デパ地下の価格破壊神「御座候」に困惑し、二重焼きの呼称に迷走する

池袋、東武百貨店の地下。いわゆる「デパ地下」という、欲望と金銀財宝が渦巻くエリアにおいて、明らかに時空が歪んでいる一角がある。
「御座候(ござそうろう)」だ。

昭和25年に姫路で産声をあげたこの老舗は、今や全国に名を馳せる回転焼きの雄である。
社名の由来は「お買い上げ賜り、ありがたく御座候」という感謝の意だというが、こちらとしては「この物価高にその値段で売っていただき、恐悦至極に御座候」と膝をつきたくなるレベルだ。

広島で過ごした幼少期、僕にとってこの食べ物は身近な存在だった。
当時の母親の好物といえば、岡山発祥の「白十字」のワッフルか、この「御座候」の二択。
僕は長らく、これらは広島が誇るローカルフードなのだと信じて疑わなかった。
大人になって、白十字は岡山、御座候は兵庫が本拠地だと知った時の衝撃といったら、「実は君、養子なんだよ」と告げられた時に匹敵する・・・というのは言い過ぎだが、それくらい自分のルーツが揺らぐ事件だった。

最近は週に一度は家族で池袋を徘徊しているため、この「御座候」にお世話になる機会が増えている。


それにしても、だ。
1個110円(税込)。

この数字をどう解釈すればいいのか。
ここは東京だ。しかも池袋の駅直結百貨店だ。
人形焼のような一口サイズならまだしも、手に取ればずっしりと重いあの質量を、110円で提供して利益が出るのか?
ひょっとして、地下の奥深くで無限にあんこが湧き出る泉でも掘り当てたのではないか。そう邪推したくなるほど、この価格設定は脅威的だ。

しかもこの「御座候」、中身の詰まり方が尋常ではない。
世の中には、あんこがスカスカな二重焼きを指して「いや、これは生地の風味を味わうものだから」と、苦しい擁護をする文化がある。

しかし、御座候にそんな言い訳は通用しない。
もはや生地の味なんて、あんこの圧倒的な物量の前には微々たるノイズに過ぎない。
「ほとんどあんこ、皮は包装紙」といった有様だ。
それでいて、そのあんこが丁寧かつ妥協のない美味さなのだから、もうお手上げである。
薄皮饅頭の限界に挑んでいるような、そのストロングスタイルには畏怖の念すら覚える。(大げさに書いているが、実際そういうときがある。手作りのため、生地の量もあんこの量もブレがあるが、「あんこが多い」のはいつもブレない)

この110円の塊は、弊息子タケにとっても格好のごほうびだ。
何かに頑張った日、彼はデパ地下のショーケースの前で目を輝かせる。
僕が「赤か白か?」と問うと、彼は迷わず「赤!」と咆哮する。
「赤」はあずきあん、「白」はてぼう豆(いんげん豆)の白あんのことだ。
4歳児にしてこの「赤」への忠誠心。将来が思いやられるというか、頼もしいというか。

困ったのが、この食べ物の呼び名だ。
静岡出身の妻・いしは、頑なに「今川焼」と呼んで譲らない。
一方、広島・岡山・東京と渡り歩いてきた僕は、その時々の気分で「二重焼き」「大判焼き」「回転焼き」と名称が安定せず、自分のアイデンティティの欠如を感じてしまう。

家庭内に漂う、わずかながらの呼称の不一致。
しかし、タケが「赤!」と満足げに頬張っている以上、名前なんてどうでもいいのかもしれない。
「御座候、食べよう」。
結局、この一言に尽きるのだから。

(2026.01.25)

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