築地 さらしなの里(03)

2000年02月23日
【店舗数:—】【そば食:058】
東京都中央区築地

穴子天ちら、そばみそ、粗挽きそばがき、鶏南蛮、せいろ、お酒

「たまにはくつろいでみようや」

友人を誘った時の口上が、これだった。

築地さらしなの里、すでに今年に入って3回目の訪問となる。ハーブだの森林浴だの疲れた現代社会には様々なリラクゼーションがあるけれど、都会に居ながらにして安らげる場所、それがこの築地さらしなの里だと思う。

だから、「蕎麦喰いに行こうぜ」とか「軽く手繰ってくか?」なんて表現よりも、「蕎麦リラックスしようよ」というコトバをぜひ使いたい。つーか、現に使った。 いや、使っただけじゃ何もならないので、実際にお店に行って、激しくくつろいだ。それが、今回。

誘った友人は、以前板橋区のさらし奈乃里におかでんを出し抜いて訪問したという過去を持つ奴。聞くところに寄ると、彼は それからさらし奈乃里に頻繁に訪れるようになったらしい。今回は、その暖簾を授けた親店ということもあって、張り切ってやってきた。

「シャケの産卵みたいなものか、産まれてきたところに還るってのは」
「それ、たとえがおかしい。どっちかというと人間が猿人、原人と進化していった過程を逆からトレースしている、と表現した方が正しい」

・・・これから蕎麦を食べようとしている人の会話とは思えないようなやりとりだ。

今回は、せっかく築地という好立地なのだから魚類を頼んでみよう、ということで穴子天ぷらを頼んでみることにした。しかし、お品書きには「穴子天ちら」と書いてある。毛筆でやや崩れ気味の書体なので、「ち」と読めるけど実際は「ぷ」なのだろう。しかし、「ち」と「ぷ」が読み分けられないほど達筆ってそりゃ一体なんだ。

昔のエラい人が書いた書とかどこぞのエラいお坊さんの書ってのは「達筆すぎて」全然読めなかったりする。

でも、「お品書き」という一般Peopleにも読まれてナンボのもので、「読めないほど達筆」って事があり得るだろうか?んなアホな。

店員さんがやってきた。

「あの、すいません、穴子天ぷらください」
「はい、穴子天ちらですね。かしこまりましたぁ」

「あれっ?」

・・・・店員が去ったあと、友人とひそひそ話。

「おい、本当に天ちら、って言うんだな
「俺はてっきりメニュー書き間違いなのかと思った」
どじょうのことをどぜうというようなものだろうか?」
「さあ?パンチラみたいなもんじゃないのか?」

後になってあれこれ「天ちら」を調べたが、蕎麦屋において「天ちら」という表現は決して珍しいものではないらしい。やはり、 「どぜう」同様これも江戸文化の名残、ということか。

じゃ、パンチラも江戸文化の名残だろうか。という質問は愚問ですか。しつこいですか。まいっちんぐ町子先生ですか。

さて、でてきました「穴子天ちら」。ちょっとだけ期待した

「穴子天ぷらをちらっとだけ見せて、そのまま店員はお皿を下げちゃう」
「穴子天ぷらに布が被せてあって、風が下からふわーっと吹いて布がめくれあがって天ぷらがちらっと見えて『オゥ、モーレツ』」

なんて事は全然なく、当然すぎるくらい当然に「穴子天ぷら」がでてきた。うーむ、期待しただけ馬鹿だったか。

この穴子、見事なもんで中はふんわりしっとり、外はかりっ。また、ボリューム感もある。これ一つで結構幸せな気分でお酒が飲めるんである。ただ、食べているうちに油っぽさが鼻についてしまう料理なので、一人で食べる気はしない。今回みたいに二人いるからこそ、注文できる料理だ。ああうまい。

お酒を飲みつつ、友人と板橋の「さらし奈乃里における天ぷら問題」について議論。

「あの店もここまで天ぷらがしっかりすれば言うことなしだな」

という事で結論をみたが、

「いや、でも徐々に良くなっているような気がするのでもうちょっと長い視野で見ても良いのではないか」

という見解も示され、それも決議案に付議され、採択された。

蕎麦は相変わらずうまい。しかし、こうやって板橋「さらし奈乃里」と比べると、つゆの味が相当違うことに気づく。単純に暖簾分けをして、味は忠実に本店を再現というわけではなさそうだ。 反骨児なのだろうか?

うまかったのと、板橋「さらし奈乃里」と味の比較がしたかったのとで、鶏南蛮そばも食べてしまった。本当は鴨南蛮にしたかったのだが、値段が高い(確か500円くらい高くなったような記憶)ので断念。こちらも、鶏の濃厚なうま味がつゆにしみ出ていて、激しく満足させられた。「そばつゆ」というよりも、「スープ」と呼びたくなるような感じだ。危なく、つゆを飲み干してしまうところだった。

帰りがけ、店のおばちゃんに板橋の「さらし奈乃里」が近いんでよく行くんですよ、なんて話しかけたら、おばちゃんは目を細めて

「あの人はウチでもとくに熱心でマジメだったんですよぉ」

とうれしそうに昔話をしてくれた。何か、聞いているこっちがうれしくなってしまうほど、そのしゃべり方は幸せそうだった。

とまあ、この店は最後までこうしてリラクゼーション空間をキープし続けるのであった。脱帽だ。

「ご自由にお持ち帰りください」とレジの横に積んであった、天かすが入った袋をぽんぽんとお手玉にしながら、

「やめられんなあ、この店は」

「いいねえ、くつろげるねえ」

とため息混じりに帰路についた二人であった。

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