生粉打ち蕎麦 弦庵

2001年02月12日
【店舗数:089】【そば食:168】
長野県北佐久郡軽井沢町

せいろ

弦庵

企画3日目を迎えた。前日夜は、北軽井沢に投宿していたので、本日は軽井沢の蕎麦屋がターゲットになる。

初日、二日目あわせて7軒の蕎麦屋にお邪魔した。今日、3軒くらい訪れるつもりなので、合計で10店舗。食べ過ぎのような気がするし、そうでもない気もする。

とか思いつつも、「やっぱりホテルの朝食でバイキング食べるのって、楽しいよな」と言いながら宿の朝食をバリバリと食べてしまった。この後すぐに蕎麦屋巡りが控えているんだから、朝食抜きでも全然問題はないのだが・・・バイキング大好きのおかでんにごり押しされた格好だ。他の同行者は「別に高い金払ってバイキングなんて食べなくても・・・」と抵抗していたのだが、「ここ数日蕎麦ばっかりで、味覚が馬鹿になりそうだ。頼むからいろいろ食わせてくれ」と懇願。この懇願内容は、企画そのものの趣旨を取りつぶしかねない内容だな、今あらためて文章にしてみると。

本日一発目の蕎麦屋は、軽井沢駅から歩いて数分の路地裏にあるお店、弦庵だ。「ながの人気味本」によると、「蕎麦好きのオーナーが始めた、蕎麦にとことんこだわった店」と書いてあった。蕎麦好きじゃないオーナーが蕎麦屋を始めることがあるんだろうか?あんまり、この解説文の前半部分は意味を成していないような気がする。まあ、要するに蕎麦好きが高じて脱サラした、ということが言いたいのだろうけど。

それはともかく、軽井沢近辺には名の知れた蕎麦屋が結構な数、存在するらしい。その中でこの弦庵を選んだのは、蕎麦の写真が美味そうだったからだ。あと、お店のメニューが「せいろ(十割)」と「いなか(つなぎ一割)」しかないというシンプルさも惹かれたからだ。

お店は、小料理屋でもやってるかのような、ビルの一角にひょいと暖簾がさがった場所だった。外観だけでは集客効果に乏しいと思ったのか、歩道にでっかい「十割そば」と書かれた看板を出して、通行の邪魔をしている。その立て看板、黒地に白い字という構成なのだが、何となく、街角で時々見かける「神の国は近い」とか「悔い改めよ」と書かれた短冊形の広告を思い出させる。

せいろ

店にはいると、お客はわれわれだけだった。店は、間口の狭さのとおりの作りになっていて、ウナギの寝床状態だ。厨房に向き合う形でカウンター席が伸びている。まるでラーメン屋だ。

「じゃ僕ラーメンと餃子ね」
「言うと思った」

とりあえず、言いたいことを言って、すっきりしておく。

よし、注文するぞ。・・・とはいっても、二種類しかないわけだから、悩みようがない。生粉打ちの「せいろ」を注文してみた。

待つことしばし、何やらコタツの上にあるミカンを入れるざるのようなものに盛られた蕎麦がやってきた。これまで2日間で食べてきた蕎麦の中では一番量が少ない。しかし、それでもこれが普通の量なんだよな。いかんいかん、何だかこの量を見て「物足りなさ」を感じてしまっている自分がいる。いつのまにか、東信地方の蕎麦の盛りっぷりに慣れてしまっている気配。「俺、飼育されている?」という言葉が、一瞬脳裏をよぎる。

見た目に違わず、けっこう繊細な蕎麦の味と香りがふわんと漂った。うん、おいしいです。

ごちそうさまでした。

・・・店を後にした。

うわ、淡白だな。それで終わりか。

いやねぇ、蕎麦はおいしかったんだけどねぇ、って感じっすわ。やっぱ、蕎麦屋ってのはホスピタリティの要素があるべきだなあ、って思う。ほっと一息つける空間。おかでんの場合、その空間とはえてして「高い天井」だったりするのだが、このあたりの感覚は人それぞれだろう。しかし、このお店の場合、まさにラーメン屋な店舗構造であり、全員カウンタに横に並んで蕎麦を食べることになり、「食べ終わったらすぐに店を出なくちゃ」という気にさせられてしまう。どうも落ち着かない。

結果的に、なかなかな蕎麦を頂いたはずなんだけど、あんまり印象に残っていないや、という貧乏くじをひいてしまっている。ああもったいない。

でも、カウンタ席なので一人でふらっと立ち寄って、すすすっと蕎麦を手繰ってさっと引き上げる分には非常にスマートなお店と言えるんじゃないかな。

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