人形町今半。すき焼きの名店として名高い。
もちろんこれまで一度も敷居をまたいだことがないお店だ。ランチでも1,500円以上するし、夜にもなれば1万円は軽くいってしまうお店だ。それだけ、良いお肉を使っている証拠でもある。
良いお肉が素敵なことは理解できるが、残念ながら僕はまだ「美味しいものをちょっとだけ。」という文化に馴染んでいない。まだまだ、「質より量」の嗜好が残っているお年頃だ。1ポンドステーキ!なんていわれるとオウ、と歓声を上げる現実。そんな食生活じゃ、今半とは無縁だ。吉野家で牛丼食ってろ。
そんな今半だが、1年に一度だけ、「食べ放題」をやる日がある。高級肉を提供することでがっちりと地盤がある今半からしたら随分と思い切ったイベントだが、1日限りのお祭り感覚なのだろう。
あの!今半の!お肉が!食べ放題!
ともなれば、やはり人気が集まるものだ。毎年1月の食べ放題の日に向け、2ヶ月以上も前から予約受付が始まる。もちろん、モーパラやすたみな太郎とは訳が違い、お値段はそれなりにする。2014年だと、9,450円。もちろん飲みものは別だ。
食べ放題といっても約1万円もするじゃねーか、ということを言ってはいかん。「あの!今半の!」というところが重要なのだから。
今回、この1年に一度の貴重な一席を用意してくれる友達がいた。感謝しながら、ご一緒させてもらうことにした。たまにはこういう贅沢をしたっていいじゃないか。
今半が一年に一度やけくそになる日、それを今半では「牛肉記念日」と呼んでいる。サラダ記念日というのは有名だが、牛肉記念日はあまり知名度がない。1月24日、というのは牛肉と何にも語呂がかぶっておらず、いきなりそんなことを言われてもただ困惑するだけだ。でも胃袋は素直にぎゅぎゅーっと鳴るけど。
今半によると、明治5年1月24日に、明治天皇が宮中で牛肉を召し上がった、という史実に拠っているそうだ。この一件があって以来、これまでのタブーが開放され、広く牛肉が食べられるようになったのだという。文久三年には横浜に牛肉食料品店ができていたし、それ用の食肉加工場も作られたという話なので、「1月24日の明治天皇献上」が牛肉はじめましての日、というわけではない。しかし、象徴的な出来事だったのは間違いないので、今半としてはこの日を記念日にしたようだ。
とはいえ、当時食べた肉と、今半で提供されている肉は似て非なるものだろう。霜降り肉なんて、当時じゃ考えられなかった世界。さてこれから100年後、その頃の日本人は一体どんな肉を食べているのだろう?
この日、お店が提供するのは「特上すき焼き食べ放題」。「並すき焼き」ではなく、お店で提供できる最上級のものをふんだんに提供する心意気がすばらしい。
・・・と思ったが、念のためこれよりも上のメニューがないかどうか、今調べてみたら「極上」というすき焼きがあった。上には上があるんだな。
だとしても、「特上」がエクセレントかつブラボーであるのは間違いがない。今回訪れた上野広小路店の場合、特上すき焼きのセットは8,640円+サービス料10%(2014年9月現在)。つまり、今回9,450円で食べ放題ということは、肉を一回でもおかわりすれば元が取れてしまうことになる。もちろん、このようなお店を訪れておきながら「元を取る」なんて考えはそぐわないのだが、それでも一応そろばんははじいてしまう。そんなわけで、この日がすばらしくお得である、というのは間違いがないことがわかる。
何せたった1日に予約が殺到するのだから大変だ。我々はかろうじて21時からということで予約を取ることができていた。こういう外食って、18時とか19時からの予約が一般的だけど、21時。お陰で上野の美術館で展覧会を1本見た後、まったりとお店に訪れることができた。優雅な一日。
しばらくお店の外で待ち、中に通された。利用時間は1時間半。さすがに2時間や3時間といったゆったりした時間は与えてもらえない。
通されたところは、旅館の食堂といった風情の場所。畳敷きの大広間で、そこにテーブルと椅子が並べられていた。畳の上に椅子机、というのは「良いお店」の特徴でもある。思わずこの段階で身構えてしまう。
店内にはお客さんがいっぱいいるのだが、さすがに値段が値段だけあって小金は持ってそうな雰囲気の人が多い気がする。かといって、「食べ放題」に釣られてやってくる客層でもあり、「上品と下品、清濁併せ呑む」ようなお茶目な人たちなのかもしれない。
食べ放題!だからといって、バンバン仲居さんを呼んで肉を追加しまくっているテーブルはなく、どことなく優雅に食事と会話、そして美味しいお酒を楽しんでいるという余裕が感じられた。その理由は僕らも後になって気がついたのだけど。
別注文で頼んだ飲み物で乾杯しながら、肉を待つ。
ちなみに、ドリンクメニューを見たら、「今半特製りんごジュース」というのがソフトドリンクメニューの冒頭にあったので、それを頼んでみた。面白いな、すき焼き食べながらりんごジュースか。
他にも、「今半特製ジュース」としてラ・フランスやみかんといった果汁ジュースが何種類もあった。奇抜なトロピカルフルーツジュースはなくて渋いのだが、それでも名門すき焼き屋にしてはカジュアルだな、と思った。
・・・で、肉なんですが。
届けられた瞬間、一同息を呑んだ。「あっ」という感じだ。
もちろん霜降りのいいお肉がやってくることはわかっていたし、今更霜降り肉を見たぐらいで驚きはしない。・・・はずだった。でも、こうやって薄く切られ、綺麗に丁寧に盛り付けられ、そして食卓に届けられるとなると事情が変わってくる。これがもうじき自分の意のままに胃の中に入るんだ、と思うと、落ち着いてはいられない。あらためて、その肉の圧倒的インパクトに言葉を失ってしまうのだった。
「そこそこイイもの」なら、ニヤニヤしながら「いやあ、いいですなあ」なんて言うはずだ。でも、このクラスのものを目の当たりにしてしまうと、そういう下世話な対応で場を取り繕うことすらできなくなるのだった。
一体この牛はどうやって生きてきたんだ、と心配になってしまう霜降りっぷり。
ここまで筋肉に脂が張り巡らされていたら、ちゃんと筋肉として身体を動かす機能があったのか、気になって仕方がない。いやもうこうやって食肉になってしまっているので、今更心配しても意味がないのだけど。
人間でここまで霜降りになったら、メタボだの生活習慣病だの言われる以前に、すぐに改善せよと厳命されるだろう。
フォアグラを作るために、ガチョウの喉に無理やり餌を押し込んで飼育するという。ある意味ストレスフルな飼育法。一方の牛さんは、ビールを飲ませてもらったり、毎日ブラッシングしてもらったりと極力ストレスをかけないようにして育てられる。
脂肪いっぱい、というのは一緒なのにこの差はなんだ。どうせ食用にされるなら、ぜひブランド牛に生まれ変わりたい。そう願わずにはいられない、食料の宝物。それが霜降り。
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