2000年02月11日
【店舗数:026】【そば食:046】
山梨県北巨摩郡長坂町

ざる、田舎、日本酒

翁

この店に行くことを、そば好き達の間では「翁詣で」というらしい。それくらい、別格のそばを提供するのが、ここ山梨のど田舎にある蕎麦屋、「翁」。

何しろ、田舎ったらありゃしない。われわれは小淵沢方面からカーナビに従って突撃したため、狭くてくねくねした峠を一つ乗り越えて行く羽目になってしまった。周りは山と雑木林だけの世界。こんなところに蕎麦屋なんてあるのか本当に、とカーナビさえも疑ってかかりだした頃になって、ようやく蕎麦屋・・・というよりたっくさんの駐車車両にでッ食わした。ここが、翁。目印は、遠路はるばる来たたくさんの車。

カーナンバーを見てみると、東京からは当たり前、愛知、新潟などよりどりみどり。和歌山という強者もいる。それくらい、このお店はそば好きに名を轟かせているお店だ。

田舎に店を構えることによって、神秘性を増してお高く留まってるんじゃないの、なんて知らない人から揶揄されたりもする。店の批判にとどまらず、「そんな店にうれしそうに行くそば好きは、やっぱり通ぶっていて嫌味な奴らだ」とわれわれそば食い人種にまで飛び火してしまうからたまらない。

そばが一部の通ぶった人によって、悪い印象を与えてしまったのは事実だ。しかし、見よこの店の前に並ぶ人たちを。みんな喜々として並んでいるではないか。この店の蕎麦をもうすぐ食べられるヨロコビを素直に 顔に出している人たちばっかりだった。

この地域でこの季節はシーズンオフ。それなのに、わざわざここまで足を運んでいる人というのは、蕎麦目的のそば好きがほとんどだろう。だから、観光ガイド見てやってきたんですけどォ、といったアホ丸出しな人がいないし、鼻持ちならないそば通もいないようだ。

人混みをかきわけて、順番待ちのリストに記名。12時過ぎという時間もあってか、1時間待ちを宣告された。その間、じっと辛抱強く庭先で待つ事になる。まさか、こんな寒空の下、蕎麦を食べるため に雑木林の中で辛抱強く待つ羽目になるとは思わなかった。

庭には犬が居て、暇を持て余したお客たちの格好の遊び相手にされていた。しかし、犬自身は毎日毎日入れ替わり立ち替わりでやってくるお客達に完全にスレてしまい、話しかけても相手にしないし振り向きもしなかった。ちくしょう。 僕らと同様にちょっかいを出す順番待ちのお客が後を絶たないが、やっぱりこの頭の悪そうな(失礼!)犬は無視を決め込んでいた。いちいち相手にしてられっか、ということなのだろう。

それにしても、寒い。そばなんて、ずずっとたぐってあばよっ!と立ち去るのが一般的。「ざる」と「田舎」しかない店だというのに、何で1時間も待つことになるのかさっぱりわからない。中で団体客が結婚披露宴か何かでも開催してるのだろうか?

窓から店内をのぞき込んでみることにした。・・・ああ!わかった。みんながみんな、お酒を楽しんでいるのであった。道理でみんな長っ尻なわけだ。うれしそうな顔してそばをすすり、やっぱりうれしそうな顔をしてグラスを傾けている。そして、あまりにうれしかったのかおもむろに蕎麦を追加注文したりして・・・あっ、まだ食べるのかこいつは!

ただ、不思議と「早くどけ、先がつかえとるんじゃコラ」という気持ちにはならなかった。なぜなら、あまりに店内にいる人たちがにこにこ幸せそうにしていたからだ。ちょっと薄気味悪い。怪しい宗教みたいだ。そんなにうまいのか、この蕎麦が。

きっちり1時間待たされた。ああいう「お待たせ時間」というのはお客のイライラを抑えるために、やや誇張した時間を言われるものだ。今回も正味40分程度で入店できるものだとばかり思っていたのだがさにあらず、きっちり1時間だった。

翁のお品書きはシンプル

「朝早くの特急列車に乗って」訪れた「小淵沢」の「わかりにくい山奥」にある「蕎麦屋」で「寒空の下」で「1時間待ち」。たかがそばのためにそこまでやらなくちゃいかんのかと馬鹿にされそうだが、そこまでやらにゃいかんのです、蕎麦ってものは。

お品書きはうわさ通り至ってシンプルなものだった。「神田まつや」のように注文をとりにきたおばちゃんの前でぎりぎりまで悩みまくる必要が全くない。ここまで簡略化されたお品書きは、僕は初めての経験だった。これだけで、どきどきしてしまう。悩む必要がないというのに、やっぱり悩んでしまい、結局「ざる」と「田舎」両方を頼んでしまった。まあ、なかなか再訪できないお店なんだし、一度に二 枚食べたってバチはあたるまい。

焼き味噌と日本酒

席に着くと、注文を聞く前からいきなりお盆が全員に配られた。お盆の上には蕎麦猪口、徳利、薬味の小皿、箸が乗せられている。この店に来た以上、「ざる」か「もり」を食べるしか選択肢がないわけで、問答無用でこの「スターターキット」となるお盆を配って問題ないのだろう。暖かい蕎麦やいろいろなおつまみを扱っているお店ではこうはいかない。たったこれだけの店員の動作に、われわれ一同「おおおー」と感嘆の声を上げてしまった。田舎者です。

頼んだ清酒は、「これ、フラスコですか?」と思わず聞きたくなるようなガラスの器に入れられて出てきた。同席した誰もが同じことを思ったらしく、右手を器の口の上でぱたぱた振って香りを嗅いでみたり、まるでアルコールランプの上で液体を煮沸させるかのように手に持った器をくるくるとゆすってみたり、「目盛りがついてないぞ」とぼそっと口にしてみたり。それくらい、フラスコそのものだった。一瞬、「中に入っているのはメチルアルコール」疑惑が頭をよぎったが、そんなことを口にしてしまってはせっかくの「翁詣で」を台無しにしてしまう。黙っていることにした。

おそるおそる日本酒を飲むおかでん

お酒の突き出しとしては、しゃもじの上に味噌と刻んだ葱を薄く敷いて火で焙ったものだった。熟成の浅い味噌なのか、豆の風味が強く塩味が薄めでとてもおいしかった。お酒はもちろんおいしいわけで、これでは蕎麦が来る前に幸せ感で昇天してしまいそうだ。やばいやばい。

心地よさのあまりに昇天しかかり、尻が半分椅子から持ち上がりかかった頃、待望の蕎麦が届けられた。さすがにお客が多いお店であり、「お酒を飲み終わったタイミングを見計らって蕎麦を出す」という客あしらいはしていなかった。まあ、つまみ類のメニューがあるわけでもないし、このあしらい方でいいと思う。しかし、こっちはまだお酒が残っている状態であり、お酒を飲みつつ蕎麦を食べるわけにもいかないので慌てて残りを飲み干す羽目になった。さっきまで「ああこれはおいしいなあ」とかいいながら惜しげにちびり、ちびりと飲っていたというのに。

うまいに決まってる蕎麦

蕎麦は、一瞬見ただけで「あっ、これは旨いに決まってる」と断言できるものだった。そばが繊細な薄緑色をしている。こんな色をした蕎麦は今まで食べたことが無いが、本能がそう判断するのだろうか。従来見慣れた蕎麦というのは、たいてい灰色をしていた。唯一、かんだやぶそばは緑色をしていたがあれはクロレラか何かを混合させているので当然。それ以外で、こんなにいい発色をしているそばは見たことが無い。しかも、色つやが抜群によい。これでまずかったら、これでまずかったら・・・うーん、この蕎麦を前にしてしまうと、まずかった時のことが想像できないではないか。それくらい、勝利が約束された「見た目」なのであった。

早速、食べてみる。

・・・嗚呼、これは!口にした瞬間に口の中鼻の中問わず充満する蕎麦の香り。これが、これが蕎麦の香りって奴ですかァ!と驚きが大脳皮質を駆け巡った。で、その驚きを大脳の言語野を通じて言葉にしようとしたのだが、どうもうまく表現できずに「うひひひ」という 気味の悪い笑い声として喉から発せられてしまった。ああ恥ずかしい。

しかし案ずることなかれ、同席していたしぶちょおや蛋白質の口からも同じように「うひゃひゃ」とか「あうあう」といった意味不明な感嘆詞が発せられていた。みんなきっと同じ驚きを受けて、頭の中が混乱しているのだろう。

それにしてもショックだった。蕎麦を本格的に食べ始めたのは今年に入ってからでまだ経験が浅いが、初めて本当の蕎麦の香りを体験したという気がする。逆に言うと、それまでの45食は何だったの?ということになる。「かんだやぶそば」「神田まつや」といった名の通った蕎麦の名店でさえ、この香りと味には及ばないと思う。いかに蕎麦の風味が繊細か、ということだろう。決して、その他の蕎麦屋が手抜きをしたり材料をケチっているわけではない。

名店と言われる所でさえ、「翁」の蕎麦が持つパワーになかなか勝てないのだ。では、スーパーで売られているゆで麺の蕎麦ごとき(あえて差別的な表現をここでは使わせてもらう)が旨かろうはずがない。だから、蕎麦に特に思い入れが無い人は、スーパーのゆで麺を「リアルな蕎麦」だと思い、一生を終えていくのだろう、きっと。

これで分かった。どうして蕎麦好きが一般人から「知ったかぶり」と煙たがられるのかが。

蕎麦好きは、本当の蕎麦の香りも味も分かっている。また、それが繊細であってかつ貴重であり、ちゃんとした食べ方をしないとせっかくの蕎麦が台無しになることもよく知っている。だから、少々うるさいと分かっていても、蕎麦の食べ方に口を出してしまう。

しかし、蕎麦をあまり食べない人からすれば、蕎麦=スーパーで売られている味も香りも無い麺に過ぎないわけだ。蕎麦好きがエラそうにウンチクをたれる通りにやってみたものの、味に大差が出るわけではない。で、「何だよ、通ぶってからに。味なんて全然変わらないのにエラそうに」という感想を抱いてしまう。悲しいすれ違いですな、全く。

この店で蕎麦を食べる限りは、通がよく言う「麺はつゆにほんの少しつけるだけ」「音を立てて一気にすする」「噛んではいけない」という教えに対して全くその通りといわざるを得ない。つゆにざぶんと麺をつけるような食べ方をする奴は馬鹿だ、と言い切れる。それくらい、蕎麦の繊細さとおいしさをこのお店の蕎麦は教えてくれた。

田舎

もう一方の田舎蕎麦は、挽きぐるみでそば殻も含まれているため、さらに香りが強かった。こういうのを口にすると、蕎麦というのは味を楽しむ料理というよりは香りを楽しむものなのだな、という気がする。 松茸みたいなものですな。

いや、もちろん蕎麦そのものは雑穀であり、昔は米が採れない地方の人が蕎麦を主食のひとつとして食べていたという事実があったのは知っている。だから、こういう洗練された味と香りというのは、昔からあったオリジンな蕎麦ではないだろう。いつからそんなにお高くなりやがったんだ蕎麦の分際で、という声は当然あると思う。でも、お高くとまっていようがいなかろうが、この食べ物のすばらしさだけは事実だ。旨くて何が悪い。洗練されて何が悪い。 ひがむな、精神の貧乏人どもめ。

たかがいっぱい・・・いや、二杯食べたっけ、この店では・・・の蕎麦で、いろいろ考えさせられてしまった。蕎麦は本当に奥が深い。