登場人物(2名)
おかでん:何事もスタートダッシュだ!と言い、己の持続力の無さを正当化する詭弁師。
おかでん兄:趣味は、貯金と利殖。継続は力なり。
2002年03月23日(土) 1日目

甘い。
甘すぎるぜスウィートハニー。
雲取山の標高、実は2,017mもある。どさくさに紛れて、東京都は2,000mもの高さを誇る山を持っていたんである。これはさりげなく、しみじみと驚くべき事実だった。
雲取山。東京都、埼玉県、山梨県の3つの県境に位置する山であり、東京側は奥多摩に位置する。このため、奥多摩山系の西端でもあるが、奥秩父山系の東の重鎮でもある。・・・とか説明書きをすると、ますますこのコーナーが登山マニアっぽくなるのでやめておこう。
ま、なんでこの山に、この時期に登ろうとしたのかというと動機は単純。「混む山は混まないときに登れ」というおかでん家先祖代々の教えに従ったまでの事だ。

雲取山は、東京都を懐に抱く山である宿命として非常に大量の登山客を受け入れている。ゴールデンウィークや夏などはバーゲンセールでも始めるのか、というくらいの人(特に、オバチャン登山が多いのでバーゲンセールと勘違いされやすい)が雲取山を覆い尽くすという。
身近にある2,000m峰なので、いつも登ろう、登ろうと思ってはいたのだが、「まあ雲取山だったらいつでも登れるよなあ」と先送りにされ、連休などのまとまった休みがあるときは「何も今回雲取山にいかなくってもいいだろ」と無視され、ついには「どーせ混んでいるんでしょ?だったら空いている時に行った方がいいや」なんて三段論法でオトされる始末。これではいつまで経っても行けない。

今回、春先ということで高い山に登るにはまだ雪がべったりで駄目、かといって低い山に行くとしてもイマイチ面白みにかけるという中途半端な状態だったわけで、ならばいよいよ雲取山さんにご登場頂くしかあるまい、となった。数年来の念願、ついに果たされる時がきたというわけだ。
ちょうど兄貴も「体がなまっていた」との事で、二つ返事で参加を許諾。今年も、この暇人兄弟で山を荒らして行きましょうかね、っと。
それにしても、読者から「いい歳してご兄弟仲がいいですねー」なんてよく言われるようになったな。その言葉、いろいろ解釈の余地があると思うけどお褒めのコトバである、と一方的に考えておくです。

さて、経緯とうんちくはここまで。
今回、雲取山攻略は奥秩父側の三峯神社から入山し、雲取山まで縦走してから奥多摩の鴨沢に下山するというルートを取った。まずは、池袋駅から西武池袋線、秩父鉄道を乗り継いで三峰口駅まで。そこからバスで15分、大輪まで行って、そこから三峰山ロープウェイで三峯神社までという算段だ。

おかでん 「ロープウェイ乗り場って事で。本当はこんな乗り物に乗って楽するのは邪道なんだろうけど」
兄 「いや、乗り物があるのに敢えて登山道使う事はない。楽できるところは楽しなくちゃ」
おかでん 「金持ちケンカせず、って奴か?」
兄 「ちょっと違うと思う」

おかでん 「わ。手荷物料金取るのか!」
兄 「270円か。まあ・・・しゃーないなあ」
おかでん 「それにしても見ろよ地面を。ずっ改札から整列用のラインが引いてある。延々と線が延びてるぞ?」
兄 「ほう。ということは、ハイシーズンになると行列を作ってロープウェイに乗るのか。そんなに有名だったのか、三峯神社って」
おかでん 「ほら、ここ。『50分待ち』とか書いてあるぞ。一体何分待てばいいのやら」
兄 「こうなると歩いた方が早いなあ」

ロープウェイに乗り込む。その名も「くもとり号」だった。
乗客のオッチャン 「うわあ、天気悪いなあ。雲ばっかりじゃないか。どうなんですかね、今朝からこんな感じなんです?」
乗務員 「ええ、今日はずっとこんな感じですね」
オッチャン 「どうなんでしょう、今日午後になれば晴れますかね?」
乗務員 「さあ・・・ちょっとわからないですね」
オッチャン 「せっかく景色見に来たのに、残念だなあ。ねえ、今日午後1時くらいまでに何とか景色見えるようになりませんかね?」
乗務員 「ちょっと何とも言えないですね」
おかでん 「(なんという不毛な会話だ・・・)」
兄 「(むちゃくちゃ言ってるな、山の天気なんて変わりやすいのに)」
おかでん 「(まあ見てみろ、オッチャンの装備。何か子供の遠足に使うようなおにぎり型の幅広リュック。今時あんなリュックをオッチャンが使ってるのって、どうよ)」
兄 「(いいんじゃないの?靴だってスニーカーだし、山登りに来たわけじゃないんだろうし)」
いつの間にか、われわれ二人の間ではオッチャンの品評を始めてしまった。これはこれで不毛。

ロープウェーを降りたら、そこはガスに包まれた静寂の地だった。
おかでん 「だ、誰もいない・・・」
50m先も見えない濃いガスの中、三峯神社にまずは参拝。
おかでん 「良縁に恵まれますように」
兄 「おい、普通だったら道中の安全を祈願するんじゃないのか?」
おかでん 「いやもう、それどころじゃないくらい逼迫している問題でして」
兄 「なんじゃそりゃ」

おかでん 「さあて、ここからが登山口。登るぞー」
兄 「うむ」
標高1100m。ここから約5時間かけて、本日のお宿「雲取山荘」に向かう。さすがに日帰りは無理。
兄 「うう、結構冷えるな」
おかでん 「3月で標高1100mだもんな。ええと、標高差100mで気温が0.6度下がるんだから・・・わあ、下界と比べて6.6度も気温が低いことになる。そりゃ寒いわな。しかも霧だし」

おかでん 「さすがに修験道の道場だっただけあって、立派な杉並木ですねと褒めてみる」
兄 「でも、細くないか?まだ樹齢はそんなに経っていないような気がするのだが」
おかでん 「いや、そういう事で心を揺らしてはいけない。何しろ、ここら辺一体はヤマトタケル伝説がわんさか残っているところだからな、伝統と格式があるのだよ」
兄 「はあ?ヤマトタケル?試しに言って見ろよ、どんな伝説があるのよ」
おかでん 「ヤマトタケルが昼飯食って、食べ終わった箸を地面に突き刺したらそれが立派な木になった。故に今はそこを二本木峠と呼ぶ」
兄 「胡散臭さ満点だな」
おかでん 「ヤマトタケルが東征中、喉が渇いたので持っていた剱を岩に突き刺した。するとそこからこんこんと水がわき出すようになった。これが百名水の一つ、大和水」
兄 「そこまでくると胡散臭いというよりうそだな。大体、ヤマトタケルなんて実在したのかどうかもわからないじゃないか」
おかでん 「むむ」
兄 「だいたい、遠征してくるのに何でこんなへんぴな山奥を通らないといけないんだ?」
おかでん 「それを言ってはいかん。全否定してしまうと、三峯神社の存在が危うくなるではないか」

おかでん 「ここから先が奥の宮。妙法が岳の山頂ってわけだな。知ってた?三峰ってのは、ここらへんの3つの山の名前を総称している事を」
兄 「ほう。では、その3つは何だ?」
おかでん 「ええと。雲取山、妙法が岳・・・・ええと、えっと、三峰山」
兄 「三峰山の中に三峰山が入ってるぞ?」
おかでん 「あれれっ?」
※正解:雲取山、妙法が岳、白岩山 ・・・だったと思う。(やっぱり自信なし)

おかでん 「早春のうららかな太陽の中、散策を楽しむ筆者・・・の図」
兄 「霧がかかってるんですけど」
おかでん 「大丈夫、写真になれば誰もわかんないって」

お昼ご飯。登りはじめて1時間弱なんだけど、早朝から移動を開始していたので早めの食事とした。
おかでん 「毎度毎度の事なんだけど、コンビニおむすびを山での昼食にするというのはどうなんだろう、と考えさせられるよ・・・」
兄 「山の食事はエネルギー摂取が最重要。それ以上何を望む?」
おかでん 「いやね、例えばここでラーメン作るとかね、ちょっとそういう簡単だけど一手間かかるようなものを持ち込んだ方が、山として充実するんじゃないかなあ・・・ってふと感じるわけだ」
兄貴 「ふむ?」
おかでん 「で、その熱々のラーメンの傍らには、寄り添うように冷えたビールが」
兄貴 「結局そこに行き着くのか。やっぱりな。じゃ、おむすびがイマイチってのは、ご飯とビールはあわないというただそれだけの理由だろ!?」
おかでん 「ぐはぁっ」

兄貴 「おい、雪だ」
おかでん 「おお、さすがまだ3月だけある、やっぱり雪はしっかりと残っていたんだなあ」
兄貴 「滑るなよ?」
おかでん 「滑るかよ、これくらいの雪で。末代までの恥だ」
兄貴 「誰が語り継ぐんだよ、雪でコケたくらいで」

地蔵峠着。三峰神社から3.5km地点。
おかでん 「ほら、記念撮影だ。・・・3,2,1・・・って、おい!」
兄 「何だ?」
おかでん 「アンタ、お地蔵さんの前で写真に写っただろ?」
兄 「まずいのか?」
おかでん 「当たり前だろう、地蔵峠での記念撮影なんだから、お地蔵さんが見えなくちゃ何がなんだかわかんないでしょうが」
小一時間説教。

しばらく登ると、急に展望が良くなった。
気が付くと、さっきまでのガスはどこへやら、すっかりと晴れ渡った青空。二人とも、しばらく絶景を前に無言になってしまった。
おかでん 「・・・すごいな」
兄貴 「絶景だな」
おかでん 「民家とか何も見えない。見えるのは山と谷と空だけ、だもんな」
真正面に見えるのは、日本二百名山の一つである和名倉山。

北側を臨む。正面やや右の山が、両神山。
あとは・・・
おかでん 「うむ、山が折り重なりすぎていてよくわからん!知らぬ!」
以上、山の説明終了。

急に小春日和の陽気になってしまったのでいささか戸惑いつつ、歩いているとなにやら人の声がする。登山道に入ってから、初めての人の気配。
われわれは「助かった!」と叫び、数日間に及ぶ激闘で痛んだ足をひきずりながら人の声のする方向に・・・
兄 「そんなわけないだろ」

霧藻ヶ峰休憩舎。
宿泊施設ではなく、茶屋として機能しているらしい。カップラーメンやちょっとした登山小物などが売られていた。
談笑していたのは、店の親父と登山客2名だった。登山客のオッチャンは、ガスでお湯を沸かしている。ラーメンでも作るのだろうか。
兄 「今頃昼飯の準備やってたな。・・・余裕だな」
おかでん 「われわれでも、雲取山荘到着予定時刻が16時30分って事であんまり余裕無いのに。三峰に下山するのかな?」
兄 「さあ、どうだろう。ひょっとして、単に何もわかっていないDQNかも知れないぞ?」
おかでん 「珍登団、って奴ですか。山小屋到着は日が暮れてから、もちろん予約なんて入れていないのに『夕食を出してくださーい』なんてわがままを言ったりする」
兄 「もしそうなら、逝ってよしだな」
なぜか兄弟そろって2ちゃんねる用語を使ってひそひそ話をする。

さっきまで稼いできた標高を、位置エネルギーに変換してずどどどどと斜面を駆け下りたところに、「お清平」という場所があった。
兄 「お清平?」
おかでん 「きっと、ここにはお清さんという女性の悲劇とラブロマンスのストーリーが潜んでいるに違いない」
兄 「こんな山奥に、か」
おかでん 「恋い焦がれたマタギの彼を山まで逢いに行ったんだけど、イノシシと間違われて鉄砲で撃たれて死んじゃうの」
兄 「救われないな、イノシシと間違われて打たれた彼女って一体どんなデブだったんだよ」
おかでん 「いや、もしくはお清おばあちゃんを捨てた、姥捨て山伝説が眠る・・・」
兄 「せめてお清が若いのか歳なのかはっきりさせてから語れよ」

おかでん 「いやー。まだ半分ってところですなあ」

いよいよ標高も上がってきたということで、山の北側斜面は雪が目立ち始めた。
おかでん 「うわっとと、滑る!雪じゃないぞ、これ。氷だ」
兄 「解けては氷り、を繰り返してるからな、気をつけろよ」
おかでん 「気をつけろって言われたって。最大限注意したって、滑るものは滑るんだよ!うわっと!」

前白岩の肩着。
おかでん 「つ、疲れたぁ!必要以上に疲れたよ、何だぁ、あの雪は!」
兄 「そういうもんだ、春の山ってのは」
おかでん 「大体だな、一面に雪がべったり、だったらアイゼンを出すよ。しかし、見ろこの地面を」
兄 「おお、雪がないよな」
おかでん 「一体いつになったらアイゼンをつければ良いのやら」

前白岩山。1776m。
おかでん 「・・・山頂に着いたという満足感がイマイチ無いのはなぜでせうか」
兄 「この後、せっかく登った分をすぐに下ってしまうからだろ」
おかでん 「おう、そうだ、そうだよ。せっかくここまで登り詰めたというのに、すぐにまた数十メートル下るんだから!何か悔しくって。俺の疲労を返せと」
兄 「縦走ってのはそんなもんだ、諦めろ」

本日何度目かのがっかりするような下り坂を降りたところに、白岩小屋があった。週末のみ営業をしているらしい。小屋の前で一息ついてると、小屋番のオッチャンが出てきた。
小屋番 「ここから先、アイゼンが無いと登れないよー」
やや。ついにアイゼンの出番か。

白馬岳以来の登場となる、軽アイゼン4本爪。いや大変ご無沙汰しておりました。あまりにご無沙汰していて、なおかつ手入れしていなかったので若干サビが出ておりました。うむ、申し訳ない。
靴の裏にぱちぱちっと留めて、準備完了。
その傍らで、小屋番のオッチャンは丸太を両手で抱えて筋トレをやっていた。暇らしい。
おかでん 「(このオッチャン敵に回すと殺されるぞ)」
兄 「(どういうシチュエーションで小屋番を敵に回すんだよ)」
おかでん 「(いや、それはわかんないけど、ここでアイゼンはめるのを拒絶したりとか、さ)」
ひそひそ話。

おかでん 「うわー。雪だー」
兄貴 「いや、雪ではない、完全な氷。これは滑るぞ」
おかでん 「でも、兄貴はアイゼン付けてないじゃないか」
兄貴 「僕のは6本爪で、装着が面倒なのでこれくらいでは付けない。ストックで我慢する」

おかでん 「おいおいっ、冗談だろ急に雪が深くなった」
兄 「気を付けろ、滑るぞ」
おかでん 「いや、気を付けろったって、これじゃあ・・・」
ずぼっ。右足が膝上までめり込んだ。
おかでん 「うわ、滑るどころか、めり込んだぞ!ここ!」
兄 「もっと痩せるんだな」
おかでん 「そういう問題じゃないでしょうが!うわ!ここも!」
氷の表面で滑ったかと思ったら、ずっぽり埋まったりともう忙しいったらありゃしない。

おかでん 「・・・」
兄 「おお、疲労困憊したな」
おかでん 「疲れた・・・なんかよくわからんが、疲れた」
兄 「喜べ、ここから先は雪がないぞ」
おかでん 「ってぇ事は、せっかく履いたアイゼンをまた外さなくてはならん、という訳だろ。ああ面倒くせぇ!」
せっかく白岩山の山頂に到着したのに、出てくるのは文句ばっかり。
おかでん 「さっきから白岩、白岩多すぎるんだよ!何だって?前白岩の肩、前白岩山、白岩小屋、そして白岩山。じゃあ次は何だ、後白岩とかそんな地名があるんじゃなかろうなあ!?」

おかでん 「今更こんなところに看板出しても遅いってば」

さすがに「後白岩」という名前は安直だと感じたのか、次なるポイントは「芋ノ木ドッケ」という名前だった。
おかでん 「ドッケ?」
兄 「峠(とうげ)、がなまったコトバか?」
おかでん 「もともと『芋ノ木ドック』だった看板を、誰かが悪戯したとか」
兄 「何だよ、その芋ノ木ドックって地名は。そっちのほうがもっとオカシイじゃないか」

おかでん 「あの木々の隙間から見えるのが雲取山・・・って事でよろしいか?」
兄 「知らぬ。ところでさっきから何度目だ、雲取山候補が登場するのは。その都度間違っていたじゃないか」
おかでん 「いや、あのピークだけはものすごくオーラを感じるんよ」
兄 「ふーん」

大ダワを通過。あともう少しで雲取山荘だ。
おかでん 「芋ノ木ドッケの次は、大ダワか。カタカナばっかりだな。ここは本当に日本なのか?」
兄 「弛む、がなまってダワだろ。これも峠って意味だと思うぞ」
おかでん 「大だわ~、じゃないのか。女性のコトバかと思った」
兄 「んなわけはない」

おかでん 「ほら見ろ!アイゼン外したら、これだよ。また雪だ!」
兄 「しょうがないだろ、どんどん標高が上がって行ってるんだから。雪は増えこそすれ、減ることはない」
おかでん 「アイゼン・・・やめとこうかな」
兄 「それほど雪は深くないし、大丈夫じゃないか?」
この後、滑ること数知れず。ちくしょう。

どうも路上に業務用のソース瓶や調味料入れが転がっているのでオカシイと思って見上げてみたら、人口建造物が建っていた。
雲取ヒュッテ。
以前は、雲取山荘が満室の時に使われていた山小屋だったらしいが、今は営業していないという。
この建物が見えてきたら、あともう少しだ。

おかでん 「じゃーん。雲取山荘到着。16時ちょーど着だな」
兄 「おおお?えらく立派な建物だぞ、山小屋にしては?」
おかでん 「ふふん、まだ立て替えて2年くらいしか経っていないのだよ、だからこんなに立派な作りなんだな」
兄 「どうでもいいが、何でお前が自慢げに語る?」
おかでん 「あら?」

おかでん 「どうもー。予約していたおかでんですー」
入口入ってすぐのところに、売店とロビーがあって、ごったがえしていた。
一人一泊二日で、7,000円(税込)。山小屋物価を考えると結構安い。北アルプスの山小屋だと、8,500円以上する。もちろん、丹沢などは一泊二日で5,000円強の山小屋だって存在するが、夕食がレトルトカレーだったりと値段相応の扱いだったりする。
大体、このきれいな建物に一泊できるだけでも7,000円はお得感が高い。山でぜいたくしたいとは思わないけど、非常にうれしくなる。

おかでん 「2階廊下・・・凄いな、木また木」
兄 「明るい感じがして気持ちいいよな、まだ木の臭いが残ってるし」
おかでん 「これは部屋も期待しちゃっていいんじゃないですか?」
兄 「どうも個室みたいだしね、まあどうなることやら」

案内された部屋は、案の定個室だった。六畳一間。
おかでん 「うひゃー。個室だよ、個室。ますます民宿っぽくなってきたな。山小屋の定番:大広間雑魚寝スタイルじゃなかったのか!」
兄 「あらかじめ予約入れておいたのが良かったのかな?一番角部屋だし」
おかでん 「だろうな、予約無しだったら、たとえ二人一組でも大部屋の相部屋だったかもしれない。しかし、こういうところにすっと泊まれるってのがオフシーズンの強みだよねえ。雪に滑りながら登ってきたかいがあったってもんだ」
兄 「油断するなよ?まだ4時過ぎだ。この後、『相部屋お願いします』ってオッチャンオバチャンが入ってくるかもしれないぞ?」
おかでん 「ううむ、そういう事態になったら素晴らしく残念だな」

おかでん 「うむぅ、この部屋何がいいって、コタツがあるって事だ。素晴らしくくつろぎまくってるぞ、現在進行形で」
兄 「うむ。確かにこれは山小屋らしからぬサービス」
おかでん 「ミカン食べたくなるよな、条件反射的に」
兄 「しかし、天板が無いんだな、このコタツは」
おかでん 「夜中に麻雀始められてはうるさくてかなわんから、敢えて設置していないんでは?」
兄 「麻雀杯持ってくる奴なんているのか?重いぞ」
おかでん 「でもよ、向かいの部屋見たか?2.7リットルの焼酎ペットボトルやら一升瓶やらが玄関先にたくさん転がっていたぞ」
兄 「そこまでして酒を飲みたいかねえ・・・」

雲取山荘の真向かいに、これまた新しい立派なお手洗いがあった。東京都、と書いてある。雲取山荘としての洗面所ではなく、東京都の公園管理の一貫として設置されたものらしい。
がちっ、がちっ。
シーズンオフだからということでか、鍵がかかっていて入ることができなかった。
山荘横に、簡易トイレが数台並んでいて、そちらで用を済ます。

ちょっとした外出をする時、わざわざ登山靴を履くのも面倒臭かろう・・・ということで、山小屋側で長靴を用意してくれていた。
おかでん 「おい、オッサン」
兄 「何だ、いきなり」
おかでん 「タダでさえキミは作業ズボンをはいているというのに、それに加えて長靴ときた日にゃ・・・リアル作業員だぞ」
兄 「ほっとけ。そういうお前はどうなんだ」
おかでん 「いやあ、もうそういう外見でどーのこーのというのは超越しちまったよ、何をどうやったってオッサン臭くなるんだから」
兄 「悲しいな」
おかでん 「こらこら、同情するな、否定しろよ」

雲取山荘外観。
おかでん 「この建物が、標高1900m近い山のど真ん中に建ってます、なんて写真を見せてもピンとこないだろうな。えっ、裏に車道とかあるんでしょ?とか、温泉旅館なんですか?なんて」
兄 「せいぜい、『青少年自然の家』と勘違いされるくらいか」

おかでん 「見ろ、NTTドコモのアンテナだって設置されているのである」
兄 「。。。あ、なるほど、ここでもちゃんと携帯電話はアンテナ3本立ってる」
おかでん 「山小屋も便利になったもんだ・・・いずれ、オプションメニューで刺身盛りを注文できますなんてご時世が来るかもしれんぞ?」
兄 「刺身盛り食いたかったら海にいけよ、何も山に登ることはなかろう」
おかでん 「いや全くそう思うけどね、中高年はとにかく刺身食いたいんよ。カニなんてあると卒倒せんばかりに喜ぶかも知れないぞ」
兄 「山でカニ・・・」

おかでん 「よも山情報、だそうで」
兄 「とりあえず駄しゃれなんだな。どうだ、面白いか」
おかでん 「いや、面白いかなんて改まって聞かれたって。くすりとも笑える訳じゃないじゃないですかこんな駄しゃれ。っていうか、そもそもこのボードを作った人だって爆笑させようとして作った訳じゃなかろうに」
兄 「そうか」
おかでん 「それにしても、夕食6時で朝食6時。典型的な山小屋食事タイムなんだな」
兄 「夕食は当然として、朝食も早いんだな。ほとんどの人は後は下山するしかないはずなのに」

室内は火気厳禁。ということで、ココアを作ろうとした兄貴はストーブ、クッカーを持って屋外のベンチへ。
兄 「うう、寒い!ココア作っている間に、体が冷えてしまう!」
おかでん 「ココア飲んで暖まる分と足し引きでゼロになっちゃうんじゃないか?飲む意味がないという気も・・・」
兄 「何を言う、せっかく持ってきたのだからここで飲まないと」
おかでん 「山上のいっぱい。大人のくつろぎって奴だな?」
兄 「寒くてそれどころじゃないような気もする」

おかでん 「へへーん」
兄 「何だ?あっ、この寒い中ビール買ってきたのか!」
おかでん 「寒いも暑いも関係ないッ!山に登りました、一息つきました、ではビールを飲みましょう。これ、一連の流れとしてルーティンワーク化されてるから。俺的憲法第一条にしっかりと明記されてるから」
兄 「単に融通の利かないワンパターンという気もするが?」
おかでん 「ほっとけ。いずれにせよ、ビールはいつ飲んでも美味いのである。たとえ気温が低くても、だ」

おかでん 「だからこそ、ビールは氷に突っ込んで冷やす」
ぐさっ。
兄 「あー」
おかでん 「これ以上冷やしてどうするんだ?という説もあるだろう。でも、雪、氷があれば問答無用でビールを突っ込んで冷やせ。これ、俺的憲法第二条」
兄 「いや、冷やすのはいいんだけど、この雪・・・相当汚れてるぞ。除雪された雪の固まりだから」
おかでん 「ううむ。俺的憲法第二条に別項を作るべきだったか。但し、汚れた雪、氷の場合は前項は適用されない、って」

外のベンチでのんびりとココア&ビールを楽しむ・・・なんて言ってられないほど過酷な寒さだったので、兄貴のお湯が沸き次第あわてて部屋に舞い戻った。
3月下旬といえば、下界ではもうサクラが咲こうかという頃なのに、何たる寒さだ!
コタツに潜り込みつつ、さっそく戦利品のココアを飲む。

おかでん 「はいどうもお待たせしました、ビールさんですよー」
兄 「いいから早く飲め、シャッターが切れないじゃないか」
おかでん 「では、早速。ぷしゅ・・・あわわ、泡が、泡が」
毎度毎度の事なんだけど、山でビールを開封すると必ず泡が吹き出てしまう。気圧が低いので仕方がないのだが・・・この泡を「おっとっと」と慌てて飲むため、ビール飲みの理想型
「ぷしゅ」「では乾杯!」「ぐいっ」「ぷはぁっ」「ウメーッ」
とはいかないのが現実だったりする。非常に残念なことだ。
ぐいーっ。
おかでん 「うぐうぐうぐ。泡飲んでいるんだか、ビール飲んでるんだかわからん。でもとりあえずは美味って事で」
兄 「何か無理してないか?」
おかでん 「ううむ、それは内緒」

山荘の片隅に、謎のプレハブ小屋があった。
おかでん 「何だ?あれは。折檻部屋か?何かガラスが曇ってるぞ、中は召使いが『ご主人様堪忍』とか言ってるのかもしれんぞ」
兄 「んなことあるか。調理スペースだって書いてあったぞ」
おかでん 「調理スペース??」
兄 「テント泊の人たちの調理場だってさ。外じゃ寒いから、室内で調理できるようにしてるらしい」
おかでん 「おお、そうなのか。でも、さっきテント泊の人が『水場ってどこですか?』って山小屋の人に聞いていて、『水無いです、持参してきたもので賄ってください』ってつれない対応されてたな」
兄 「冬だからな、水も氷る」

さてさて、夕方6時でございます。夕食なのであります。
おかでん 「山小屋の最大の楽しみだな。一体どんな料理が出てくるのか、というわくわく感は、旅館や民宿の比じゃないね。そりゃね、ぜいたくな料理は出てこないし大しておいしくもないんだけど、バリバリの制限の中でどこまで創意工夫できるかどうか」
兄 「今日の料理はどうよ?」
おかでん 「うむ。メインディッシュはハンバーグ、マカロニサラダに和え物、ご飯、みそ汁。まあメニューはありきたりだけど、でも山の中では大ご馳走だあね」
兄 「なぜかトンカツばっかりだったもんな、最近」
おかでん 「ま、どこの山小屋でも言えることは、メインディッシュは冷凍食品って事だ。逆に、凄いよね。山の上なのに冷凍食品っていうのも。きっちり保冷できる環境があるって事なんだから」

兄 「うーむ」
おかでん 「どうした」
兄 「うーむ、ご飯がまずい。典型的な山小屋ご飯。気圧が低いからちゃんと炊けてなくって、べちゃべちゃ」
おかでん 「まあ、毎度の事だよな」
兄 「でもな、この山小屋ってその他が全部いいできなもんだから、このご飯だけが残念なんだよな。逆に目立つ。まずさが際だつ」
おかでん 「あらら、酷評だなえらく」
兄 「他はいいんだけどねえ。あまりに他がしっかりしすぎてるんで、どこか一カ所穴があると、どうしてもそこが気になる」
おかでん 「まあ、そんな事いわんと、ビール飲めや。ご飯なんてどーでもよくなるぜ」
兄 「また飲むのか。さっき350ml缶2本飲んだばっかりだろうが。また追加したな?」
おかでん 「いや、いや、いや。あれは喉の渇きを潤すためのもの。今飲んでるこれは、ご飯をおいしくするためのもの。全然位置づけが違うの。だから問題なしだ」
兄 「そういうもんなのか・・・」
傍らでは、山小屋のオッサンが「水が不足してますんで、お茶飲むときは自分が飲む分だけにしてくださいね、何人分、とかで最初から入れたら後で余るんで、やめてください。自分の分だけ、必要最低限急須に入れてください」と何度も何度も叫んでいた。よっぽど水が不足しているらしい。
おかでん 「水不足解消のために、皆様ビールを飲もう。ぐいーっ」
兄 「やれやれ」

夕食後の雲取山荘。
静寂に包まれて、各部屋のあかりがぼんやりと辺りを照らす。

雲取山荘からみた東京方面の夜景。
木が邪魔して、あまりよく見えない。
しかし、東京の大光量は雲取の空までをもうっすらと明るく照らしていた。

部屋に戻った。
コタツの熱源はなにか、と思い布団をめくってみたところ。どうやら、豆炭らしい。非常にぼんやりとした暖かさで、電機を使った熱い・寒いに慣れた体からすると非常に心許ない。しかし、何もすることが無く、周囲も静かな山小屋にわらじを脱いでいると、こういうぼんやり感が非常に心地よかったりする。
さて、夜寝る段階になって、寒さがしんしんと部屋にも押し寄せてきた。
おかでん 「朝起きたら凍死している、ということはないだろうな?」
兄 「布団かぶっているからそれは無いと思うけど、それにしても寒いな!端の部屋だからか?」
おかでん 「こりゃいかん、豆炭パワーを空間に放つか。コタツ布団を上げておくか?」
兄 「待て、それでほんの少しは室温が上がるかも知れないけど、たかが知れてるぞ?それよりも、本当に寒くなったらコタツに足を突っ込む事にした方が、長く生き延びることができるんじゃないか?」
おかでん 「むむ、それはそれで魅力的な提案だが、問題は肩と布団の隙間から入ってくる冷気をどう対処するかで・・・」
冗談みたいな話を、消灯時間まで本気になって延々と議論した。結局、コタツ布団は上げて、室温を少しでも高くする事で対処することにしたのだが・・・夜が明ける前に豆炭が切れてしまい(当たり前だ)、すっかり議論が無意味になってしまった。
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