2018年04月17日
【店舗数423】【そば食:699】
栃木県鹿沼市
山天、もりそば
鹿沼ニラそば食べ歩き、本日最後のお店は「大越路」から群馬県境の山に向けて走らせた先にある「たろっぺ茶屋」と決めていた。
蕎麦屋の食べ歩きは、栃木県に限った話ではないけれどどこも難しい。まさにオリエンテーリングの様相だ。というのも、夜営業をやっていないお店が多く、昼しかやっていない。そしてお店はへんぴな場所ということもあり、定休日もまちまちだ。
あっちのお店を活かすとこっちのお店には行けない、というのはどうしても発生してしまう。今回もそう。諦めたお店は何軒かある。
胃袋の容量とか財布の紐とか、そういう問題以前に「移動距離」と「営業時間」ということをしっかりと計算しておかないといけない。
だからこそ、僕は昔っから蕎麦屋の食べ歩きが大好きなのだろう。
大越路

からたろっぺ茶屋を目指す。6キロほどの距離だ。
山深いというほどではない、のどかな道を走る。
このあたりが蕎麦の産地である、ということは全然ノーマークだった。でも、後であらためて地図を確認してみると、このすぐ近くに出流(いずる)山満願寺がある、ということを知った。
満願寺といえば、山の中にもかかわらず、忽然と蕎麦集落がある!という噂を聞きつけて以前訪れたことがある。「いづるや」というお店だ。

なんで突然蕎麦屋だらけ?とびっくりしたものだけど、この界隈全般に蕎麦屋が多いのだろう。
川に沿って遡上していく道で、このまま行くと地図上では行き止まりになっている。
そんな「地元民しか用がない道」なんだけど、道中ぽつぽつと蕎麦屋が見える。本当に蕎麦が愛されている土地柄だということが、わかる。
そんな蕎麦屋を素通りして、カーナビの指示に従ってたどり着いたのが「たろっぺ茶屋」。
えーと、砂利の広い駐車場に「そば処」ののぼりが見える。多分あそこが駐車場なのだろう。
その駐車場の隣には、立派な建物が見える。
すげえ!名前は田舎っぺみたいな名前の蕎麦屋だけど、こんな立派な建物の蕎麦屋とは!石組の蔵もあるじゃないか。・・・と思ったら、これは単なる個人宅らしい。あ、蕎麦屋じゃないのか。
おかしいと思ったんだ、さっきも書いたけど、「地元民じゃないと用がない道路」沿いにこんな大きな蕎麦屋はおかしい。
とはいえ、「大越路」のように「廃道となった峠道の途中に忽然と現れる繁盛店」という事例もある。本当に蕎麦屋というのは油断ならない存在だ。急にひょっこりと現れる。
おそらく、ラーメン屋だとこうはいかないだろう。
で、肝心の「たろっぺ茶屋」だけど・・・
えーと、駐車場を挟んで対面にある、あの倉庫みたいな小屋みたいな建物、ですかね。えーと。
道路を渡って建物側に行ってみると、こちらにも駐車場があった。一体何台停められるんだ?その割にはお店が小さいように見えるのだけど。
たろっぺ茶屋外観。
軒先に裸天球が灯っているので、営業をしているっぽい。
でも若干入店がためらわれた。えーと、どうしようかな。
大八車か人力車かわからない車輪が壁に貼り付けられている、独特の外観。
入店に躊躇したのは、どこが入り口かよくわからなかったからだ。
目の前の建物がおそらく正解なんだろうけど、
「こちらの用紙にお名前をお書き下さい」と示されたウェイティングボードは、お店の脇道に置いてある。
そしてその脇道の石畳の先に、茂みに隠れつつもう一つの建物があってそっちにもお客さんがいるように見える。よくわからない。
迷っていてもしょうがないので、裸電球が灯っている扉から中に入ったら、正解だった。
「たろっぺ茶屋、という蕎麦屋に行く。住所はここ」という情報しか仕入れていなかったので、このお店の外観には若干たじろいだ。
お品書きは・・・やられたッ!ここもニラそばはないお店だった。
結局この日、「鹿沼そば食べ歩き」として合計4軒訪れたわけだけど、ニラそばに出会えたのは最初の2軒だけだった。
まあ、このお店は天ぷらが名物だということはちらりと耳に入っていたので、それが食べられれば十分満足だ。気を取り直して天ぷらと蕎麦を食べよう。
このお店のお品書きを見ていると、「5合そば」「一升そば」というメニューがあった。先ほどの大越路も1合単位で蕎麦を注文できたし、出流山界隈の蕎麦屋も一升そばというメニューがある。どうやら、この界隈では蕎麦は「1合、2合・・・」という単位で振る舞うものらしい。
合なんてご飯のときにしか使わない単位だと思っていたけど、地域によっては「蕎麦の量」を示すこともあるのだな。
意外なことに、結構一品料理が充実している。
いや、充実しているというか、魚の「ます」と「いわな」を、塩焼きにしたり唐揚げにしたり刺身にしたり、と調理法がいくつもあるというのが正解だ。蕎麦屋なのに、川魚料理がいくつもあるというのは面白い。
実際隣の席のお客さんは、いわなの塩焼きを頼んで食べていた。しかし、炭火でじっくり焼くためか、蕎麦を食べ終わってかなり時間が経ってから提供されていた。「もうおなかいっぱいになっちゃった」と苦笑しながら、そのお客さんご夫婦は岩魚を一人一匹ずつ召し上がっていた。
野菜の天ぷらは800円、舞茸の天ぷらも800円。よし、野菜の天ぷらともりそば(750円)を頼もう。
すると、店員さんが「今なら『山天』があります」と入り口の扉を指さす。
山天って何?と思ったら、ちょうどこの時期採れる山菜を天ぷらにしたものだという。
素晴らしい!山菜の天ぷらは、土下座してでも食べたい季節の食べ物だ。渡りに船だ、是非それでお願いします。お値段は1,000円になるけど、全く問題ない。
驚くことに、お通しが出てきた。
浅漬け、南瓜の煮付、大根の煮物。
素朴なお通しだけど、心に染み入るサービスだ。もしお酒を飲む人ならば、これだけで一合徳利が空になってしまいそうだ。
「山天」が届けられた。
うわー、なんか緑色の山がやってきたぞ。おおきなかごに盛られている様は、到底食べ物には見えない。
かといって、「どうです写真映えするでしょう?」というお店側のニヤニヤ感が透けてみることがない、清く正しい天ぷら盛り合わせだった。だって、変なかさましなんて一切なくて、本当に様々な山菜が惜しげも無く天ぷらになっているのだから。
いざ山菜の天ぷらを前にして、自分がいかに山菜について知識がないかということを思い知る。
もし僕が絶対暴君だったら、「馬鹿者!そこらへんの雑草を世に食べさせようとするとは不届きな。店主を打ち首にせよ!」と言いそうだ。それくらい、食べ物かどうかわからない、見慣れない植物がみっちりと。
うど、しらき(=こしあぶら)、たらのめ
・・・うーん。あとはわからない。
1カ月ほど前だったか、自宅で山菜の天ぷらを作ったんだけどなぁ。でもそのときは、スーパーで買ってきた「たらのめ、ふきのとう、こごみ」の3種類だった。都会のスーパーで手に入る山菜はせいぜいこの程度だ。あと、作っている本人としても、ふきのとうの苦みを味わえば至極満足してしまうため、あとは正直どうでもよくなってしまう。
こしあぶらなんて特徴的な外観なのだけど、数年に一度しか食べる機会がない。なので、今回久し振りに見ても、これがなんだか覚えていなかったくらいだ。
ましてや、ほかの山菜はもう名前すらわからん。お会計の時に、店員さんに名前を教わったんだけど、覚えきれなかった。
そうだった、蕎麦も頼んでいたのだった。
蕎麦の存在がすっかりかすんでしまう、山天のインパクトよ。
なにしろこの光景だ。
蕎麦がピンボケするくらい、遠くに行ってしまった。
かご一杯に天ぷらが盛られているので、いったん取り皿に食べる分の天ぷらをとりわけ、そこからつゆにつけて食べるという段階を経ることになる。
山菜の天ぷらなんて、本当に季節ものだ。この時期ならではなのでとても嬉しい。ああ、春だなあ、としみじみとしてしまう。そんなものを、飽きるまで食べられるというのはありがたいお店だ。
「カボチャとさつまいもの天ぷらが沢山あるよ!飽きるまで食べていいよ!」と言われてもウンザリするけど、山菜の天ぷらならウンザリするまで食べ続けたい。
とはいっても、食べているうちに「ガリガリかじっている」感が強くなってきて、なんだかどれを食べても同じような味になってきてしまった。味と食感に慣れてしまい、飽きが生じてくるのだろう。人間って贅沢な生き物だ。
とはいえ、ウンザリするまでもなく最後までおいしく食べることができた。時折蕎麦を食べて口の感覚をリフレッシュさせながら。
なんだか、主役が天ぷらで、お口直しが蕎麦みたいになってしまった。でも蕎麦も美味かったと思う。良いお店だと思う、ちょっとへんぴな場所にあるけれど、遠方から訪れ甲斐のあるお店だった。
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