恵方巻という新しい文化については、これまで薄ら笑いを浮かべながら遠目で眺めてきた。「コンビニやスーパーが商売のために広めたものでしょ?」と。「そうはいくか。安易にその人為的なムーブメントには乗らないぞ」と。
斜に構えている俺カッコイイ、という考えも正直あった。
そうやって毎年節分を何事もなく過ごし、その都度「ざまあみろ、消費に貢献してやらなかったぜ」と満足感を得ていたが、よく考えてみるとお前は一体何と戦っているんだ、という状態だった。
お年寄りが何故季節の移ろいを愛で、頻繁に季節の話題を出すのか?それは、長生きした人ならではの自然に対する理解と愛情なのだと思っていたが、どうやらそれだけではないらしい。「四季というのは、こっちが何もしていなくても勝手にやってくるものだから」だ。若い時のようにアクティブに動き回り、情報や体験を収拾しなくなってくると、後は「花が咲いた」とか「今日は寒いね」といったことが話題の中心になるのはやむなきことだ。
そんなこともあって、やれクリスマスだ正月だ節分だ、と「四季折々のイベントに乗っかる」というのは僕にとっては「怠惰である」と考えられ、敢えて忌避してきた。
しかし最近のおかでんは丸くなったというか、主体性がなくなったというか、「伝統や格式があろうがなかろうが、季節感があるっぽいものはどんどん生活に取り入れたい」と考えるようになってきていた。僕はそれは大いなる敗北だと思っているけど、「でもそれはそれで良いのかもね。」と許容できるようになってきた。
ただ、スーパーで恵方巻きを買ってきて、家で食べるというのはまだ悔しさが残る。あと5年もすれば「そういうのもあり」と思えるようになるけど、「恵方巻き過渡期」である今はまだ反骨精神が残っている。
そんな微妙な立ち位置であった僕を見たカツが、「手巻きで作りましょう。しかもできるだけ長いのを。」と提案してきた。長い恵方巻き!それは面白そうだ。
昔、テレビ東京の大食い番組で、ボウリング場のレーン上にながーい巻き寿司を並べ、端から食べ進めるという企画があった。それを見た若かりしころの僕は衝撃を受けたのだが、同様にカツもその映像をとても印象深く記憶に留めていたのだった。
とりあえず、ダイニングテーブルに置ける程度のものを作ってみることにした。物理的には何メートルでも作る事は可能なのだが、そんなものを作ったってもてあますだけだし、「悪ふざけ」にすぎない。
最近そういう「webに載っけるためのネタ作り」を意図的にやるのはイキッてるなと強く思うようになっている。ネットの先の、何人いるかわからない「読者」に向けてチラチラ目線を送り、「どうです?面白いでしょう?」っていうのほどみっともないものはない。「ネタとしておいしい」とかいう言葉は使いたくないので、「胃袋に入れて素直においしい」長さのものを作ることにした。それがこのサイズ。
長い巻き寿司を作ろうと思うと、すまきがなくて困る。そもそも家にすまき自体がない。夏だったらホームセンターにすだれが売っているだろうけど、すだれで寿司を巻くのはイヤだし、巻いたとしてもその後そのすだれはどうするんだ?という問題が残る。やめとけ。
というわけで、「ランチョンマット2枚の長さ」が今回の必然、となった。
長さ90センチ。「ネタとして」なら1メートルの大台に乗せておきたいだろうが、いやそんな軽薄な笑いはいらないから。90センチだって、十分「どうやって食べるんだオイ」感はある。
ランチョンマットの上には新聞、さらにその上にラップを敷いて、そこに海苔を並べた。
海苔どうしは、米粒で連結した。
具を並べていく。
海苔が巻けないと「巻き寿司」にはならない。なので、できるだけシャリは少なめ、具も少なめ・・・と心掛けたのだけど、ついつい載せてしまう。ちなみにこの日の具は、玉子、かにかま、ハマチ。
ものすごく深刻な顔で具を並べるおかでん。この日、何枚も写真を撮ったが、どの写真も僕の顎がしゃくれている。真剣に寿司に取り組んでいる時は顎がしゃくれるらしい、人類っていうのは。
いや、僕だけか?
こうやって人物対比すると、「なんだ、大したことないじゃん」と思える。しかしよく考えてみろ、これを丸かぶりしようというのだぞ。おかでんの身長が178センチなので、ほぼ身体の1/2の長さがある、ということだ。
もちろん今回は大食いチャレンジではないので、これを無言で丸呑みしようとは思っていない。蛇じゃあるまいし。とはいえ、これまでの人生の中で、最も最大の料理を作っていることは間違いがない。
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