2019年10月15日
【店舗数:---】【そば食:719】
長野県茅野市北野
天せいろ、鴨汁せいろ、そばプリン
未曾有の災害となった台風19号の影響で、中央高速道路は八王子~大月間が通行止めとなっていた。中央道がダメなら甲州街道(国道20号)があるじゃない、と軽く考えていたら、これがもっとひどかった。あちこちで分断されていて、その都度脇道にそれて大回りを強いられた。その都度、細い道を通るために大渋滞。
台風が過ぎ去った日になんとか長野県入りしたはいいけど、帰るのも一苦労だ。そんなわけで、予定外ながら岡谷のホテルに一泊することになった。
翌日は夜までにレンタカーを東京に戻せばよかったので、丸一日の余裕があった。しかし、予定外の岡谷一泊となったため、特にこれといって何かをする案はなかった。自分ひとりなら、蓼科あたりの温泉地めぐりをする予定だったのだが、今日は連れがいる。さて、どうしよう。
とりあえずのお昼ごはんとして、蕎麦を食べに行くことにした。折角だから、まだ見ぬ強豪のような蕎麦屋を探すというのも面白いのだが、連れがいる手前ハズレくじをひきたくはなかった。
そして、今やネットで飲食店の情報が溢れている。昔のアワレみ隊が、「ここはどうだろう?」「いや、これはちょっと」と言いながら1枚の蕎麦の写真をもとに行くお店を検討していた時代とは違う。「新規店舗開拓!」といっても、ワクワク感を得るというのはちょっと難しそうだ。
だから、「みつ蔵」にした。蓼科にある、蕎麦屋。以前、アワレみ隊で長野県内の蕎麦食べ歩きをやっていた際に立ち寄ったことがあるお店だ。
何度も通ったことがあるお店だとばかり思っていたが、実際にはこの一度限りだった。蓼科界隈をドライブする際はたいていこのお店の横を通り抜けるから、それで「何度も訪問したことがある」と思い込んでいたのかもしれない。
また、何よりもこのお店は「そばプリン」が絶品だった、という思い出がある。アワレみ隊のばばろあがその味に感動して、思わず一回の食事で2回もプリンを食べてしまった、そんな逸話が残っている。
今回も、ぜひその「そばプリン」を食べてみたいものだ。正直、そばプリンの印象が強すぎて、肝心の蕎麦が美味しかったかどうかまでは覚えていない。それもそのはず、前回訪問は18年も前じゃないか。なんてこった。
昔から、僕は一応「いろんなことを知っている人」と周囲からは見られている。自分もそのつもりになっている。しかしいざその「知っている情報」を得た年を考えてみると、「あれっ、四半世紀も昔だ!」なんてことが多くなってきた。
若手から、「おかでんさん、その情報いつの時代っすか」みたいなことを侮蔑の表情とともに言われるようになったら恥ずかしくてたまらない。かといって、今更若気の至りで全国各地をうろつき回すほどの自由な時間もお金もない。
せいぜい僕にできることは、「知ったかぶりはせずに、情報と知識には謙虚であろう」と志すことだ。カビがはえかかったような情報で話し相手をマウントとるようなことだけは、やめよう。あと、「昔は◯◯だったけど今じゃあ・・・」みたいな昔は大変だった自慢、というのもやめよう。
そう思いつつ、久しぶりの「みつ蔵」へ。
驚いた!平日昼なのに、お客さんが溢れている。体育の日三連休直後の平日なので、ひょっとしたら「1日有休休暇をくっつけて、4連休にしちゃおうぜ」という人が大勢いるのかもしれない。僕らのように。だとしても、行列ができるお店だとは。
バイク乗りのチームも、満足げな顔を浮かべながらお店から出てくる。バイク乗りはその習性上旨い店をよく知っているはずで、彼らが集まっているということは相変わらずの高い評判を得ているお店なのだろう。
僕らも、行列に並ぶ。入店まで、20分くらいは待っただろうか。なにせ、町中の蕎麦屋とはわけが違う。つるつるッとかけそばを手繰ってあばよ、という客なんて誰一人いない。蕎麦湯をしっかり楽しんで、穏やかににっこりと微笑んでから席を立つお客さんばかりだ。なので、待つ方もそれなりの覚悟を決めて、にっこり微笑むシミュレーションでもしながら自分の順番を待つことになる。
相席という概念がないお店。マダムお一人で優雅にお食事中、というのを見かけたが、そのマダム一名でもテーブル1卓が専有される。僕なんかは、こういうシチュエーションだとヒヤヒヤして落ち着かない。後から来て並んでいる人に悪いなあ、早く食べ終わらなくっちゃなあ、って。
相席問題、というのはお店側にとっても客にとっても悩ましいことだ。
さてお品書き。他のお客さんがそうであるように、僕らも「せっかくだから、単品の蕎麦だけというのはもったいないな」という気持ちになっている。「せっかくここまでやってきたんだから」「せっかく入店待ちをしたのだから」という理由を付けて、ちょっと豪華に食事をしたいという気持ちになってきた。
こういう自分自身の心境を踏まえると、飲食店というのは「客をちょっと待たせる」くらいがビジネスとしてはちょうど良いのだろう。特に、「いくらでも他のお店がある都会」ではなく、ちょっと離れた場所にあるお店ならなおさら。
あんまり待たせてしまうと客は逃げるけれど、そんなに待たせない程度ならば客は待つ。そして待っている間に、「せっかくここまで待ったんだから」と勝手に財布の紐が緩む。
ほんの数年前までは、ノンアルコールビールがお店に置いてあることはまれだった。なくて当然だったけど、最近は「あっても驚かないし、ないと『えっ、置いてないんですか?』と思ってしまう」レベルになってきた。僕みたいにお酒を飲まない人にとってはありがたいことだ。
しかし、僕は「お酒を1滴も飲まない・飲みたいとも思わないけれど、ノンアルコールビールは飲みたいんだ」というタイプの人種だけど、そんな人は世の中ではまれな部類だ。世の中大半の諸兄は、「飲みたいのを我慢するための代替手段」だ。だから、こういう旅の途中に立ち寄るお店において、果たしてどの程度ノンアルコールビールが売れるのかは不明だ。
車やバイクの運転手なら、そもそもハンドルを握っている時点で「飲まなくて当然」という決意はあるだろうし。謎だ。
ちなみに今回僕はノンアルコールビールは頼んでいない。好きなんだけど、やっぱり空虚な飲み物なんだよな。ビールをぐいぐい飲んでいた昔の名残で、「せっかくの旅先なんだし!ここは飲むしかないでしょう!」なんて思って買うことはよくある。しかし、いざ飲んでみると、「だから何なんだ?」感を強く抱いてしまう。少なくとも、家に帰ってほっと一息という場ではない、旅の途中で飲むものじゃない。安いわけではない飲み物だし。
そばコース2,100円というのもある。そばとごはんがコースの中にある、「満腹にしてやるぜこのやろう」感がすばらしい。イタリアンのコースでいうところの、「パスタが出てきて、ピザも出てくる」というものだな。
炊き込みご飯よりも前に蕎麦が出てくるので、蕎麦が前菜的な位置づけになっているけどこれで良いのだろうか。とはいえ、ご飯を先に食べてから蕎麦だと、ご飯でお腹が満たされてしまう。この並び順はやむなし、か。
この日は僕とあともう一人の2名での訪問だった。なので、お互い違う料理を注文してみた。かたや天せいろ、かたや鴨汁せいろ。
届けられた天ぷらを見て、「ああ自分も変わったな」と思う。
昔、長野で蕎麦の食べ歩きをやっていたときは、「今日一日で4軒は巡る!」と勢い込んでいたので、天ぷらを食べるなんてもっての他だった。胃袋のキャパに影響が出るし、なによりも財布の負担がデカすぎる。それがどうだ、今や堂々とこんなものを頼んでいる。「人間が丸くなる」というのはこういうことなんだろう。
若いときの突破力というのは改めて素晴らしい。純粋で、バカで。そう思えるようになってきたのが、45歳のおかでんであった。
鴨汁せいろ。
毎度思うんだが、鴨汁は大抵どの蕎麦屋もうまい。だから、蕎麦そのものがうまいお店で鴨汁せいろを食べる必要はないのではないか?と思っている。鴨の脂で口がコーティングされ、蕎麦の味がよくわからなくなる。これだったら市販の冷凍さぬきうどんでも十分にうまいだろう。
みつ蔵に対して褒めてるからこそ、こういうことを言ってるんだぞ?みつ蔵レベルのうまい蕎麦を出すお店ならば、やっぱりシンプルにもりそばを食べるに限る、という話。うまい蕎麦にうまい鴨汁を足し算するのは、僕にとっては贅沢すぎてもったいない。
青磁っぽい色合いの、陶器の湯桶。
熱くなるので、取っ手のところには縄が結わえてある。
これ、洗うのが大変そうだ。あと、どうやってこういうカタチのものを焼き上げることができるのだろう。
さて、本日のメインディッシュといえる、そばプリン。これが目的だといって過言ではない。
食べてみる。
んー?
なんだか、思っていたものと違う。ほぼ液体のカラメル層の味が強すぎる気がする。昔っからこんな感じだったっけ。なにせ18年前のことなので、昔の記憶がない。
食べた瞬間首を捻ってしまい、「しまった、思い出補正されていたか」と思ったが、プリン本体はやっぱりしっかりとうまい。不思議なんだよな、蕎麦の香ばしさがちゃんとプリンに溶け込んでいる。水のかわりに蕎麦茶を使ってプリンを作りました、というのとは違う、もっとくっきりした蕎麦の風味がある。
かといって、蕎麦粉を混ぜました、というだけではない気がする。もっと、煎ったような香ばしいさがある。なんだろうこれは。
やっぱり、他ではおめにかからない不思議な美味しさのプリンだった。食べてみてよかった。とはいえ、やっぱり思い出補正というのは随分とあったので、「あれっ」という印象は残った。多分、一緒に食べた連れは「おいしい!」と喜んだと思うが、この料理をおすすめした僕は「おいしいんだけどね、これだったっけ?」感が残り、微妙ではあった。
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