2003年02月10日
【店舗数:---】【そば食:241】
長野県上田市中央
もりそば大
この日の朝は、群馬県の万座温泉に滞在していた。おかでんは東京に帰らなくてはならない日であったため、アワレみ隊メンバーの解散は長野駅を想定していた。
しかし。せっかくだから蕎麦を食べようじゃないか、という話になったとき・・・長野駅方面って、イマイチ魅力薄なんである。もちろん、大都市長野なのでおいしい蕎麦屋はきっとあるのだろう。でも、われわれが今まで長野駅周辺で食べてきた蕎麦というのは、不幸なことにどれもいま一歩なものばかり。だから、長野駅で解散!と言われると「うーん、でもお昼御飯、どうしよう」と途方に暮れてしまうのであった。
気分を入れ替え、「長野新幹線に乗りながら峠の釜飯でビールをぐいーっ」という飲んべえモードになったのだが、2泊3日の旅を締めくくるにしてはどうも力不足だ。
力?力不足?
あるじゃないか、力がみなぎっている蕎麦屋が。上田に。
刀屋。
まさか、ここでもう一度刀屋が出てくるとは思わなかった。
前回、アワレみ隊企画「信州そば包囲網3」の時に訪問したのが今からきっちり2年前の2001年2月10日。その日4軒目の蕎麦屋として突撃した刀屋であったが、もりそば(大)の迫力に圧倒され、なんとか完食はしたものの旅館の夕食を残したあげくに吐いてしまったという屈辱の事件が思い出される。
あれだけのインパクトがある蕎麦だったら、旅の最後を締めくくるのにちょうど良いインパクトがある。今ここにいるメンバー3名全員がもりそば大を注文したら、さぞや壮観だろう。よし、突撃だ。
結局、万座温泉から進路を南東にとり、わざわざ刀屋だけのために上田市街に向かったのであった。
ここで、刀屋が「本日休業」だったりすると大笑いなのだが、幸いにしてお店にはきっちりと暖簾が下がっていた。やれやれ一安心。(ちなみに定休日は日曜日だった)
ぱっと見は普通の民家のような造りのお店。入り口脇にベンチが置いてあるのが特徴的。ひょっとしたら混雑時は行列ができるのだろうか。
店に入る。
もちろん、注文は全員もりそば(大)。
刀屋は初めての来訪となるO君は、「いや、でもですね、どれだけ量があるかわからないし、初めて食べる蕎麦なので自分の口にあうかどうか確認してからでも・・・」と抵抗を示していたのだが
「大丈夫、大丈夫」
と何がどう大丈夫なのかわからない説得を受け、勝手に「大」を注文されてしまった。
刀屋の蕎麦はその豪快な盛りにこそ楽しさがあるわけであり、少ない量の蕎麦を頼むというのは非常にもったいないことだと思う。喩えるなら、最大斜度5%のジェットコースターに乗るようなものである。全然楽しくない。
一体どんな蕎麦がでてくるんだ、と誘拐被害者のような心境で待つO君。待つことしばし、さあやって参りましたこれが刀屋名物もりそば大、通称チョモランマ。
今日も相変わらず絶好調、冗談のような盛りでございます。O君、しばしあぜん。
しかし、3人分の「大」が並ぶと、冗談っぽい盛り方も普通に見えてくるから不思議だ。後ろにあるタバコの箱と比べて欲しい。いかにこの盛りが尋常でないかがわかる。でも、何か日常の1ページ、って感じになっている。
よく見ると、3人の盛り加減が微妙に違う。さすがにこれだけ盛り上げると、量のブレが出てくるのだろう。
それにしても、一度にこれだけの蕎麦をゆでることができる釜って一体どれくらいの大きさなのだろう。3人前の「大」だと、普通の蕎麦屋でいうところの9人前以上はある。中でニシキゴイが飼えるくらいのでかさなのではなかろうかと推測する。
早速この富士山を突き崩しにかかる。「将棋崩し」みたいに、崩す場所が悪いと山全体が崩壊してしまうので細心の注意が必要だ。
素人目でみると、お山のてっぺんから箸をつければ問題ないじゃないか、と思うでしょう。でも、それは甘い。
ひっぱってみると、その麺が山中深くに埋まっている事があるのだな。だから、うかつに麺を引っ張ると、山の中心から崩落してしまう事になる。微妙な箸使いで、山を崩さぬように蕎麦を手繰らなくてはならない。場合によっては、左手をせいろに添えて、己のゴッドハンドで決壊防止の突堤を作らなくてはならない。これぞ、豪快かつ繊細な食べ方。
前回食べたときは、えらく麺の切り方にむらがあるなあ、と思ったのだが今回は特にそういうこともなし。てっきり、わざと太い麺を作ったり細い麺を作ったりして「手打ち風」を強調したかったのかと思ったが、そういうわけではなかったようだ。
蕎麦は、見た目の野蛮さと比例する形で?香り、味ともに十分なものがあった。前回このお店を訪問したときは、「ボリュームと味わい」の蕎麦だという印象が強かったが、今回は香りもしっかり。
しかし、食べ進んでいくにつれて味覚が慣れてしまい、味も香りもあんまりわからなくなっていくのは非常に残念。人間という生き物である以上仕方がないことだが、同じ感覚が続くと、その感覚を感じなくなる。その仕組みは、蕎麦という繊細な食べ物を食べているときには非常によくわかる。
ああ儚いものよ、と嘆きつつ、途中で薬味をつゆに入れて食べ方をシフトチェンジ。この蕎麦は、薬味をいれて食べてもおいしい。というより、「香りがわからなくなるから薬味は入れない」と頑なにならないで、最初から薬味をいれて豪快に食べる食べ物なのかもしれない。
最初は「食べられるかしらん」と不安にさせられたボリュームだったが、気が付いたら3人ともきれいさっぱり食べきってしまっていた。特に「うう、食べ過ぎたぁ」といううめき声もなし。何か、爽快な食べ終わり方だった。まるでサウナに入った後のような。
こういう清々しい食べ終わりの蕎麦ってのは、ありそうでないような気がする。いやあ、楽しませてもらいました。ごちそうさまでした。また機会があったら訪れたいものだ。ただし、刀屋未経験者を伴って。
刀屋の楽しみは、大盛りを知らない人をびっくりさせる事、これが全体の50%程度はある気がする。
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