トラットリア自家製蕎麦 武野屋

2020年11月02日
【店舗数:437】【そば食:728】
岡山県倉敷市阿知

有機トマトとホタテのジェノベーゼのおそば、栗豚ベーコンとマッシュルームのカルボナーラのおそば

所要で倉敷を訪れた。

恐るべきはGo To トラベルだ。一泊二日の飛行機往復で、二人で39,000円だった。一人あたり、2万円以下。通常、羽田~岡山便の飛行機ならば片道2万円弱の運賃なので、これがいかに安いかがよくわかる。

しかも、それとは別に9,000円もの「地域共通クーポン」が発行されている。嬉しい、というよりむしろ困惑させられる。こんなことをやっていて、今後の観光産業は大丈夫なのだろうか。「安いのが当たり前」という状況に人間が慣れてしまうと、キャンペーン終了後一気に需要が冷え込むんじゃないかという心配がある。

とはいっても、忘れっぽいというのも人間の性分だ。思い出してほしい、民主党政権時代は「土日祝日は高速道路が一律1,000円」という大盤振る舞いをやっていた。今じゃすっかりそんなこと、忘れている。「1,000円じゃなきゃ、高速道路は使わないぞ!」という人はもはやいない。

今回のキャンペーンも、それと一緒かもしれない。

で、悩ましいのが「地域共通クーポン」だ。僕らが今回岡山県に滞在したのは、28時間程度だ。その間に使い切ってしまわないといけない。このクーポン、結構なくせ者で、「旅行初日の15時から利用可能で、有効期限は旅行最終日まで」となっている。おい、実質24時間程度しかないじゃないか。

1泊2日で旅程を組んでいる人は、現地でかなり大盤振る舞いをしないと使いきれない。

しかも、旅行を手配した旅行代理店によって、「紙クーポン」だったり「電子クーポン」だったり違いがある。ただでさえGoToのクーポンに対応しているお店はそこまで多くないのに、「電子」は対応店舗がもっと少なくなる。

お土産を9,000円分買うのは大盤振る舞いにもほどがある。できればご飯を食べることで消費したいものだ。しかし、電子クーポンが使えるお店が少ないし、混んでいたりする。結局僕らは、美観地区のはずれにある一軒の蕎麦屋にたどり着いた。GoToのクーポンは使えないけれど、もうこの際空腹を満たしてくれればいい。

「蔵Pura」と呼ばれる施設で、昔の商家を改築したお店だ。

焼板が張り巡らされた土塀の中はちょっとした中庭になっている。

昔はここで、お代官様の指令によって罪人が公開処刑されたに違いない・・・などとよからぬ妄想をしてしまう。もちろん商人の家だからそんなことはないけれど。どうしても時代劇のイメージで古い建物を見てしまう。

倉敷は、高梁川によって作られた遠浅の海を干拓しまくって、そこでできた田んぼを小作人に耕させ、莫大な富を産んできた。なので、ここは「罪人の生首」ではなく、「米俵」がたくさん積み上げられていたはずだ。

それはともかく、「蔵Pura」は中庭を挟んで両側に2つの飲食店が入っている。左側が「和膳 蔵」という和食店で、右側が今回訪れる「武野屋」だ。

僕と一緒にいたパートナーのいしが、空席確認のためお店にあらかじめ電話をしてくれた。その際、「むさしやさんですか?えっ、違う?」というやりとりを電話口でしていた。紛らわしいけれど、「たけのや」だ。東京界隈に住んでいると、どうしても「武蔵」という言葉をよく見かける(武蔵国、という古い地名があるから)ので、ついうっかり。

で、これが「武蔵屋」ならぬ「武野屋」。

古民家ではあるが、大胆にリノベーションを施している。壁の下半分を開け、開放感を与えつつも土塀の家ならではの落ち着きとシックな暗さを残す作りになっている。

店内の様子。

倉敷はすっかりおしゃれな町になったなあ、と思う。過去40年以上、100回以上訪れている僕が言うんだから間違いない。昔は椎名誠のエッセイで「倉敷はウスラバカだ」と書かれるくらいショボい観光地で、僕自身「うん、そうだと思う」と思ったものだけれど。

結局、どこまで「古さ」を残しつつ「新しさ」を取り入れるかだと思う。それはある意味歴史捏造でもあり歴史創造でもある。昔を重んじすぎると、単に不便なだけなので、「今」の視点が必要だ。

単にレトロ感を出せばいいでしょう、とばかりに昭和30年代くらいで時間が止まった演出をしている観光施設や飲食店が世の中にあるけれど、それは団塊世代が喜ぶだけだ。次世代以降には響かない。

その点、このお店は「ネオジャパネスク」といった感じで、建物そのものの出自は古くても、とても今風だと思う。

1日限定10食の「武野屋本店蕎麦御膳」はまだ注文できるという。でも、ランチで2,000円というのはちょっと気が引けて、やめておいた。店員さんに聞いておいて申し訳ないけれど。

でもこれっていいよな、蕎麦前があるので、こいつで一献やれる。で、蕎麦をつるッと手繰って、食後にはデザートまで用意されている。最初から最後までお前の昼飯は面倒を見るぞ、というメニューだ。

最近岡山名産として売出し中の高級食材「黄ニラ」が握りとして使われているのも気になる。

このお店の存在は以前から知っていたのだけれど、どんなメニューがあるのかまでは全く把握していなかった。

なので、お品書きを開いてきて、「蕎麦✕トラットリア」というページを見て激しく動揺してしまった。お、おう、心の準備ができていなかったぞ。そうか、ここはそういう創作蕎麦のお店だったのか。

「モッツァレラチーズとナスのトマトソースのおそば」(温)

なんてメニューがある。僕はすっかり動揺し混乱し、冷静な判断ができなくなってしまった。

メニューの後半にこういう奇抜なものがあるなら、まだ頭の整理がつく。しかし、メニューを開いて真っ先がこれだもの。ええと、標準的なせいろそばはどこ?

「せいろ(もり)そば」の値段と品格、色気を見たうえで、温かい蕎麦やら変わり蕎麦の値段の妥当性や興味というのを掻き立てていくつもりだったんだけど、すっかりテンポが乱れた。

だって、「ホタテとズッキーニのトマトソースのおそば」とか並んでるんだぜ?しかも、写真を見ると、この蕎麦はセットになっていて、サラダとバゲット、そしてオリーブオイルの小皿がついているんだもの。さらにはデザートもつくという。

完全に僕は圧倒されてしまい、夫婦で「有機トマトとホタテのジェノベーゼのおそば」と「栗豚ベーコンとマッシュルームのカルボナーラのおそば」を頼んでしまった。

このページ以外にもメニューはいっぱいあったのに。

イタリアンな蕎麦に虚をつかれてしまい、検討対象からゴッソリ抜け落ちてしまったメニューたち。

ページ左が冷たい蕎麦で、いわゆる「ぶっかけ」のもの。ページ右が温かいつゆがかかっている蕎麦。

面白いもので、冷たい蕎麦は細麺、温かい蕎麦は太麺になっていて麺を使い分けている。ちなみに先程のイタリアン蕎麦は平麺だ。

僕が混乱したのは、「温かい蕎麦、冷たい蕎麦、イタリアン蕎麦」というジャンルの分け方以外にも、「お蕎麦✕だしごはん」という概念のページがあったからだ。

お蕎麦だけでは物足りないなら、ご飯もセットにできますよ・・・という見せ方ではなく、「だしごはんとのセット」を1ジャンルとしてページにしているのでややこしい。

見開き最後に、ようやく「せいろ」に相当するメニューを発見。

しかし、「天ぷらせいろ」1,380円しかメニューになく、ますます混乱する。えっ、単品でせいろそばはないの?

現地であたふたしているわけにはいかないので、しゅっとイタリアンな蕎麦を注文しちゃったけど、今あらためてメニューを一通り見渡しても「せいろ」単品はメニューに見当たらない。「うちは単なる蕎麦屋じゃないですよ」ということなのだろう。蕎麦をベースとしてひと工夫・ひと手間かけてナンボのお店ですよ、ということか。

そしてページ最後には、また改めてイタリアンな蕎麦をはじめとする蕎麦料理がずらりと並んでいる。しかしこれには値段が書かれていない。ページ最後まで読み進めて、ますます混乱する。これは一体なんだ?と。

あとになってわかったけど、この最後のページは、これまでのページで値段付きで紹介した料理を再掲しているものだった。おさらい、というわけだ。だとしても、わかりにくい。思わず店員さんに「えっと、これは値段が書いていないですけれどおいくらですか?」と聞いてしまった。

そんなドタバタがあったのちに届けられた、「お蕎麦✕トラットリア」を標榜する料理2品。

パスタとは違うぞ、ということで、丼に盛られているし食べるのはお箸だ。でも、見た目はイタリアンだ。インディゴブルーのランチョンマットは、倉敷がデニムの町であることを強く意識してのことだろう。いちいち手が込んでいる。

それにしても、蕎麦屋でこういうのを食べるようになるとはなあ。

昔の僕は、ストイックにシンプルな蕎麦を食べたものだ。蕎麦の風味こそが命だ、と。それが今じゃ、これだ。まさかイタリアンな蕎麦を食べるとは。

有機トマトとホタテのジェノベーゼのおそば。

うん、これはうまいね。平打麺の良さがよく伝わってくる。バジルをすり潰したザラザラした食感が蕎麦に絡まって、粗い食感が楽しい。

新蕎麦の青くて瑞々しい香りを彷彿とさせる、バジルの爽やかさが楽しい蕎麦だ。

・・・でも、これをわざわざ蕎麦でやる必然性はあまりないと思う。小麦粉で、パスタでやってもたぶんほとんど味は違わないのではないか。

その感想は、特にこの蕎麦で感じた。

栗豚ベーコンとマッシュルームのカルボナーラのおそば。

うん、おいしいんだけど、カルボナーラ以上でも以下でもない味になっちゃった。そりゃそうだ、生玉子に生クリーム、さらにはチーズだから。味も食感もねっとり濃厚で、蕎麦であるかどうかなんてこの際どうでもいい、という感じになってしまった。

もちろん、うどんでカルボナーラを作ったときよりも、小麦粉による本家カルボナーラよりも、ぷつっと噛み切れるはかない麺の食感は楽しい。蕎麦ならではだ。しかし、圧倒的カルボナーラを前にして、蕎麦の印象がほとんど残らないのだった。

たぶん、僕みたいに「さあ、蕎麦を食べるぞぅ」と身構えている人ならではの感覚だろう。蕎麦だろうがうどんだろうがパスタだろうが、美味しいものを食べられればそれでいい、という人ならば、これで十分に満足できるはずだ。味は文句なく美味しいのだから。

こういう蕎麦を食べて、「お、おう・・・」と困惑してしまうのは、きっと僕が老害化している証拠なのだろう。古民家が新しい感性でリノベーションされていくのを是とするように、蕎麦が進化していくのも是としなくちゃ、だめだな。

最後、デザートとお茶をいただく。

「自家製そば茶プリン」と「自家製そば茶アイス」。

アイスを盛るのにこの大げさな器よ。ヌーベル・キュイジーヌ、ヌーベル蕎麦っていう感じ。

そば茶プリンというのはごくたまに蕎麦屋のメニューで見かけるが、これといった決まりはなく様々な形態のものが提供されている。このお店のそば茶プリンは牛乳プリンのようなものだった。あまり蕎麦茶っぽさは感じなかったが、蕎麦の実が上に振りかけられていて面白い作りだった。

蕎麦は進化していくものだな、一昔前ガレットに驚いていたくらいじゃ、まだまだ時代遅れだ。もっと自分の理解度をバージョンアップさせていかないと。

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