そば心 ゐ田

2016年06月19日
【店舗数:404】【そば食:666】
茨城県つくば市筑波

鴨汁そば

筑波山の山麓に「ゐ田」という蕎麦屋があることは以前から知っていた。蕎麦のガイド本を見ると、他店と明らかに見た目が違う太くて短い麺が目を惹く。

いつか行ってみよう、と思ったのが早5年以上も前なのだが、結局行けなかったのは立地が微妙だからだ。完璧に遠い場所なら、えいやっと覚悟を決めてレンタカーでも借りて突撃するが、このお店は都心からアプローチが「まあまあ」容易な筑波山にある。よっしゃ行くぞという踏ん切りがなかなかつかなかった。

筑波山麓とはいえ、交通の便は「まあまあ」よくない。というか微妙によくない。2カ所のバス停から、それぞれ20分ずつ離れているからだ。ちょっと面倒くさい。片道20分ならまだしも、往復ともなれば40分。うーん。

そんな中、筑波山を登る機会があったので、これ幸いと下山後にゐ田を目指すことにした。逆に、このタイミングを逃すと次は一体いつになることやら。

このお店がマスコミで紹介されるときは、必ず2点セットとなる。それは「客にいろいろ口出しをする名物ご主人」と、「お店までのアプローチ」だ。つい先日も、「いきなり!黄金伝説」でお笑いタレントのU字工事が「こんな道を行くの!?」と細くて険しい道に驚く様子が映されていた。

しかし、地図を見る限りそんなに大げさな道であるようには思えない。そもそも筑波山は、関東平野の中にポコンと突き出た小さな山だ。山奥深く分け入るようなことはなく、いくらなんでも「すごい道」というのは誇張表現だろうと思っていた。

山の中腹にある筑波山神社からほぼまっすぐ、ゐ田がある集落に向けて車道を下っていく。道はグネグネしておらず、両側に民家があるしなんらおかしいことはない。・・・が、傾斜がものすごい。滑り台を歩いて下っているかのような感覚だ。普通、つづら折れで道を作って、傾斜をゆるくするものだが、このあたりの道は全部直滑降。かなり足の裏で踏ん張りながら姿勢を維持しないといけない。あー、これか、お店を訪れた人を驚かせている道の正体というのは。

歩いていてもその急斜面にびびるくらいだから、車でやってきた人はより傾きを強く感じるだろう。

筑波山を見上げる

ゐ田に到着する前、今来た道を振り返ったところ。筑波山の双耳峰がよく見える。

写真を見ると、普通の坂のように見えるだろ?でもこれが延々と続くんだぞ。ちょっと丘の上にひと踏ん張りしてのぼる道じゃないんだぞ。

ゐ田外観

こんなところに飲食店なんて、と思う場所に、ゐ田はあった。周囲には民家があるものの、地元客目当てで商売できるほどの人口密度ではない。かといって、筑波山観光客目当てで、というにしては場所がマニアックだ。

蕎麦屋稼業というのは、よく「隠遁した仙人が営業してるのか?」と疑いたくなる立地に居を構えているものだ。このお店もまさにそう。筑波山神社からまっすぐ一の鳥居に向けて下りて来た先にあるお店とはいえ、普通ならこの道は使わない。完全にローカルな場所だ。

ゐ田建物

しかも、お店の建物は植木に半分隠れるように建っている。

最初っからこの場所でお店をやっていたのだろうか?さすがに、駆け出しのときからこの立地・この外観ではお客さんが定着する前に運転資金切れで廃業となってしまいそうだ。別の場所で名を馳せてからこの地に移転したのだろうか。

そういうのはネットで調べたり、なんなら店主に直接聞けばわかることだ。しかし敢えてやらないのは、この情報過多の時代だからこそ「妄想の余地を残しておきたい」からだ。

ゐ田店内

日曜日の昼過ぎの訪問だったが、満席のうえに店頭に6,7人程度の行列ができていた。その後も行列は増え続け、お店に滞在した1時間強の間、客足が途切れることはなかった。

蕎麦というのは枯れた趣味とも言えるが、やってきているお客さんは若い人が多い。このときだけなのかもしれないが、20代の客がとても多かった。カップル、サークルと思しき10名くらいの学生、男友達同士・・・。テレビの影響だろうか?

店の玄関で自分の入店を待っている間、店内で食事中の学生さんたちがわーわー盛り上がっているのが聞こえてくる。すごく楽しそうだ。というのも、このお店は「モノ言う店主」が客席にやってきて、一人ひとりの食事にちょっかいを出すからだ。

お店の名物は「鴨汁そば」。生の鴨が固形燃料+陶板と共に届けられるので、自分であぶって食べることになる。この鴨肉の焼き加減とか、蕎麦の食べる順番とかをいちいち店主は「指導」するのだった。時には店主自らが客の鴨肉をひっくり返したりもする。

そんな店主と、学生さんたちが盛り上がっている。

「ほら!ここで鴨をひっくり返すの!くるりんちょ、って」
「くるりんちょ、ですかぁ?」
「そう、くるりんちょ。ほら、早くひっくり返して!折角のフランス産なんだから」
「えー、フランス産の鴨肉なんですか」

こんな会話で留まることを知らず、

「大将!こいつ今玉子豆腐食べましたよ!いいんですか今食べちゃって」
「何ぃ?玉子豆腐食べた?駄目だろ、食べちゃ。いいって言うまで食べちゃ駄目だよ」

なんてやりとりが続く。大変に賑やかだ。店主、10名の学生さんに付きっ切り。この間、厨房はどうなっているのだろう?他の人が調理をやっているのか、それともいったん調理がストップしてしまっているのか。

「蕎麦はね、30回噛むんだよ?いいかい、30回だよ」
「えー、そんなに噛むんですか?多くないですか?」
「多くないよ、それくらい噛むと甘みがでてくるんだよ」
「あっ、こいつもう蕎麦をほとんど食べてしまいましたよ」
「もう食べた?駄目だよ、この後別の食べ方があるんだから」
「どうしよう、もう食べちゃいました」

学生さんたち、「ご主人に怒られる」ことを楽しみにあれこれやらかしたり、仲間の先走りを告げ口したりしている。ご主人もそういう学生さんたちに楽しく指導を繰り返している様子が伺える。

「水飲んでいいですか?喉が渇いたんですけど」
「駄目!水飲んだら蕎麦の味が変わっちゃうから!」

ほんまかいな。水飲んじゃ駄目なのか。僕の番の時は気をつけないと。

そんな客さばきなので、なかなか客の回転率は高くならない。結構待った上でようやくの入店となった。

お品書きの一部がこちら。

さきほど、くどいまでに学生さんと店主のやりとりを聞かされたので、もうおなか一杯だ。鴨汁そばを頼むのはやめたい。

とはいえ、ここまで盛り上がっているなら、やっぱり鴨を焼いておかないと後悔しそうな気がする。あまのじゃくな性格の僕でさえ、鴨の重力には抗えなかった。鴨汁そば、お願いします。

お値段、2,300円。さすが鴨、相当にお高くてビビる。

お抹茶

まず、お抹茶とお茶請け、そしておしぼりが出てきた。わざわざお抹茶を立てているのだから手間がかかっている。登山の後で喉が渇いているからこそ、こういうお抹茶はありがたい。

蕎麦

鴨汁そば、2,300円。

太い蕎麦が皿盛りになっている。もみじがあしらってあるのが小粋。

そして鴨は陶板の上。蕎麦猪口は・・・これは猪口ではなく、小鉢のように見える。角ばってるぞ。

学生さんたちが「店主の許可無く食べて怒られた」、玉子豆腐もある。

蕎麦アップ

蕎麦。ごわごわした感じが伝わってくる太さと表面。見るからにおいしそうだ。

鴨肉

店主自慢のフランス産鴨肉。一般的に蕎麦屋で見かける鴨よりも分厚く切られているようだ。それが5枚。焼肉に使うような野菜も添えられている。

「鴨南蛮」や「鴨せいろ」なら、鴨は「具」になる。しかしこの場合どうなるんだろう?鴨肉は「蕎麦とは別のおかず」になるんだろうな。

蕎麦

先ほど店主が学生さん相手に指導していたやりとりを思い出しながら食べる。食べる順番とかいろいろあるようだし。

僕のところにも指導にやってくるのだろうか?と思っていたが、結局姿を現さなかった。学生10名相手に疲れてしまったのか、空白期間中の厨房仕事をあわただしくこなしている最中なのか。

蕎麦は30回噛め。はい、仰せのとおり。

いつもの癖でつるつるッとすすり上げようとするのだけど、太くて短いのでそうはいかない。箸で掴んで、モグモグするしかない。このお店の蕎麦の場合、無意識のうちに噛んで食べることになる。だってそういう形状なので。

普段、食事を30回も意識して噛むことはないので、なかなか難しいチャレンジだ。20回くらいで、ついつい飲み込んでしまいそうになる。あと、噛めば噛むほど甘みが出る・・・と期待していたのだけど、期待値を高く設定しすぎてちょっと肩透かしだった。いや、実際に甘くなるんだけど、「ウワア!すごい!甘く変化したよ!」というほどではない。当たり前のことだけど。

「ああ、この蕎麦がもっと長かったら、一気に手繰って飲み込んでみてぇ」

と思いながら、辛抱しつつ30回噛む。

おっと、最初のうちはつゆを使うのは禁止だ。蕎麦そのものの味を楽しむために。店主がそう言ってた。

わさびをon

わさびを使う場合は、蕎麦の上に乗せるべし、ということだったな。つゆに溶いてはいかんのだ。

こういうワシワシ食べる系の蕎麦は、薬味を多めに使っても蕎麦の風味が死なないので楽しい。派手に食おうぜ。

鴨肉

鴨肉がそろそろ焼けてきた。

店主にどやされないよう緊張しながら様子を見る。

鴨の陶板焼きは、鴨肉が薄いために陶板に張り付いてしまい、剥がしているうちにボロボロになることがよくある。しかしこの肉厚な鴨はそんな心配無用。焼いているうちに脂とともにうまみが抜けてしまいスカスカになることもなく、存分に美味かった。これで安けりゃ最高なんだけどなあ、と貧乏くさいことを考えてしまったが、それは言いっこなしだ。

めんをつゆに

太い蕎麦なので、あんまり「伸びる」ということは意識しなくても良いらしい。店によっては、蕎麦が供されたらものも言わずにとっとと食え、という主義のところがあるが、このお店は逆。鴨肉を焼きつつ、のんびりと蕎麦を食べてもOKだ。

ここでつゆがようやく解禁となったわけだが、麺が短いのでなかなか手さばきが難しい。

鴨油

店主は現れなかったものの、後で奥さんらしき方が「大丈夫ですか?食べ方わかりますか?」と様子を見に来てくださった。

「はい、大丈夫です」と答えたのだが、奥さん、鴨を一瞥して「・・・火が通り過ぎてます」と一言。僕は慌てて残りの鴨肉を野菜の上に避難させた。

広々とした陶板の上は、鴨脂でべっとり。これをどうするのかというと・・・

麺をいためる

こうする。

わざと残しておいた蕎麦を陶板に投入し、まさに「焼き蕎麦」を作るのだった。

この流儀を知らないと、「鴨肉と蕎麦をそれぞれ別においしく食べておわりました」ということになる。だからこそ、店主がつきっきりであれこれ客に助言をするのだろう。

つゆを注ぐ

蕎麦に鴨脂をまとわせたところで、つゆを注ぐ。香ばしい臭いがあたりにたちこめる。とても良い演出。

そんなわけで、チンタラ鴨や蕎麦を食べてはいけない。固形燃料が尽きる前に、このフェーズにしないといけないからだ。

どっしりした蕎麦と、うまみの強い鴨脂と、つゆ。しかもそれらを陶板で加熱。そりゃあもうおいしいですよね。ずるい、と言ってもいい、勝利が確約された調理法。

蕎麦湯

最後、濃厚な蕎麦湯をたっぷりいただいておしまい。

すべてにおいて濃厚なひと時だった。名物店主から直接指導をあおぐ機会はなかったけど、それでも濃厚。登山帰りで疲れているときにはちょっと重たい内容だった。「軽く蕎麦でも食べる?」というのには向かないお店だけど、「蕎麦をガツンと」と思っているなら良いと思う。

さて、これで話はおしまいではない。ここからバス停までまた歩かないといけないからだ。

当初、筑波山神社まで戻ってそこからバスに乗るつもりだった。しかし、先ほど使った急坂を今度は登っていかないといけないと思うとその気が萎え断念。別のバス停まで歩いていくことにした。これもまた徒歩20分。遠い。真剣に、タクシーを呼んじゃおうかと思ったくらいだ。しかし、既に鴨汁そばで2,300円を払った直後なので、タクシーは諦めた。

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