飯能河原天幕合宿リターンズ

胎内回帰

日 時:1999年(平成11年) 11月20日~22日(2泊3日)
場 所:埼玉県飯能市入間川河川敷 通称「飯能河原」
参 加:おかでん、ばばろあ、ひびさん、しぶちょお、けじん(以上5名)

1999年11月、そろそろ年末の心配をしなければいけない頃になってアワレみ隊は天幕合宿を行った。勤労感謝の日3連休をどうやって過ごすか、という話になって、だったら飯能河原で天幕を張るべえ、というわけだ。

11月ともなれば正直寒いのだが、3月に飯能河原で一晩過ごした経験がある。3月がOKで11月がNGということはあるまい、ということで決行することにしたのだった。

天幕合宿用品は、昔の「トートバッグに荷物を詰めて、人力で持っていく」というスタイルから既に脱却している。最近「ドライブ&キャンプ」のスタイルが増えていることもあって、車前提の荷物構成とパッキングになっていた。だから近場の飯能河原とはいえ、車は必須だった。しかし幸いなことに、今回参加するけじんが車を所持しており、荷物の運搬を手伝ってくれるということになった。これで飯能河原で天幕合宿ができる。

東京からはけじんとおかでん、そして名古屋からはひびさんとしぶちょお、さらに神戸に住んでいるばばろあも名古屋経由で参加することとなった。

名古屋から埼玉県の飯能河原まで車で移動するのは大変なことだが、しぶちょおに関してはあまり関係がないことらしい。むしろ、長距離ドライブするモチベーションに繋がって良いくらいだろう。

名古屋組、東京組は勝手知ったる現地にて集合するということにし、めいめいが当日を迎えた。

1999年11月20日(土) 1日目

対岸に渡るけじん

朝、車でおかでん宅にやってきたけじん。二人がかりで車に荷物を押し込み、飯能河原へと向かう。昔は「車で天幕用品運ぶなんて堕落の極み」とまでののしっていたことを、今やっている不思議。時代は流れる。

当然名古屋組よりも早く飯能河原に到着。今のうちに二人でできることはやっておこう、とテントを立てたり水汲みをしたり、ひととおりのことはやっておく。

飯能河原の到着は朝10時過ぎ。早く到着したのは、場所取りをしておきたかったからだ。11月という季節柄、そう簡単に飯能河原がフルハウスになることはないと思う。でも、念のため早く着いておかないと不安だった。

戦利品

けじんは、川の対岸に大きな枯れ木を発見し、川をじゃぶじゃぶと渡り木を抱えてきた。後でのこぎりを使って小さくし、たき火のネタにするつもり。対岸は今までほとんどノーマークだったが、探せば結構大きな木を拾ってこれそうだ。

飲み始める二人

「とりあえず、飲むかぁ」

けじんからけしからん提案。おい、まだ名古屋組すら到着していないぞ。お昼ご飯だって、まだだ。お昼ご飯は名古屋組と合流してから。すなわち今は朝なわけであり、ビールを飲むなんてまったくふしだらなことだ。

「けしからん提案だな。ビールなんて手の届くところに置いてあったら悪い気を起こしかねん。早々に無くしてしまわないと」

というわけで、早々にプシュと栓を開け、ぐいーっと飲んでビールを無くしてやった。

ひゃー、うめぇ。朝とはいえ、開放的な屋外、しかも一仕事終えた後のビールはうめーっ。

朝酒でご機嫌な二人

昼酒は酒の回りが早いからか、ちょっとご陽気になっております。

つまみも何もなしでぐいぐい飲む。そりゃ酔うわ。

昼寝の二人

で、酔っ払ってしまって寝てしまう二人。

まだ全員集合していないのに、この堕落っぷりがわれながらイカす。

写真撮影のための「やらせ」ではなく、本当に寝てしまった。

名古屋組到着

昼過ぎ、居眠りをしている二人のところに名古屋組3名が合流。

「寝ているぞあいつら」

という声で目を覚ます。

さて、人数が5人になったところで、いよいよ本格的に天幕合宿を開始。まずはスーパーに行き食材を調達。残りの人は薪を買ってきたり、水を汲んできたり。

今回の目玉として、「鉄板を借りる」というイベントがあった。薪を打っている売店では、BBQ客用に鉄板を貸し出しており、それを使って豪快な鉄板料理を作ろう、というわけだ。

フライパンはいつも通り持参しているのだけど、「豪快に焼肉をやる!」などというのはちょっと難しい。だからこその鉄板だ。

鉄板のレンタルは確か1日1,000円だったと思う。高くてびびった。しかし、当初計画どおり鉄板はレンタル。おっかなびっくりだ。高いお金を払ったのだから、きっちりアワレみ流豪快料理を作らなくちゃ。

お好み焼き制作中

一日目のお昼はお好み焼きを作る段取りになった。

アワレみ隊においてお好み焼きといえば「広島風」になる。早速鉄板の威力発揮だ。フライパンでお好み焼きを焼くとなると、ターンするときに大変難儀する。広い面積を誇る鉄板だからこそ、できる料理。

ちなみにアワレみ隊の黎明期には、鉄板は備品として存在していた。しかし、海風に晒されてさびが出たことと、重いこと、料理したあとに洗うのがなんとなく面倒くさい(「網」と比較して)ことから、一度も出番がないまま廃棄処分となってしまっていた。アワレみ隊では、網焼き調理が基本であり、鉄板焼き調理は過去に一度も実施していないのはそういう理由があってのことだ。

そんなわけで、とばっちりを受けたのがターナー(へら)だ。写真右手、ばばろあが灰色のターナーを手にしているが、これは天幕合宿一回目の神島から毎回欠かさず従軍してきたものだが、使われる機会が全くなかった。それがようやく今ごろになっての登場。6年目の晴れ舞台だ。

ただし、アツアツの鉄板で使ったため、プラスチック製のターナーは一部が溶けてしまった。晴れ舞台のはずが、ちょっと残念なことに。でも、このターナーはいまだしぶとく2011年現在の現役だ。もっとも、出番は相変わらず全然ないのだが。

ひびさんが手にしているうちわは、火おこしとして当時のアワレみ隊の備品として備わっていたのだが、なぜか「人間爆弾」と書いてある。ばばろあかしぶちょおかが持ち込んだものだが、この言葉の意味が知りたい。

焦げやすいので注意

一つは、日帰りBBQ客によって使い込まれた鉄板は熱でゆがんでおり、がたがたすること。油を敷いても、低いほうにタラーと流れる。まんべんなく油をいきわたらせることができない。

もう一つは、薪による調理故の高火力。お好み焼きを焼くんだったら180度くらいがちょうど良いのだが、なにせたき火だ、人間様の言うことなんて聞いてくれやしない。鉄板がチンチン音をたてるくらいに熱せされてしまい、生地をターンしたら黒焦げ一歩手前の状態になっていた。

「あちゃー」と頭を抱えるしぶちょお

「あちゃー」と頭を抱えるしぶちょお。

この写真でアワレみ隊の進化が見える。今まで「地べたの民」だったアワレみ隊だが、折りたたみ椅子がいくつか写っている。「地べたであぐら」だったのが、「椅子で過ごす」文化的キャンプに変化しているのだった。こういうものを持ち込めるようになったのは、車による物資運搬が一般的になったからだろう。

お好み焼きやめて焼きそば

料理長ばばろあが

「もうええわ。お好み焼きやめて焼きそばにするで」

と、黒くこんがりと・・・しっかりと、炭になるまでこんがりと・・・焼けた生地を捨てて宣言。

こういう変わり身の早さが広島風お好み焼きの特徴だ。生地を捨て、今まで層状にキャベツ、もやし、豚肉を蒸し焼きにしていたのをぐちゃぐちゃに崩し、中華そばを投入すれば焼きそばになる。味付けはオタフクソースなのでやや甘めだが、これはこれで美味い焼きそばになる。最初に生地と具を混ぜる関西風ではこうはいかない。

お昼ご飯中

でき上がったので早速食べます。

ほっとくと、この焼きそばまで黒焦げになってしまうので早く食べないと。普通、「冷めるから早く食べよう」なのだが、この鉄板料理の場合は「焦げるから早く食べよう」となる。

みんな、ビールを飲みながら焼きそばを食べる。うん、お好み焼きだったらシェアしづらかったけど、焼きそばだったら気楽に食べられる。これはこれで正解。生地?そんなのありましたっけ?

みんな500mlのビールを飲んでいるところが勇ましい。たぶんばばろああたりは350mlで十分なはずだが、それでも500mlを飲んでいるところをみると、おかでんが勝手に自己基準で「全員一律500ml」として買ってきたのだろう。

関西風?お好み焼き

さすがに5人で焼きそば、あれだけだと少々足りない。

というわけで第二弾。

今度は関西風お好み焼き(っぽいもの)だ。生地にキャベツともやしを混ぜ込み、それを鉄板の上で焼く。豚バラ肉も乗っける。そこに生卵を割り入れるところが何とも投槍。

なぜか鉄板には手羽も並んでいるが、これは一体どういうシチュエーションで食べようとしていたのか、今となっては謎。

マヨネーズぐるぐる

ある程度火が通ったと見なしたら、お好み焼きをヘラで強引にひっくり返し、崩れたところは粘土細工のように修復し、最後にソースとマヨネーズを塗ってでき上がり。

広島風お好み焼き?何それ?われわれが作ろうとしていたのは最初からこれだ!

寒さが厳しい

日が傾いてくると、急激に気温が下がってきた。

もともと谷間にある飯能河原、日が差し込む時間が短い。11月の太陽ともなれば、16時すぎにはもうあたりが薄暗くなってくる。薄暗いのは構わないのだが、きゅきゅきゅーっと冷えるのには参った。お昼のときとの気温差が激しすぎる。

ももひきをはくばばろあ

あわてて各自、上着を羽織ったり防寒をする。ばばろあがテントの中に入ってごそごそやっているので様子を見に行ったら、下半身にももひき、上半身も肌着を着込んで対策中だった。

「ももひき履くなんてオヤジくせぇ」とからかうが、「寒さをしのぐにはこれが一番」という意見はいちいちごもっとも。

股間を温めるけじん

かまどでは既に夕食の準備が始まっていたので、火はすでにあった。暖を少しでもとろうと、かまどをまたいでいる、けじん。かまどは熱が上に向かうように効率的に組まれているため、かまど正面で手をかざしてもそれほど暖かくはない。ならばいっそのこと跨いで、というわけだ。

股間を温めてどうするの、と思うが、いやいや、体の中心が温まるのでこれはとても心地よいらしい。湯加減ならぬ空気加減もちょうど良いのだとか。

「食事を作っている鍋をまたいでいるのはお下品」だけど、生活の知恵。まあ、固いこといいっこなし。

実際、おかでんも試してみたが大層温かかった。

夕食準備中

夕食準備中、めいめいが椅子に座ってでき上がりを待つ。地面に座り込んでいたこれまでの天幕合宿とは明らかにステージが違う。地べただと雨の日に難儀する。

できあがりを待つ

ひびさんの目の前には清酒の一升瓶が置いてあるのが見える。このほか、今回の合宿の写真を見ていると、ワインのボトルが何本も散見されることから、相当飲んだらしい。ひびさんは「四国食い倒れツアー」の後遺症で派手な飲みっぷりが見られなくなってしまったが、その旅行に不参加だったけじんは元気いっぱい。おかでんも飲む気満々。ひびさんのカタキはわれわれが打つ、と鼻息荒い。

すじ煮込み

ひたすらぐつぐつ煮込まれていたのはこちら。

松阪牛のすじ肉が手に入った、ということで、すじ煮込みを作っているところ。

味噌仕立てで、すじ肉、れんこん、にんじん、こんにゃく、ごぼうなど根野菜を中心にあれこれ入れてある。すじ肉なので、1時間以上煮込み続けている。

鍋の取っ手はアルミホイルでくるんである。これは時々チロチロと炎が湧きあがる際、取っ手を焦がすからだ。うっかり素手で取っ手をつかんだら確実にやけどだ。取っ手が熱で溶けないように、という意味合いと、素手で触らないようにと注意喚起の意味合いがある。

松茸ご飯

こちらは飯ごう。松茸も今回持ち込まれたので、松茸ご飯をこしらえた。松茸のホイル焼きなども良い調理法だが、そんなことをしたら、5人で食べたら一口で終わりだ。それより、松茸ご飯にしてエキスをご飯にまんべんなく移した方が、最大限松茸を楽しめるだろう、という理屈。

しかし、だし汁を多く入れすぎたのか、それとも炊き方に辛抱が足りなかったのか、どうにもべちゃついた松茸ご飯になってしまった。作戦失敗。

火を取り囲みながら食事

たき火を盛大にたき、火を取り囲みながら食事。キャンプファイヤーというより、暖房という意味合いが強い。

たき火を点火するときは、昔から変わらず「遠き山に日は落ちて」をうたう。これは変わらぬアワレみ文化。ただし、最後のワンフレーズは「イザヤ・ベンダサンは偽ユダヤ」に置き換えられるのだが。

おかでんの足元にはワインボトルが置いてある。手酌でぐいぐい。

木の枝の先にするめを刺す

木の枝の先にするめを刺して、炎に突き出しているばばろあ。

酒のつまみにするめを炙ろうというわけだ。うまいことたき火の近くにするめを配置することができなかったので、細い木の枝を見つけてきて串刺しにした。

しかし、しばらく炙っていたら、肝心の木の枝に火が燃え移ってしまい、するめが地面に落ちた。炙り作戦失敗。

みんな火に近づいていく

寒いので、どんどんみんなの椅子がたき火にすり寄ってきているところ。

最初はもう少し遠巻きに炎を取り囲んでいたのだが、時間の経過とともにだんだん半径が狭くなってきた。

宴会は毎度おなじみ歌謡大会。いろいろな替え歌を延々と歌い続けた。そのほとんどが政治風刺ものだったりするので、この場では公開できないけど。

片付け中

宴会の終了はたき火のご機嫌次第。たき火がそろそろ鎮火する、というところで締めの儀式を執り行う。通称「乳首」と呼ばれる踊り(?)と、男性器女性器に対するシュプレヒコールだ。「乳首」踊りについてはこの翌日に盛大にやっているので、その時に改めて説明する。

「フレー、フレー、●んこーッ!」というおかでんの絶叫に対し、全員が「フレ、フレ、●んこ。フレ、フレ、●んこ!」と後追いする。男性のほうの●んこを応援したあとは、同じことを女性のほうの●んこで。なんて不毛なんだ。

そうそう、忘れちゃいけない、ガスボンベ炸裂もやっておかないと。たき火にボンベを投下し、一同20m以上避難。1分ほどでボーンと爆発するので、それを物陰から眺めて「うけけけけけ」と大笑いするのだった。

宴の終わりは、たき火の片づけから。周囲に燃えるものがない河原とはいえ、失火したら大変なので火消しは入念に。

あとは各自歯を磨いたり、用を足したり。ひびさんは遠方のお手洗いまで遠征しなければならないので大変だ。宴会の途中も何度か抜けて遠征に出かけていたが、確実に経験値を稼いで戻ってきたと思う。一回のお手洗いだけでも相当な冒険だ。そんな場所にテントを張るアワレみ隊。

写真を見ると、水タンクの上にランタンが乗っかっている。何かのはずみでランタンがひっくり返るかもしれないのであまりお勧めできる場所ではない。しかし、灯りというのは高いところにあるからこそ周囲を照らすのであり、地べたにおくと暗くてかなわない。だから、少々不安定でも水タンクの上が定位置となっていた。

1999年11月21日(日) 2日目

テントが3つ並ぶ

二日目の朝。飯能河原に並ぶテント。

真ん中は神島以来アワレみ隊が使い続けている「ファミリーキャンパー」。定番中の定番だ。それに加えて、左手にあるオレンジのテントがけじん個人装備品、右手にある水色のテントがしぶちょお個人装備品。今回は車で飯能河原ということもあって、各自がめいめい好きなものを持ってくる余裕があった。

テントが3つ並んだこともあり、寝床も分散。しぶちょおテントにはしぶちょおとひびさん、メインテントにはおかでんとばばろあ、けじんテントはけじんが泊まった。

昔はここに「荷物用テント」があったのだが、安物ゆえにテントの要となる部分が壊れてしまった。そのため、復旧困難、ということで廃棄処分となっている。

では食料はどうしているのか、というと外に放置されている。もちろん河原に野ざらしというわけではなく、段ボールに入れられた状態で置かれている。悪意ある盗人が現れない限りはこれでもとりあえず大丈夫。

むしろ入念に保護されていたのは、薪。けじんテントの横にブルーシートがあるが、そこには丁寧に薪がくるまれ保存されてある。雨を防ぐために上を覆っているだけでなく、地面から湿気が上がってこないように下にも敷いてある。これだけやっても、湿気のせいで朝の着火は時間がかかった。