達磨 雪花山房

2003年08月09日
【店舗数:145】【そば食:258】
広島県山県郡豊平町

ざるそば

「翁」という蕎麦屋で熱狂的ファンを作った、高橋邦弘氏。山梨県の長坂にお店を構えていて、おかでんも「蕎麦喰い人種」企画スタート直後に食べに行ったことがあり、「ああやっぱり蕎麦を食べてきて良かった」と思ったお店だった。

しかし、最近になって「自分のペースで蕎麦と接していきたい」ということで山梨県のお店を引き払い、広島県の豊平町に移住したという。このあたりの経緯は、高橋名人の自著「そば屋 翁―僕は生涯そば打ちでいたい。 (文春文庫)」に詳しい。

豊平といえば、西日本最大の蕎麦の生産地として知られるが、戸隠や開田高原のように蕎麦で観光が成り立っているわけではない。そのてこ入れの意味もこめて、豊平町は高橋名人を誘致したのだろうが、まだこの地が蕎麦で栄えるのはしばらく時間がかかりそうだ。「はっぴ」訪問の回に書いたが、まだ一般的な広島人(というか、西日本人)はうまい蕎麦について免疫があまりない。高橋名人のお弟子さんが増えていき、町中にそのお弟子さんの蕎麦屋が増えていって、徐々にその状況が変わっていくかも知れない。品種改良みたいだ。10年、20年がかりの話になるが、頑張ってもらいたい。

そんなこんなで、高橋名人が現在居を構えている、豊平町の「達磨」に向かう事にした。実家に帰省したとき、母親から「今日のお昼、何が食べたい?」と聞かれたのでしばらく考えたのち、「あ・・・そうだ、達磨で蕎麦を」とひらめいたのだった。

この「達磨」、いつも開店しているというわけではない。高橋名人が、蕎麦を後進に指導したり全国にそば打ち実演をするための拠点としての位置づけがメインであり、お客をとって営業するのは「片手間」となる。実際は、土曜日・日曜日が不定期で営業日となる。以前は電話で問い合わせるしか手がなかったのだが、webで検索してみたらちゃんとwebサイトがあって、営業日が掲載されていた。ありがたいことだ。

面倒臭がって及び腰な父親を、母親と共に説得して何とか車に押し込める。いざ、豊平へ。

このおかでん父だが、相変わらずこの手の「趣味そば」は大嫌いだ。蕎麦そのものは好きなのに、おいしい蕎麦を出そうと気合いをいれている蕎麦屋を非常に嫌う。そんなおかでん父において、「達磨」のような蕎麦屋は「蕎麦通の総本山」であり鼻で「へっ」と笑われる存在であった。以前、「翁の高橋名人が豊平に移住するんだって、楽しみだね!」と話をしたことがあるが、おやじは

「豊平?東京でちょっと成功したからって、広島で成功すると思ったら大間違いだな。豊平みたいな田舎に住むっていう隠居じみた事やってる事自体、何か勘違いしているんじゃないか。何か、蕎麦は高級ですみたいな通ぶってお高くとまってる感じがする。広島は東京みたいに甘くないぞ」

と小馬鹿にしていた。これが数年前の話。で、今回晴れてそのお店に突撃するわけだが、果たしてどうなることか。こっちとしては、またもや無用な「蕎麦批判VS蕎麦擁護」の口論はしたくないので、できるだけそっちの話題にはならないように注意しつつ、車を運転した。

達磨への道

いざ車を走らせていて気付いたのだが、達磨の住所を全然調べていないことに気付いた。地図すら確認していなかった。普段カーナビ付きの車に乗っているために、うっかりしていた。

広い豊平町のこと、なおかつさらに山奥にあるという達磨なんて場所を見つけられるはずがない。これはどこかで人に道を聞かないといけないなあ、と思いつつ豊平の中心地に向かった。

すると、小さいながらも赤い字で「達磨→」と書かれた看板が道ばたに立っているのを発見した。助かった。

豊平の蕎麦の中心地であるどんぐり村を通過。まだ道は先だ。しばらく進んで、町役場を通過。・・・まだか。今度は進路を南に取る。おおい、一体どこに行くんだ。ただでさえ民家が少ない田舎なのに、どんどん人気が無い方向に看板が続いている。徐々に心細くなってきた。本当にこの道はあっているのか?

でも、心配になってきた頃合いを見計らって、次の看板が出てくるので勇気づけられる。というか、さすがのおかでんも呆れてきた。一体こんなところに蕎麦屋作ってどーすんの、と。

県道から脇道にそれ、のどかな農家の横をすり抜け、山を登っていくことしばし。もうこれ以上ローカルなところは豊平町のなかでもなかなか無いぞ、というところで矢印は砂利道の私道を指した。どうやら、ここが達磨らしい。

階段をあがる

車を駐車スペースに停めて、脇の階段をあがる。

最初、達磨のお店らしき姿が全く見えなかったので、ニセ看板にだまされたか!とひやりとしたが、階段をあがってみたら・・・

達磨

ああ、あったあった。これが達磨だ。写真で見たことがある。

お店の前にも駐車スペースが確保されていた。われわれが階段で上ったところを、車で回り込めばいいらしい。

それにしても、非常にシンプルなつくりだ。四角と、三角。青い空。白い玉砂利。

丘の上にあるロケーションなので、空が非常に広く見える。それゆえに、きれいに敷き詰められた玉砂利の白が良く映える。

ただ、これが蕎麦屋だというのは一見さんだと絶対にわからない。情報をもっている確信犯でないと、ここにはたどり着けないし、蕎麦にはありつけないというわけだ。看板一つすら出ていない。

まあ、そもそも「蕎麦屋としての営業は土日だけ」であり、「翁の蕎麦ファンに対するサービス」的な要素が多分にあるようなので、もっともらしい店構えにする必要はないのだろう。

達磨玄関

入り口正面。

・・・蕎麦屋に似つかわしくない、明かりが灯っている。

そして、正面にはよく東急ハンズなんかで売っているような「営業中」の看板。木を掘って「営業中」看板を作ろうなんて気の利いたことはしていない。いかにシンプルに済ませることができるかを競っているかのようだ。この店の外見もそうだし、この看板もそうだし。

・・・あれ?でも、シンプルを追求しているんだとすると、この明かりはちょっと違和感がある。

で、肝心の入り口が無いじゃないかと思ったら、左側に入り口があった。不思議なつくりだ。

達磨廊下

左側の扉をあけると、そこは解放廊下になっていた。

「?」

不思議な建物の作りに、あっけにとられる。

目の前に、水が湧き出ている場所がある。奥の白い玉砂利と相まって、何やら和む。

だけど、不思議なつくりだ。達磨、だから禅を意識しているのだろうか?

・・・ああ、違う。「禅」ではなくて、食べ物屋なんだから「膳」を意識しているのだろう、きっと。意味不明だが。

右に向きを変え、この解放廊下を進む。

達磨の店内へ

解放廊下の突き当たりが下駄箱になっていて、そこから右斜め後ろ120度のところに店の入り口があった。またしても、「?」だ。

入り口も、おおよそ蕎麦屋の入り口とは思えない作りになっている。何かすごく違和感を感じるのはなぜだろう。

・・・あ!暖簾がない!

常に営業をしている店舗ではないので、暖簾を下げるのは控えているのだろうか?長坂の翁では暖簾がさがっていたはずだし、今まで蕎麦屋で暖簾がない店は記憶にないので、非常に珍しい光景だ。

まあ、そもそもこの下駄箱にたどり着くまでの間で十分に珍しい体験をさせてもらったが。

達磨カウンター

店は、カウンター7席と長机に8席の合計15名が着席できるようになっていた。黒姫の「ふじおか」よりも席が少ない。

入り口から入って、店を突っ切る形で対角線上に待合い用のソファが置いてある。ここでも「?」だ。ここは、店として営業するために設計されていないのかもしれない。

幸い、われわれはすぐに座ることができた。店を俯瞰することができる、端のカウンター席だ。

ではまず、お品書きから見せてもらいましょうか・・・

あれ?お品書き、無いぞ。

店のお兄さんが、「どうなさいますか?」とメモ片手に聞いてきたのだが、どうもこうも、注文の仕方がわからない。あっけにとられていると、「うちでは、ざるそばだけなので、1枚、2枚という形でご注文頂いていますが」とお兄さんが補足してくれた。母親が「皆さんどれくらい食べるんですか?」と問い合わせたら、「そうですね、大体みなさん2枚くらいはお食べになられてますね」とのこと。なるほど、1枚じゃ少ないらしい。われわれは、全員2枚注文した。

待っている間、カウンタの中をのぞき込んでみる。特に何かここで調理をしているような気配はない。しかし、天麩羅を揚げる場所のような、「油が飛び散らないような覆い」がされている場所があったり、恐らく火気やらを持ち込めばここで実習ができるようにしているのだろう。

調理そのものは、この建物の奥・・・というより、隣で行われているようだ。遠いので、厨房の様子は伺うことができない。

ざるそば

待つことしばし、出てきましたざるそば。800円だったか、700円だったか忘れてしまったが、見た目はまんま翁の蕎麦。お久しぶりでございます。

季節が夏だからか、蕎麦の色は青々としているわけではなかった。以前翁で食べた時は、色を見ただけで「あ、これは旨いに違いない」と思ったわけだが、今回はそれほどのインパクトはなし。

早速食べてみる。まずは麺だけで。ずるずる。

・・・ああ、やっぱりおいしい。そうそう、これが蕎麦。広島という地で、こういう蕎麦が食べられるのはやっぱり幸せだ。麺の堅さ、歯ごたえ、のどごしが非常に気持ちいい。水切りもベストだと思った。完成度の高い、逸品。ただ、蕎麦の味と香りは暴力的なほど強くはなかった。これは新蕎麦季節に期待か。このレベルの味と香りだったら、この季節でも食べられるお店はいくつかある。ただ、そういう「夏でもおいしい蕎麦が食べられる」ようになったのも、高橋氏の影響は大なり小なりあるわけで、やっぱりありがたいことだ。

つゆは、それだけでちびちびと舐めていたいおいしさ。あまりにうまいので、蕎麦が押されてしまう気がした。これは痛し痒しだ。どうやら、自分の嗜好としてはからくてちょっと刺々しいくらいのつゆが好みになってきたようだ。

後からやってきてカウンタに座ったお客さんも、一見さんらしく店のシステムにとまどっていた。「ええと、どう注文すればいいのかな・・・」とあたりをきょろきょろしている。お店のお兄さんがわれわれと同じく、「当店はざるそばしかなくて」と説明していた。

その際、お客さんが「お酒って置いてないの?」と聞いたのだが、驚いたことに「あります。ビールと冷酒ですがどちらになさいますか?」とお兄さんが答えていた。なんだ、お酒があったのか!それならそれで、言ってくれればいいのに。ちぇーっ。お酒飲みたかったなあ。

お酒を頼んでいた人には、翁の定番である小しゃもじの上に載せて焙ったそばみそが提供されていた。ああ、羨ましい。しかし、蕎麦を食べた後にお酒を飲むわけにはいかないよなあ。

カウンタのお客さんのところにお酒が運ばれてきた。「グラスはいくつご用意いたしますか?・・・二つですね、かしこまりました」

あっちゃー、そこの二人連れ!二人ともお酒を飲んだらどうやって帰るつもりなのよ。飲酒運転は駄目ですよー!
これでわかった。このお店を訪れようと思ったら、公共交通機関の利用は無理。タクシーでも、あまりに山奥過ぎて現実的ではない。なにしろ、近くに電車の駅がない。ということで、マイカーに頼らざるを得ないわけだが、だからこそお酒を積極的に提供していないのだろう。
店は常に人が出たり入ったりして、田舎のわりには活況を呈していた。しかし、駐車場の車のナンバーを確認してみたところ、全部の車が広島ナンバーだった。遠路はるばる、「翁詣で」のように訪れている人はいなかったようだ。でも、それが高橋氏にとってちょうど良いバランスなのかもしれない。

確かにおいしい蕎麦だった。しかし、わざわざこの蕎麦を食べに遠路訪れるほどの魅力は正直、感じられなかった。広島市内から訪れるのでさえ、なかなか躊躇してしまうこの場所。そのために、「また来よう!」と思わせるためのハードルが高い高い。高橋氏の蕎麦の魅力でさえ、物理的地理的条件を乗り越えてまで「また今度来よう」と思わせるのが難しい。

高橋氏の教えを受けた西広島の「はっぴ」に徒歩で向かい、お酒を飲んで蕎麦食べて帰る、というのが一番お手頃な気がする。

でも、それでいいのだろう。指導者自らのお店にお客がたくさんやってくるよりも、お弟子さんが散らばっていってあちこちにお店ができて、そこが繁盛するというのが理想の形だろうから。