手打蕎麦 旭庵

2014年06月11日
【店舗数:368】【そば食:619】
東京都葛飾区西新小岩

せいろ

少し奥まったところにお店はある

新小岩北口にあるパン屋を目指していた際に見つけた蕎麦屋。

色気があるような無いようなお店。「色気」というのは蕎麦屋において、とても重要なことだ。事前情報がないお店の場合、特にそう。ということで、しばらく店の前で立ち止まってガン見。しかし、この蕎麦屋の隣が交番で、お巡りさんが軒先に立って町の治安を守ってらっしゃる。こんなところでキョドっていたら、職務質問されそうだ。

店の前を何度か往復したのち、入店することを決意。

一旦気になった以上、いずれはこのお店ののれんをくぐることになるのだろう。だったらとっとと入っちゃえ、という判断だ。

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お品書き

せいろ600円(税込み)からお品書きは並ぶ。昔ながらの蕎麦屋といった風情で、酒肴は特に目を見張るものはない。

一番高い料理は天ぷら御飯で3,150円。ひょう、高いぜ。せいろが5枚食べられる。

こだわり豆腐にびびる

お酒をきっぱりやめて以来、正直言って蕎麦屋の滞在がつまらない。昔は、蕎麦屋というのは「蕎麦を食べる場」ではなく、むしろ「酒を飲む場」であり、「店の空気感を楽しむ場」だった。喫茶店好きが喫茶店に長居しながらその雰囲気を愛でるのと一緒だ。しかし、お酒をやめたために蕎麦を手繰っておしまい。所要時間がとても短い。

そんなわけで、蕎麦だけじゃなくて何かつまみ類も一品注文しようと思っていた。しかし、これといって選びたいものがなく、その考えは棄却した。「こだわり豆腐」というのが気になったけど、1,200円という値段を見てしまうと、気が引ける。

これがお酒を飲んでいる頃だったら、「1,200円?高いなあ」とぼやきながらも、「でもやっぱり気になるから頼んじゃおう」となっていたはずだ。で、何やかやで3,000円くらいのお支払いになっても、まあそんなものかな、と納得感があった。しかし酒がないなら、1,200円のつまみなんてとてもじゃないけど頼まない。頼む気にすらならない。「お酒代がかからないんだし、それくらいいいじゃん」とはならないのだから、我ながら面白いものだ。物価基準というか、外食に使ってよいと思える金額ってのが明らかに変わってしまった。

「じゃあ、食費が減って貯金ができていいですね」

といわれそうだが、実際は殆ど変わっていない。酒をやめたかわりに甘いものを食べるようになったからだ。ケーキ買ったりしている自分の姿が信じられない。

せいろ

せいろ。

正直言ってあんまり記憶にない。一口食べたときは、「あっ、結構いいかも」と思ったけど、二口目以降がどうだったか、ここに書き記すほどの何かがあったわけじゃない。

蕎麦アップ

ずるずるっとあっという間に食べ終えて、お店を後にした。そういえば、蕎麦湯も殆ど飲んでいない。お酒を飲んでいれば、ほろ酔いの余韻を楽しみながらの蕎麦湯が楽しかった。でも今はそんなことがないので、蕎麦湯に対してもそっけなくなってしまった。

蕎麦屋に対しての接し方、過ごし方についてあれこれ考えさせられるお店訪問だった。

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『手打蕎麦 旭庵』へのコメント

  1. 名前:おかでん 投稿日:2014/06/29(日) 11:08:24 ID:6b0c30543

    宮城の芋男爵さん、コメントありがとうございます。

    いろいろな情報、ありがとうございます。こういう熱い文章を読むと、僕もまだまだ蕎麦食べ歩きに力を入れていきたいな、という気になってきます。

    そうです、1年前にお酒をやめてしまったので、まだ「蕎麦屋での時間の過ごし方、蕎麦の食べ方」を模索中なんです。そもそも、蕎麦食べ歩きを始めた動機が「蕎麦屋だと昼酒が飲める」というものだったので、いざ「酒無し」となるとどうすりゃいいのか、困惑している状態なんですよ。

    でもその心境の変化自体を楽しんでいる過程なので、いずれはうまく落ち着くところに落ち着く、と思ってますよ。蕎麦はやっぱり好きだし、蕎麦屋の雰囲気も好きですから。

    教えていただいたURLから写真を拝見しましたが、いろいろ食べ歩かれているようでいいですね。こうやって蕎麦の写真を一覧すると、太いものから細いものまでいろいろあって、どれも魅力的ですね。僕は最近太くて堅い蕎麦が好みなのですが、やっぱり細い蕎麦もいいよな、とか思いました。

  2. 名前:宮城の芋男爵 投稿日:2014/06/27(金) 18:32:46 ID:5a960d5c6

    おかでん様、酒やめたんだ。数年ぶりに覗かせてもらったら断酒でそば屋への立ち位置を変えた様ですね。酒抜きでもそば食後のそば湯はもっとゆっくり楽しめませんか?私の場合は地方在住の身でそば屋巡りも自ら車を駆ってのドサ周りですから当然アルコール抜きです。一枚の蒸籠(又は板)の充実感を反芻する為にそばの切れ端が沈んだ猪口にそば湯を案配して少しずつ薬味(余程の事が無い限りそば食中に薬味の助けを要しないので)も加えながら香りの余韻を楽しむと30分程はかかります。(立ち食いのかき揚げそばは4,5分で完食できるので決して遅食いではない筈)無論各店によってそばやつゆの提供法は千差万別ですから量が少なければもっとスピーディにはなります。従って、私にとってはつゆが徳利で供されて量的にも不足が無いのがそば食の充実感に重要な要素で最高のサービスです。
    そもそもそば前に酒を嗜むという文化は江戸の町民に支持されたものであって、一方そばの産地は江戸からは遠く離れて稲作に適する沿岸部海洋性気候の平坦な暖地に恵まれず且つ寒暖差の激しい山間部で年間を通して食糧確保に活用された穀物であることはご存じの通りです。米の収穫が期待できずそばを主食に適用したのは主に「かいもち」(そばがき)であったろうと想像できます。その食材を練って延ばして切る手数を掛けた工程が発案されてそば切りが生まれたのでしょう。この手数を要するプロセスのサービスを待つ江戸の暇人の時間潰しが後に「そば前」と云われる飲酒の文化を育んだと思っています。
    異論反論多々あるかと思いますが、私見を披露しました。
    そばは酒を抜きにしても楽しめるものです、ともう一度申し上げます。