2020年03月22日
【店舗数:—】【そば食:725】
埼玉県ふじみ野市大井町
そば膳、ふきのとう天、十割そば
ときどき、このサイトの「意見・要望」ページから励ましのメッセージが送られてくることがある。もちろん、僕とはまったく面識のない、はじめましての方だ。
このサイトは常々「家族しか見ていないサイト、いや、今や家族さえ見ていない、地の果てのブログ」と称している。なので、いきなり「いつも楽しく拝見しています」なんてお便りがくると、「えっ、マジで?」と思う。マジで。
試しに「アワレみ隊」とかでエゴサーチをしてみるけど、今やもう全然Googleにはヒットしなくなったんだな。昔はあれこれ、このサイトを取り上げてくれている他のサイトがヒットしたものだけど。「おかでん」なんて、岡山市を走る路面電車「岡山電気軌道(通称名:おかでん)」よりも検索結果が上に表示され、恐縮していたものだ。しかし今じゃ、全然僕の名前は出てこないと思う。マジで。
今回、ある読者の方からの投稿で、蕎麦店「ぐらの」の話を聞いた。その方いわく、「お店の方に『おかでんさんは来てますか』と聞いたら、『先日いらっしゃった』と答えたので、ああおかでんさんというだけで伝わるんだなと思った」ということだった。
えーと。
そのエピソードが最近のことだとすると、ぐらのの方は「おかでん」を勘違いしているし、投稿してくださった方が昔話としてそういうことがありましたよ、とおっしゃってるんだとするとそれはかなり昔のことだ。
確認してみたら、最後にぐらのを訪問したのは2009年。今からもう10年以上も昔だった。まあ、そうだろうなあ。
「ぐらの」が嫌いになったわけじゃない。味が落ちたとも思わない。しかし、埼玉県のふじみ野、川越街道沿いという立地ともなれば、そうおいそれと行ける場所ではないのだった。昔、埼玉県戸田市に僕が住んでいたからこそ通えたし、さらにはその当時車を持っていたからこそのことだ。そのときだって、確か車で片道40分とか50分くらいかけて、場合によっては高速代を払ったりもして行ったもんだ。暇と金があったんだな。
で、その後車を手放し、さらには東京都に引っ越し、今やすっかり疎遠となった。もちろん僕が愛してやまないお店で、三本の指に入る・・・いや、二本の指に入るといってかまわない、素晴らしいお店だ。このお便りをいただくまではすっかり忘却していたのは恐縮だけど、その店名を聞くやいなや、「ああ、本当にお世話になったお店だ」と懐かしくも恐縮する気持ちにまでなった。
で、投稿してくださった方の文章に話をあわせるためにも、こりゃァちょっとぐらのに久々再訪し、その結果をフィードバックしようと思い立った。で、急遽ぐらのに行くことに。金曜日にお便りをいただき、ぐらのに突撃したのは日曜日。フットワーク軽いな、我ながら。
ちょうどこの日、東松山市のほうで知人の建築士が携わった保育園の完成お披露目会があり、関越道方面に車で向かう予定があったので、タイミングが良かった。
そして、すっげえ久しぶりに訪れた「ぐらの」。
思わず手を合わせて拝みたくなるくらい、久しぶりだ。なにせ11年ぶりだもの。
ぐらの初訪問は2004年3月。今から16年も前のことだ。この時の記事はもちろん「蕎麦喰い人種行動観察」として残っている。が、せっかく熱量高く書いた文章なのにうっかり消してしまい、すげー自分自身に落胆し怒っている内容になっている。変なデビュー戦だ。
しかしそれ以降、ここでくつろぐために頻繁に通うようになった。ここでの飲食代に加えてガソリン代や高速代を考えると、アホみたいな出費をしていたことになる。ついでに、アルコール抜きのためにレイトショーの映画を見たり、日帰り入浴施設を利用したりしていたし。
でもそれくらい愛してやまなかったお店だ。
このお店は、僕が清酒を飲んでくつろぐ場所だった。飲まなかったのは、サバゲー帰りの昼間以外はほとんどなかったと思う。僕にとってのぐらのは、酒と切っても切れない関係だった。
しかし今や、すっかりお酒をやめてしまった。すっかりシラフになって早7年の僕にとって、ぐらのはどう写るのだろうか。
ぐらのの外観は、相変わらずだった。ああ、そうだったな、思わず立ち止まって、眺めてしまう。
振り返るに、僕の青春の一コマ、と言って過言ではないお店だ。逆に言うと、昔の僕というのは、酒と蕎麦ばっかりだったとも言える。甘いものは一切食べなかったし、喫茶店のようなお店に行くこともなかったし。
昔と違うような気がするのは、玄関先に自転車を立て掛けておくためのバーが設置されていることと、テラス席があること。テラスは昔から存在していたけど、そこが客に開放されていたかどうかは覚えていない。
それにしても、10年以上経過していてもこんなに外観は変わらないものなのか。よく手入れされているのだろうけど、なんだか薄気味悪い。というのも、この10年で僕はガラリと変わったからだ。結婚だってしたし、転居を何度もしたし。体調だってその間良かったり悪かったりもした。そして何よりも、自分自身が老けた。なのにお店は相変わらず僕に微笑みかけ、いつもどおりに出迎えてくれている。「変わった自分」がちょっとだけ恥ずかしい。
懐かしいな、昔っから店頭に立て看板があって、その日の臨時メニューが掲げられていたっけ。
今日は「ふきのとう天ぷら」があるぞ。山菜シーズンである春は、もう毎食でも山菜を食べたいと願っている。ふきのとうなんて御馳走中の御馳走だと僕は思っている。だから、本日岩手より産直だというふきのとう天があるのは思わずガッツポーズの喜びだった。いいね、ぐらの。
山菜天ぷらの旨さを僕にインプットしてくれたのは、蕎麦屋だった。僕は蕎麦屋で、和食の四季折々を教わってきたような気がする。
日曜日、11時半くらいだろうか。
お店はほどよく混んでいる。満席一歩手前、くらいの混雑状況。
ああ、この高い天井。僕はここで酒を飲みつつ、ほーっと深い息をついてこの天井を眺めていたんだった。相変わらずの高さで、昼間であっても心がくつろぐ。天窓から差し込む明かりが、あくまでも優しい。
夜は夜で、すーっと吸い込まれるような薄暗さがあり、とても心が和んだ記憶がある。僕がこのお店を初訪問した2004年頃以降しばらくの間は仕事がかなり忙しく、癒やしが必要だった。その癒やしを提供してくれたのが、この天井だ。
そして、ひとり酒のお供として、絶大なる信頼と寵愛を受けたメニューがある。それが「そば膳」。完全無欠、と言っていい。「たまには他のを食べたい」と思っても、そば膳の完璧さに引きずられ、別のものがなかなか食べられなくて困る・・・という一品だ。
今でもあるのだろうか?と思っていたら、まだあった。
値段は2,980円。初回訪問時は2,000円だったので、1.5倍に値上がりしているけどこれはもう仕方がない。そもそも、2,000円というのが安すぎたんだ。
コースとなる料理の並びは、不動。頼もしくておしっこちびりそうになる。俺たちのそば膳がまだここにある!・・・と。
でも、「俺たちの」とかいって感動しているのは僕だけで、同行している僕のパートナー、いしは「わあ、おいしそうですね」と単純に無邪気だ。「わたし、玉子焼き大好きです」とか言ってる。
まだパートナーとは、僕と体験や喜怒哀楽を共にしている回数と時間が少ない。これからだ。今の時点では、僕が一人勝手に感動し、「うおおお」などと唸っているだけだ。
そば膳のトップバッターは、自分で捏ねろ方式のそばがき。このお店以外、「自分でやれ」パターンは見たことがない。独自性が高いメニューだ。
お店の人に「作り方、わかりますか?」と聞かれたので、「ええ、もちろん」などと無駄に強がる。「俺はこのお店に何度も来ていたんだ」ということを大なり小なりアピールしたいお年頃。とはいえ、最後に訪れたのが11年前じゃ、来たことがないに等しいのだけれど。
お店の人については、僕は全然覚えていない。僕でさえ覚えていないのだから、お店の方も一人の客である僕のことなんて覚えていないだろう。そば打ち場を見ていると、女性の方がそば打ちをはじめていた。昔はそんなことはなかったけど、今は女性職人さんがいるのか。
いしが割り箸でぐりぐりとこねて、作ったそばがき。熱い蕎麦湯を蕎麦粉に注ぎ、一気に練り上げる。ちんたらやっていたら風味が飛ぶし、蕎麦湯がヌルくなると粘り気が出ない。黙々とやらねばならぬ。
シンプルな料理ながらも、かきたてのそばがきはうまい。醤油にちょいとつけて食べると、蕎麦の風味がふわりと立ち上がり、それがニッコリさせられる。そばがきが良いだけでなく、醤油の旨さも際立つ。
そして、つまみ三種。
だし巻き玉子、そば味噌、板わさ。
なんだ、最高って言葉はコイツラのためにあるんじゃないのか。日本語辞書に「最高:つまみ三種のこと」って書き加えてもいいぞ。
これを改めて見て、「そりゃあ酒を飲むよなあ」と思う。これをつまみに飲み給へ、と言われたら、「否」と答えられる酒飲みがいるか?いないと思う。
そば膳はお得なコース料理だけど、「酒を飲みたくなるつまみを用意することで、酒を注文させ、酒で利益を稼ぐ」というビジネスモデルではないか?と思われる。
夫婦ふたりでそば膳、というのは贅沢がすぎるので、二人でそば膳をシェアしつつ別のメニューも頼んでおいた。その一つが、もちろんふきのとう天。
「わあ、花が開いているようですね」
といしが喜んでいる。ちょうどこの2日前、自宅でふきのとうを天ぷらにして食べたばかりなのだが、それは油の温度のせいかもっとオイリーな仕上がりだた。こんなクリスピー感はない。
で、さすがプロだけあって、天ぷらとてもおいしゅうございました。このさわやかな苦味、カルダモンやクミンに通じるものがあるな、と思う。
そば膳における天ぷらもやってきた。
そば膳、一昔前と比べて値上がりはしたけど、単に「人件費や仕入れの都合により」というわけではない。おい!よく見るとお海老様が1尾だけでなく2尾になってる!値段が上がった分、海老増量とは驚きだ。
ふわふわ豆腐。
ああ、相変わらず地味に滋味だなあ、うまいなあと思う。
これ、一人で来店して、黙々と神妙な顔をしてそば膳を食べているのはやっぱり変だ。酒を傍らに置いて、ちびりちびりとやりたいラインナップだ。
何も今更お酒を飲みたいなあ、ああ辛いなあ、というわけじゃない。僕にとって酒なんてのは別世界の話のような存在になってしまった。というか自分の頭の中でそう整理されている。しかし、改めてこうやって「僕が酒を飲んでいた頃に愛していたメニュー」を見ると、「そりゃあ飲むよな」と思えるわけで。
感心ばかりしてられない。そろそろ蕎麦タイムだ。
そば膳のシメとなる蕎麦は、小盛りになる。こういうのも、酒飲み向けだなあと思う。
小盛りの、石臼挽せいろ。するするっと手繰ると、ふわんと蕎麦の香りがする。そのままで十分にうまいし、つゆにちょこんとつけてもまた美味い。バランスがいいんだよな、ここの蕎麦は。
石臼挽そばの対比として、十割そばも。こちらはレギュラーサイズの盛り。太さが一回り太くなり、箸でつかむと長さが短いことがわかる。
石臼挽そばのほうがツルツルッと手繰る楽しさがあるのに対し、こちらは風味をしっかり楽しむことができる。ちゃんと棲み分けができているのが素敵だ。どちらも、うまい。
こうやって食べ比べができるのが、夫婦で食べ歩く強みだ。これまで、一人身だったのでこういうことができていなかった。
ちなみに、今このぐらのではそば粉を使ったお菓子を販売しているようだ。僕がトイレに行っている間、こっそりいしはお菓子を買っていた。予想以上に早くトイレから出てきた僕に見つけられ、バツの悪そうな顔をしていた。
店の傍らには、お酒のリストが置いてあった。
ああそうだ!僕は毎回この細長いリストを見ながら、今日は何を飲もうかと考えていたんだっけ。
こうやって過去の記憶がフラッシュバックするの、嫌じゃない。すっかり忘れていたと思っていた記憶が蘇ったときの「おおお!?」という驚きと興奮。
次、このお店を訪れることができるのはいつになるだろうか。遠い地なので、なかなか難しいけれど、機会がある限りは融通つけて訪れたいものだ。関越道三芳PAのスマートICからは比較的近いし。
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