2001年12月31日
【店舗数:—】【そば食:201】
岡山県某所
鴨南蛮

前日の蕎麦打ちに続いて、今日も蕎麦をうつ。
年越し蕎麦。日本の文化ですね、やっぱり一年の締めくくりは己が打った蕎麦でびしっと決めないと。
昨日、蕎麦を打ってみて課題が何となくわかってきた(ような気がする)ので、今日こそは、年末にふさわしい・2001年を代表する蕎麦を打たなくては。
昨日時点で、家族からは若干なま暖かい目で見られていたので、今度こそぐぅの音も出ないようにしちゃる。

今回は気合いが違うぞ、ということを内外にPRするために、はちまきを巻いてみた。
今日は、兄貴が「こま板Ver.2」を作ってくれているので、昨日のように蕎麦がべりべり破れるという事はないはずだ。
うおっしゃ。
気合いが入ったついでに、今日は二八で蕎麦を打ってみることにする。

こねてます、こねてます。
そば粉400g、割粉100g。ちょっとまとまりにくいような気がするのは気のせいだろうか?それとも、これが二八のハードルなのだろうか。

のばしに入りますー。

ううむ、延ばしにくい。水分がやや少なすぎたか?

ああー、なんだか変な形になってきたー。
入り江と半島みたいなものが生地の端にできてきだした。なんとかリカバリしなくては、とぐいぐいと棒で延ばすと、ますます入り江が深くなり半島が伸びていく。当たり前だ。
また、生地の端がどんどんひび割れていくのであった。あああ。
さすがにストーブが焚かれている部屋で蕎麦を打つのはこれが限界か、なんて環境のせいにしておく。

いびつな生地については、見なかったことにしよう。さっさと折り畳んでしまえ。
さて、取り出したるはこま板Ver.2。昨日のVer.1は木の材質が悪く、表面のザラザラが生地をひっかけて破るという事が多かった。今回は、つるつるしているぞ。

猫背になりながら麺を切る。
ううむ、こま板の滑りは悪くない。
しかし、やっぱり使いにくいなあ・・・。変に力が入ってしまう。

こま板Ver.2。
何かが入っていた木の箱のフタを改造。
縁の部分を取り外し、T字型に板に貼り付ける。
何となく、それっぽく仕上がった。
のだが、やはりどうもしっくりこない。とっ手部分が低いため、どうしても爪をたてて持たないといけないからだろうか。ついつい力が入ってしまったようだ。
バージョン2、ダメじゃん!

できあがった蕎麦。
ううん、今日もやっぱりうどんですなぁ。
とても同一人物が打ったとは思えない麺の太さのばらつき。左上は比較的細いのだが、下の麺なんてどう見ても投げやりに切ったとしか思えない。
しかし、これでも本人は大まじめなんだけどなあ。

蕎麦に対して自信を失ってしまったので、付け合わせの料理でごまかしにかかる。
・・・ごまかし過ぎて、ボリュームが多すぎた。母親から「これ、貰い物だから。早く食べなくちゃ」って差し出された食材をそのまま並べてしまったのが災いした。
こんなの食べていたら、肝心の蕎麦を食べる前におなかイパーイになってしまう。
いや、それが本当に狙い!?

今日は年越し蕎麦ということで、温かい蕎麦だ。かけうどんでも良かったのだが、ちょっと凝ってみたくなって、鴨南蛮にしてみた。
鴨肉、スーパーでは案外売っていないもので、デパートを含めて何件も歩き回ってようやく発見することができた。うれしくなってしまい、ついつい財布の紐がゆるんでしまったのが運の尽き、できあがった鴨南蛮には蕎麦がかくれるくらいの鴨肉と鴨つくねが乗っかっているありさまだった。
ゆず胡椒をお好みでかけて、頂きます・・・。
ううむ、麺のできはやっぱりイマイチだけど、蕎麦そのものはおいしいぞ。しかし、それを感じるのは最初の一口だけで、あとは鴨肉からにじみ出た濃厚な油の甘さとうまみでかき消されてしまった。鴨汁の具として蕎麦を食べているような、そんな錯覚すら抱いた。
結論。蕎麦打ちの腕前をごまかすには、鴨南蛮は最適。しかし、努力の成果をほとんど鴨に持っていかれてしまうので、虚しいのも事実。

おまけ。
元旦、親戚が新年のあいさつにやってきた。ならば、残った蕎麦粉の処理もかねてそばぜんざいを作るべぇ、と一発奮起。雪平鍋を取り出して、ぐりぐりと蕎麦粉を練ってみた。
あれ?あれれ?
水を足す→ベチャベチャする→これではいかんと蕎麦粉を足す→粉っぽくなる→水を足す
の繰り返し。どんどん蕎麦粉が鍋の中に消えていく。まるで手品のようだ。
結局、こねくり回すだけこねくりまわし、蕎麦の風味もなにもあったもんじゃない状態になったそばがき「らしきもの」にあずきを乗せ、「蕎麦善哉ですー」と親戚に出した。
親戚は、「おいしいね、これ」と言いながら食べてくれたが、さてその言葉のうちにどれだけの社交辞令が含まれていたことか?
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