自作手打ち蕎麦(10)

2008年12月31日
【店舗数:—】【そば食:405】
岡山県某所

にしんそば、もりそば

年越しとなれば、放蕩息子おかでんが唯一の親孝行としてそば打ちをする。それが、おかでん家の定番行事になって早8年。最初は「よく頑張るねえ」と感嘆の声で家族に迎えられていたが、今じゃすっかりありふれた光景となり、おかでんは淡々と蕎麦を打ち、その他の家族はそれを気にも留めずに別の作業をするような年末へとシフトしていった。

一年に一度しかそば打ちをする機会がないので、回数だけ重ねてはいるものの一向に技術が向上しない。最初の頃は、「前回の教訓を思い出した頃には蕎麦打ちが終わっている」という状態なのでなんとか現状維持までは毎回回復していた。しかし最近じゃ、手抜きが増えちゃってどんどん劣化しているような気がする。

そんなわけで、こちらとしても家族に対して防衛線を張っておくことに余念がない。「年に一度しか打たない」ということを猛烈にアピールし、なおかつ「蕎麦粉だけはせめて最高級のものを使ってますけん」と卑屈になっている。そして、しまいには「蕎麦をご馳走する」「蕎麦を振る舞う」なんて表現をしなくなり、「蕎麦をおみまいしてやる」という乱暴な表現に変わってきている。

今年も家族と相まみえた時、母親から「おそばの具は何にする?」と聞かれた。

おかでんは蕎麦専門職人であり、蕎麦打ちとゆでと提供までしか責任を負っていない。故に、それだけでは食事として成立しないのであった。家庭や地域によっては、「夕食を食べ、紅白を見ながら夜食として年越し蕎麦」というところもあるようだが、おかでん家@岡山においてはそれはない。大晦日の夕食=年越し蕎麦、なのだ。だから、おかでんが「今年はかけそばで行きます」と宣言しちゃうと、それなりにおかずを用意しないと夕食として成立しないし、「今年は豪華に具を載せちゃいます」と言い放つと、「だったらおかずは少なくて良いか」となる。大晦日の食卓は、おかでんの気分次第で成り立っている。

さて2008年の大晦日だが、いざ母親から「どうする?」と聞かれて困った。最近、蕎麦食べ歩きを殆どしていないし、ましてや暖かい蕎麦なんて滅多に食べていない。ぱっと思いつく蕎麦が出てこない。秋に食べたすんきそば、もう一度食べたい・・・とひらめいたが、岡山ですんきなぞ売ってるはずがない。東京でも見かけないぞ、あれ。そもそも、すんきが保守王国である両親の口を納得させられる味とはおもえん。危険な賭に出るのはやめよう。

では、鴨・・・と思ったが、それもやめにした。以前鴨南蛮を作り、鴨ロースと鴨つくねを載せた年があった。しかし、鴨の旨みが強すぎて、蕎麦が完全に負けてしまったのだった。鴨はうかつに手を出すな。それが、過去からの教訓だ。

さあ困った、かき揚げ作るわけにもいかんしな、と思っていたら、ああそうだにしんがあるではないかとひらめいた。にしんそば。京都名物、ですな。にしんそばだったら、スーパーで真空パックされた甘露煮を買ってきて、それを暖めて蕎麦の上に載せれば万事OK。怖いモノなしだ。よしこれでいこう、今年はにしん蕎麦。

・・・と思って買いだしに行ったのだが、岡山のスーパーにはにしんの甘露煮真空パック詰め、なるものが売られていなかった。愕然。東京では良く見かけるんだけどなあ。地域差、というやつか。そのかわり、鮮魚コーナーは東京にも増して充実しており、さすが瀬戸内海と思う。東京のスーパーって、干物が多いけど鮮魚はいまいち。岡山のスーパーはいけすに鯛が泳いでいたり、車エビがパックの中で暴れ回っていたり、鮮度が大変によろしい。

とはいえ、スーパーのその場で代案が出るわけでもなく、結局身欠きにしんを購入することになった。水分が抜けきって、鰹節のようにカッチカチになった代物。どうすればこれをふっくら柔らかくできるんだ?全くわからん。でも、手元にはネットブックもあるし、通信環境は整っている。なんとかネットで情報検索をすれば解決するだろう。

そんないい加減な気持ちで買って帰ったのが12月29日。早速ネットで調べてみるが、相当面倒であるという事実に直面した。身欠きにしんを戻すには、米のとぎ汁で1日から2日がかりで漬け込むのだという。そして、その後、鱗などを水で洗い流し、今度は番茶で煮るんだと。そんな手間がかかるとは思わなかった。

まあ、まだ大晦日までは時間があるからいいや・・・と思ったのだが、あれっ、おかでん家って岡山に盆暮れは滞在しているものの、それ以外は広島だ。その結果、岡山にある食材は極力シンプルに構成されており、米は無洗米と決まっている。おい、無洗米だと米のとぎ汁が出ないぞ。

んー。

まあ、いっかぁ。2日、水で戻すか。

とりあえず、2日ほど雪平鍋の中に入れて放置してみる。時々様子を見るのだが、柔らかくなっているのかどうか、さっぱりわからん。少なくとも、表面に張りが出ている気配は無い。大丈夫か、これ。

にしんの怖いところは、骨が結構がっちりしていることだ。骨まで柔らかくなっていないと全てが台無しだ。どうすればいいんだ、これ。

よくわからんまま、12月31日を迎えた。結局、番茶が見あたらなかったのでほうじ茶で煮てみたけど大丈夫だっただろうか?骨まで柔らかくしなければ、と念入りに弱火で煮ていたら、ホロホロとにしんの身が崩れ始めて泣けた。これは柔らかくなった証拠なのか、やり方が間違っているのか。ああ我をお導きください主よ。

もうわけがわからなくなって、最後強引に醤油、みりん、砂糖、塩、料理酒で甘辛く味付けをしたが、これもさっぱり塩梅ってぇやつがわからない。蕎麦の具なので、結構強めのあたりをつけて良いはずなんだが、どこまでキツくして良いのかがさっぱりだ。こればっかりは、蕎麦の上に載っけてみないことには分からない。えーい、と適当に味付けしておしまい。なお、岡山には「とら醤油」という、タイガーマスクみたいな顔した虎のロゴが入った醤油がよく売られている。今回もトラ醤油製。ロゴマークの虎にはマントがついているので、スーパーヒーローらしい。でも味加減までは保証してくれない。

悩みの種は尽きない。今年は、もらい物で上物の削り節があった。今までは「つゆなんて蕎麦のおまけよ」と開き直り、市販のそばつゆを伸ばしたり、適当に出汁とって醤油なんぞで味付けして出していた。しかし、今年はなかなかな一品の削り節ちゃんが眼前に。これはちゃんと出汁を取れという指示か。

袋の説明を読むと、30分から40分ほど煮出せ、と書いてある。そんなに煮ていいのか。大丈夫か。さすが削り節。ぶっといだけある。

おどおどしながら出汁をとる。でもあんまり成功していないような気配。もうあれこれ味を加えて、無かった事にする。とりあえず出汁完成。本当は、江戸前のかけそばのようにきりっと辛くてすきっとした後味のつゆにしたかったのだが、全く的外れな味に仕上がった。みりん入れて味を誤魔化そうとしたのがバレバレ。

そんなドタバタ劇の中で蕎麦打ちを開始したのだが、初歩的ミスをやらかしてしまった。なんと、蕎麦粉に割粉(小麦粉)を入れなければならないところを、「打粉(蕎麦の芯。更科粉)」を入れて水回ししてしまったのだった。あまりにも間抜けなミスだが、他の事に気を取られていて、「そろそろ蕎麦打ちしなければ・・・」と思ったため、「蕎麦打ち」→「打ち」→「打ち粉」を混ぜてしまった模様。

ある意味十割蕎麦のでき上がりー、なわけだが、当然そんなものを伸ばしたらバッサバサのボロボロに仕上がる。案の定、へそだしまでして一応はまとまったものの、丸く延ばそうとするとばっさりと生地の真ん中からひびが入った。大地溝帯だ。新しい人類が誕生する気配。

これはいかん、と水を足して練り直したが駄目。後付けで割粉を足し、練って、水を足し、足しすぎたので今度は打粉を足し、と散々シーソーゲームを繰り返した結果、一玉完成。ひでぇ仕上がりだ。

もう一玉打ったが、こちらは教訓をふまえて間違えず割粉を使った。今度ばかりは間違いができない、と思ったので二八蕎麦は諦め、七三で打ったくらいだ。

蕎麦自体は、過去例にないほど長くつながったと思う。できるだけ加水を押さえ、十分に練ったのでひび割れせずに良く伸びた。ただし、いつもより太麺になってしまった。

器に関しては、両親がこの蕎麦に合わせて新しくお店で購入したものだった。今までの器はいまいちイケてなかったし、ちょっと盛っただけでラーメン二郎の麺マシみたいに麺がうずたかく盛り上がって色気が無かった。今回は白い丼が調達され、なんだか新興のラーメン店みたいな風情。有田焼だそうだが、1皿2,500円もするそうで。うっそぉ、100円ショップで売ってそうな奴なのに。・・・と思った時点で、見る目がないんだろうな、自分。

酒肴

それは兎も角、年末最後の宴、家族全員がそろっての食事となった。蕎麦屋で酒を愉しむ時同様、いきなりメインの蕎麦にはいかない。最初は、軽くつまんで、呑んでからだ。

母親が厨房にあったものを切ったり揚げたりしてくれたものがお皿に並び、これで一年の労をねぎらった。松前漬け、ロースハム、海老の天ぷらなど。そうそう、こういう前座がしっかりしてくれないと、メインイベンターが腰折れなんで。

家族でビールを飲んだ後、なぜか父親が買ってきたスパークリングワインも開栓。スパークリングワインといえば、今年5月、某ホテルで両親と会食した際、値段も見ずに「MOETをください」とオーダーしてえらいめに合ったことがある。ボトル1本約2万円。3人が食べた食事代より高いやんけ、というありさま。そんなわけで、今回も酒店で年末年始用のお酒を品定めしている父親に「モエ・シャンドンにしとけ」と悪魔のささやきをしたのだが、やはり店頭価格でも1本5,000円しやがるので却下。謹んで1本1,600円のスパークリングワインと相成った。

にしんそば

「そろそろ・・・」という声が家族からかけられたので、酒をちびちび飲んでいたおかでんは急きょ料理人に変貌。慌てて厨房へと駆ける。俺様が苦労して打った蕎麦だ、ゆでおきして伸びた奴なんんざぁ食わせるわけにはいかねぇぜ、というわけで、さあゆでたてだ、今すぐ食え、休まず食え、という寸法だ。

とりあえず年越し蕎麦は家族から蕎麦のでき・不できを評価される場なので、「間違って打ち粉で蕎麦打っちゃった」バージョンは封印。ちゃんと打った奴を優先してリリースした。
にしん。うーん、最後までふっくらとしなかった。しわができた正月の黒豆、みたいな感じでなんだか貧相。蕎麦店でみかけるにしんはもっとふっくらしているので、きっと何かコツがあるのだろう。教訓。にしんそばには二度と手を出すな。サーイエス、サー。

さて、お味の評価だが、蕎麦が切れずに長かったという事でそこそこの評価を得た。そして、にしんは見た目が悪いものの、骨の堅さも気にならず大事に至らず。なんとか今年は乗り切れた感あり。

しかし、ちゃぶ台返しをしたのが我が兄貴。蕎麦の味には疎い分際で、「でもこれ・・・蕎麦の香りと味がしないと思うんだが」と言う。何、それは問題だ。今までは蕎麦打ちの技量が無い分、風味豊かな蕎麦粉で誤魔化して来たのだ。香りと味が無いとは何事か。

慌てて自分も食べてみる。こうなったら、一人だけ蕎麦食べずにビール飲んでる場合じゃない。・・・んー。確かに、そうだ。蕎麦の香りがしない。足りない、ではなく、明らかに欠けている。今回供した蕎麦は「間違えていない」方の蕎麦なので、これで蕎麦の香りがしないとなると蕎麦粉そのものが今年はいまいちだった、ということか。

つくづく蕎麦は生き物だなあと思う。打ってみて、実際食べてみるまでわからない。ゆで加減にしても、そうだ。今年はやや太麺になったとはいえ、例年以上に固くゆで上がった。「これはこれで悪くないと思うけど」という見解を家族から貰ったが、実質「若干固い」ということだ。いつもと同じように打ったし、ゆでたつもりなんだが、難しい。

理想は、お客に供する前に一度自分でゆでて、食べてみることなんだろう。そうでもしないと、蕎麦のコンディションがわからない。本当のプロは、蕎麦粉を練っている段階で最終段階までの工程が見えているんだろうけど。

年明け蕎麦

ここ数年の定番として、元旦のお昼は年越し蕎麦の残りでざるそばを食べる事になっている。蕎麦粉を製粉所から仕入れる際、最小単位が1kg。これに割り粉を混ぜると、実際のところ1.5kgくらいの蕎麦ができ上がることになる。ゆでるともっと量は増えるわけで、とてもじゃないが大晦日に食べきるのは無理。かといって、蕎麦粉を残しても、次に打つのはお盆じゃあ話にならん。ならば全部使い切ってしまえ、ということで結構多めに打っている。

元旦のお昼は親戚が年賀の挨拶に訪れたりするため、慌ただしい。そのため、もりそばは適切な昼食だ。そんなわけで、蕎麦を二日連続でゆでる。

あれ?ちょっと待て。辛汁もないのか。ということは、またあの削り節から出汁を取るのかー。難しいな。

試行錯誤して、「こんな感じ」というものを作った。さすがに、数百軒蕎麦屋を巡って、うまいつゆを知っているが故に、自分のつゆの駄目さ加減が悔しい。どうすればあのつゆに近づくの、と悩む。でも、「達磨」はワインビネガーを入れているというし、いろいろ隠し味があるのかもしれん。もうそれはプロの領域なので手が出せない。素人つゆで我慢してもらおう。自分自身もそれで納得しなくちゃ。
そんなわけででき上がりました、もりそば。

これが評価がさんざんで、大いに自尊心を傷つけられる結果となった。まず、昨晩「蕎麦が案外固ゆでに仕上がる」教訓を全く生かさなかった。そのため、冷えた蕎麦であるもりそばはガチガチ。齢90を越えるおばあちゃんもこの食卓にはいたので、「食べるのをやめろ!」と阻止しようかと思ったくらいだ。そして、つゆが薄い。醤油辛さが全然不足。これは大誤算だった。鍋で調合しているときは「この程度の辛さで良かろう」と思っていたのだが、その判断基準は「鍋料理」であり、「かけ蕎麦のつゆ」だった。もりそばに浸けて食べるつゆはもっとストイックに辛くないと駄目。あああー。

おかでんの蕎麦を初めて食べる兄嫁が、口にした瞬間に顔をしかめたのをおかでんの眼球と視覚野は捉えて離さなかった。全てはその表情が結果、ということだ。

すんませんでした。偉そうな事ばっかりほざいて。一から出直します。

・・・といいながら、今度の年末になるとすっかり教訓を忘れて、全く同じの劣化蕎麦を提供することになるんだろうな。いかんな、負の連鎖からなんとか立ち直らないと。




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