自作手打ち蕎麦(18)

2014年12月31日
【店舗数:—】【そば食:632】
岡山県某所

鴨南蛮

気がつけば年末。今年も年越し蕎麦打ちを僕がやる。おかでん家の年末最後を飾る、定番行事だ。2001年から手打ち蕎麦を作り始めたはずなので、かれこれ14回目となる。

当たり前といえば当たり前なのだが、前回蕎麦打ちをやったのはきっちり1年前だ。もう、どうやって蕎麦を打ったのかを全く覚えていない。年によっては、秋口から蕎麦打ち教室に通って腕を磨いたりもしたものだが、今は全然そんなことをしていない。

「体が蕎麦打ちを覚えちゃってさあ」

と開き直ってみるが、それが単なる強がりにすぎない、ということは己が一番よくわかっている。

今年も蕎麦粉入手

さて今年も蕎麦粉を古川製粉から入手した。蕎麦粉だけでなく、割粉、打粉、そして本がえしといった周辺系のものもセットで買えるので便利だからだ。特に不満はなく毎年満足しているので、何も考えずにここを利用し続けている。

最上級の蕎麦粉を使っていた時期もあったが、今は1ランク落とした蕎麦粉を使っている。かけそば、ましてや鴨南蛮のように味の強い蕎麦を作るのに、ゴージャスな蕎麦粉は必要ないと思っているからだ。もちろん、良い蕎麦粉を使えば良い蕎麦は出来る。しかし、そこまでおかでん家の面々は繊細な舌を持ち合わせているわけでもないし、肝心の蕎麦打ち職人おかでん自身の腕が悪い。昔は「腕の悪さを蕎麦粉でごまかす」という事に執着したものだけど、今じゃ「腕が悪いんだから、良い蕎麦粉をわざわざ使う必要はない」という悟りの境地に達している。

本返しのラベル

せめて1年前、どんな蕎麦打ちをやったのか復習をしておけばよいのに・・・と今更ながら呆れる。「本返し」を併せて買ったのだが、てっきりこれは「お湯に溶いたらつゆができる、濃縮つゆの素」だと勘違いしていた。違う違う、これはちゃんとだし汁を別に用意していないとダメなものだ。

「あー、そうだっけ・・・」

と大晦日の朝、ようやく気づいて面倒な気持ちになる。これまで何度この「本返し」を使ってきたんだ?今回が初じゃあるまいに。

ダシはかなり本格的

ただし、おかでん家の年末はダシを取るのに不自由しない。もらい物の昆布や鰹節がいろいろあるからだ。こういうものを親戚同士で融通しあっているというのがあらためて興味深いのだが、お雑煮などいろいろダシを必要とする場面が多いので、こういうのは助かる。

で、礼文島の昆布、築地秋山商店の厚削りがあったので使わせてもらう。かなり贅沢だ。

礼文島昆布

ダシを取る。本返しのラベルに書かれている通り、昆布→厚削りの順で煮出していくのだが、なにせこんな大量のお湯でダシを取るなんてことは滅多にない。今鍋に入っているお湯が一体何リットルなのかさえ検討が付かず、結果的に濃すぎるダシを作ってしまった。鰹節が持つ酸味がかなり強調され、それはそれでプロの蕎麦屋っぽくはあるんだけど、家で食べるにしてはちょっとくどいかもしれない。

蕎麦打ち中

夕方、蕎麦打ちを始める。父親から「暖房は消した方がいいんじゃないか」と茶化されるが、「いや、そのままでいいです」と答えておく。そういえば昔は、蕎麦を打つよ!となると僕は神経質になり、やれストーブを消せだの、室温を下げろだのあれこれ言っていたものだ。今じゃ全然そんな事は気にしなくなった。気にするだけ無駄、というか、これもまた悟りの境地だ。

そもそも今は家がリフォームされ、昔のような灯油ストーブが部屋の真ん中に鎮座しているようなことはない。床暖房で「なんとなくぬくぬく」だ。だから、空気の乾燥とかはあまり気にしなくてよくなった。

切ってる最中

「えっ、座って打つのか。随分やる気がないな」

と兄貴から苦笑される。昨年、「座って蕎麦打ちしたっていいじゃない」とやってこれが案外良かったので、今年もそうしている。もちろん、正しい蕎麦打ちというのは、体を前傾姿勢にして手に全体重を乗せ、ぐいぐいと生地を揉み込まないといけない。しかし、プロの環境ではないので、そんなことをやると捏ね鉢がテーブルの上をずりずりと動いてしまう。だから、手抜きと言われようがなんだろうが、座ってやる。

1.5キロ打った

今年は蕎麦粉1キロと割粉500グラム、合計1.5キロを2回に分けて打った。昔はやれ二八蕎麦にするだのなんだの分量を気にしていたが、悟りを開いたおかでんにおいてはそんなのは些細なことに過ぎない。「割粉が余っても邪魔でしょ?今回で使い切らないと。」の一言で、1回の蕎麦打ちは「蕎麦粉500グラム+割粉250グラム」と強制的に決められた。

堕落だ!とは思わない。こうやって気軽にやっていくというのは良いことだ、と思う。ストイックに道を追求するなら、一人でやった方がいい。家族を巻き込むことじゃあない。

今年は打ち上がった蕎麦を入れる「舟」が用意された。これまでは、お盆の上に蕎麦を乗せ、その上にラップをしていたので、これは便利。で、この「舟」だが、何年か前のおせちが入っていた容器だった。聘珍樓、とふたには書かれているので、どうやら聘珍樓のおせちが入っていたらしい。あんまり食べた記憶がないけど。それにしてもなんというデカさだ。蕎麦を入れるのにちょうど良い。

ルンバがお掃除

蕎麦打ちが終わったところで、食卓周辺を掃除する。かなり粉が舞い散っているからだが、今年はルンバにお願いしてみた。いつの間にか、実家にはルンバが飼われていて、母親からは「ルンバちゃん」と呼ばれて愛されていた。

ルンバの動きにしばらく家族一同見とれる。・・・が、結論として「掃除機で掃除した方が早いし楽だし確実」という結論になり、従来型の掃除機を取り出して掃除をした。ルンバというのは、「不在時に自動的に掃除をしてもらう」という用途としては優れているけど、「家族全員で掃除を見守る」状態で使っては、単なる時間の無駄だ。

タイ産の鴨

さておかでん家の年越し蕎麦はここ数年すっかり鴨南蛮で定着している。以前はにしんそばに挑戦してみたりしたものだが、鴨の濃厚なうまみを使うのが「うまい蕎麦」への最短距離、と思うようになり今に至る。

スーパーに鴨肉を買いに行ったのだが、「タイ産」の鴨しか手に入らなかった。驚いた、最近の鴨ってぇのはタイから輸入するのか。ブラジル産の鶏肉、というのを最近よく見かけるが、鴨はタイなんだな。京都の国産鴨なんかと比べると遙かに安く、お求めやすい価格ではある。安心して買った。

しかし、いざ調理してみるとこれは全然ダメだ。写真の通り、なんだかチリチリになってしまった。身が縮むったらありゃしない。食べてみたら質の悪い牛肉のように筋っぽいし、「えっ、これは本当に鴨なの?」と疑いたくなるような味だった。

鴨つくねも用意しておきたかったのだが、これも手に入らなかったので鶏肉団子にした。一応、「名古屋コーチン入り」のものを買ったのだが、はあ、まあ「入り」ですねと。何パーセント入ってるかどうかはよくわからないし、かなり怪しい。名古屋コーチンならではのうまみ、というのはこの団子からは感じられなかったのは事実。

蕎麦の準備

そんなこんなで厨房のスタンバイOK。蕎麦を茹でて盛りつけて家族に提供するところまでが僕のお仕事。幸い、家族の中でお酒を飲まないのは僕だけなので、さっさと前菜を切り上げて蕎麦茹でに専念できる。他の家族はお酒を飲みつつ蕎麦を待ってください、と。

つゆだが、ダシが強すぎたせいで本がえしをあまり入れられなかった。味がくどくなるからだ。ヘルシー志向とも言えるが、これは作戦失敗。味見してみるとちょうど良いレベルの塩辛さであっても、蕎麦として仕上げると味が薄くなってピンぼけした。つゆだけ飲むとやや塩辛い程度に味を調整していないと、ダメなんだな。

鴨南蛮

いろいろ反省点をここでグダグダ書いてもきりがないのでやめとく。

で、2014年おかでん家最後の食事となる年越し蕎麦がこれ。鴨には見えないタイ産鴨肉、そして名古屋コーチン入りを自称する鶏団子入り。

七味唐辛子を沢山入れて食べると良いです。

来年の課題は、大晦日より前に前年までの蕎麦打ちのおさらいをちゃんとやっとけ、だな。手順を覚えてないし、これまで身につけてきたコツも全部忘れてて、後になって「ああそういえばそうだった」って気づく有様だもの。反省反省。ってなわけで2014年よさらば。

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