[85番札所 八栗寺(やくりじ) 香川県牟礼町]
ケーブルカーを降りてしばらく歩いたところが八栗寺。
4名から5名に増え、記念撮影。
八栗寺。背後に「五剣山」と呼ばれる険峻な山が控えている。しかし、山の頂は4つしかない。なぜだ。・・・書物によると、宝永3年の大地震により1つ頂が減ってしまったらしい。残りの頂は大丈夫か。また地震が起きたら、山が崩れてお寺を潰してしまうんじゃないだろうな。
ジーニアスが慣れない手つきでお線香をあげている。
ひととおりの作法とお経を教えようとしたが、「いいよオレは。別に信者じゃないし、お遍路の最後にちょっと参加させてもらってるだけだから」。
[86番札所 志度寺(しどじ) 香川県さぬき市]
仁王門は大きなわらじが飾られてあった。素人目にはよくわからないのだが、「日本三大名門」の一つに数えられているらしい。ううむ、門の世界も奥が深い。
このお寺を含めて残り3番。お経を唱えている時にセンチメンタルな気持ちになってくる。この頃になると、唱えている時の姿勢であるとか、スピードであるとか、様々な事まで気が回るようになってきた。はじめの頃はお経を読み上げるだけで精いっぱいだったんだけど、大きな進歩だ。
毎日、ただひたすら夜明けから日没までお経を唱え続ける一週間。それももうすぐ終わりだ。
[87番札所 長尾寺(ながおじ) 香川県さぬき市]
7.5km進んで87番長尾寺。
もう何も言うことはあるまい。ただ、無心にお経を唱えるだけだ。
最後、八十八番目となる札所の大窪寺まで16.5km。案内石碑が建てられてあった。
また、「結願のみち案内図」という道案内看板が出ていて、いやが上にも「ああ、もう終わりなんだな」感が強まってきた。
[88番札所 大窪寺(おおくぼじ) 香川県さぬき市]
ついにやってきた。88番札所、大窪寺。
これが、6日前に目指していた場所なのか。
仁王門の前には「四国霊場 結願所」という石碑が建てられてあった。
結願。
願いが結ぶ。
自分たちは何を願ってきたのだろう?健康?金運?・・・いや、そういう俗物的なものは全くなかった。ただ、「無事に期限通りにお遍路を回れますように」というものだった。遍路のために遍路をする、というちょっと変な願いだったが、それが今実を結ぼうとしている。
これで、終わり。
最後の、読経。
本当に、終わりなんだろうか?終わりの次に、まだ始まりがあるような気がする。
大きな仁王門を見上げて、各自感慨深そうな顔をしている。雨に打たれたこともあったし、寝場所でもめたこともあったし、長い道中車中でエンドレスに流れる同じCDに気が狂いそうにもなった。それでもやり通してきて、今ここにいる。
記念撮影。これぞ本当の記念撮影だ。さあ、景気よく写ろうじゃないか。
セルフタイマーをセットして、10秒後にシャッターは下りた。菅笠を持っていたおかでんとばばろあは菅笠を空高く放り投げた。そして、ちぇるのぶは・・・おい!金剛杖を投げてるではないか。罰当たりめ。
ありがたい気持ちがふきとんで、金剛杖を粗末に扱ったちぇるのぶに対してのお説教タイム開始。
境内は一般の観光客も多いようだ。われわれのように白衣を着ていないタイプの巡礼客かもしれないが、とにかく山間部のお寺にしてはにぎわっていた。
山間部のお寺にしては、という言葉を使い回すと、このお寺はちょっとリッチなんであった。造りが豪華というか、デカいというか。でも、気持ち的に分かるなあ。結願したーッ、という開放感があると、お賽銭をはずみたくなるもん。
大師堂でお経を唱えたら、88札所x2箇所(本堂・大師堂)=176回の読経は終わりになる。本当によく唱えたもんだ。これが、この後唱えなくなってしまうことがにわかに信じられない。お経を唱える事が「当たり前」であり「空気を吸うのと同じくらい日常」となっていたからだ。
車遍路の良いところは、ただひたすらお経漬けになれることだ。
一日に20回以上も読経するのだ。これはこれでとても良いことだと思う。歩き遍路だと、1日に1回もお経を唱えられない日がある。それとは大違いだ。
車遍路でも、自信を持って良い。何も卑下することなんて、ない。あらためて、そう感じた最後の札所。
そんななか、ばばろあは納札入れを漁っていた。おかでんが発見した御利益のある「金の納札」を探しているのだった。「見つからん」。しばらくして、彼は諦めた。
金剛杖と菅笠は奉納を受け付けていた。
菅笠はまだ今後も使いようがあるが、金剛杖は正直空路東京に持ち帰るにはかさばる。今まで同行二人で片時も離れなかった大事なパートナーだが、奉納することにした。
この金剛杖は、春分の日と8月20日に催される柴灯護摩供で焚き上げられるとのこと。「よろしくお願いします」と受付の方に深々とお辞儀。
金剛杖の木の部分だけを奉納し、ぶら下がっていた鈴はお持ち帰りだ。これらも結願した金剛杖の一部ということで御利益があるらしい。記念になるし、大事に保管しなくては。
結願した5名の姿。涅槃・・・?
涅槃の境地に達したかどうかは各自が自分の物差しで判断すれば良いことだ。他人がどうこう言う話ではない。
遍路とは曼荼羅と同じ。ぐるぐると回り続ける。これで一応の結願、ゴール地点ということになるが、回る人は何度となく回り続ける。その人なりの納得・・・涅槃の境地が得られるまで。
われわれアワレみ隊としては一応ここを到達点とし、この1週間にわたる旅に区切りをつけた。
中には、1番札所の霊山寺にまで戻り、「お礼詣で」をする人もいるそうだ。そうなると、完全に四国一周したことになる。また、高野山奥の院に結願後お参りすることもするそうだ。一歩先、二歩先を見ていくと果てしなく人生というのは長く、旅路に終わりがないことがわかる。
先ほど全員で記念撮影したゴージャスな仁王門とは別に、こじんまりした歴史を感じさせる仁王門が境内正面にあった。
ここで、全ての読経と巡礼を終えた記念に全員そろっての記念撮影。
南無大四遍上金剛。
大窪寺すぐそばの売店では遍路グッズが売られていた。
結願の札所で遍路用品を調度する人はいるのだろうか?不思議だ。
あと、もっと不思議なのはこの白衣輪袈裟帽子姿のマネキン、西洋人の顔立ちだということ。ものすごく似合わない。洋服を着せたら似合うであろう細身の体も、白衣という和の出で立ちだとなんだか貧相。もっと和風な顔と形をした人形は無かったのか。
おそらく、八十八箇所を八十八番から逆の順番に札打ちしていく人のためのグッズなのだろう。
まだ15時前だが、今日はもうやることがない。ホテルにチェックインして、だらだら過ごすだけだ。
今までは、このあたりの時間帯から「さあ、今日はどこまで進めるかな」という正念場を迎えるところなのだが、この気の抜けようといったらない。
「えーと。どうしたもんかな」
次にお経を唱えに行く場所が無いと、なんだか不安になる。
とりあえず、打ち上げをしよう。
大窪寺のすぐ脇に、「八十八庵(やそばあん)」というお店上がる。「打ち込みうどん」というのが名物で、要するに具だくさん味噌汁にうどんが入ったものだ。これをいただくことにした。
人数分頼んだら、一人前ずつではなく大きな鉄鍋に入って出てきた。これは風情があってよろしい。
今日2度目のうどんを食べながら、「明日もうどんを食べるんだけどね、でもうどんがうまいことは良いことだ」と言う。
旅の終わり。
ホテルにチェックイン。7日ぶりにテントではないところで寝ることができる。もう、固い地面に体を横たえなくてもよい。
でも不思議なもので、これはこれで違和感あるんだよなあ。一週間もあれば、人間順応するもので、固い床で寝る事も平気になっていた。
昨日買ったビールが大量に余っていたので、それを飲みながら思い出話をする。個々のお寺についてはあまり記憶がないが、全体的にみるととても密度が濃い旅行だったので、思い出話は尽きない。
面白かったのが、道中、別の遍路の人に「どこの仏教大学の方ですか?」と聞かれたことだ。大学生と呼ぶにはちと年齢がいってるが、おかでんは坊主頭だし、白衣着ていてそれっぽく見えたのだろう。「いやぁ、普通の大学を卒業してますよ」とその問いには否定した。
それにしても、何とも良いタイミングで札打ちを完了したものだ。感動すら覚える。6泊7日の行程を組んだのは単なる日程の都合だ。予備日として翌日のうどん食べ歩きを潰してもよいようにしてあったが、6泊7日が長いのか短いのかすらわからないまま本番に突入した。しかし、よくできたもので、ちゃんと7日目の午後に結願。こんな偶然があるものだな。
何かこの旅を締めくくる言葉で、この連載を終わりにしたい。しかし、特にそのような言葉は出てこない。遍路は終わりでもあるが、始まりのような気もするからだ。ゲームやドラマのように後半クライマックスがあって終わるものではない。ただ、「八十八箇所を巡礼しました」というだけのことだ。それ以上でもそれ以下でもない。
ではこの旅はカタルシスがないものだったのかというと、決してそんなことはない。ただ、うまく言葉で表現できないだけだ。巡礼がきっちり予定日の枠内に収まった、という企画立案者としての満足感もあるが、それ以上の何かありがたさを感じるのだった。これが宗教なのだろう。
「お遍路チャレンジ2001、ってネーミングにしてるけど、ということは今後もまたやるのか?」と聞かれたが、それは分からない。二度と訪れないかもしれないし、歩きで今度はチャレンジしようとするかもしれない。また車遍路かもしれない。
きっとその時が来れば、また四国に降り立つのだろう。
合掌
(この項おわり)
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