小谷でまったり
日 時:2003年(平成15年) 06月28日~29日
場 所:笹ヶ峰、小谷温泉、葛温泉
参 加:おかでん、しぶちょお、ばばろあ(以上3名)
アワレみ隊は本来、天幕合宿集団だ。
最近でこそ、天幕合宿の回数は少なくなったものの、やはり原点はテント張ってナンボ、という意識だけは持ち続けている・・・はずだ。最近ちょっと怪しくなってきたが。
2003年、アワレみ隊は既に各種企画を実行してきた。しかし、まだ一度も天幕合宿を開催していなかった。季節はそろそろ夏。「もう・・・テントを引っ張り出してもいい頃ではないか?」そんな予感をさせる気温になりつつあった。ということで、一泊二日で廻り目平キャンプ場にて合宿を開催しよう、という運びになったのだが。
2003年は天候不順の年でもあった。晴れ間が広がる事が極端に少なく、いつもじめじめと雨が降っていた。その天候は天幕合宿当日においても例外はなく、結局テントを広げる事を断念せざるを得なかった。
その代替案として急浮上したのが、「温泉でまったり」というキーワードだった。どこからともなく「小谷温泉にGO」という話が沸いて出てきて、そのままあれよあれよと決まってしまった。
(ここまで:おかでん執筆。以降、しぶちょお執筆にチェンジ)
2003年06月28日(土曜日) 1日目

時はゴールデンウィーク突入したばかりの4月27日(金)、午後5時に名古屋を出発したばばろあと僕は、アワレみカーを駆って一路前泊地である安曇野泉郷を目指した。(おかでん注:原文のママ。時期については執筆者の勘違いと思われる)
途中、駒ヶ根ICで降りて福寿美で晩飯(無論蕎麦、と思いきやソースカツ丼だったりする)を食い、安曇野泉郷に到着したのはええ加減仕事疲れも出てくる午後9時過ぎだった。携帯電話の使えないような山の中である、午後11時過ぎに雨の降る中わざわざ別荘からホテルフロントまででかけ、公衆電話でおかでんと翌日の待ち合わせ場所&時間を決定、別荘に戻り、入れる傍から冷えていく風呂に入る。その後はプレステで国際C級ライセンスをGets(by GT2)したりしなかったり、外では雨音が激しくなる一方であった。翌朝の晴れを祈りつつ、就寝はすでに午前3時を回っていた。

雨、やまず。長野駅午前9時の集合のためにはここ安曇野を遅くとも7時には出発せねばならぬ。結局3時間ほどの睡眠で、眠い目をこすりながらあわただしく出発することに。雨脚を見る限り、キャンプはやはり無理だったようだ。今回は打ち合わせ通りだと、温泉でマターリとするのが目的なので、今日の午後3時には小谷温泉山田旅館へと着いてしまう予定である。


集合時間に若干遅れはしたものの、おかでんを長野駅でpickupし、まずは最初の目的地ふじおかを目指す。まだ雨は止まない。一人増えてだいぶ重くなった車に鞭打ち、黒姫高原へ10時前に到着。客はまだ誰もいないうえに、玄関すらまだ開いていなかった。しばらくすると鍵が開けられたので、待合室(?)で11時30分の開店をひたすら待つ。これまでの経験から行けば11時にもなると列を作って待つ状態になるのに、今日はその時間になってもわれわれしかいない。このまま3人だけかと思っていた矢先に一人男性が増え、さらに夫婦が一組加わった。結局開店時間までに集まったのはこの6人だけであった。





ふ じおかの蕎麦については、あらためて説明はしない。おかでんがきっと蕎麦喰い人種で紹介してくれるはずだし(笑)。ちょっとだけコメントするならば、これまで来た4回の中で最も水切りの具合が良かった。一方、肝心の蕎麦そのものについては時期が時期だけに香りがちょっと弱かった。それでも並の蕎麦屋では出てこない蕎麦である事には変わりなく、結局今回も大散財することとなってしまった。が、子供が大きくなって養育費がかかるようになったか、それとも客が減ったのか、毎回くるたびに値段が上がっていくのは気がかりである。




雨はいつのまにか上がり、晴れ間ものぞく中、最短距離の乙見山峠越えで小谷温泉を目指す。先ほどまでの大雨により道路が川と化した場所、未舗装で大きな石がごろごろしている道、途中に立てられた積雪通行止めの看板、そして狭い道での対向車など、われわれには数多くの難関が立ちはだかった。だがわれわれはそれらをもろともせずに突き進んだ。そしてこれから行く先に温泉マターリが待っていることをこの時点では誰も疑っていなかった。

・・・・・・しかし、落とし穴はわれわれのすぐ目の前で大きな口を開けて待ち受けていたのだった。


終末は突然に、そしていともあっけなくやってくるものだ。えいやぁと工事看板を押し退け進んだ先約50m、北緯36度51分52秒、東経138度01分58秒。われわれはそこでかつて見たことの無い光景に出くわした。雪で完全に埋め尽くされた谷間。本来ならばその場所には道路があるはずなのだが、高さ4~5mはあろうかという雪壁によって進路は完全に閉ざされていた。



これまで全く雪の気配の無かった林道に突如として現れた雪壁、ここがわれわれの最終到達点、そして長くつらい帰り道の起点であった。温泉マターリは雪壁の向こう側へと消え去り、われわれは100km以上の道のりを、たった、そう、たった10km進めなかったが為に走ることになった。



温泉マターリが無くなり、また雪の絶壁を目の当たりにして「こりゃネタとしてはおいしいなぁ~」とは思いつつも意気消沈していた(その証拠に、雪壁の前で記念撮影しようと考える余裕のあるものは一人としていなかった)われわれは、平静を取り戻すべく急きょ、笹ヶ峰牧場に立ち寄ることにした。そこはまさに別天地であった。機会があればここでキャンプをするぞとおかでんが言っていたのもうなずける、そんな素晴らしい場所だった。







戸隠まで南下するルートを通り、途中菓子・酒類の買い物等も済ませた結果、小谷温泉山田旅館の到着は夕方5時を回ったころと相成った。結局のところ予定よりも2時間ほど遅い。









さて気を取り直して、ここ山田旅館はかつて独逸萬国霊泉博覧会にも出展されたという由緒正しい温泉である。建物自体も文化財としての価値が高く、しかも現在もそのまま利用されているということで、大変ありがた~い温泉なのである(だから今夜の宿をここにしたのだ)。






飯の時間を少し遅らせてもらい、誰もいない温泉を3人占めする。誰もいないのをいいことに写真を撮りまくる若干2名。お湯が流れ落ちている場所は鍾乳石の柱になっており、温泉成分の濃さを物語る。


風呂から上がり、しばし休憩。標高の高さもあいまって廊下でも比較的涼しい。
別館の食堂に移動するとすでに多くの人が食べ終えようかといったところ。夕食には、海の幸山の幸が取りそろえられていたが、ここ小谷温泉は日本海に近いので刺身があるのもまあ許せる範囲だろう。
夕食後に空を見上げると天気は回復に向かっており、夕焼けも見られるほどになっていた。これならキャンプもできたかなと少し後悔しながら、先ほどと別の風呂につかりに行く。
別館の風呂には露天風呂も用意されていたが、それほど眺めがよいわけではなかった。お湯は源泉のままなので良いのだが、こっちに入るくらいなら、先ほどの風呂へ入るほうが個人的には好みである。ただし、こちらのほうがシャワーも完備されているおかげで体を洗うには都合が良かったか。

部屋に戻るとすでに布団がしかれた状態だった。ちなみに今回泊まっている部屋は明治時代に立てられた建物で、一般には本館と呼ばれているものである(ちなみに最初に入浴した源泉風呂のある建物が大正期に建てられた新館(?!)、夕食を食べて、露天風呂に浸かったところが最近立てられた鉄筋コンクリート作りの別館)。
本館の部屋は天井が低く、電灯が大変低い位置にあるため、この後も何度となく頭をぶつけることとなった。昔の人は、ここまで背が低かったのか?大体、入り口の障子にしても高さが1間程度しかないので、背の高いおかでんあたりだとすれすれか当たるかといったところ。

まあ、ありがたい建物なので不満はこの程度にしておいて、この趣き深い部屋でわれわれは鼻の下を伸ばしつつゲームなんぞをして楽しい夜を過ごしたのであった。
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