1999年03月第4週(03/21-03/24)

【03月21日(日曜日)】<測定結果なし>

朝食:シシャモ、ご飯、おみそ汁
昼食:肉野菜炒め、ご飯、豚汁
夕食:ビール700ml、海鮮やきそば、けんちん汁

恐れたとおりの激寒。寝袋の口をきつく締め上げ、頭ごと寝袋の中に潜り込んで寒さをしのいだが、今度は酸欠になってしまった。凍死をとるか、酸欠で死ぬか、っていう究極の選択を強いられるとはまさか思わなかった。

口の部分をしっかりと結んでおいた生ゴミ袋だったけど、まんまとひっかかれて破られていた。猫の仕業らしい、サザエの殻が紛失していた。

夕方、家に戻る。廊下で会った友達が「後でお酒持って部屋に遊びに行くから」って言っていたので、ちょっと多めに食材を買いだしして、手作り料理でお出迎えしようとしたのだが・・・来なかった。ばっくれられてしまったのだ。一人で食べるには多すぎる料理を目の前に、「これどうすっぺぇ」とあぜんとしてしまった。

とにかく食べる方が優先、腐っちゃいかんということでビールそっちのけで食事をしたら、案の定ビールを飲み残してしまった。もったいないことこの上ない。

さて、この日作ったけんちん汁は・・・ダシがちょっと足りなかったので、味に全然コクがない。野菜のしょうゆ汁煮に近い状態。ダシはもうストック切れだったので、コンソメスープの素を投入するなど相当むちゃな事をやってみたが、どうも味がきまらない。こってり感が全然でないのだ。「さてどうしたものか」と調味道具入れを見ていると・・・「あ、そうだ。バターがある」とひらめいてしまった。バターを使えば、さぞやこってり感がでるだろう。隠し味程度に投入してみるのも悪くあるまい。

とまあ、そんな安直な気分で投入してみたはいいが、いざ味見をしてみて腰が砕けてしまった。一言で言うと、「バターしょうゆ味」になっていたのだ。そりゃそうだ、しょうゆにバターを入れたんだから。あまりに当たり前な結果なんだけど、それに気づいた時はすでにもう取り返しがつかない状態。こんな料理をおいしいと思うヤツなんていたら手を挙げて見ろ。味覚検査じゃ。

結局、唐辛子を投入して、スパイシーな味に仕上げてなんとか形として収まった。しっかし、近年まれにみる妙な料理をつくっちまったもんだよなあ・・・。

【03月22日(月曜日)】<測定記録なし>

昼食:海鮮やきそばとけんちん汁の残り
夕食:赤ワイン、ペンネミートソース、クリームシチュー

昨晩の料理が残ったので、お昼ごはんとしてやっつけた。

廊下で、昨日くるはずだった友達にばったりと出会った。「ごめん、昨日はいけなかった。今日は行くから」との確約を得る。

・・・しかしっ。今晩も、あらためて料理を作って待っていたにもかかわらず二日連続のばっくれ。なんてヤツだ。業を煮やして、遅い夕食を食べた。

根本的に、人に振る舞う料理ってのと自分で食べる料理ってのは違う。自分だけのお酒のつまみ、って事になるとお総菜を取り入れたり、野菜炒めみたいなものを作ったりすることになる。しかし、そんなものを遊びに来た友達に振る舞えるか?こっちのプライドが許さないし、変な料理を出すくらいだったら乾物でも出した方が友達自身マシに違いない。

ってことで、今日も料理が残ってしまった。うう。

【03月23日(火曜日)】<81.0キロ>

朝食:鶏肉のトマトソース煮とパスタ、ほうれん草炒め、ご飯、おみそ汁
昼食:ビーフストノガロフ、春雨サラダ
夕食:赤ワイン、ペンネミートソース、クリームシチュー

筋から言えば、昨晩残した料理を朝ご飯にすれば良いのだろうけど、最近はすっかり「朝といえばご飯だ」という気分になってしまったので、放置。「なかったこと」にして朝ご飯をいただいた。

朝からパスタ。なんだ、これは。昨晩、作りすぎたのだろうか。しかも、小皿にはほうれん草とコーンの炒め物が。朝から高カロリーの予感。

昼食べたビーフストノガロフ(あれ?ストロガノフだっけ?)は低カロリー食だった。ほぼ同じ量のカレーが700kcal程度なのに対し、この料理は450kcal程度。一体何がどうなればこんなにカロリーが低く収まるのだろう?「よく煮込んでゼラチン状になりかかっているこの肉は、ひょっとしてこんにゃくなのではなかろうか?」などといらざる心配をしてみたりなんかする。

夕食は、前日の残り物。食費ゼロ円。

【03月24日(水曜日)】<81.2キロ>

朝食:ぎょうざ
昼食:豚肉とかぼちゃの炒め物、あなごご飯、ほうれんそうのおひたし

昨晩、食べもしないのにぎょうざを作った。で、案の定食べずにフライパンの中に放置されたまま一晩をあかすハメになってしまった。朝食は、そのぎょうざを頂戴した。

ぎょうざをぱりっと仕上げるこつは、ぎょうざを焼く時に投入する水に小麦粉を溶いておくことだ。半ば常識となっているこの方法論を、僕は一度もやったことはなかった。なぜかというと、粉がうっとおしかったからだ。ぱふっとなった瞬間、あたりに粉が散る。掃除が面倒だ。ということで、今まで家で焼いてきた餃子は小麦粉を混ぜないで焼いていた。おかげで、べちょっとした食感以外の餃子は作ったことがない。なんでべちょっとしているかって?うん、フライパンにいっつもいっつも「これでもか」ってくらいの水を入れちゃうからだ。よせばいいのに、ってわかってるんだけどついつい。

さて、今回「友達に振る舞おう」と考えて買ってきた餃子だっただけに、「ここはきっちりとうまいモノを作るぞ」と小麦粉まで買い込んでいたのだった。結果的に友達は遊びに来なかったものの、とりあえず小麦粉を使った焼き餃子にチャレンジだけはしてみなければ。

しかし、ついつい調子に乗って小麦粉を大奮発してしまった。焼き上がった餃子はお互いがくっつきあってしまい、フライパン型をした丸い焼き上がりになってしまった。巨大戦艦である。インディペンデンス・デイでホワイトハウスの上空にやってきた宇宙船である。自分で作っておきながらなんだが、正直不気味な光景だった。

考えてみりゃ、あったり前の話なんである。濃い水溶き小麦粉をフライパンに流し込んだら、お好み焼きができてしまうんだから。餃子お好み焼きを作ったのと同じなわけだ。ばっかばかしい。先日のバターしょうゆ味けんちん汁といい、この餃子お好み焼きといい、どうも最近馬鹿なことばっかやってるなあ。

(つづく)

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