「とりあえず」で撮る料理写真の虚しさよ

何か意図があって撮影したであろう料理写真。

そして「ああ、これはweb記事にしよう」と思って2ヶ月ほど前にピックアップし、掲載準備だけはしてあった。

で、いざ文章を書こうとして、何も覚えていない。

所詮、食べ物の写真ってそんな扱いだ。今となっては。

昔って、もっと「うおお!これは!」などと前のめりになりながら撮影していたし、撮影とともに記憶が脳内に固定されたものだ。しかし今じゃ、料理写真にかぎらず写真そのものの動機が薄いし、記憶に残らない。

だったらもう、料理の写真なんて撮らなくてもいいじゃないか、と思い始めている。

料理以外だってそう。旅行の写真も。

僕は、「映える写真」とか「みんなとの記念写真」はほとんど撮って来なかった。記憶で失われてしまいがちな、旅行やできごとの行間を写真で埋めてきた。写真を見ることで、「ああ、そういえばそうだったっけ」と記憶が呼び覚まされる、そんな写真だった。

でも、そんな写真を撮ったから一体なんなんだ?という気がし始めている。行間を埋めることへの疑問。

それは、歳を重ねてきて、写真を含めた過去の情報が多くなりすぎて一つ一つの重み付けが下がってきたからだろう。

これまでは忘却に抗う形で写真を撮ってきたけど、今後は写真を撮る枚数は減りそうな気がする。実際、料理写真を馬鹿みたいに毎回撮るのは、すでに減ってきつつある。

(2022.11.27)

コメント

コメント一覧 (3件)

  • まぁねぇ。料理写真って実は光の加減とか微妙な背景、そしてピント位置(被写界深度)を計算しなくちゃ良いの撮れないものだから。美味しくいただくことを第一に考えたらそりゃ「ええから早く食え」となるのはもっともです。でもおかでんさんの家族スナップは毎回楽しみにしてます。

  • zennさん>
    料理写真を撮りに飯屋に行ってるわけじゃないんで、さりげなく・かつ素早く撮影してすぐに食べるのがクールだと思ってます。料理写真のレッスンを受けに行くと、自然光だのレフ板だのあれこれ教わりますが、いやーそのシチュエーションを実際のお店で再現するのは無理だわーって思ってます。すごく勉強になるんですけれど。

  • そういう意味からもスマホが最適解であることは言を俟たないでしょう。
    せめてできる最大のことは、いしさんもしくは自分で作った料理を最高に美しく映し出すこと…これもたけ坊が大きくなるまでは無理そうではある。いやいやご飯はおいしくいただきましょう。

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