断酒歴12年おかでん、ついに酒を口にする

おかでん51歳の誕生日。

家族から、近くのイタリア料理店で誕生日記念のお食事会を開いてもらった。

僕はゲストなので注文はいしにおまかせする。

いしは自分の飲み物である烏龍茶を頼んだあと、僕が飲むであろうノンアルコールビールを頼んでくれた。

イタリア料理店なので、モレッティだ。

イタリアのビールは日本ではあまり出回っていない。せっかくのイタリア料理店なのに、ドライゼロやオールフリーが置いてあるのはザラで、ちょっと残念だ。そもそもノンアルコールビールという飲み物がまだまだ特殊で消費量が少なく(特にイタリアンやフレンチなどでは)、わざわざ外国から仕入れて高くつく飲み物をメニューに載せるまでもないのかもしれない。

モレッティのノンアルコールビールは僕にとって思い出深い飲み物だ。結婚式を挙げたそのあと、その日の夜のうちに役所に行って婚姻届を出したのだが、それが終わって「やれやれ」と一息ついたのが役所近くのイタリアンだったからだ。そこで飲んだモレッティは美味かった。飲み慣れないビールだったし、一日がドタバタしていたからだ。

51歳の誕生日を祝って乾杯したモレッティは、これもまた美味かった。

「コクがあるなぁ、ノンアルコールビールにしては味がどっしりしてうまいな」

とゴクリと飲んだ僕が言うと、注文したいしは

「原材料にとうもろこしが入っていますよ」

と言う。えっ、そうなのか。モレッティのノンアルコールビールは、通常のビールに脱アルコール処理を施して作ったものだと聞いている。もともとのビールにとうもろこしが入っているのか、それともノンアルコールビールにする際に味がペラくなるのを防ぐためにとうもろこしを足したのか、どっちなんだろう。

瓶を手に取り、ラベルを見てみる。

あ、ほんとうだ。「原材料名:麦芽、とうもろこし、ホップ」と書いてある。

・・・ん?待て。「ホップ」のあとに「アルコール分 4.5%」と書いてある。あれれ?

もう一度このラベルを見てみると、先頭に「品名:ビール」と大きく書いてあるじゃないか。おーーーーい!!!!

やられた。ビールを飲んじまった。

不詳おかでん断酒歴12年。2013年夏に居酒屋店員のミスで緑茶ではなく緑茶ハイを持ってきて、それをうっかり口にしたことはある。それ以来の飲酒だ。しかも今回はグラス半分くらいを飲んだ。あーーーーーーーーー!!!!!!

いしが飲み物をオーダーしているとき、「モレッティ」と注文していたのを僕ははっきりと認識している。メニューでノンアルコールのモレッティを指さしてはいたが、「モレッティ」という口頭注文だったので危なっかしいな、とはそのとき思っていた。

「後になって考えてみれば」ではなく、リアルタイムで「危ない注文だな」と思っていたのに、そのままオーダーを任せてしまったのは自分の認識の甘さだった。

いしはメニュー上のノンアルコールのモレッティを指さして発注している。店員さんはいしの声を聞いて「モレッティ」を受注している。どっちも悪くない。というか、オーダーミスをしたのはこっちの側だろう。「ノンアルコールの」と名言していないのだから。

でも、結局口にするのは僕自身なわけであり、自分が口にするものに責任を負うのは自分自身でなければならない。人に注文を任せた時点で、ダメだったということだ。

いしは平身低頭謝っていたが、僕はもうテンションだだ下がりだ。誕生会どころじゃない気分だ。なにしろ、10年以上ぶりに、酔いが頭に回ってきたからだ。それは快楽でもあり、恐怖でもあった。

アルコール依存の一歩手前、いや、片足を突っ込んでいた僕にとって、10年経とうが20年経とうが、「たった一杯」で元の木阿弥になる事例はたくさん学んできた。AA(アルコホリック・アノニマス。匿名の断酒会みたいな自助グループ)の人の体験談など、イヤというほど聞いてきたからだ。

その話を聞いた母親が、「たかだか一杯でしょ?大げさに考えなくても」と電話口で言ったのを聞いて、僕は余計苛立った。「一杯くらいならいいでしょ?」という心無い他人の言葉で、これまでどれほどの人間がアルコールの地獄に堕ちてきたことか。

いしと話をして、今後は僕が飲む飲み物は、他人任せにせず僕自身が必ず頼むというルールにした。良かれと思って代わりに頼んでおきました、というのは無しだ。それがたとえコーヒーとか、明らかにノンアルコールだとわかっている飲み物であっても、だ。

今回の彼女のオーダーは悪くなかった。でも、アルコール忌避に対する警戒感や緊張感というのが、どうしても僕自身とそれ以外の人だと、レベルが違う。なので、僕自身がちゃんと責任を持ってメニューを見て、自分の判断でオーダーを口にしたほうがいい。

家に帰ってからも、しばらく酔いでぽーっとしていた。もちろん軽い酔いなのだが、なにしろ10年以上ぶりのアルコールなので少量でも効果はてきめんだった。

恐ろしいのはその翌日からで、テレワークを自宅でやっていて、「昼間っからビールを飲んだら楽しいだろうな」という考えが頭をよぎるようになったことだ。これまでは一切「酒を飲む」という選択肢が人生の中から消えていたのに、今回の不幸な事故によって「ひょとしたら酒を飲んでも・・・?」という選択肢が頭の片隅にできてしまった。

そんなバカな、と思うだろう?そして、それくらい我慢できるだろ、と思うだろう?

でも、そうはいかないのが酒の怖さだ。僕自身十数年前に体験したが、酒のためなら平気で人に嘘をつけるし、すべての倫理観や価値観の上位概念に酒を持ってくることも厭わない。

そういう世界線がチラチラ見えてしまったことが、ほんとうに怖いことだ。

まさかここから飲酒生活に逆戻り、ということは多分ないと思う。でも、今この文章を書いているだけで、口の中に不穏な唾液が溜まってくる。頭の中で酔ったときのことを思い出し、落ち着きを失ってくるからだ。

せっかく10年以上断酒してきたけれど、また一から出直し。いや、マイナスからの出直しだ。

僕の人生設計として、70歳を過ぎたくらいで、もういい加減老いぼれたころに「嗜む程度にビールを飲む」ことをやりたいと思っている。深酒をしたくても体がついてこないので飲めない、という年になるまで、待機。しかし、51歳で飲酒を再開してしまったら、たぶん60歳を待たずに死ぬと思う。それは誰も幸せではないので、我慢だ。

好きなものを我慢しなければならない人生は、涙が出るほど悲しい。今この文章を書いていて、心底悲しい。

(2025.02.04)

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