山小屋で抱いた殺意【悪沢岳~赤石岳縦走】

2001年07月21日(土) 3日目

夜明け

3日目の夜が明けようとしている。山小屋の朝は早い・・・。うん?昨日も同じ事を書いたような。

いやあ、やっぱり熟睡できんもんはできん。ずっと同じ姿勢で寝るのは人体の構造上無理なので、時には横を向いて寝たりするんだけど、サテ横を向いているのもそろそろ疲れてきたな、とまた仰向けで寝ようとすると・・・ぎゃあ、既にそこには隣のオッサンの足が割り込まれている、なんて。

あと、数十人が雑魚寝していれば、当然中には数名いびきが地響きを立てるラウドスピーカー野郎がいるわけで。で、そういう公害人間に限って、夜遅くまで酒飲んでわあわあやっていた奴だったりするわけで、ナチュラルに不愉快。自分の寝袋をこやつに被せて、窒息させてやろうかしらんと何度思ったことか。雲上の山小屋だから、昇天したときに天国にも近かろう。

朝4時半頃、周りがざわつきだしたので起床。こんな狭い寝床だと、無理して寝ていても隣の人に踏みつけられるのがオチだ。

外に出ると、山の世界は朝日が差し込もうとしているところだった。写真は、山小屋から南側を見たところ。右の尖った山は聖岳。真っ正面のエラそうな山は、何という名前だろうか。

まだ夜が明けていない谷

今度は北に視線をやってみる。

真っ正面に見えるは、悪沢岳だ。

赤石岳の夜明け

やあやあ、日が昇って参りました。

赤石岳が、まさしく赤く染まる。

朝5時に食堂前が行列

赤石小屋は朝5時から朝食となっている。

夕食時のように、山小屋到着順に整然と時間指定はされていないかった。早い者勝ちということだ。これは、「あとは下山をするだけなので、時間的余裕がある」人と、「今日は遠くまで歩くので、早立ちしたい」という人がいるためで、ゆっくりしたい人はゆっくりとどうぞ、という配慮なのだろう。

しかし、広い小屋というわけでもないので、朝食だとか出発準備だとかでごそごそやっている人たちの横で朝寝をむさぼる事などできるわけもなく。結局、みなさん食堂に行列を作る事になるわけだ。

われわれは残すところ3時間35分の下山のみなので、時間の余裕は十分にある。5時20分頃になって、ゆっくりと食堂に行ってみたが・・・あれれ、まだこんなに行列があるぞ。

ちなみに、写真の中で、「今食堂から出てきました」の女性2名、この方がこの日の山小屋泊登山客で唯一の若い女性でした。あと残り100名弱は、全員オッチャン・オバチャン。超高齢化社会を先取りなんである。

赤石小屋の朝食風景

朝日をあびながら、もそもそと朝食を食べる山屋たち。すがすがしいんだか、すがすがしくないんだかよくわからん写真だなあ。

狭い食堂、肩を寄せ合って食事をしているため、お茶を注ぐ際、醤油を取る際、ご飯をよそう際、席を立つ際、ことごとく「すいません」と言わなくてはならない。

おかげで、食堂のあちこちで「すいません」「あっ、すいません」の大合唱。ますますよくわけがわからない空間だ。

赤石小屋朝食

今日の朝食。朝日を浴びてのブレックファースト。

うむ、ブレックファーストと呼ぶのはちょっと印象違うな、という感じが。朝メシ、という表現がぴったりか。

山小屋の朝メシ故、至ってシンプル。梅干しがちょこんとお皿に乗っているのがチャームポイント。

「山に登るってぇのにこの量じゃ物足りないのでは?」と危惧する向きもあるだろうが、案外オバチャンなどはこれだけの量でも持て余したりするんですな。

将来的に、ますます登山が中高年の趣味に特化していった場合、山小屋のメシは一体どうなってしまうのだろうと今から心配。ワカモノが満足する食事は質・量ともに出てこなくなってしまい、自炊せざるを得なくなるなんて事があるかもしれない。もしくは、我慢してひたすらご飯とみそ汁をお代わりするか。

この宿もご飯おみそ汁のお代わりは自由だった。

味?いや、この料理でどうやってコメントすんのよ。うまいもまずいもないでしょ、これだったら。少なくとも、「うわあ、絶品!」って言うのは相当難しいメニューだと思われ。減点方式で、いかにマイナスを少なく抑えるか、という類。

下山開始

さ、朝食を食べ終わったら下山ですぞ。

何しろ、さわら島まで下山したら一安心、って事ではなくて、そこから送迎バスで畑薙第一ダム、さらにそこから6時間近くかけて東京ときたもんだ。まだ朝6時になっていないけど、さっさと下山するに越したことはない。

赤石カールを振り返り、最後のお別れをして下山開始。

道はけっこう急だ。下りながら二人で「いやあ、この道は登るとしんどいなあ、登りがこっちでなくて良かった」としみじみと語り合ったほど、急だ。さわら島~千枚小屋までの道が長かったかわりにだらだら坂だったのとは大違いだ。

途中、廃道になった林道を何度かすり抜けながら、ぐいぐいと下る。高度が下がっていく上に、樹林帯の中を歩くために展望はほとんど無し。もう、ひたすら下っていくしかない。

さわら島に通じる最後の階段

最後、鉄の長い階段をタンタンと降りて、さわら島手前の車道に到着。一気に下ったので、さりげなく疲れた。

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