自作手打ち蕎麦(19)

2015年12月31日
【店舗数:—】【そば食:662】
岡山県某所

にしん蕎麦

今年も年越し蕎麦を打たなくては。

僕において、年末を感じるきっかけというのはクリスマスソングではなく、「古川製粉に蕎麦粉を発注すること」だ。年末年始の帰省で使う新幹線の指定席を1ヶ月前の10時ちょうどに確保する、というイベントと並んで大事なことだ。

昔はなんとか美味い蕎麦を食わせてやろうと必死だったが、こうも回数を重ねてくるとどうでもよくなってくる。まだ家族が少ないうちは良かったが、今は兄貴家族がいて厨房もてんてこ舞いだ。間違っても「おかめ蕎麦」なんてトッピングに手間がかかるものを用意するわけにはいかない。

シンプルにかけそばでいいじゃねぇか、と思うのだけど、それは駄目らしい。具が乗っていないと物足りないのだそうだ。

今年の食材

そんなわけで、「さほどやる気がない」僕が選んだ今年の蕎麦は、「にしん蕎麦」だった。以前身欠きにしんからにしん蕎麦を作ったことがあったが、今年は通販で真空パックものを購入。こいつを湯せんして、デロンと蕎麦の上に乗せれば完成だ。楽じゃのー。せいぜい、薬味兼色あいとして長ネギを刻んだものを添える程度だ。

蕎麦粉は「特上」のようなものではなく、中くらいのランクのものにしておいた。「弘法筆を選ばず、だよ」と独り言を言う。つい数年前まで、「腕の未熟さを上質な粉でごまかす」と公言していたのだけど。

にしん甘露煮のラベル

びっくりしたのは、にしんってアメリカ産なんだな。アラスカとかバンクーバーとかで獲れたものだろうか。つくづくワールドワイドだ。

今年は「本がえし」は買わなかった。普通の醤油料理酒みりんでいいやと割り切ったからだ。何もかも脱力系。

ペットボトルで加水

蕎麦打ちの写真は毎度おなじみなのでほとんど割愛。

ペットボトルで粉に水を含ませているあたりがものすごく投げやりだ。もっとちゃんとやれ。昔、1グラム単位で水を調整しないとおいしい蕎麦は作れない・・・と何度も蕎麦教室で習ったとは思えない雑な蕎麦打ちだ。

のし棒を片手で扱う

ついでに、片手で蕎麦を伸ばすという。

数年前から「椅子に座って蕎麦を打つ」という新境地に至っていたものの、それに拍車がかかっている。こんなので美味い蕎麦が打てればそりゃあ最高だけど、実際はそんなわけ、ない。

雑すぎる麺

打ちあがった麺。まあー、近年まれに見る雑な出来。雑な取り組みはそのまんま結果にもつながった。麺の太さはバラバラで、しかも一様に太い。で、長いの短いのが混じっている。これだったら、打ち始めて数年くらいのときのほうがよっぽど上出来じゃないかという出来だ。

つゆを作る

つゆを作る。母親が既に明日のお雑煮用のだしを作っていたので、それをそのまま使わせてもらう。去年までは自分でだしをひいていたので、これもかなりな手抜きだ。だしに、とら醤油、料理酒、みりんを足していってつゆを作る。昨年の教訓として、味が薄まることを前提に濃いめに作っておく。

にしんを湯せんする
ねぎ

にしん、長ねぎもスタンバイOK。

にしんそば

今年のおかでん家年越し蕎麦・にしん蕎麦。

蕎麦をゆでる段階になると、なにせ姪も含めて7名いるので大変だ。ずっとキッチンにこもりっぱなしになる。

母親から、

「こんなに大きなにしん、食べられるわけないじゃない。もっと小さく切りなさい」

とケチをつけられる。

「いや、にしんそばなんだし、半身をどん!と丼に盛りたい」

と抵抗したけど、父親からも

「そんなにいらんぞ?半分でいい」

と一蹴され、がっかり。にしんを四等分くらいにきざみ、各人のどんぶりに2切れ程度盛り付けるという形になってしまった。正直、しょぼい。

さらに、姪2名(6歳、2歳)に提供した際、

「ネギいらない!やーだー」

と言われ、周囲の大人から「生の長ネギなんて子供が食べられるわけじゃないじゃないか、ネギはつゆに煮込め」とまたケチをつけられ、僕はむっとして黙り込んでしまった。「だいたい、子供にニシンは無理だ」とまでも。まあ、そりゃそうかもしれないので、口ごたえしないで、ひたすら無言で苛立ちを押さえ込む。

家族ならではの容赦のない批判に耐えないといけないのでつらい。社交辞令的なほめ言葉やねぎらいは全部すっ飛ばされ、単刀直入なコメントが飛び交うからだ。

味はまあまあ。にしん丸ごと半身をのっけても、やわらかく煮込まれているので簡単に食べることができる。つゆは今回は悪くなかったと思う。蕎麦は・・・まあコメントはいいか。

「やっぱり鴨がいいな鴨が。鴨からいいだしがでる」

と誰かが言う。そうなんだけどね、昨年が「煮込むとチリチリになるタイ産鴨肉」でがっかりしたので、今年はやめておいたんだよな。来年はおとなしく鴨かなぁ。それだったらチビどもも文句言わずに食べるだろう。

やけくそになって、「キムチ蕎麦」とか「とんこつ醤油蕎麦」とかむちゃくちゃなものを作ってやろうかという気もするが、そんなものを作って批判されて、労多くして益なしでは全然嬉しくない。ほほえみを浮かべながら、おとなしく鴨南蛮を作るのがよいのだろうな。料理というのは、突き抜けたものを作ればいいってものではない。面白みに欠けてでも、食べる人が求めるものを作らなくちゃね・・・。

(写真は、せめてもの抵抗のために自分の丼にはにしん半身を丸ごと乗っけたもの)

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