タイムスリップ給食

タイムスリップ昭和展

新宿タカシマヤの10階催事場で、「タイムスリップ昭和展-EXPO’70とその時代-」というイベントが開催されているという話を聞きつけて、行ってみることにした。最近、だらけた生活を送っているので、こういうイベントにはどんどん強引に首を突っ込むようにしないと週末引きこもりになってしまいそうだ。

愛知万博開催中ということもあって、「じゃあ、前回の万博はどうだったのか」という振り返りをしましょうという主旨なのだろう。あれ、筑波博(1986年)って万博じゃなかったの、と今頃になってびっくりするが、あれはあくまでも「科学博覧会」であり特別博だ。

そういえば筑波博って1日30万人の来場者があったんだっけ、と当時を振り返る。それに比べて愛知博は、内覧会程度の集客で悲鳴を上げているんだから笑えない。進歩してないじゃん。

とまあ、1974年産まれのおかでんにとっては、せいぜい「昔に思いを馳せる」ことができるのは昭和50年代がいいところだ。記憶として、自分に染みついているのは昭和60年代以降のことだ。大阪万博当時のモノを見ても、単に歴史民俗資料館を拝観したようなもので、特にタイムスリップした気にはならない。

タイムスリップ昭和展看板

催事場の一角を使った、小規模な展示ながらも700円の入場料金は結構お高い。しかし、なかなかな数の来場者が中に入っていった。やはり中高年層の人が多く、夫婦で目を細めて展示物を眺めていた。そりゃ、40代以上の人にとっては非常に思い入れのある時代だろう、大阪万博の頃というのは。

ただ、あまりに思い入れをもって展示物を眺めるため、周りの人の迷惑を考えずに陳列物の前に立ちふさがったり、隣の人をぐいぐいと押して自分が見やすいポジションを確保したりとさりげなくうっとおしかった。過去にあまり熱中してはいかんよ、奥様。

展示物は、「大阪万博」「岡本太郎」「三波春男」「グリコのおまけ」「当時はやりの音楽」といった感じ。なかなか興味深かったが、やはり自身に思い入れがない分、いまいち満喫できなかった感は漂った。両親と連れだって来訪し、親から当時の話・・・要するに結婚当時のできごと・・・を聞きつつ展示物を見る、ということができればさぞや楽しかっただろう。

面白かったのは、小学館の「小学1年生」1970年1月号に書いてあった「30年後の生活」という記事。

・今は冬に部屋を暖めるのは大変だが、ボタン一つで部屋が暖かくなる。→おっ、実現してますな
・料理名を告げると、自動的に料理を作ってテーブルに出してくれる。 →むちゃ言うな
・体を洗ってくれる「人間用自動洗濯機」ができる。 →脱水もしてくれるのかな?そんな商品のニーズは今も昔も無い
・4面ディスプレイ型テレビが誕生、家族4人が違ったチャンネルを同時に楽しめる →1台で4画面用意する必然性が全く感じられないんですけど
・海底は大開発される。海底別荘、海底高速道路ができる →費用対効果を考えなくても良かった時代の人がうらやましい
・何でも仕事はボタン一つでできるようになるので、人間は暇になる。余暇の過ごし方が重要になる →資本主義の原理原則がめためたやんけ。労働の対価として給料が発生するのに、一体どうやって未来の人は金を稼ぐというのか

夢物語ですなあ。当時は、こういう「科学技術の進歩」が未来を変えると純粋に考えていられた時代なんだな。おかげで、需要と供給とか費用対効果とかリスクバランスといったものを完璧に無視した未来絵図が描かれている。こういう時代だからこそ、SFは面白かったわけだが、今のように技術革新が一段落し、微速前進状態のご時世になるとこんな未来予測なんてもはやできない。考えるべきは環境との共生であったり、国際社会における格差の是正であったり、そういう非常に社会的な問題だ。SF受難のご時世になったものだ。

そういえば、一昔前だと宇宙戦艦ヤマトが宇宙空間で火を噴いても、ワープしてもさも当然のように視聴者は捉えていたけど、今同じ演出をすると「宇宙を解っていない、あれは間違いだ」と集中砲火を浴びてしまうだろう。リアリズムこそがSFとなると、今の社会はリアリズムを構成する情報量があまりに豊富過ぎだ。

この展示会、「タイムスリップ」という癖のある名前を使っている時点でグリコの気配を感じたわけだが、案の定協賛に江崎グリコが入っていた。自社の食玩「タイムスリップグリコ」の販促も兼ねたイベントという仕組みだな。

開催は2005年5月9日(月)18時まで。

イートインコーナーが展示コーナーの一角にある

あまり馴染みのない1970年を振り返るだけだったらこの地に足を踏み入れることはなかった。本日のメインイベントは、また別に用意されていた。

展示会場の横では、レトロチックなおまけをつけた食玩が並べられていて、大きな子供達が箱を両手いっぱいに抱えこんで「大人買い」をしていた。そんな奥に、イートインコーナーが設けられていた。それが、本日のお目当て。

懐かしの給食、と銘打ったイートインコーナー

「懐かしの給食」という看板がぶら下げられている一角が、イートインコーナーになっていた。単に展示会場を仕切って、長机を配列しただけのスペースだが、何やら料理を提供するカウンターに白衣の割烹着・・・いや、給食着を着た店員さんが見受けられる。給食当番、ということか。そういえばあったなあ、給食着。給食当番だった週は、金曜日に家に持って返って洗濯しなくちゃいけなかったんだけど、時々月曜日に学校に持参し忘れて怒られたりしてたなあ。

と、一人だけ80年代にタイムスリップ。イベントの主旨より10年ほどずれたタイムスリップ満喫中。

給食当番、マスクしとらんぞ。駄目じゃん。マスクは必須でしょう?コスプレとしては不完全だな。・・・あれ、コスプレじゃないの?これ。

給食メニューその1

メニューはこちら。

給食メニューとして「ライス」があるのに違和感を抱く世代・地域の人が多いようだが、おかでんの小学校時代は米飯給食は存在していたのであまり違和感はない。水曜日と金曜日が米飯の日だった。わかめご飯の日は、おかわり争奪戦になったっけ。

メインディッシュとして、「クジラ竜田揚げ」が用意されていた。これこれ、やはり学校給食といえばクジラを語らずにはおれない。とはいっても、おかでんが小学校5年の時にすっぱりとその姿を消してしまった料理だ。それまでは1カ月に一度以上の頻度で給食に出てきたことから、非常にお手頃な料理だったのだろう。また、児童もこの料理を愛してやまなかった。冷静になって考えてみれば大して美味いものでもないのだが、クジラ竜田揚げの日は吐きそうになるまでおかわりしたものだ。

西原理恵子も、自身の著書で「クジラの竜田揚げを食べ過ぎて吐いた」と白状していたことから、全国的に愛された給食の王様料理だったのだろう。これはぜひ食べないと。それにしても400円は高いな・・・。まあ、クジラ料理を食べさせてくれるお店で竜田揚げを頼んだ日にゃ、とんでもないお金になってしまうわけだから文句はないのだが、当時は学校給食として大量供給されていたわけだから、相当安かったのだろう。原価レベルでいれば、数十円程度といったところか?安ぅ。時代は流れる・・・。

給食メニューその2

黒板にもメニューが書いてあった。内容はメニューボードと同じ。

主食メニューの欄に、コッペパン、揚げパン・・・とかかれていた。おかでんが通っていた学校では、学校を休んだ児童には近所のクラスメートが連絡簿とともにコッペパンを持っていかなければならなかった。これが面倒だったので、近所の友達が熱だして休んだ時、給食が揚げパンだったら非常にうれしかったものだ。コッペパンと違って袋詰めされていないため、家に宅配するわけにいかなかったからだ。そうなると、揚げパンは「クラスメイト有志によるおかわり争奪戦」の対象となるわけで、ますます揚げパンは好きだった。

と、思い入れはいろいろあるのだが、今回はあえて辞退。ソフト麺(200円)を選択することにした。

ソフト麺・・・。これも、給食の王道だ。自身、あまり思い入れも記憶もないメニューだが、確かに頻繁に給食メニューとして登場していたな。スープとなるカレーやミートソースとセットで、ソフト麺をそのスープの中に投下して食べる。これは主食っぽいが実はおかずという位置づけで、コッペパンと牛乳でその日の給食が構成されたりする。今考えると変な組み合わせだ。

ソフト麺を暖めるため、「いただきます」をするまでの間、スープが入っているアルマイトの食器の下敷きにしてあたためていたっけ。

カウンターで欲しいものを取るビュッフェ型式

給食について熱く語る人がいるが、そういう人を眺めながら「凄い記憶力だなあ、僕も6年間給食は食べてきたけど、あんまり記憶が残ってないや・・・」と感心してきた。しかし、いざこうして実物を目の当たりにすると、案外すらすらといろいろな過去の思い出を語れちゃったりするわけで、それだけ給食って心の奥に記憶としてとどまっている証拠なのだろう。

さて我らが給食だが、イートインコーナーの奥にカウンターが設けられており、そこで希望する商品をビュッフェ方式でオーダーして受け取る仕組みになっていた。給食着のおねーさんに「ソフト麺、ください」とお願いするのがちょっと照れくさい。

おかでんは2つの小学校に在籍していた過去があるのだが、給食の配膳方法は2校で異なっていた。最初の1校は、「自分でトレイを持って、カウンターに並ぶ」方式。今回のようなスタイルだ。そして、後の1校は、「給食当番が各机に料理を配膳する」スタイルだった。どっちが効率良いかはわからないが、後者の方は一人一人のお盆が不要、ということで簡略化されていると言える。

というわけで、給食を受け取るためのアルマイトトレイを手にしたとき、ものすごく郷愁を覚えた。小学校1年の1学期だけ通っていた学校の思い出。

この給食で1,100円は高い!

思い出は常に美化されるものだが、現実はそれほど甘くない。

クジラ竜田揚げ(400円)+ソフト麺(200円)+ミートソース(300円)+ミルク(200円)=1,100円

うわぁ、たけぇ。1000円超えてしまった。ミルク200円というのは明らかに強気すぎる価格設定だが、やはり学校給食である以上牛乳は不可欠だろう。悔しいがオーダーせざるを得なかった。ちぇっ。

確か、小学生の時に毎月学校に払っていた給食代って、2000円強だったような記憶があるわけで、こんな価格だったら1カ月で2食食べたらもうアウトだ。給食のおばちゃん、安くて美味い給食をどうもありがとう。・・・と今更感謝。

デザートメニューに「冷凍みかん」があったら絶対に買ったのだが、残念ながらそのようなものは無し。プリンだぁ?ヨーグルトだぁ?そんなものは給食っぽくないから却下だ。

先割れスプーンの使い方に戸惑う

給食といえば先割れスプーンも必須アイテム。フォーク兼スプーンの優れものだ。あまり一般では売られていないので、ものすごく久しぶりに手にした。

いざ手にしてみたものの、使い方がよくわからない。おかしい、小学生のときは当たり前のように使いこなしていたのに。

しばらくソフト麺と格闘してみたが、使いにくいことこの上ない。麺をこの先割れスプーンで掬い上げるなんてどだい無理だ。お椀を手にしてかきこめ、というのだろうか。昔はどうして食べていたっけなぁ?

竜田揚げはスプーンですくえば食べられるので良いが、キャベツの千切りでまた困る。すくいにくい。あと、なんとかスプーンの上に料理を載せようとお皿とスプーンを動かしていたら、アルマイト独特の「かしゅかしゅ」というこすれる音がして何だか背筋が薄ら寒い。久々に聞いたこの音にも、2005年のおかでんには耐性が薄れていたわけだ。

先割れスプーン、なんて使いにくいんだコノヤローと思ったが、考えてみれば米飯給食の日以外は全部これで食べていたんだっけ。今となっては信じられない。しばらく先割れスプーンと戯れていたが、途中でうんざりしたので大人しく箸にシフトした。そういえば、小学校卒業した後の春休みに、母親から「中学に入学するまでに箸の使い方をきっちりとなおしなさい」と特訓を受けたなあ。箸で大豆をつかんで、お皿に移すという作業を延々とやらされたっけ。

久方ぶりのソフト麺は、何とも形容しがたい「ソフト麺」という食べ物だった。なるほど、これはソフト麺だわ。・・・としかいいようがない。ふやけたスパゲティのようだし、うどんのようでもあるのだが、結局どこにも属さない独特の麺。一体これは何なのだろう、と給食から卒業して20年近くたって初めて疑問を抱いた。

家に帰って調べてみたら、「ソフトスパゲティ麺」の略称だそうで・・・やっぱりスパゲティの仲間だ。給食用に作られたものであって、一般には入手できないものらしい。

あんまりこの歳にして、懐古趣味な事をやりたくはなかったのだが、自分の記憶というのは時折メンテナンスしないと本当に忘却してしまう。時には、過去を振り返る機会を設けて、記憶の整理整頓をしてみるというのもいいかもしれない・・・と思った日曜日の昼下がりだった。なかなかいい体験をさせてもらった。

ついでに、いろいろな人の「給食の思い出」を聞いてみたくなったので、今度御徒町にある「給食当番」という給食料理のお店でオフ会をやろうと画策中。給食風料理を食べつつ、給食の話に花を咲かせてみたい。

(2005.05.08)