生きているだけでも歴史だ

富士丸

今日は僕のセンチメンタルに付き合って欲しい。特に役に立つ情報はない。単なる年寄りの思い出話だ。

久しぶりに、いわゆる「二郎系」のラーメン店を訪れた。東京都足立区にある、ラーメン富士丸西新井大師店。富士丸を訪れるのは何年ぶりだろう?5年ぶり、いや、もっと久しぶりか。

昔は「ラーメン二郎遍路」と称して、当時のラーメン二郎全店舗行脚、なんてことを一人でやった。でもそれは「何かスペシャルなこと」ではなく、ごく日常の延長に過ぎなかった。それくらい、よく食べていたものだ。

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富士丸もそう。僕の主戦場は、むしろラーメン二郎よりも富士丸だった。

ラーメン二郎赤羽店(旧)から分離独立した「亜流」の存在、それが富士丸。しかし、二郎とは似ているけど独自の世界観を持つ、かなりパンチのあるラーメンが特徴だ。

昔は4店舗、今は3店舗に減ったけれど、どのお店も等しく18時に開店して24時に閉まる。定休日は月曜日で統一。「平日昼間しか営業していない」というお店がザラなラーメン二郎と比べて、訪問しやすかった。昔は本当によく通った。まんべんなく、どの店舗にも訪れたものだ。

若気の至りで、昔は100円を追加で払い、「麺マシ」を注文していたものだ。ただでさえ量が多い富士丸の極太麺だけど、自動券売機で買った食券に100円玉を添えると、麺の量をさらに増やしてくれる。

その心意気を買ってか、店長からは「そっちがそうくるならこっちはそれ以上のものを出してやらァ」とばかりに想像を上回る量の麺が振舞われたりもした。

「店長が麺を増やす、客である僕が食べきる、店長はますます張り切る」というチキンレースが続き、麺の量がみるみる増えていった。しまいには、他の客とは違う丼で麺が出てきたり、トッピングの野菜は別丼で出てくるような次元にまで達していた。毎回、「食べ残したらどうしよう」と食べ始める前にスゲー緊張したものだ。

エスカレートしていく麺マシの話は、この記事の後半にくわしく書いてある。

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今読み返してみると、2003年当時のできごとだ。今から15年も前だ。これには今更びっくりした。てっきり、7~8年前のことだと思っていたからだ。時間は流れ、過ぎ去っていくものだな。

僕が富士丸や二郎に足しげく通ったのは、「これを食べればお腹がいっぱいになって、その日は休肝日にできるから」だ。ビールをこよなく愛していた僕は、空腹でないとお酒を飲む気にならなかった。なので、ガツンと濃厚なラーメンをたらふく食べること、それが僕における「お酒の誘惑を断ち切る手段」だった。

一方で、長年乗っていた車を手放したのも、富士丸やお酒が理由だった。

家でビールを飲んだあと、車に乗ってシメとして富士丸を食べにいきたい、と思うことが多くなったからだ。このままではいずれ飲酒運転をするだろうし、事故を起こす可能性もある。

ヒタヒタと忍び寄る危険に恐れをなして、車を手放した。過ちを起こす前に。

お酒をやめて早5年が経過したが、そんな「おかでんにとってお酒と表裏一体の存在だった」富士丸とはすっかり疎遠になっていた。今回、本当に久しぶりの訪問だ。近くに住む友人がいるので、その人と一緒の訪問だった。

僕が富士丸と疎遠になっている間に、「麺マシの恐怖」を味あわせてくれた板橋南町店は閉店した。そして、西新井大師店の店長は独立し、今や京都の繁盛店「ラーメン荘 夢を語れ」を経営している。

僕を喜ばせ、そして恐れさせた板橋南町の店長は、閉店とともに表舞台から姿を消してしまったようだけど、最近西新井大師店の店長として復活した、ということを風の噂で聞いた。ああ、まだ頑張っているんだ。その情報を聞いて、ちょっと嬉しくなった。

いつか行こう行こうと思っていたけど、車を持っていないと訪問しづらいのが西新井大師店。これが完全にロードサイド店なら、あるタイミングでエイヤッと気合を入れてカーシェアかレンタカーを手配し、訪問しただろう。しかし、「電車やバスで行けなくもないんだよな、ちょっと遠いけど」という微妙な位置づけだと、エイヤッの気合いが入りづらく、ズルズルと訪れる機会を逸していた。

そして、今日。

お久しぶりでございます。

お店にやってきたのは日曜日の19時前。長蛇の列ができていて、びっくりした。相変わらず大繁盛やないか!と。

トッピングが有料

店頭には、久々来訪の僕にとっては不思議なことが書いてあった。

ちょいヤサイ、ちょいアブラ、はサービスです。

なんのことだ?

ニンニク、ヤサイ、アブラ、カラメは二郎系ラーメン店における定番の無料トッピングだ。店によってルールは異なるけど、大抵はラーメンが提供される直前に厨房からトッピングの有無を聞かれる。

それをあえて明文化して、初めて訪れたお客さんにもわかりやすくしたのだろうか?・・・いや、違う。この文章には、続きがあった。

ヤサイ増し、ブタかす入りアブラ(別皿)をご希望の方は食券をお買い求めください。
(ヤサイ増し・・・60円 ブタかす入りアブラ(別皿)・・・30円)

なんと、トッピングが有料になっていたのだった。さすがに「無料で増します」というにはキツいご時勢になってきたのか。

でも、そもそも「ヤサイ」コールをしても、その時の店長の気分でヤサイが少なかったり多かったりする、それが二郎系ラーメン店の特徴だ。「ヤサイが多くなることを期待したのに、ちょい増し並の量しか盛られなかった」「ちょっとで良かったのに、やたらと盛られた」などと、悲喜こもごもを楽しむのが、こういったお店の醍醐味だ。

それくらい量についてはアバウトで、「無料トッピングなんだから文句は言いっこなし」だったのに。明確に有料か無料かという線引きをしたのは、富士丸っぽくない細かさだ。

面白半分でヤサイ増しを頼み、残す輩が多かったのだろうか・・・?と心配になる。だとすると、有料化で「おふざけ」を抑止するのもしかたがないことだ。

食券

結局、食券は3枚買った。昔となんら変わらない注文だけど、1枚から3枚になるとは思わなかった。

豚入りラーメン1,150円、野菜増し60円、油増し30円。しめて1,240円。

ずいぶん高くなったものだ。もし富士丸以外のお店であれば、僕はラーメン1杯に1,000円以上を払う気はしない。たぶん。でも、富士丸だから、「しょうがないよなあ」と諦めがつく。

そういえば、昔は豚入りラーメンは「国産ブタメン」という名前だったと記憶している。値段は僕が最後に記憶にあるのが、1,000円。それ以降も、今に至るまでグイグイと値段が上がり続けているというわけだ。どこまで値上がりするのだろう?

店内では、店長さんと助手さんの2名体制で、ラーメンが作られていた。あっ、店長はまさに板橋南町店にいた、僕にとっては「恐怖と、感謝の詰まった」方だった。間違いない。ネット掲示板では、「昔と雰囲気が変わったので最初、気付かなかった」という書き込みを見かけたけど、とんでもない。昔のまんまやんけ。

段ボールに入った生麺を、一人前ずつ、ブチブチっとちぎりながら取り出してトレイに載せている様は、昔のまま。そうそう、昔はこの段階でかなり緊張していたんだっけ。生麺の時点で、自分の盛りがどうなるかある程度想定できるから。懐かしいなあ。

豚入り+野菜+油

カウンター席に座って待っていると、助手さんからトッピングを問われた。あ、食券でヤサイやアブラを注文していても、いちおう聞くのか。

ここで「ヤサイ少なめで」とお願いした場合、どういう盛りになるのだろう?ちょっと気になったけど、そんなあまのじゃくなことはやめておいた。

「ヤサイアブラニンニクで。」

発声した直後、ちょっと恥ずかしくなった。なんてぇスムーズに発音するんだ、自分は、と思ったからだ。久しぶりの呪文なので、言葉が詰まったりするのかと思ったのに、何一つよどみのない、まろやかなコールだった。

これが昔取ったきねづか、なのか。

まあ、ラーメン二郎そのものはこの1年間でも訪れているので、コール自体そこまで久しぶりではないのだけれど。

ラーメンの提供とともに、店長が僕の方に微笑みかけ、会釈をしてくれた。あれっ!?と思ったら、「お久しぶりです」と声をかけてくれる。マジで?

「お久しぶりです、覚えてましたか?」
「ええ、覚えてますよ!」

会話はその程度だったけど、それからしばらくは幸せな気持ちに浸ることができた。

僕がこの店長のお店に出入りしていた最後は、多分2010年か11年頃で、かれこれ7年は前の話だ。それ以降は車を手放し、お酒をやめたので訪れる機会を失ってしまった。そこから時間が経ち、お店も板橋南町店から西新井大師店になったというのに、よくぞまあ覚えていたものだ・・・。日々お客さんが大勢やってくる、繁盛店なのに。

昔、顔見知りだった頃だって、会話らしい会話はあまりしなかった。「大盛りを出す人」「大盛りを食べる人」という無言の関係が何だか面白く、馴れ合わないほうがいいかな、と思っていたからだ。あうんの呼吸、またはその呼吸の想定外なズレを楽しむ場だったからだ。

でも、覚えているものなのだな。そんなに僕、目立つ存在だったっけ?

「アイツが店にくるとクセーんだよな」

などとネガティブに思われていたなら、挨拶はされなかった筈だ。そして、「あれ・・・このお客さん、見たことがあるような?」というレベルでも、挨拶はなかった筈だ。完璧に「あっ、この人、知ってる!」と思ったのだろう。しかもほんのちょろっと、調理の片手間で僕の顔を見ただけで。

他人からすると、「だからなんなんだ?」というレベルの話だと思う。

でも、僕にとっては、「車を乗り回して、酒を飲んで、食べまくっていた若かりし頃の幸せな思い出」と密接に繋がっているお店で、その店長から声をかけられたというのがすごく良かった。「ああ、自分の人生、捨てたもんじゃないな」ってすごくポジティブに思えた。

食後、店長から「どうですか、味のほうは?」と聞かれたので、「すごく美味しかったです、以前食べたよりも美味しく感じました」と答えたのだけど、ろれつが回らなかった。なんだよ、「ヤサイニンニクアブラ」はうっとりするくらい完璧に言えたのに、こういうアドリブになった途端にたどたどしくなるのかよ。自分に失望した。

店長は、ろれつが回らなかった僕の言葉を理解するのに一瞬時間がかかったけど、そのあとニッコリ微笑んで

「そうでしょう、腕を上げましたからね!」

と胸を張った。ああ、いい話だ。時間の流れというのは残酷、ということはよくあるけれど、なんかいい時間の流れだったな。それを自分の身の回りで感じされたのは本当に良かった。

「また来ます!」

といってお店を後にした。

本当はもう少し雑談をしたかったけど、なにせお忙しい店長だ。社交辞令ではなく、本当に時々このお店を訪れようと思った。

ちなみに、行列が途切れないこのお店、客は同伴した友人を除いて全て僕よりも年下だった。ボリュームがあるということもあり、20代の客が多いようだ。一人で客の平均年齢を上げている状況だけど、むしろ光栄だ。同世代が富士丸のラーメンを食べなくなっても、今後も食べ続けたい。

愛玉子

そういえば、似たような話がつい最近あったっけ。

富士丸を訪れたつい一週間前、谷中にある台湾スイーツのお店「愛玉子(オーギョーチイ)」を訪れた際、店長から「以前いらっしゃったこと、ありますよね?」と言われた。ここの店長とは電話番号の交換もしているくらいの仲ではあったけど、かれこれ4年か5年か、訪れることが途絶えていた。

「さすがにもう、覚えられていないだろう」と黙っていたのだけど、向こうから声を掛けてもらった。

これも、驚くやら恐縮するやら、というできごとだったが、何故そんなに覚えられているのか、さっぱりわからない。特別癖のある顔というわけでもないし、ひげヅラでもない。ましてや、僕は2013年に髪型をすっかり変えてしまったので、それ以前の僕と見た目が変わっている。

顔をお店の人に覚えてもらえるというのは、ありがたいことだ。この歳になっても独り身の僕にとっては、社会のあちこちに自分という痕跡がないと落ち着かない気がする。お店開拓だとかいろいろな場所に出向く、ということで「広く浅く」も良いけれど、そろそろ自分の核となる拠り所をいくつかに絞り、そこを中心とした活動にシフトしていきたいと思っている。

(2018.07.22)