『頂天石焼麻婆豆腐 激辛』
(東京都港区西新橋)
ふと、自分にガツンと一発、辛いものを仕込みたくなる時がある。ドスンとご飯を食べたくなるときもあるが、それよりも強い衝動だ。僕はさほど「買い物によるストレス発散」という趣味はないので、そのかわりとなるのが「辛いもの」なのだろう。
そんな自罰的な僕を震え上がらせた一品。今回の「美貌の盛り」は人類を絶望に追い込む激辛、新橋の「味覚」の麻婆豆腐を紹介したい。

お店を訪問するまでは、無邪気なものだった。
このサイトでは、オフ会形式で「スパイシーナイツ」という辛いものを食べ歩く企画を時々開催している。しかし、思いついてから募集をかけて、調整して、いざ本番、となるまで随分と時間がかかってしまう。「今、食べたい辛いもの」という欲求を満たすには、難しかった。
そこで、「激辛グルメ祭り」にも同行した職場の同僚たちとつるんで、「激辛友の会」を結成した。同僚なら、「今度、ちょっと辛いの、いっとく?」「いいですねえ」という立ち話一発で事が進む。圧倒的スピード感だ。
そのような背景のもと、「辛いのが欲しい」と僕が思ってから、会が結成され、お店に行くまでの間はわずか数日だった。一週間もかからなかった。むしろ、それくらいの勢いで辛く染まりたかったのだろう。最近、忙しかったからな。
というわけで、「激辛友の会」発足第一回目の会合、ということでウキウキなのだった。
第一回目は、以前「スパイシーナイツ」オフ会でも訪れた事がある、中華料理店「味覚」。

ちょうど一週間前、テレビ番組の激辛料理にチャレンジするバラエティで、このお店が紹介されていたのに触発されたからだ。ああ、懐かしいな、以前訪れたことがあるお店だな、と思って他人事として見ていたら、ムズムズしてしまい久々にここの麻婆豆腐をガツンとやりたくなったのだった。
このお店の麻婆豆腐の特徴は、石鍋でグツグツと地獄のように煮えたぎっているということだ。そしてカプサイシンが湯気として空中に飛散し、周囲の人は咳き込むことになる。
その客の慌てっぷりも含めて、楽しむのがこのお店の醍醐味だ。でも、何も知らずにこのお店を訪れた人からしたら、とてつもなくいい迷惑だろう。隣の人の麻婆豆腐で被害を被ることになる。

「激辛友の会」、興味を示してくれている人も含めると、既に5名体制になっている。今後の発展が期待される。隔月くらいのペースで、都内の辛い料理のお店を食べ歩けるといいな、ということを考えつつ、乾杯をする。
「辛いのが出てきた時の箸休めに」
などと言いながら、豆苗炒めを用意するあたり、期待感の裏返しだ。

辛い料理縛りをしているわけではない。楽しく辛いものを食べよう、というコンセプトだからだ。かといって、この日僕と同席した2名は女性。大食いというわけではないので、あまりあれこれ頼むわけにはいかない。「食い地獄」を楽しめるのは、このサイトのオフ会常連と、アワレみ隊メンバーくらいだ。
というわけで結局、「辛そうなもの」を中心に選んでいくことになる。
まずは前菜としてよだれ鶏。
鮮やかに赤いラー油が皿の底に沈んでいるけれど、辛さはほとんど感じない。
「美味しいですね」
「辛いと思えないなあ。この先、大丈夫だろうか?」
などと一同余裕だ。

「肉に食べるラー油たっぷり」という変な名前の料理。
要するに肉味噌豆腐なのだが、メニュー名を決めた人がネイティブ日本人ではなかったのだろう。その奇妙なネーミングセンスに敬意を表し、オーダー時に素直に「肉に食べるラー油たっぷり、ください」と注文したら、店員さんから「何を言っているんだこの男は?」という顔をされた。あっ、恥ずかしい!
「味噌やっこ豆腐ネ」
と言われた。はあ、それです。それでお願いします。
これも、辛さでいったら大したことはない。ピリ辛というより、塩辛いほうが気になるくらいだ。

でも、これはどうだ。水煮牛肉。
四川を代表する、辛いメニューの一つ。
見るからに辛そうな色。そして表面を覆い尽くす唐辛子の粉末。
激辛友の会一同、楽しみにしながら食べた。
が、ありがたいくらいに美味い。ストイックな辛さを想像すると、まったくの拍子抜けだ。油が多く使われているのが水煮牛肉という料理の特徴だが(水煮、という表現よりも油煮、という方が正しい)、その油のお陰で甘さを感じてしまうのだった。
「ほら、激辛グルメ祭りでもあった、食べているうちに辛さが麻痺してなんでも甘く感じてしまうパターンだ」
とお互い笑い合う。
しかしこのままでは、「激辛友の会」の名が廃る。せっかく、発起人である僕がこのお店を紹介し、みんなでやってきたのだから、もっと盛り上がらないとまずい。幹事としてはヤキモキさせられるひとときだった。

棒餃子。これが辛いことは当然ないが、こうなってくるとだんだん「楽しいお食事会」だ。それはそれで結構なことだけれど。
今回、最初参加表明をしていたけど、無念の欠席となってしまった方がいる。風邪をひいていて咳が止まらず、この味覚に来たら「料理の辛い湯気」でむせてしまって周りに迷惑をかけるだろうから、ということだった。とても残念があっていた。
その人のためにも!土産話になるように、すばらしく辛い料理に出会いたいのだが。

このお店の二代看板は、刀削麺と麻婆豆腐だ。麻婆豆腐に行く前に、刀削麺を頼むことにする。
いろいろ似た名前の刀削麺が存在するので迷うが、「元祖・麻辣刀削麺」を頼んでみることにする。これなら辛そうだ。

麻辣刀削麺。750円。
明るい茶色。みるからに辛そうではない。実際、食べてみてこれもまた健全な美味しさだった。太さの不均衡な刀削麺が、スープとうまく絡みあって、味の濃淡と食感の違いを演出しつつ楽しく食べられる。
「うん、今日はいいお食事会だ」
自虐の気持ちもこめつつ、コメントをする。

既に今回のメインイベントである、麻婆豆腐は注文済みだ。
「頂天石焼麻婆豆腐」を頼んである。
メニューをよく見ると、
本場プロ級勇気がある方チャレンジしてください!プラス100円
という赤い文字と、唐辛子マーク4つが描かれていた。あ、それ僕です。本場プロ級です。
ところで「本場プロ級」って何なのか、自分でもよくわかっていないけれど。
このオーダーをしたところ、中国出身の方と思われる女性店員さんは、困ったような、若干不満そうな、いずれにせよネガティブな表情を浮かべ、「本当に辛いデスヨ?」といったんは注文を保留してきた。
「いえ、辛いのでいいです」
「辛さ、色々ある。中辛、普通、激辛・・・」
「激辛で、お願いします」
「一番辛くナイノ?」
「いえ、逆です、一番辛いのを」
押し問答だ。こっちも、手を大きく上に突き上げて指差し、「より高みの境地を目指しているんだ、さあ辛いのをよこしたまえ」とPRする。
「残したら追加料金デスヨ」
「ええ?そんなルールがあるの?」
びっくりしたが、それで怯むこちらではない。なんとか、オーダーを通してもらった。だって、プロ級だもの。
オーダーが通ったあと、我々の中で話をする。
「一体なんの根拠で追加料金なんだろう?食べ放題の料理を残すわけではないから、食べた分のお金は払うのに。しかも、激辛にする分追加料金も払っているのに。無茶苦茶だな」
きっと、そういう脅しでもかけておかないと、面白半分で注文する人が多いのだろう。
・・・
ひたすら待つ。しかし、一向に麻婆豆腐が出てこない。
「厨房で麻婆豆腐を作っている気配、ないですけど」
厨房が見える位置に座っている同僚が言う。
「オーダーが通っていないということはないですよね?」
それはないと思う。「罰金がある」という説明を受けた際、僕は「オーケー!」と「それでも構わない」という気持ちを表明したが、まさかそれが「オーケー、そこまで辛いならやっぱり食べるのはやめておく」と解釈されていなければ、の話だ。
全く料理が出てこない。
ひょっとしたら、卓上にある刀削麺などを全部食べないと出さないよ、ということではあるまいか?などと疑い始める始末。
いよいよ、他の団体客が我々より後に頼んだノーマル麻婆豆腐が配膳されるにいたり、「これは我々、後回しにされているぞ」ということを確信に至った。我々が諦めて注文を取り下げるのを、待っているのだろうか?
それは考えすぎだが、いい加減じれていたところで、店員さんが「そろそろ激辛、来ますヨ」と教えてくれた。オーダーはちゃんと通っていたらしい。
「激辛の素、みたいなものがこのお店で在庫切れになっていて、近くの支店に急遽取りにいってたのではないか?」
という推測をしながら、ひたすら待つ。

来た。これが「頂天石焼麻婆豆腐 激辛」。
卓上に届けられたそれは、他のテーブルでお客さんたちが食べている麻婆豆腐とは違った外観をしていた。
ノーマル麻婆豆腐(といっても、十分に辛い)が薄いクッキングシートのようなもの1枚、石鍋に被せられて届けられるのに対し、これは違う。薄いシートに加えて、ペーパーナプキンが何重にも重ねてあるのだった。
厳重に封をした、という感じ。運搬途中、店員さんが湯気で死亡するわけにはいかない。客席に届けられるまでは、最大限凶器となる湯気を防がないといけない。

店員さんは、目の前でペーパーナプキンを浮かせ、スプーンで麻婆豆腐をかき混ぜる。
このお店の麻婆豆腐は、豆腐の原型をとどめていないのが完成形だ。どろっとした状態の流動食みたいな完成形になる。これが本場の麻婆豆腐なのか、それともお店の独自色が強い麻婆豆腐なのかは、不明。
店員さんが、結構入念にかき混ぜてくれる。自分でかき混ぜてくださいねー、というセルフスタイルではなく、わざわわざ店員さんが湯気に腰がひけつつ混ぜてくれるのはなぜだろう。きっと、それがこのお店の見せ場でありエンターテイメントだからだろう。
一番アツアツのときに、かき混ぜて辛い湯気を放出させる。それがこのお店の売り。
売りは「刺激」。こればっかりはインスタ映え、なんて言ってられない。実際にお店に行った人だけがわかるものだ。

案の定、同僚二人が咳き込み始めた。慌ててハンドタオルやハンカチを取り出し、鼻と口を抑えている。
「わー、すごーい」
という感じではなく、実の危険を感じた系の動作の機敏さと、表情だ。

出来上がった麻婆豆腐。
ちょうど僕は風向きの関係で、麻婆豆腐の刺激的な湯気には遭遇しなかった。「はっはっは、こりゃあすごそうだ」と笑い飛ばしながら写真を撮影。

われわれの席だけではない。
隣の席の女性二人組も、ハンカチで口を覆い、苦しそうに咳き込んでいる。風向きが悪かったらしい。申し訳ない。

・・・と思ったら、余裕だったはずの僕までもが咳き込み始めた。最初は小さくケホケホと咳が出る。しかし、立て続けに咳をして、呼吸が苦しくなったところで大きく息を吸ってしまったのがいけなかった。鼻から喉から、そして肺の中まで。チリチリとした刺激と、やり場のない空虚な咳が出て止まらなくなった。
いよいよ、たったひとつの石鍋から発散された毒煙が、店内を充満し始めたらしい。
周囲を見渡すと、次から次へと店内のお客さんが店の外に避難していく。超満員で空席がないお店だったのに、示し合わせたように全員が逃げ出してしまい、残されたのは僕と同僚1名、そして勇敢なお客さん1名だけだった。残りの20名以上は、店の外にいるという構図だ。
通りすがりの人からしたら、店で火事でも起きたのか、喧嘩でも起きたのか、と疑うだろう。それくらい、店中の客がこぞって外に避難している。
この人達は、5分近く店内には戻ってこなかった。よっぽど警戒していたらしい。
僕とともに居残った同僚はこう言う。
「本当は外に行きたかったですけど、立場上逃げるわけには行かないかな、と思って。」
ははは、確かにそうだ。あと、「これくらい、余裕です」という雰囲気を出しておかないと、店員さんから「ほら見たことか」と思われる。それは悔しい。なんとしてでも、平然と席に座り続けないと。咳は出るけども。

この麻婆豆腐がすごかった。
これまで、「激辛グルメ祭り」などで麻婆豆腐を食べた際、その他様々な辛い料理を食べた後だとなおさら「豆腐と、肉と、油の甘さを強く感じる」と評してきた。辛くなんてない、むしろ甘い、と。
しかしどうだこの麻婆豆腐は。
甘さなんてこれっぽっちもない。「痛さと、苦さ」しかない。
「苦い」という表現については同僚の一人からは賛同してもらえなかったけど、僕はそう感じた。とんでもなく強い刺激で、人間のセンサーを振り切ってしまっている状態。どういう味に感じるかは、人それぞれだと思う。
とにかく、一口食べただけでどうにもならない絶望の縁に追い込まれる。熱くて、一口一口がとても少量になるので全然減らない。・・・と思っていたのだけど、いざ冷ましてみてもその状況は変わらなかった。あまりに辛くて刺激が強いので、それを口の神経は「アッツアツの料理」と勘違いしてしまっていたのだった。
口にしても辛い、喉に入れても辛い、腹に入れても辛い。
特別に辛いものを食べたことがある人は経験があるだろうが、本当に箸が止まってしまう。人間、危険を察知すると防衛反応を示すのだろう。気合いを入れても、手が動かない。そして、口数がどんどん少なくなってしまう。
そういえば、周囲のお客さんも、外から戻ってきてはいるけど、なにやら先ほどよりもテンションが落ちてしまっている。
「催涙ガスで鎮圧された暴徒、みたいなものだな」
と形容したら、隣のテーブルにいた女性組から笑われた。どうやら的を射ていたらしい。
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ということわざがあるが、この料理に関しては喉元を通過してからが本番だった。ドロっとした食べ物なので、ほとんど咀嚼の必要がない。なので、口でモゴモゴやっていないで一気に飲み込んで食べていたのだが、そうすると痛みが体の奥にずしん、と鈍く、かつ鋭く、重たくのしかかってくるのだった。
「鈍く、かつ鋭く」という矛盾した表現を敢えて使ったけど、激辛を体験したことがある人ならきっとわかってくれるはずだ。
一口食べるだけで、冗談のように汗が出る。鼻水も出る。涙は出なかったけど。汗は、もっぱら顔面から出る。「全身から滝のような汗」ということはない。唐辛子料理を食べた時特有の症状だ。
「ところでこれって何味?」
「わからないです」
ふと我に返って味の評価をしようとしたが、誰ひとりとして味の分析ができなかった。辛さが強すぎて、何がなんだかわからないからだ。豆腐の味すら、わからない有様だ。
次の日になって、まだ明確に残る余韻とダメージを鼻腔で反芻してみて、「あ、こりゃあ随分ハバネロが入っているぞ」ということに気がついた。辛さの主要因はどうやらハバネロらしい。でも、食べている最中は全くそれには気づかなかった。
同僚の一人は一口でギブアップ。辛さに耐えきれなかった、というよりも、身の危険を感じてこれ以上は手が出なかった、という感じだった。もう一人の同僚は果敢に攻めようとはしていたけど、数口で断念。しかし、出来る限り食べ進めようとはしていたので、かなり深刻なダメージをこうむっていた。
「もう、私がお店にお金を払いますから、これ以上は無理です」
とお金で解決するということを何度も繰り返し言う。
「本当にごめんなさい、謝って済むものなら誤りたいです」
この方は、本当に壊れたレコードのように、謝罪と反省の弁を、同じ言葉を繰り返し繰り返し喋っていた。
激辛にやられた人は、ついつい謝りたくなる・・・というのは、過去僕も経験があるし、そういう人を見たことがある。

で「ハバネロ鍋」を食べたあとの悲劇が思い出される。
何だか分からないけど「ごめんなさい」と言いたいです。
と、この時の参加者のわたし。さんは述べているけれど、それはまさに同感だ。本当に、謝りたい気持ちになるのだった。とにかく、体の中からくる鈍痛がかなり強くて、それをごまかすために何かに許しを請う気持ちになるのだった。
こうなると、水を飲んでも全く効果がない。少々の辛いものを食べたときは、水を飲むことでごまかしがきく。しかし、心底辛い料理ともなると、水で希釈されるということはない。何一つ状況はかわらない。口の周りの痛みとしびれも、みぞおちの痛みも、その他あらゆる不快症状も。
とはいっても水を飲まないと、このやるせなさは解消できない。ひたすら飲み続けるしかないのだが、そうこうしているとどんどん腹がふくれてくる。水だけで2リットル以上は飲んだはずだ。恥ずかしながら、ベルトは緩めてスラックスのボタンは開放。そこまでしても、苦しい。かといって、おなかが水でダボンダボンという感じでもない。おなかいっぱい、もうこれ以上入らない・・・けども、まだ水がほしいという混乱させられる状況だ。
「痛みがフラッシュバックのように蘇ってくるんですよ!」
同僚が目を見開いて言葉を絞り出す。確かにそうだ、僕も先ほどから完全に箸が止まっているのだけど、落ち着いてきたかな・・・?という痛みがふわっと復活し、自分を苦しめる。もう、そういう時はひたすら脂汗をたらしながら耐えるしかない。そして、何かに謝りながら、あとは努めて笑顔で元気ぶって、とにかく自分の辛さをごまかすしかない。

最後、同僚二人の食べ残しの麻婆豆腐も回収して、僕が全部食べきった。麻婆豆腐だけのために40分の時間を要した。そしてお店を後にするまで、さらにそこから30分以上かかった。それだけ、冬眠中の昆虫のように動きが鈍ってしまったからだ。
最後のほうになると、何やら体が寒くなってきた。ショック症状で神経がおかしくなったのかと思ったけど、そこまでヤバくはないはずだ。おそらく、冷水を大量に飲み、汗を大量にかき、そして唐辛子効果で毛細血管が拡張したので、体温が一気に奪われてしまったのだろう。
指が冷たい。まるで冷え性の人のように、手が冷えてしまっている。
ためしに、3人で手を並べてみた。左の手は、ほとんど麻婆豆腐を食べなかった方の手のひら。普通に赤みがかっている。一方、僕とあともう一人の同僚は、手から血の気がひいてしまっていた。こんな体験は初めてだ。最後のほうになると、寒気すら感じていたくらいだ。
「暑い国の人が辛い料理を食べる意味が、ようやくわかった」
と妙に納得した。
「おかしいと思ってたんだ、辛い料理を食べると汗をかいて、かなり夏場は不快なのに。なんで辛いのを食べるのかな?と思っていたけど。中途半端に辛いんじゃダメで、本気で辛い料理を食べると、体温が本当に下がるんだ」
身をもって納得した感じ。
左隣のお姉さん二人組からは「すごいですね」と褒められ、右隣のサラリーマン4人組からは気持ち悪い変人扱いされ、真反対の対応の中我々はお店を後にした。
これで終わり、というわけにはいかない。
それはもう、十分わかっていた。むしろこれからが本番だ、と。
既に、座っているだけでもしんどい、立ってもしんどい。しかし鈍痛をごまかすためには、動き回りたい気持ちだ。なんなら走りたいくらいだ。しかし、走るとダメージが一層深まるのはよくわかっている。胃の中で辛いもの成分がタプタプ揺れると、これまで辛いものに触れていなかった胃の粘膜までダメージを与えてしまう。ここはもう、胃の下の方に集中的にダメージを受けてもらって、僕自信の悪行を一点突破してもらうしかない。「広く、あまねく辛さを受け止めよう」なんて思ってはダメだ。
しかも、辛いものを食べた後は判断能力が鈍ってしまう。痛みにこらえることで気力と体力、両方一度に奪われてしまう。そのため、頭がぼーっとしてしまう。先ほど、「同じことを繰り返して語っていた同僚」の話をしたけど、まさにそういう状況が産んだ結果だ。
歩きたくない。かといってじっとしていたくもない。この、どうしようもないやるせない気持ちこそが、激辛食後の辛さだ。
同僚は言う。
「どこかで一人で、そっとしておいてほしい」
これはすごく共感する。まさにそういう気分だ。しかし、心底「そっとしておいて欲しい」わけではない。そういう気分ではあるけれど、この辛さをごまかすためにはやっぱり人と喋り続けていないと。
新橋から小一時間かけて、家に帰る。どこか途中で一息入れよう、お茶でもしよう、という考えはなかった。なにしろ、そんなものを胃袋に入れる余裕がないからだ。
家に帰ったら、すぐに横になろう、とも思わなかった。横になったら、内蔵の痛みが拡散する。それはますますしんどくなる。
ぜん息の持病を持っている人が、夜中に発作が出て、横になって寝ることができないために椅子の座面に突っ伏して寝るようなものだ。そうでもしないと、寝れる気がしない。
この日、23時過ぎに帰宅して、もう気力が続かないのですぐに寝ることにした。どうせ夜中、キツくて目をさますのは目に見えているので、睡眠薬を服用して。お風呂に入るのをやめたのは当然として、服を着替えることさえ、しなかった。それくらい、もうグッタリだった。
で、ソロリソロリと布団に横になったのだが、相変わらず寒くて仕方がない。エアコンで部屋を暖める程度じゃ、寒さがしのげそうにないので、電気ファンヒーターを布団の脇に置いて、そこから熱風を常に吹き付けるようにした。多分、「熱風が体に当たる」という刺激で、内蔵の痛みを誤魔化したかったというのもあるのだろう。
そこからひとまず寝ることができたのだが、当然のことながら数時間でギブアップだった。いよいよ、胃だけでなく腸の方にも痛みがシフトしてきたからだ。こうなると、地獄だった。睡眠薬を飲んだばっかりに、痛いけど、眠い。眠いけど痛い・・・という状況に。痛さで目がさめてしまった、というならともかく、痛いし眠いというのは本当にしんどかった。でも、眠れない。だって痛いんだもの。
翌朝、激辛麻婆豆腐を食べてから11時間経過時点で、この日会社に行くのを断念することに決めた。痛くて動くのが相当しんどかったのと、体が受けたダメージから立ち直ろうとするために疲労困憊していたからだ。
会社に行けないほどではなかったのだけど、会社のトイレ、特に男子トイレの個室というのは慢性的に混んでいて行列ができている。ビル内の他のフロアをいくつも行脚し、空いている個室がないかどうか探すゾンビが後をたたない。・・・そういう会社に、今日この体調でどうやって行くというのか?
これは会社の不作為だ。責められるべきは会社だ・・・と開き直ることはしなかったけど、いずれにせよトイレで苦労するのは無理だ。上司に電話し、事情を説明し、急遽で申し訳ないが今日一日テレワークで対処させてもらうことにした。本当は一週間前に申告しないとテレワークは認められないルールなのだけど(そのルールを制定したのは僕自身だ)、今日ばっかりはッ・・・お許しをッ・・・!
もちろん仕事はきっちりやったが、この日は朝から晩まで、口にしたのは野菜ジュースを1本だけだった。それ以外は食べ物はおろか、お茶すらも摂取しなかった。前日のダメージがひどかったらしい。体の寒気は相変わらず続き、トイレの中にファンヒーターを持ち込んだくらいだ。
今、これを書いているのは麻婆豆腐から29時間経過したところ。ようやく落ち着いたけど、まだ時々おなかに鈍痛が走る。まだ数日は、ダメージが目に見えないレベルでは残り続けるのだろう。
ここまで僕を追い込んだ激辛は、過去にほとんど例がない。「店内の客が全員逃げだす」という冗談のようなできごとも含めて、その凶悪さは記憶にとどめておくべきだと思う。なので、この「頂天石焼麻婆豆腐 激辛」は美貌の盛りと認定したい。
ただし、マネはしないように。「みんなでシェアするから、一人あたりは味見程度だろうから大丈夫」と思っても、手痛いダメージを被る可能性がある。どうせ、仲間のほとんどが「食べられない!」ギブアップして、誰かが責任をとって残りを食べるハメになるのだろうし、それがもし貴方だったらどうする?安易にチャレンジはしないほうがよいと思う。
最後に。
「激辛友の会」の第一回として、今回は華々しいデビューとなった。しかし、この会の最後の方で、「さすがに激辛はもうキツい、続けられない」ということで三人の意見が一致。あっけなく次回から会の名前が変更されることになった。おそらく、「ピリ辛友の会」または「グルメ友の会」になる見込み。・・・なんたる堕落。でも、そこまでさせてしまう力があったのが、今回の麻婆豆腐だ。
(2017.11.21)
コメント