食い地獄で三途の川を見た。
日 時:1999年(平成11年) 07月17日~19日(2泊3日)
場 所:四国
参 加:ちぇるのぶ、おかでん、ばばろあ、しうめえ、ひびさん、しぶちょお(以上6名)
アワレみ隊四国ツアー。
何で四国に行こう、という話になったのかはよく覚えていない。四国にアワレみ隊のメンバーは誰もいないわけであり、おかでんに至っては随分と遠い場所だ。でも、だからこそ行っちゃう!というのが当時のアワレみ隊の勢いだったのだろう。
四国は、お遍路みたいに隅々までを網羅するとなると相当デカい島だ。島、と呼ぶのには無理があるくらい、デカい。しかし、観光地を中心にひょひょーいと回っていくのであれば、車さえあればさほど困難な場所ではない。とりあえず高知の桂浜が一番遠い訪問地でー、と想定して、あとは松山に行ったり高松のあたりをうろついたり。二泊三日あれば十分な気がする。幸い、四国には高速道路が十文字型に走っており、主要都市間の移動はそれほど難儀しない。
そんなわけで、なんとなく集結となった。メンバー集めと集合場所の調整にもっぱらの時間を割いた為、どこに泊まるだとか何をするといった具体的プランは全く決めずに当日を迎える事になった。
これは、ここ最近のアワレみ隊のトレンドである「その場の思いつきでドライブし、適当なところでキャンプする」という流れを汲んでいる。むしろ、事前にあれこれ調べておくのは邪道であり軟弱であるとさえ、このときは真剣に思っていた。
1999年当時はようやくネットが普及し始めた頃であるが、blogという概念が登場するのはまだもう少し時間を待たないといけない。また、web2.0と呼ばれる世界はまだ鼻毛の先ほども登場していないので、旅行の情報といえば雑誌の「るるぶ」であったり「じゃらん」になるのだった。むしろ、何も知らない方が幸せだったかもしれない、と情報過多の今の時代(2011年)に生きていると感じる。
とはいえ、ただ何となく「四国を巡るよー」と募集をかけるというのはおかでんの流儀にあわない。おかでんは毎回、旅行をする都度、事前に詳細な旅の情報をメール(時代によっては手紙)で送る習性がある。今回も参加者に高いモチベーションを持って貰うべく、メールにて旅行の概要を参加者全員に送っている。そのとき付けた旅行タイトルが「食い地獄で三途の川を見た。」。1月のアワレみ給へ10周年のときに「飲んで、死ね。食べて、生きろ。」というタイトルをつけたので、その流れを汲んだものだ。飲んで、死んだのだから、次は三途の川で食い地獄だろう、と。
このタイトルが後々意味を持ってくることになるとは。
1999年07月17日(土) 1日目
初日。
当時ばばろあが神戸に住んでいた関係もあり、集合場所は神戸だった。岡山からしうめえが車を出し、そしてアワレみカーとしての地位をだんだん固めつつあったしぶちょおのデミオが名古屋から登場。名古屋から四国にマイカー、なんてのはやや距離がありすぎる感があるが、しぶちょおの場合何ら問題ないらしい。車には同じく名古屋組であるしちぇるのぶ、ひびさんも同乗。
おかでんは東京から新幹線で現地入り。トランシーバーを持参していたので、それぞれの車に配布してお互いの連絡に使う。
車はまず瀬戸中央自動車道の与島PAに立ち寄り、ここでようやく落ち着いて全員が顔合わせとなった。
写真前列左からおかでん、ちぇるのぶ。後列左からしうめえ、しぶちょお、ひびさん、ばばろあ。
もうお昼が近いということもあって、今晩の宿を考えないといけない。今んところ、「初日は高知あたりに行って一泊」程度しか決まっていない。
さすがに今回はキャンプ用品持参というわけにはいかなかった。なにせ、キャンプ用品一式を保有しているおかでんが東京住まいだ。東京からレンタカーに荷物を詰めてエンヤコラ、と四国までやってくるわけにはいかない。二泊三日の予定が、東京-四国往復のために前後もう一泊ずつ必要になっちまう。会社がそんな休み許してくれるもんか。
と、いうわけで、今回の旅行は2泊だけど、その両方とも宿でのお泊まり。当時のアワレみ隊としては、まだまだ宿でのお泊まりは数が少なく、なんだか気取った感じになってしまう。
そんなわけで、「安い宿で構わんだろ」という話になる。現在のように「泊まるなら温泉宿がええねぇ」なんてことは一切発想に無いので、「最低限泊まれればOK」というむしろ気持ち良い割り切り。素泊まりでも構わんくらいだ。
そんなわけで、写真は三人がトライアングルを形成してあれこれ宿を検討しているところ。「ネットで宿を探す」なんていう概念はないので、ガイドブックやパンフレットを参考に。
結果、高知で安い宿を発見した。そこに電話して、六名様ご一行宿泊決定。宿としては、当日になって六名もの大所帯が宿泊となってうれしい悲鳴だったと思う。
瀬戸大橋を渡りきって、四国入国。いったんここで高速を降りる。いきなり高知まで突き抜けてしまうのはもったいない。のんびり四国を満喫しないと。
お昼ご飯はばばろあが「この店がいいぞ」と情報を開陳した、「飯野屋」というお店。周りは田んぼが広がり、こんなところにうどん屋が?といぶかしんだが、しばらく道に迷ってうろうろしていたら見つかった。でかい看板が出ているので、道さえ間違わなければ確実。
当時、すでに香川県では「おそるべきさぬきうどん」のブームはあった。その噂は東京でもちらほら聞こえてはいたが、まだその他の県ではその連載を本にまとめたものが売られておらず、ディープさぬきうどんについては全く知らなかった。何せ、高松に用事て行った人がお土産として本屋で「おそるべきさぬきうどん」を買って帰る、というような時代だ。
このお店は「肉うどん」が有名な店らしい。お店の暖簾にも、大きく「肉うどん」と染め抜かれている。やっぱりここは肉うどんを食べるべきだろうか。
でも、知ったかぶりのおかでんはここで「釜揚げ」を食べた。「釜揚げはできたての麺を使うから味がいいんだよ」とかなんとかいいながら。ろくに釜揚げなんて食べたことがないのに。
味?美味かったが、何せさぬきうどんの平均的うまさ、というのを全く知らないので、ただただ困惑するだけだった。あと、困惑させられたのはお店の片隅におでんが煮えていたこと。うどん屋でおでんスか。ええと、これ、うどんできるまでの間に食べてろ、ってことですかね。ついつい二本ほど頂戴してしまった。うまし。でも、不思議。
小腹を満たした一同は金比羅さん詣で。
7月も下旬ともなると日中は相当暑い。そんな中、ひたすら階段が続く坂道を登っていく。785段もあるということなので、歳食ってからの参詣は無理だな。お詣りする際、「健康になれますように」って祈っていたら、おいちょっと待て、十分アンタは健康やんけ、とツッコミが入ると思う。
こんな金比羅の坂だけど、笹川良一氏は59歳の時に、母をおぶって下から上まで登ったと言う逸話が残っている。親孝行の美談であるが、それ以上にアンタどんな健脚なんだよ、という方に注目が行ってしまう。
なお、足腰は不調だけどどうしても上まで行きたい、という人は駕籠屋さんがいるので、駕籠に乗って運び上げてもらうことも可能。それはそれで面白そうだが、さすがにお金を払ってまでそういう愉快な事をする人は誰もいなかった。まあ、当然か。
しうめえはハンチング帽をかぶり、手には扇子。ひびさんを除いて全員25歳前後なのに、彼だけ10歳くらい老けて見えるのはその小物類のセンスだと思う。
狛犬・・・だよな?これ。
なんだかうれしそうな顔をした、愛玩犬の様相の犬が。しかも、黄色のよだれかけをかけてもらってご満悦。よだれかけには○金と描かれている。金比羅、の金のことだろう。
この犬、白黒に塗り分けたらのらくろみたいになると思う。
ちなみにおかでん、暑さに耐えかねて、この「○金」と描かれた赤いうちわを土産物店で購入。暑くてかなわん。
金比羅詣でを終えて下山していると、なにやら周囲と比べてひときわ古い建物。
茶店らしい。「名代 灸まん」と書かれている。なんだか知らんが、饅頭を食べさせてくれるお店の様子。まさかこの外観で洋菓子が出てくるわけはあるまい。
暑かったし、せっかくだから立ち寄ってみることにする。どうせこの後特に予定があるわけでもなし、車に分乗して移動となるとコミュニケーションが取りづらい。
で、その名物だという「灸まん」を所望してみたところ、おおう、なるほどこれは灸まんだ。名前のとおり、お灸の形をした饅頭が出てきたのだった。お灸、といっても「せんねん灸」のような形じゃないぞ。円錐形をしたもぐさのお灸。
味は普通の饅頭なんだが、形や逸話が加わるだけで日本全国ありとあらゆるレパードリーができるもんだな。
お茶とともにこの灸まんを頂き、一服の涼を得る。
おかでんが「琴平駅の近くに細いうどんを出す、讃岐うどんでは珍しい店があるらしい。そこに行きたい」と言い出した。さすがにお昼食べて灸まんのおやつを食べた後なので、全員の賛同は得られなかったが、「食い地獄がテーマなのだよ、今回は」と主張し、おかでんとちぇるのぶの突撃隊2名だけがお店に行ってくる事になった。
目指したお店は「おがわうどん」。
ここで細ざるうどんを食べる。なるほど、細うどんを売りにしているだけあって、細い。先ほど飯野屋で食べたうどんと比べると半分くらいの太さか。太い方が噛みしめ甲斐があって美味いとは思うが、細いともちもち感と心地よいのどごしの良いとこどりができて、これはこれで美味い。他の人達を待たせてでも食べた意味はあったと思う。
一行は二台の車に分乗し、下道を使って高知を目指す。高速道路を敢えて使わないのは、そこまで急ぐ理由がないからだ。
先頭をしうめえの車、後からしぶちょおの車が追いかけるフォーメーションをとっての移動。しばらくして後を振り返ると、しぶちょおの車の上に大きな花輪が掲げられていてびっくりした。何のことかと思ったら、パチンコの開店か何かに使う花輪を運搬する車が、しぶちょおカーの3台後に付いてきていたのだった。そのため、道がまっすぐで車が一列に並んだ時は、ちょうどしぶちょおカーの上にぴったり収まる形で花輪が見えるのだった。
「何かめでたいこと、あったんか?」
先頭車両だけ大喜び。しぶちょおカーは何で自分たちが笑われているのか理解できず。
大歩危(おおぼけ)・小歩危(こぼけ)の渓谷があるあたりにさしかかり、一行はいったんドライブインで休憩。
ドライブインの駐車場から見下ろした吉野川はそれなりの渓谷。
「うん、これで大歩危小歩危は見たことになるな」
と勝手に納得する。多分、本当なら渓谷沿いに遊歩道があってそこをトレイルしたり、遊覧船に乗ったりするんだろうけど。なにせ情報がないわれわれ、まずこの峡谷が一体どんなものかもわからないし、わかろうともしていなかった。その結果、四国を代表する観光地の一つであるにもかかわらず扱いが悪くなってしまっている。
軽食コーナーでは「祖谷そば」なるメニューが存在していた。
「そういえば祖谷といえば蕎麦が有名らしいぞ」という話になり、だったら食べてみようと手をだすばばろあ。それにつられておかでんも注文。
味は、まあ、なんだ、ドライブインで食べる蕎麦ですねハイ、といった感じ。これ以上言わせるな。
祖谷といえば、焼き畑で蕎麦畑を作り、それで収穫された蕎麦粉を使うことで有名。すげえ、いまだに焼き畑やってるのかよ!と思ったが、まさかこのご時世そんなことを続けているわけもなく、とうの昔に焼き畑は終わっていることが判明。祖谷といえば山奥なので、蕎麦粉の生産高はそれほど高くないはず。ドライブインで気軽に食べられるようなものではないかもしれない。
高知市内に確保した宿に荷物を置き、夕食を食べに出かける。
宿は夕食なしで朝食のみついている1泊1食スタイル。でもその方が、高知の美食をお店で堪能できて良いと思った。
道中みつけた「やすらぎ」というお店で食事。何を食べたか覚えていないが、高知の銘酒「酔鯨」の貴重なお酒があるということで、それを飲んだと記憶している。もちろん、ビールも。
高知といったら鰹のたたきでしょう!または、皿鉢(さわち)料理!と言いたいところだが、鰹のたたきは多分食べたけど皿鉢料理は無理。
宿に帰ってきたところ。
写真撮影のタイミングがナイスすぎて、しぶちょおが股間に手を突っ込んでいる状態になっている。彼の名誉のために言っておくが、普段からずっと股間に手をやっているような奴ではないんです刑事さん許してやってください。
写真左隅にはクーラーボックスが。「部屋で宴会やるぞ」というやる気満々みなぎっているのが伺える。
よくも悪くも、事前に今回の旅行タイトル「食い地獄で三途の川を見た。」が隊員一同に周知されていたので、飲み食いに関しては気合いが入っている。
しかも、ひびさんという若手かつ超有望人材がアワレみ隊に加わったこともあり、そりゃあもう今晩は飲むぞ!とやる気満々なのだった。
この時点のアワレみ隊隊員における飲酒状況はというと、
おかでん:ほぼビール専門。食中酒がメインであり、食後はあまり飲まないけど酒好き。
ちぇるのぶ:「先日、八海山を飲んだんだけど、それで酒の美味さに気がついた」と今回の旅でカミングアウト。今後の有望株。
ばばろあ:そんなにたくさんは飲まないけど、美味い酒を少々飲みつつ食後にまったり語りたい派。
しうめえ:結構いける口。今回、気合いを入れて清酒の一升瓶を持参する覚悟。
ひびさん:おかでんでさえ「まいった」と言わしめたオールラウンダーかつ酒に強い。
しぶちょお:ご存じ下戸の代表格。彼を殺すのに毒薬はいらない。ビールをコップ一杯あればいい。
布団も敷いたことだし、さあ宴会。
おかでんは3月の飯能河原合宿でひびさんに「まいった」と言わされた立場なので、今回も一丁お手合わせを願おうと鼻息があらい。いや、飲み比べをやって相手がつぶれるまで飲もう、というのではない。ただ単に戦友(とも、と読む)と杯を交わしたいだけだ。
そんなおかでんを「まってたぞ」とばかりに迎えるひびさん、写真だと手に一升瓶を持っている。まだ未開封の一升瓶を片手で軽々と持っているあたり、当時おかでんに「うわばみ女」と恐れられたそのインパクトが伺える。
ばばろあとしぶちょおは、おかでんが持ちこんだノートPCでwebサイト「プロ野球景気の悪い話」を見ていた。当時の大人気サイト。おかでんからは「通信費がとんでもないことになるから、あんまりページめくっちゃ駄目ー」との注意あり。当時は定額制なんて概念はなかったので、ちみっとネットサーフィンしただけでえらいことになったものだ。
ちぇるのぶはお酒ちょっとで眠たくなり、轟沈。一人早く寝てしまった。そういえば、さっきのお店でビールと清酒をそこそこ飲んだんだっけ。彼は飲むとすぐに寝る習性がある。
残された酒飲み3名で乾杯するの図。
なんだか話が盛り上がっちゃって、ぐいぐい杯を重ねる一同。特に山手線ゲームとかやったわけではないのに、一升瓶の水位がどんどん下がっていった。
写真だと、すでに一升瓶が半分空いている。二泊三日の旅行で飲みきる予定だったので、既にここで「今日の分」は飲みきってしまっていることになる。しかし、カメラに収まっている三人とも「いいぞ!今日のオレはいけてる!」という顔をしている。
よく見ると、卓上にはウィスキーの瓶も見える。これは飲んだ記憶がないのだが、酒飲みの記憶なんてあてにはならない。とにかく、飲んだ。気持ち良く、ぐいぐいと、飲んだ。清酒を。
なお、写真内のおかでんだが、顔が若干青ざめている。おかでんの場合、酒を飲んでもほとんど顔に出ないのだが、よく観察していると顔が青くなり目が座るという特徴がある。こうなると記憶が曖昧になってくる状態。そろそろやばい雰囲気。
宴会が終わって、全員寝る体制に入っているところ。
ほとんどこの状況においておかでんは記憶を失っている。
写真は、しうめえの様子がどうもおかしい、ということで、ひびさんが気を利かせて水を渡しているところ。しうめえの肌の色が妙に紅潮している。ひびさんおよび手前にいるしぶちょおの肌の色と比べると、その紅潮っぷりがよくわかる。
酒盛りを展開していた3名には加わっていなかったが、それなりにお酒は飲んでいたばばろあがおふざけをしているところ。
おっと、その手前にいるしうめえは布団を頭までかぶって、しかもその布団をぎゅっと握りしめて寝ている。7月だし、こんな息苦しい格好をして何をしたいんだろう。窒息するぞ。
※なおこのあたりはおかでん全く記憶がありません。カメラで撮影しておきながら。
このあとしばらく寝静まったところで悲劇が発生。
しうめえがリバース。布団の上に吐いてしまったのだった。どうも様子がおかしいかったが、まさか寝ゲロをしてしまうとは。
慌てる一同。それにつられて、ひびさんまで具合が悪くなってしまい、お手洗いへ。しばらくしても戻ってこないのでしぶちょおがお手洗いに助けにいくと、そこで行き倒れているひびさん発見。しうめえについてひびさんも遭難。
このカオスとなっている状態をどうにかしないといけないので、全員で深夜の後始末開始。しかし、一人だけ全く気づかずに寝ている人がいた。誰あろうおかでん。酒盛り三人組のうち、二人が遭難した状態のなか、おかでんだけは遭難はしていないかわりに失神状態になっていたのだった。
翌日になって「おかでんは起きてこなくて何もしなかった。ずるい」と責められたが、何せ全く気がつかなかったのだから仕方がない。申し訳ないけど。
写真は声をかけても起きてこないおかでんを、業を煮やしたしぶちょおが撮影したもの。
変な姿勢で突っ伏して寝ているのだが、枕にしている手がモコモコにむくんでしまっている。
おかでんが目を覚ましたのは、大惨事の片付けが終わって、再度寝静まって夜が明け始めた頃。妙に体がかゆいので目が覚めた。見ると、腕全体が蚊に刺されまくり。何でこんなに蚊が、と思ったら、おかでんが寝ているすぐ側の窓が解放されていたのだった。
「誰だ、窓を全開にした奴は!」と腹立たしく思いながら起きてみたら、うわ、室内が大変な臭いに。何だこれは。
お手洗いに行くため部屋から出たら、隣の部屋(この日は空き室だった)で疲れ果てて寝ている人発見。何だ、何が起こったんだ。
全員が起きたところで話を聞くと、部屋があまりに嘔吐物臭いので、一部の人は空いていた隣の部屋に逃げたのだという。そうだったのか、眠りこけていたので、全然気がつかなかった。
これがアワレみ隊では「高知の夜」と称される事件の全容。単に酔いつぶれた人が粗相をしただけの話なので、第三者からしたらつまらない話だと思う。しかし、これ以降、あれほどまで「うわばみ」と恐れられていたひびさんがすっかりおとなしくなり、痛飲することがなくなってしまった。しうめえも同じく、豪快な飲み方をしなくなってしまった。アワレみ隊における夜の宴会のスタイルはこの日を境に一変してしまったのだった。さびしい限りだ。
なお「眠りこけていて事態に全く気づかなかった」おかでんは、この「高知の夜」の前後で全く変化はなかった。
1999年07月18日(日) 2日目
布団の中に粗相をしてしまった人、お手洗いで行き倒れた人、その介抱や後片付けをやっていた人、全く目を覚まさず眠りこけていた人。十人十色の朝。
写真を見ると、おかでんの顔色が一晩経ってもすこぶる悪いのがうかがえる。青ざめており紙粘土みたいな色をしている。
しかし、にやにやしながらおひつからご飯をよそうしぶちょおの手には、まんが日本むかしばなし盛りのご飯が。
「酒飲んだ次の日はおなかが空くだろうから」
いや、普通酒飲んだ次の日ってのは胃にものが入らないんじゃないかと。
このとき以降、アワレみ隊で旅行をする場合、大抵しぶちょおとおかでんのお茶碗は物理原則の限界に挑むくらいのご飯の盛りつけになるようになった。
ご飯を食べるおかでん。
でもこの山盛りご飯を食べたおかげで、おかでん急速に復活。おかでんの場合、お酒を飲んだ次の日は無理をしてでもご飯をしこたま食べた方が体が落ち着く。
ただ、さすがに夜中に玉砕したしうめえ、ひびさんの二名は食があまり進まなかったようだ。そりゃそうだ、普通は。
食後、全員で手分けして部屋の片付けをする。
見ると、一升瓶が空になっていた。ほぼ三名で一升瓶カラ。一人3合ちょっとの計算になり、それだけだとたいした事はないのだが、テーブルにはいつの間にかカラになっているスパークリングワインと、量が減っているウイスキーボトルが。しかも、その前には夕食時にビールと清酒を飲んでいるので、まあなるべくしてなった災害といえる。起きてしまった人災に一同恐怖する。
汚れてしまっている布団についてはさすがにそのままにしておくわけにもいかず、宿にお金を包んでクリーニング代としてもらった。申し訳ない。クリーニング代は全員の割り勘となったが、酒を一滴も飲まないしぶちょおからしたら良い迷惑だったと思う。
コメント