂に入っていたので、この売店のマスコットキャラクターかと思った。
ここでは大師堂のことを「御影堂」と呼ぶらしい。
この御影堂、地下に通じる道があって「戒壇巡り」と呼ばれている。宝物館と入場券がセットになっていて500円。
宝物館は見出すと時間が結構かかるだろうから泣く泣くパスし、戒壇巡りはやってみることにした。しぶちょおが別のお寺で戒壇巡りをして、大変に面白かったと言うからだ。
地下に潜ると、そこは完全に真っ暗闇。何一つ明かりがなく、漆黒だ。前も後ろも、上も下も分からない。人は、ただ手探りで、壁づらいにふらふらしながら歩いていくことになる。悪行がある人は地上に出てこられないというが、弘法大師を信じ精進すれば外に出られるという。
100mという短い距離だったが、未体験の「完全漆黒」だったのでその1.5倍はあるように感じた。外に出たときのまぶしさと、やかましさ。普段人間はこんなに多くの情報の中で生きているんだ、ということをあらためて実感した。
[76番札所 金倉寺(こんぞうじ) 香川県善通寺市]
喧噪から4km離れて76番金倉寺。こちらは随分と大人しくなった。境内は広い。明治時代、乃木将軍がここに2年7カ月滞在していたことがあったらしい。ゆかりの品がいくつか収蔵されていると聞く。
乃木将軍の妻が面会のため東京から訪れたが、「女人禁制」を理由に将軍は会おうとしなかったという。それで、妻は松の下で途方に暮れたことから、「乃木将軍妻返しの松」なるものがあるという。見そびれたけど。うわ、ガイド本に書かれていること丸写し臭い文章だな。
普通、お寺の正面にはひもがぶら下がっていて、それを振れば金属板に当たってカンカンと音がする。神社の鈴みたいなものだ。
しかし、ここはそれがなく、かわりに巨大数珠のようなものがぶら下がっていた。引っ張ると、巨大数珠がぐるぐると回る。変わっている。
ひょっとしたら、玉の一個一個にお経が書かれてあって、これを回すとその分だけお経を唱えたことになる・・・というマニ車的発想のものかと思ったが、正体はつかめずじまいだった。
[77番札所 道隆寺(どうりゅうじ) 香川県多度津町]
4km進んで道隆寺。普通、お堂の前でお経を唱えるのだが、ここはお堂の中に入る事ができた。ありがたくお堂の中で読経する。しかし、ここの本尊は「腹ごもり薬師」と謂われ、50年に1度のご開帳。次回は2033年だ。見えない本尊に対してお経。この声、届いているかなあ。
ちなみにこの道隆寺、本堂や大師堂はこの地にあるが、本坊と護摩堂は300m離れた畑の中にある。なんでまたこんな「出張」せにゃならんのか不思議だが、それは昔このお寺がそれだけデカい伽藍を誇っていたということに他ならない。スゲー。
[78番札所 郷照寺(ごうしょうじ) 香川県宇多津町]
7km進んで、郷照寺。
もう日が傾いてきた。時刻も17時近い。急げ、お寺が閉まるぞ。
78番札所なので、カウントダウンタイマー作動。残り10番。
石段を登り小高い丘の上に出る。
「厄除大師」という石碑がみえる。「厄除けうたづ大師様」として地元の信仰が篤いんだそうな。
ここは真言宗と時宗の二宗派が混在する変わったお寺だ。一風変わった造りになっているかとおもったが、特にそういうことはない。それにしても日々のおつとめはどうしているんだろう。住職はどちらの宗派に属しているのだろう。一言で「混在する」といっても、いまいちピンとこない。
丘の上なので眺めが良い。
多度津、坂出の街並みが眼下に見下ろせる。そして、その向こうには吊り橋もちらりと見える。瀬戸大橋だ。
そうかぁ、瀬戸大橋が見えるところまで来たか。
瀬戸大橋の対岸は岡山。何かと岡山には縁があるおかでんにとっては、ようやく「異次元の世界から現実に戻ってきた」感じがする。
この巡礼の旅、少しずつクロージングに入ってきたって感じ、かな。
本堂に行ってみると、既にゲートクローズされていた。あら。17時ちょうどくらいだったんだけど、一足遅かったか。
でもまあ、ここまで来たわけだしお経をあげて札打ちしたことにしよう。「お寺巡りはお寺が開いている時間まで」というルールはあったけど、今回は良しとしよう。まだ読経中の巡礼者もいるし、「明日、残すは10箇所!」というほうが響きがよろしい。
本日最後ということで、入念にお経を唱えて、第6日目を札打ちとした。明日は最終日。残り10番なら巡礼完了できそうだ。予定通り、というか偶然のジャストタイミング、というか。佐田岬の先端まで行かなくて正解だったな、やっぱり。
郷照寺からの移動中、たまたま酒屋があったので立ち寄ることにした。テント内で飲むお酒の調達だ。ちょうど「ベルギービール物語」なんて看板がでてたし、面白そうなビールが調達できそうだ。
お店の名前は「やまもと」。何の変哲もない名前だが、中に入ってびっくり。デパート地下の酒販コーナーよりも充実しまくりな外国ビールの数々。シメイやデュベルといった有名どころは当然として、聞いたことがないビールが山ほど売られていた。このお店が繁華街だったりメインストリートにあるならともかく、住宅地に隣接したような場所ということを考えると驚嘆に値する。
ほかにも、大人がようやく抱きかかえることができるくらいの巨大ボトルのワインが売られていたり(飾られているだけか?)、いろいろ一癖もふた癖もある良いお店だった。
「いいなあ、こういうお店が近所にあるとうれしいんだが」
「とりあえず冷えとるうちに一本くらい試飲してみようやぁ」
ばばろあからの提案により、何本か買い求めたうちの一本を店頭で開けてみることにした。
味は覚えていないが、「うむ、濃厚!」という顔をおかでんがしているところを見るとそれなりにクるものがあったのだろう。
今治市街のスーパーに立ち寄ったら、そのすぐ近くに回転寿司屋があった。
「・・・ここでいいか、もう今晩は」
「あれ、でもビール買ったぞ」
「ビールは晩酌用ってことで」
「まあそれも有りかな」
ということで、結局この旅最後の夕食は外食、しかも回転寿司となったのだった。
食後、ナビと地図をにらめっこしながら寝場所を探す。ため池の脇に良さそうな場所を見つけたが、いざテントを張ろうとすると野良犬がそこら中にいることに気がついた。
「噛まれて狂犬病になったらたまらんけぇ、別の場所にしよう」
と、その場を諦めて撤退。その後も、野良犬はいたるところで出没し、香川県は犬の県ではあるまいかと思った。何やってるんだ保健所は。もっと取り締まらないと。
結局、行き着いた先もため池の湖畔だった。香川県は大きな川がなく田んぼの用水が確保できないため、あちこちに人工的なため池がある。それを真っ暗闇の中にもかかわらず実感。
そのため池、湖畔になにやら施設があって、そこの駐車場が使えそうだった。ならばありがたく使わせてもらうことにする。お手洗いもあったし。
洗面所で念入りに洗われ、干される靴。
ただし、臭いはどうしても取れなかった。他の人は知らないが、おかでんの靴はこの後廃棄処分となった。
靴で四国入りして、サンダルで東京に帰ることになるとは。
買ってきたビールいろいろ。
数えてみたら8本もあった。店頭で飲んだ1本をカウントすると、9本も調子に乗って買っていたことになる。買いすぎ。
どれも特徴的なデザインで、工夫が凝らされていて楽しい。絵が面白い。その点日本の大手メーカーによるビールって無機質だよなあ。
結局この日では当然のごとく飲みきれなかったので、半分は翌日まで持ち越しとなった。
やや買いすぎた感がある酒肴とともに、ビールを飲む。
明日が最終日。この巡礼の最後は一体どんな締めくくりになるのだろうか。いや、何も変わらないのだろう。ただ88番札打ちをしただけ、だろう。心境の変化はあったのか?何か得られるものはあるのか?それは終わってみないとわからない。
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