編集後記2021年08月期

負傷しながらの下山【苗場山】

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この記事でさんざん書いたとおりで、苗場山は美しい山頂の景色とうらはらに、非常に登りにくい山だった。下山時に足をくじいてひどい目にあったし、もうこりごりだ。

しかし、記事を書くにあたってこの山の写真を改めてあれこれ調べてみると、いい山だなあ、という気持ちが新たに湧いてくる。つくづく、雨の日の登山で眺望が全然得られなかったことが勿体ない。

この山に限ったことじゃないけれど、これまで「百名山には登ったけれど、天気が悪くて視界は悪かったよ」という山はたくさんある。天候に恵まれた中の登頂のほうが少ないかもしれない。

山、というのはそういうものだ。しかも、僕みたいな天の邪鬼な性格だと、人が少ない時期を狙って登ろうとする。人があまりいない時期、というのは登山に向いていない時期であり、その分雨に祟られることが多くなる。

自業自得だけど、その代償が派手な捻挫とは。

2018年のこの登山以降、捻挫した右足を再度ヒネるという事案は発生していない。しかし、歩いていて明らかに右足のほうが安定感が悪いし、そのくせ可動域が狭くなっている気がする。

この記事を書いて以降、自宅でテレワークしながらも足首のストレッチは意識するようになった。

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これまで、都会のビジホ泊まりだなんて・・・という考えがずっとあった。

それは、僕の青春を捧げきったアワレみ隊が、ドライブ&温泉&キャンプ&離島を嗜好しており、都市部に立ち入ることが少なかったからだ。そして泊まるからには一蓮托生、みんなが別々の部屋に散らばるというのは良くないことだと思っていた。

しかしときが流れて2019年。惜しいかな、お互いの人生経験の積み重ねにより、昔のように「さあ今度の三連休はどこに行く?」とすぐに外に飛び出すことができなくなった。土日に仕事があったり、遠くに移り住んだり、伴侶がいたり、子供がいたり。

仲が悪くなったわけではないのに、ときどき連絡を取り合ったりしているのに、「歳を取るということ」は疎遠を生みやすい。

そうなると、僕は僕で自分の周辺で新たに「つるむ仲間」を作らないといけない。アワレみ隊だけでなく、TPOに応じた毛色の違う仲間と集団を作っておきたいと考えている。

女性と違って、相対的に男性はコミュニケーションが下手だ。女性は歳をとっても話す相手がいるけれど、男性は孤立化していくことがある。僕がまさにそのパターンに陥りそうで、正直言って今びびっている。いつでも親しく話せる相手が家族だけになるんじゃないか、と。

とはいえ、仲間を無理に作ることはしないで、「自分一人でも楽しく過ごせる」方向での検討も大事だ。今回、地方都市のビジホ泊で街歩きの1泊2日を楽しんだのは、そういう文脈もある。

実際、ビジホでも、地方都市でも、十分に楽しかった。一人旅だからこその楽しさが得られて、新たな発見だった。温泉旅館は最高だけど、地方都市のビジホもなかなかイケるじゃねぇか、と。

とはいえ、今はいいとして、じゃあ60歳とか70歳とかになって、一人でレンタサイクルを借りて町中を散策、というのはちょっとどうかという気がする。やっぱり、何らかの仲間や家族が必要だ、とも感じた。

ブログを音声で入力するということ

以前、へべれけ紀行「仙丈ヶ岳編」のときに、文章を音声入力で済ませようとしたことがある。最近のGoogle音声認識をはじめとするAIはびっくりするくらい進化しているからだ。

しかし、結果として殆ど文章をリライトする形で仙丈ヶ岳編はリリースされた。つまり、二度手間だ。

ロジカルな文章や主題がはっきりしている文章を書くならまだしも、このサイトのような「ダラダラとした日記スタイルの文章」というのは、音声入力がし辛いことがわかった。できないことはないけれど、訓練が結構必要だ。

というのも、タイピングしながらその先に続く文章を考え、比喩や冗談を混ぜ込んだりするからだ。そして、時折自分の知識があっているかどうかネットで調べたりもする。音声入力だと、そういうい遊びの部分が用意できない。「あー」とか「うー」と言葉がつまらないように、追い立てられるように言葉を脳から引っ張り出し、喋り倒す。そのせいで、薄っぺらい文章になるのだった。

僕が音声入力をやってみようかな、と思い立ったのは、勝間和代さんのブログをちらっと見かけたからだけど、その勝間さん、最近またブログを更新していらっしゃった。今度は、音声入力の効率をさらに上げるためにフットペダルを導入したのだ、という。

おそらく勝間さんが使っているのは、これだ。

3つのペダルがあって、それぞれに「改行」とか「バックスペース」「変換」といったキーボード上のボタンを割り当てるんだそうだ。で、音声入力をしつつ、このペダルを足で踏んでいく。なんてぇ人だ。まるでエレクトーンを弾いているみたいじゃないか。しかも勝間さん、この3ペダルを2つ連結して使って、6ペダルにしているらしい。(元記事にリンクを貼れればよいのだけど、ちょっと見つけられなかったのでご容赦)

で、メカ好きツール好きの僕としては、俄然心がウズウズするわけですよ。こりゃあ、買うしかないか。もし僕が独身なら、なんの躊躇もなく速攻で買っていたと思う。しかし今や僕は妻子がある身。しかも完全同一生計にしているので、僕が何かウキウキマシーンを勝手に買うというのは気まずい。パートナーのいしはあれこれ文句を言う人じゃないけれど、僕が気後れする。申し訳ない、と。

そんなわけで、まずは音声入力から復活させようよ、ということにした。音声入力をバッチリできるようになって、それでも物足りなければペダルを買えばいい。

しかし、今この文章を書いているのは相変わらずのタイピングだ。音声入力を渇望しているのだけれど、なかなかできる状況にない。

家族がいる状況だと、恥ずかしくてしゃべることができないからだ。恥ずかしいだけでなく、集中できない。口述筆記させようとすると、タイピング以上に集中力がないと正しい文章ができないので、なかなか難しい。もう少しなんとかしたい。

言葉のチェック

東京2020オリンピック開会式に関連して、過去の差別的言動が掘り起こされて問題になったのは衝撃的だった。え、そんな昔の話まで、しかも前後の文脈とかをすっ飛ばして批判されるの?と驚くと同時に、明日は我が身だと思った。他人事じゃない。

キャンセルカルチャーというのは、若い人が圧倒的に有利だ。人生経験の蓄積が浅いからだ。一方、中高年、しかも名が知れた人ほど、これまでの人生であちこちに露出し、語り、そしてそれが記録として残っている。自分の歩んできた実績が、若造を圧倒するハラスメントにもできる一方で、自分が踏んでしまう地雷にだってなり得る。

僕も、かれこれ四半世紀以上ネット界隈で文章を書いている。古くはパソコン通信からで、昔は記事に大学名学部名と本名を書いた署名を付けていたものだ。それでエロゲー評を書いていたんだから、今から思うと信じられないことだ。「このヒロインは俺の嫁」みたいなキモい文章は一切書いておらず比較的真面目なスタンスだったはずなので、「思い出したくない過去」というほどではないけれど。

それはともかく、問題はこのサイトだ。awaremi-tai.comは2000年6月から運用開始で、今年で21年になる。しかし「ダイエット!?日記」や「喰い地獄の間にて」あたりの文章は、1997年頃のものも含まれている。つまり僕が社会人になりたての頃のものだ。

当然の文章は、荒削りだ。今のようにブログもなければSNSもないご時世、「手加減」の基準がどこにもなかったからだ。うかつな発言がどこに潜んでいるか、わからない。

そして、今は問題がなくても、ポリコレというのは時代とともに常に動くゴールポストだ。5年後、10年後に再検証するとまずい発言というのが出てくるかもしれない。

ブログにしてもSNSにしても、後世に残す意味がある文章出ない限りは、短期間で消去したほうが身のためなんじゃないかと思えてくる。

僕自身が今後大物になる可能性というのはほぼないわけだけど、人生何があるかわからない。そんなときに、過去の些細な(と自分では思っていた)発言が掘り返され、ダメージを受けるのは困る。

僕が律儀にNHKの受信料を払い続けているのは、そういう理由からだ。NHKなんて見てないよ、ましてやBSなんて!と常に受信料支払いに不満を抱いているけれど、遠い未来に「あいつ、NHKの受信料を払っていなかったらしいぞ」と言われて困ることがあるかもしれない。なので、くそったれと思いながらも受信料を払っている。税金だって、1円単位でガッチリ確定申告して払っている。メルカリで稼いだ1,000円程度のものでさえ、確定申告しているくらいだ。

話がずれた。

オリンピック開会式問題が出た直後、「これはまずいな、自分もチェックしないと」と慌ててこのサイトの過去記事を調査してみた。明らかに差別的な意図をもって書かれた言葉や、罵倒文句というのはなかったと思うけれど、こういうご時世になると「疑わしきは削除。なかったことにする」方向に気持ちが傾いていく。

思いつく限りの、差別的な意味を含みやすい言葉についてはチェックして内容を吟味した。表現を別の言葉にしたり、これはさすがに問題がないだろうということで保留にしたり、中には段落ごっそり削除せざるをえないところもあった。差別する意図がなくても、そのことについて論争するのが面倒だからだ。

残念なことだが、これがこれからの「多様性」だ。理解と共生、という流れに持っていければよいのだけれど、まずは身の保身のためにその話題には触れない。見なかったことにする、という分断が強まるのだろう。

僕は男子校出身ということで、アワレみ隊はホモソーシャルな世界で成り立っている。そのため、古い文章は男性同性愛に関する冗談をよく使っていた。しかしそういう文脈を理解した上で読んでいる人は殆どいないので、見方によっては文章の一部を不愉快に感じる人がいるかもしれない。そういう「可能性がある」ことに僕自身が気がついているんだったら、文章を直すしかない。

あと、現在「セルフ言葉狩り」から保留扱いにしているのは、「虐殺」「拉致」というどきつい表現と、「ババア・ジジイ」といったエイジズムにからむ表現だ。表現として不適切であり消したほうがよい、という時流になってきたら、これらも書き換えることになるだろう。

幸い僕の場合、人生の中で女性とあれこれ交流するという機会が非常に少なく、男性諸君とつるんでいることが多かったので「フェミニズム」という大変に難しい話題にはほぼ触れていない。これだけ膨大な文章を書いているにもかかわらず、だ。それはそれで視野が偏っているともいえる。

僕は80年代~90年代のカルチャーから影響を受けているので、どうしても大袈裟な表現だったりきつい表現を好む。特に、神足裕司+西原理恵子著「恨ミシュラン」を愛読していたこともあって、僕の初期の「蕎麦喰い人種行動観察」の記事は「まずい」とか「二度と行かない」などという文章がときどき出ていた。ただしこの問題は10年以上前に「さすがに時代遅れだな」と気づき、訂正済みだ。今は露骨に「まずい」と評されているお店は殆どないはずだ。若干、表現や行間に「この店はまずい」というのがにじみ出ている記事があるけれど。

こうやって自分で言葉を訂正しても、問題をパーフェクトには解決できない。それこそ、「表現や行間」に差別的なニュアンスが含まれている可能性があるからだ。単語としては差別的用語を使っていなくても、ニュアンスが男尊女卑だったり、マイノリティ差別意識が含まれているかもしれない。これはもう、どうにもならない。もしいずれ指摘を受けることがあれば、その都度内容を確認し、直すべき文章は直すことになるだろう。

そして、「文章を直しただけでは隠蔽工作と一緒だ。そういう文章を書くことは、心の中で差別意識があるからだ。上辺だけ取り繕っても駄目だ」などと問い詰められたら、もう僕はどうしようもない。いや、僕だけでなく、表現をする人全員がどうしようもなくなる。

著述業として生計を立てている人なら、腹をくくっていくしかない。でも僕のように道楽で文章を書く立場だと、文章を公表することに自分の人生を賭けられない。だったら、当たり障りのない文章を書くか、匿名のSNSで書いていったほうが気楽だ。

別に、差別的発言を陰湿にやり続けようと思っているわけではない。書いた当時では問題がないと思っていても、後に社会のものさしが変わって問題化したり、単に書いた当時の自分の見識の甘さが露見するといったこともある。文章を書き留め、公開し続けることに対して僕は随分リスクを感じるようになった。それがここ最近の肌感覚だ。

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